STILL LOVE HER ~失われた未来~(中編)◆6YD2p5BHYs



……雨が、降り続いていた。
窓の外は刻一刻と明るさを増していき、しかし、その度合いは遅々たるもので。
憂鬱に垂れ込めた雨雲の下、散発的な戦闘が続く。

  歌を、聞かせたかった――バードコールの鳥の歌を、もっと2人で聞いていたかった。

校舎の外壁。川田はライドルを鞭状にし、ターザンのように窓を突き破って教室に突入。
部屋の中には、狙い通りパピヨンの姿。
突入と同時にウージーを向ける彼に、しかし唐突に、白く濃密な霧が吹きつけられる。

  愛を、届けたかった――愛を込めて、あの子の名前も呼んでやりたかった。

消火器。学校なら必ずある備品。窓からの奇襲の可能性も考えていたパピヨンの、現地調達の目潰し。
一瞬怯んだ川田に、空になった消火器を叩き付ける。
本来は武器ではないとはいえ、十分な質量を持った鉄の塊だ。それがホムンクルスの怪力で振り回される。

  想いを、伝えきれなかった――。

咄嗟に腕を上げて身を守る川田。
ライダーマンのスーツは、しかしその衝撃を殺しきれず、骨の折れる音が響いて――
しかし、次の瞬間には、折れ曲がった腕が元に戻っていく。
いつのまにか弾切れのウージーの代わりに握られていたのは、十字槍。パピヨンの顔が苛立ちに歪む。

  時が止まったままの、2人の無様な漢たちの心は。

『激戦』。かつて一度は破ったその武装錬金、しかしニアデスハピネスのない今、それはなかなかの難敵で。
「まとめて吹き飛ばす」ことが出来ない今、再生の途中に割り込むことは困難。
パピヨンは舌打ち1つすると、サンライトハートで壁を破って隣の教室に移動する。またもや仕切りなおす。

こんな展開が、何度繰り返されたことか。

         ※      ※      ※

それは――頭のいいもの同士であればこその、膠着だった。
似た思考の持ち主同士であればこその、拮抗だった。

相手を絶対に倒す、と強く誓っていても、怒りや憎しみに思考を曇らせることもなく。
一か八かの危険な賭けを良しとせず、多少の手間と時間を惜しまず確実な勝利を目指す。
そんな頭脳派同士の戦いは、さながら詰め将棋のような様相を呈して。

互いに頻繁に仕切りなおしては、新たな策をぶつけあう。
地形の利用。その場で確保した道具の利用。支給品の応用的利用。
少しでも厳しいと感じたら、思い切りよく引く……しかし、完全に逃げてしまうわけではない。
僅かな時間を稼ぎ、攻防をリセットするだけ。
それは相手の不用意な深追いを誘う策であり……そしてお互いに、そんなものに乗るほど愚かではない。
ゆえに、短いスパンでの仕切りなおし、となる。

もちろん双方とも、無為に時間を浪費しているわけではない。
相手の能力の見極め、相手の手札の見極め、作戦傾向の見極め。
次々と入れ替わる攻防、次々と入れ替わる局面の中から、2人は互いの能力を見定めあって……。

やがて、平衡は崩れる時を迎える。

         ※      ※      ※


……雨が、降り続いていた。
校庭を、静かに雨粒が叩き続ける。
校舎の方を見上げれば、もう無事な部分の方が少ないくらいの壊れっぷりで――
十何度目かになるガラスの砕ける音と共に、1つの黒い塊が飛び出してきた。

いや……しかし、それは自ら「飛び出した」わけではないようだった。
校庭を2度、3度バウンドしながら転がっていったその塊は、数メートルばかり地面を滑ってようやく止まって。
ガクガクと痙攣しながら立ち上がったその人影の表情は、しかし仮面に隠れてよく見えない。
大きな、黒い蝶を模った、奇妙な仮面。

