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 …………………………………………

 ……………………

 …………

 ……

 そう、確かにもう格納庫内には動くものはいなかった。
 格納庫からプッチが出て行ったその時には。

 プッチがいなくなってから数十秒後。
 動くものがなかった格納庫にて、重力に反して動くものが現れた。
 その正体とは――

「行ったか…………ああああ、痛ッェェエエエ~~~ッ! しこたま殴りやがって、クソッタレ神父がァァァアアアアーーーーッ!!」

 ――先ほどC-MOONの乱打(ラッシュ)をその身に受けたジョセフ・ジョースター。
 叩き込めば物体を裏返してしまうC-MOONの拳。
 それを幾度となく叩き込まれたはずのジョセフが、むくりと上体を起こす。
 C-MOONにより狂ってしまった重力など意に介さず、足の裏からくっつく波紋を流して床に身体を固定させる。
 プッチが遠目からではなく近づいて確認すれば、気付いたはずだが……
 ジョセフ・ジョースターは死んでおらず、ただ死んだフリをして気を窺っていただけであったのだ。


 格納庫から出て暫くして、さっそく研究員を一人見つけた。
 重力のこともあり、こんなに早く見つかるとは思っていなかったが、やはり私は『天国』に行かねばならないようだ
 必死の形相で柱にしがみついている。
 確実にUFOの操縦について知っていそうな伊藤博士ではないが……
 まあ、UFOの操縦さえ出来れば誰でもかまわない。

「尋ねたいことがあるのだが」
「プ……プッチ神父! ど、どうやって何事もないかのように歩いているんです!?
 まさかこの現象に心当たりが――って、どうして首輪をしていないんです?」

 思わず溜息が出そうになるのを堪えて、言葉を遮りながら問いかける。

「何で、君の質問に付き合わなきゃあいけないんだ? 質問をしているのはこちらだろう。
 格納庫にUFOがあったが……君はアレを操縦できるかい?」
「え……あ、それは…………しかしアレは暗闇大使様の許可が………………」

 口篭る研究員。
 BADANに逆らわなければ、殺しはしないとでも言われているのだろうが……
 そんなことで、幸福に過ごしていけるとでも思っているのか?
 真の幸福も知らずして。
 私のスタンドが『ホワイトスネイク』の時であれば、記憶DISCを奪うなり、命令のDISCを挿入するなりで、話は終わるのだが……
 ならばあまり気が進む行為ではないが、心変わりを誘発するとしよう。

『ウシャアアアア!』

 C-MOONの拳を、研究員が掴んでいる柱へと叩き込む。


 ふう、一しきり叫び散らしたおかげで頭が落ち着いたぜ。
 あー、ちくしょう。どうすっかなァ~~~~。
 はァ~、今の俺を覚悟とか『零』が見たらうるさそうだ。

『やられたと見せかけて生き長らえるなど、恥を知れ! 散っていった仲間達に情けないと思わないのか!
 男として、うんやらかんやら、うんぬんほにゃららの極み! 戦士としてごにゃごにゃ、ぐだぐだぐだぐだ、~~なり!』

 ――とか、冗談抜きに言ってきそうだぜ。拳の一発や二発入れてくるのも忘れずに。
 確かに俺は、仲間である服部を殺しやがったプッチ――しかもそいつは、祖父さんから曾孫の代まで続く因縁の相手――の攻撃を受けて、息を潜めて死んだフリをしてひとまずやりすごした。
 だが、まだ俺は戦士の資格を失う気はねェぜ。
 俺が戦士の資格を失うとすれば、俺が闘う意思を捨てた時だけだ。
 このジョセフ・ジョースター、昔から作戦上逃げることは何度もあったさ。それでも、戦闘そのものを途中で放棄したことは一度たりともない。
 そして今回も、例外なんかじゃあ決してない。
 まだまだ………………ガンガン闘うつもりだぜ、俺はな。