「ぐっ……!」
「……なるほどな。大体『分かって』きたぜ」

校舎の外に「蹴り出された」パピヨンを追い、悠々と歩み出てきたのはライダーマンスーツの川田。
彼はそして、無精髭の生えた、露出した口元を歪めてみせる。

「アンタは確かに人間じゃねぇ。パワーもスピードも相当なモンだ。
 だけど……体力がねぇ。持久力がねぇ。タフネスがねぇ。
 あの頻繁な『仕切り直し』も、実は小刻みな『休憩』を取らなきゃやってられなかったってことだろ。
 外傷も無いのに吐血してたとこを見ると、肺にでも持病でも抱えていたか?」
「…………ッ」
「ま、俺にとっても都合は良かったわけだが。この『スーツ』の性能、お陰でかなり把握できた。
 これで、お前を殺すことが出来る」

持久力の不足により、元々長時間の連続戦闘ができなかったパピヨン。
手に入れて間もないライダーマンスーツの性能を、自分の身体で確かめたかった川田。
2人の利害は一致して、だからあのような際どい均衡が成立したわけだが……
それでも、戦い続ければパピヨンの疲労は蓄積する。
そして、戦い続ければ川田の技量は向上していく。
元々危うい均衡が崩れるのも、当然だった。

「色々試して分かったが、単純に全身体能力が上がってる、ってだけでもないんだな。
 所々、強化の強い所がある……特に、ジャンプ力やキック力は相当なモンになってやがる。
 となると……やっぱ『ああいう戦い方』になるわけか」
「何を……言っているっ!?」
「今の俺が使うべき『技』でもねェんだろうが……こういうことだ」

淡々と、平坦な声で呟いていた川田の身体が、掻き消える。
いや、消えたのではない――心理的死角になりがちな、縦方向への高速移動。
超人的な脚力に加え、竿状に伸ばしたライドルをも使って、棒高跳びの要領で高く高く舞い上がって――
その全ての勢い、全ての位置エネルギー、全ての運動エネルギーを、蹴り足に乗せる。
見よう見真似。跳躍力の不足をライドルで補う創意工夫。
正義を背負った「第一の男」の技を、我執に捕らわれた川田が再現する。思わず叫びが漏れる。

「ライダァァァァァァァッッッッ!」
「ッ!! 武装、れんッ……!」
「キィィィィィィィッッッッッッッックッッッッッッッ!」

咄嗟にパピヨンがサンライトハートを構えなおすが、そんな不十分な姿勢で迎撃も防御も出来るはずがない。
流星の如き飛び蹴り。
その足は轟音と共に、校庭に大きなクレーターを作り出した。

         ※      ※      ※

パピヨンは――蝶人パピヨンは、考える。

もう、「あの未来」には辿り着けない。
たとえ元の世界・元の時間に帰ることが出来たとしても、「あの武藤カズキ」のいる未来には辿り着けない。
「カンニング」で結末を知ってしまった決闘になど、大した価値は残されていない。
では――パピヨンはいったい、どこを目指して進めば良いのか。

泉こなたは死んだ。
それでも、もう一度彼女と会う方法は、あると言えばある。
死者復活などという不確実な手段に頼らずとも、「泉こなた」と再度会う方法は存在するのだ。
彼女の居る世界に行き、「この会場に泉こなたが呼び出される」よりも「前」の時間に行けばいいだけだ。
パピヨンが元の世界・元の時代に戻れる手段を確保できるのなら、「そういうこと」だって可能になる。
だからここで、「もう一度泉こなたと会う」ことを目標にしてもいい、のだが……。

それでは、意味がないのだ。
パピヨンの名を愛を込めて呼んでくれたのは、「ここに居た」泉こなたただ1人。
パピヨンが愛を込めて名を呼んでやりたいのは、「ここに居た」泉こなたただ1人。
殺し合いのことを知らず、パピヨンのことも知らず、のほほんと日常生活を送っている泉こなたではない。
自己紹介からやり直せば、ひょっとしたら「そのこなた」とも親しい関係を築けるのかもしれないが。

そうして彼の鋭すぎる頭脳が、全ての光溢れる道筋を否定し、拒否し、閉ざしてしまった後……。
彼の目の前には、1つの細く冥い道だけが、残されていた。
それはきっと、愛を諦める道。
誰かに愛を込めて呼んでもらうことを、諦める道。
偶然によって堕ちずに済んだ道。武藤カズキが否定してくれた道。
自らを「同類」と呼んだDIOが目指し、そしてとうとう、そのDIOも完全には成し得なかった道。