 しっかし、さっきはマジに危なかったな。
 コマンドロイドからいただいといたチェーン。アレがなきゃ、間違いなく死んでたぜ。
 ――クレイジー・ダイヤモンドに握らせておいて、腹を『八回』殴られたときにチェーンを治した。
 かがみの腕がかっ飛んで来たときみたく、チェーンが俺ごと部屋の隅に追いやられてるはずのコマンドロイドの所まで飛んで行くかは、正直分からなかった。
 もしかしたら、コマンドロイドの残骸の方が飛んで来てたかもしれなかった。
 だがコマンドロイドの残骸が、どうにもバイクやボックスに埋もれちまってたらしくて、助かったぜ。
 あんなんが圧し掛かってちゃあ、そりゃあ俺が引っ張られるよなァ。
 一回殴られて裏返るんなら、『二の倍数回』殴らせれば戻るんじゃねーか?
 なんていうのも、殴られながら閃いた下らねえ案だったが、成功するんだから本当に分かんねえよなァ~~。
 開いちまった傷口は塞がらねーみてえだが、それくらいなら波紋で応急処置は可能だ。

 さーて、プッチが手に入れた新しいスタンド『C-MOON』。
 食らってみて分かった。
 アレはスピードはあるが、パワー自体は大したことがない。
 まあ、一発攻撃食らっちまえば、それだけで裏返っちまうんだから、アイツがヤバいことには変わりはねェ。
 プッチの周りの重力みたく、あの裏返る攻撃にも重力が関係してそうだ。
 殴ったものの重力を狂わせて、変形させてる……とかか?
 一応、さっきみたいに『偶数回』同じ場所を殴らせれば、何とかなるんだろうが……
 うーん、あん時みてえなのはなァ~~~、あと一回ならともかく何回もやるのは無理くせェよなァ~~~~。
 まずさっき治しきれなかった左腕を殴らせてえが、それやっちまったらバレちまうよなァーー。
 かといって左腕がこのままじゃあ、スタンド同士の殴り合いなんかにゃあ勝ち目ねェしよォーーー。
 ……まあ、左腕は治すにしてもだ。
 あのC-MOONは、かーなーり厄介だからな。プッチが戻ってくる前に、戦闘の用意をしとかねーとな。
 『孫子』によれば、『勝利というのは、戦う前に全て既に決定されている』。
 ンッン~、こいつは実にいい言葉だぜェェ~~。
 重力の方向教えたり、俺がちゃんと死んでるか確認しに来なかったり……
 新しく手に入れたC-MOONの強さに天狗になっているのかしらねェが、どうにもアイツは余裕ブッこいてやがる。
 まあ、確かにC-MOONは強ェ。
 だがな、相手の油断を利用するってのは、このJOJOの十八番なんだぜェェーーーッ。


 ――にしても、あのプッチがDIOの友人だとはな。
 そんでもって、承太郎が封印したかつてDIOが目指した『天国』を、プッチも目指している。
 今のこの狂った重力状態のことが、『天国』とでも言うのかと思ったが……
 どうにも、まだこれは『天国』の前兆にすぎない気配がするぜー……
 プッチ自身もC-MOONを『微弱な程度の能力』とか言ってやがったし、そう感じているんだろう。
 おそらくだが、さらに……これから何かヤバいことになりそうだ。
 クレイジー・ダイヤモンドに殴り飛ばされたプッチの身に降りかかったのは、『地球上で最も弱い重力に近い重力』。
 『地球上で最も弱い重力』と同じ重力も体験していただろうが、それは一瞬だろう。
 もしも、プッチが『新月』の時に『北緯28度24分西経80度36分』に到着してしまえば…………
 おそらく今の状況よりも、ブッ飛んだ事態になりそうだぜ……

 やれやれ、本当にやれやれだぜ。

 俺にしてみれば、ディオなんて五十年前の祖父さんの代の話だしよォ。
 復活したDIOは、五十年後の俺と孫の敵だ。
 んでもって、DIOの友人・プッチなんて、さらに二十年後だぜェーー?
 俺は関係ねえ! 孫か曾孫が相手すべきだろうが、本当なら!
 ……だが、仕方ねえ。
 目の前にいやがる以上は、しようがない。
 ジョナサン・ジョースターも、空条承太郎も、空条徐倫も、ここにはいやしねェしよォー。
 DIOとエンリコ・プッチの野望は――百二十年以上に渡る因縁は、この俺が決着を付けるぜ。

 ――――誇り高きジョースターの血統、そして子孫達の黄金のような未来を取り戻すためにな。


 よし、だったらまあ、準備は早いとこ終わらせなきゃならねえな。
 格納庫に向かってきた時は、勘違いだと思っていた。
 その感覚は承太郎の記憶にはあったが、俺自身は感じたことがなかったから思い違いと判断した。
 しかしプッチがDIOの友人だと分かった現在ならば、あの時感じた――そしていまも感じているこの感覚は、決して心得違いなんかではないと分かる。