……きっかけが、必要だった。
あの、ホムンクルスとなりパピヨンとなり、生まれ変わった日のように、きっかけが必要だった。
そしてパピヨンは――震える手を伸ばす。
部屋いっぱいに広がった、「それ」に手を伸ばす。……絶望と共に。

         ※      ※      ※

……雨が、降り続けていた。

「……ちっ。やっぱ本郷さんのようにはいかねぇか」

雨によってすぐに収まっていく土煙の中、川田章吾は小さく舌打ちをする。
ライダーキックがパピヨンを捕らえんとした、その刹那――僅かに、パピヨンの反応の方が早かったのだ。
彼はこれまでに何度もしてきたように、サンライトハートの石突を伸長。大地を蹴って高速移動して。
校舎の壁に開いていた大穴の1つに、飛び込んでしまっていた。
いい加減飽き始めてきた、十数度目の仕切り直し……しかし、絶好の好機を逃した川田に苛立ちはない。
仮面から覗いた口周りに見える表情は、むしろ、喜びに近い。

「あちらさんの消耗は、相当なモンみてぇだからな……慌てることはねぇっ」

既にパピヨンの「体力の欠如」を見抜いている川田だ。それ以外のことも、色々と気付いている。
例えば……サンライトハートを利用した、あの高速移動。
壁や床さえも軽々と突き破れる、便利な移動手段だが……どうやら、使用者には負担がかかるらしい。
激戦で身体を再生させた時と、同質の疲労。
今のパピヨンには、何よりもキツい「支出」であるはずだ。

「回復手段を持ってるなら、すでに使ってるだろうしな……。
 大体、ライダーキックを放つまで『核鉄状態で』持ってたという時点で、奴は相当追い込まれてやがる」

言うまでもなく、武装錬金も「武器にせずに」持ち歩けば咄嗟には振るえない。1動作余分に必要になる。
ただ、待機状態の核鉄には、僅かながらの回復効果がある。
持っているだけで、傷と疲労が癒される。
逆に言えば――今のパピヨンの身体は、その雀の涙ほどの回復さえも必要としているということだ。
川田は勝利の確信を持って、パピヨンの後を追う。
パピヨンが飛び込んだ壁の穴に、ゆっくりと足を踏み入れる。

瞬間――全身が、総毛立った。

(な……何だっ!?)

外は雨が降り続いている。夜明けは近いが未だ暗い建物の中。
既視感と――そして、違和感。
自分は確かにこの部屋を見たことがある。一度見たことがある。
そしてその時に「あったはず」のものが、無い。
丹念に掃除でもされたかのように……あるいは、「舐め取られた」かのように。
綺麗さっぱり、消滅している。そして。

  「……悪魔のように、黒く」

誰かの呟きが聞こえる。誰かの呻きが聞こえる。
崩壊した職員室の片隅。分かっていても、川田章吾は瞬時に振り返れない。

  「……地獄のように、熱く」

恐怖。そう、川田章吾の身体を金縛りにしているのは、恐怖以外の何物でもない。
唄うような言葉に込められた、熱い想い。ドロドロとした情念。
それが凄まじいプレッシャーとなり、川田章吾をその場に縫い止めている。

  「……接吻のように、甘い」

振り返らなければ。身体を動かさなければ。そうしなければ、自分がやられる。
渾身の力を振り絞り、意志力を振り絞り、川田はギギギと軋むような動きで、声の主の方を振り返る。
そこに――闇が、人の形を成して、存在していた。
ドブ川の濁ったような色をした瞳が、血涙を流しながら、川田のことを見つめていた。

  「……久しぶりだ……。これが、 人 間 の 味 ! 」


その立ち姿には、先ほどまでの消耗の色はカケラも残っておらず……
むしろ、最初に相対した時よりも活力に満ち溢れていて。
別人のような気配。
消滅した「泉こなたの死体」。
求めていたであろう「回復手段」。
そして、先ほど奴が口にした、「人間の味」発言――!
戦慄と共に、川田はその結論に辿り着く。辿り着いてしまう。

「お、おま、え……! まさか……!」
「ああ、そのまさか、だ。
 何しろ俺は、『人喰いのバケモノ』だからな。
 『泉こなた』は、このパピヨンが『喰った』。血の一滴も残さず、『喰わせて』貰った」
「こ、の……バケモノがッ!!」

化物。
身体能力の高さや特異な能力の存在、などという細部ではない――化物。
ヒトとは異なるモノ。ヒトにはあり得ない精神(こころ)の形。

だが……しかし!
パピヨンにとって泉こなたは、川田章吾にとっての柊つかさのような存在だったのではないのか?!
この殺し合いで出会って知り合って、それでも心を交わした大事な存在だったのではないか?!
それを、こんな――!
川田はそれでも、慌てて武器を手にする。
パピヨンに圧倒されつつも、ここは攻め込まねば生き残れぬ流れと悟る。頭を瞬時に切り替える。

「武装錬――!」
「――遅い」

だが……遅い。既にその動揺は致命的な隙を作り出している。
底の知れない今のパピヨンに対し、川田が選んだのは無限の再生力を誇る『激戦』。
その選択自体は間違いではなかったのだろうが……あまりに、遅すぎた。
六角形の金属片が十文字槍へと姿を変えようとしたその瞬間に、一瞬で間を詰められ、蹴り飛ばされる。
はるか遠くに、弾き飛ばされる。
パワー。スピード。瞬発力。その全てが、川田章吾がこれまでに見てきたパピヨンの全てを上回っている。

川田章吾は、知らない。
川田とのこの戦いよりも前から、パピヨンがそれなりに消耗していたことを知らない。
食事を取る間が無かったことを知らない。常人より遥かに多くの食料を要するパピヨンの生態を知らない。
この場で相対したその時には、既にパピヨンがガス欠に近い状態にあったことを知らない。

食人衝動は無くとも、パピヨンはホムンクルス。
不完全ではあっても、パピヨンはホムンクルス。
その本来の「食餌」は「人間」であり――
だから、「人間1人分」の肉と血を喰らった今のパピヨンは、「エネルギーの補充」が完了した状態。
その本気の動きは、今の川田の眼には捕らえきれない。
消耗してヘロヘロになっていたパピヨンの動きに慣れていた川田には、反応しきれない。

ガッ。
パピヨンの左手が、ライダーマンのスーツで唯一露出している肉体――川田の顎を鷲掴みにする。
その隙間から指を滑り込ませ、凄まじい握力で顎と喉を握り潰しにかかる。
片腕で大柄な川田の身体を、軽々と吊るし上げる。川田の両足が、虚しく虚空を掻く。

「確かに俺は『人喰いのバケモノ』だ。
 その気になれば貴様程度、このまま掌から吸い込むようにして喰らうことが出来る。
 ――だが、俺はいささか『グルメ』なタチなようでな」
「…………ッ」
「貴様は、俺が『喰ってやる』に値しないッ!
 貴様には、こなたほどの価値はないッ!
 貴様の肉の一片、血の一滴、魂の一欠けに至るまで、この俺の中には入れてはやらんッ!」

メキリ。川田の喉下を押さえるパピヨンの手に、力が篭る。
パピヨンは片腕。川田は両腕。
なのに、強化されたはずの腕力で渾身の抵抗をしても、その束縛から逃れることができない。
泡を吹きつつ、川田の口から絶望的な呻きが漏れる。

「こん、なっ……パピ、ヨ……」
「チッチッ♪」

川田の霞む視界の中、パピヨンは悪戯っぽくその指を振ってみせて。
濁った瞳に歪んだ笑みを浮かべ、彼はその名を名乗り上げる。

「今の俺を呼ぶなら、そうだな――『帝王・パピヨン』。
 これからは、帝王と呼べ。
 それも……もっと、『畏怖』を込めて、だ!」

牙のように鋭い歯を剥きだしにし、パピヨンは哂う。
耳下まで口が裂けたかのような凶悪な顔つきで、パピヨンは哂う。

そうして構えたのは、右の手刀。
弓を引き絞るようにそれを脇にひきつけ、力を溜め、
吊るし上げられ逃げられない川田の――に、狙いをつけて、

職員室――かつて川田章吾が泉こなたの命を奪ったその場所に、真っ赤な華が咲いた。

         ※      ※      ※