『信頼できる友が発する14の言葉に知性を示して……『友』はわたしを信頼し、わたしは『友』になる』

 DIOのメモにあった一文。
 理屈は分からないが、文章をそのままの意味で受け取るのならば、プッチはDIOとなっている。
 どういう意味でなのかは分からないが……
 プッチがDIOとなっているのならば、俺がこの格納庫から『ジョースターの血統がいる感覚』を感じた理由が分かる。
 DIOは祖父さんの肉体を乗っ取った。ジョースターの肉体を。
 そのDIOとなったのならば、おそらく俺が感じた感覚の正体は、プッチのことだったのだろう。
 それは、まだ感じる。
 方向や距離は分からないが、まだ近くにいるのを感じる。

 ――確実にプッチも感じているはずだ。

 C-MOONが殴ってきたのは、心臓や首などでなく腹。
 腹部が裏返り、出血多量で死ぬには少し時間がかかる。
 といっても、死んでない以上、プッチは俺がいる感覚を感じなくなることはない。
 いくらなんでも、こんなに長い間生き長らえてるワケがない。
 そう思ったら、プッチは絶対に戻ってくる。
 アイツのジョースターの血統への異常な執念――必ず戻ってくる。

 さーてと…………ちゃっちゃと準備始めますかね。


  ◇  ◇  ◇


 足の裏から波紋を流せば、重力の変化とかも気にせずに動けるらしい。
 ……ずっとおんなじ場所にいると頭に血が溜まるし、ジャンプなんてしようもんならあらぬ方向へと落下しちまうが。
 服部の死体は、埋もれることなく浮かんでいる。
 しかし、どの壁からも離れた場所にいるので届かない。もう血を出し切ってしまったのか、出血は止まっている
 今は手を合わせる時間もないが、プッチを倒し次第すぐに弔う。我慢してくれ。
 服部がいるってことは、渡しといたデイパックも近くにあるはずだが……
 うえー、やっぱデイパックも届きやしないとこに浮かんでやがる。
 まあ、仕方がねえ。代用できる物なら考えてある。
 壁伝いに移動して、アレを探す。
 …………っと、あんなとこにあったのか。

 時間もないが、やるべきことはあと一つ。よし――――


「そうか、ついてきてくれるか」
「は、はははははははいぃぃぃいいいいっ!」

 C-MOONの力を見た研究員は、すぐさま私についてくることを選択した。
 よほど生に対する執着心が強いと見える。
 ……しかしどういうことか、スタンドが見えていないらしい。
 服部平次には見えていたようだが、いったい何故この男には視認出来ないのだ?
 まあ、今となってはそんなことはどうでもいい。
 研究員を連れて格納庫に戻ろうとした瞬間だった。

 ――何故だ。

 何故、まだ格納庫の方向にジョースターいる感覚が!?
 腹部を幾度となく殴りつけたッ、裏返したはずだ!

 心臓や首とは違って致命傷とはならないとはいえ、確実に死に至るはずの攻撃だった。
 偶然急所を外してしまった? いや、ありえない。
 間違いなく腹部に何度も命中したはずだ、裏返ったのだッ。
 C-MOONの拳を柱に叩きつける。

「ひいいいっ」

 研究員が顔を青く染めて、情けない悲鳴を出す。やかましい、黙れ。
 確かに、柱は軽快な音を立てて裏返る。
 だが、まだジョセフ・ジョースターは生存しているッ。
 どういうことだ……いったい何をしたんだ?
 決着をつけなけくてはッ! 『あの血統』は! 克服しなければならないッ!
 まさか……また『空条の血』が…………『ジョースターの血統』が! 私とDIOの目的を妨げるというのかッ!?

「そこで待っていろ!」
「はひいいいいいいいいいい!?」

 研究員を放置して、格納庫まで駆ける。
 出来るだけ早く到着するべく。
 ジョセフ・ジョースターに時間を与えるのは危険だ。
 この世で最も『強い力』は、『計算』なんかでは決してない。
 最も強いのは『偶然』。強い『運命』を持つものに味方する『偶然』。
 しかしあの男は……ジョセフ・ジョースターは、強い『運命』もまた持ち合わせているのだッ。
 なんとしても、ジョセフ・ジョースターとはここで決着をつける。


  ◇  ◇  ◇


 格納庫の扉の前まで到着。
 この扉の向こうに、ジョセフ・ジョースターが生きている。

『一〇〇年前の因縁があるだけに、ジョースターの血統のものだけは手加減せずに一気に殺すと決めていた』

 空条承太郎の記憶の中のDIOの言葉が蘇る。
 手加減をしていたわけではないが、相手はジョースターの一族。
 人間の限界を超越した吸血鬼であり、スタンド『ザ・ワールド(世界)』を持つDIOにして、『厄介なヤツ等』と言わしめた強い『運命』を持つ血統。
 裏返したまま放置するのではなく、きちんとトドメを刺しに行くべきだったのか……? DIO…………
 自信を持て、自信を持つんだ、エンリコ・プッチ。
 幻覚を破り、クレイジー・ダイヤモンドで攻撃を放ってきたときも。
 ジョセフ・ジョースターの妨害は、私を『天国』まで『押し上げる』ための『試練』であった。
 『啓示』も見た………………
 『運命』が『味方』をしてくれているのはジョースターではなく、私なのだ。
 『運命』は『天国』へと、私を『押し上げ』てくれているのだ。
 ジョセフ・ジョースターの生存も、『克服』することで私を『押し上げる』最後の『試練』なのだ……!

 扉に手をかけて、一気に開ける。
 瞳に映ったのは、やはりあの男であった。『克服』すべき――――『因縁』。

「やはり生存していたか、ジョセフ・ジョースター……!!!」


「やはり生存していたか、ジョセフ・ジョースター……!!!」

 プッチが傍らに発現させたC-MOONとともに、格納庫内に入室する。
 強張った表情の向こうには、上半身裸のジョセフ。その半歩先に、クレイジー・ダイヤモンド。

「よう、プッチ。あの世から舞い戻ってきたぜ」

 飄々とした内容の言葉を返すジョセフは、顔面に笑みを浮かべている。
 プッチから水平方向に放たれる重力に、足の裏からくっつく波紋を床――それが本当に床であったのか、それとも壁であったのかはともかくとして――へと流すことで耐えている。
 それは、いくら一ヶ月以上に及ぶ地獄のような特訓を積んだジョセフにとっても、かなりハードな行為。
 しかし、ジョセフは笑みを崩しはしない。
 『兵は詭道』――ジョセフがよく引き合いに出す兵法書『孫子』に記された言葉。
 意味――『戦いとは欺くこと』。
 ジョセフは異常な状態でも笑みを浮かべることで、プッチを怒らせて動揺を誘おうとしているのである。

「ジョセフ・ジョースター、決着を付けるぞ。未来のために、この世の人類を真の幸福へと導くために。
 分かるか? これからお前が死ぬのは、私の最後の試練――そして人類の幸福のための犠牲に過ぎない」
『シャア!』

 プッチをクレイジー・ダイヤモンドの射程外へと置いて、C-MOONが右腕を掲げながらジョセフへと接近。
 対して、クレイジー・ダイヤモンド。
 本体のダメージの所為で裏返った左腕を翳して、振り下ろされたC-MOONの拳を――そのまま受けた。

「何?」

 まさか抵抗することなく殴られるとは思っていなかったプッチが、驚愕を含んだ声を漏らす。
 しかし、すぐにプッチはジョセフの行動の理由を理解する。
 既に裏返っていたマジシャンズ・レッドの左腕が、肉が削がれるような音と出血を伴いながら変形――再び裏返る。
 一度裏返したものを二度裏返したなら、元に戻るのは当然の道理。
 C-MOONの拳によって裏返ったものも、その道理の範疇内。
 治ってゆくクレイジー・ダイヤモンドの左腕――効果は本体へとフィードバックし、ジョセフの左腕も元の形状へと戻ってゆく。
 それを確認したプッチは、完治するより早くジョセフを始末しようとC-MOONを操作する。
 一度右拳を放った直後ゆえ、C-MOONの右腕のさらに右にいるジョセフには、左の拳を撃つのでは遅い。
 C-MOONは体勢を立て直そうとせずに、さらに仰け反って右足で中段蹴りを放つ。
 パワーはなくとも、スピードという観点ではキックボクサーの蹴撃を超越したC-MOONの蹴りは、しかし空を切るだけに終わる。
 蹴りかはともかく、C-MOONの二撃目を予測していたジョセフ。
 C-MOONの初撃を受けた時点で、足の裏から波紋を流すのを止めてプッチから放たれる重力に身を任せていた。
 『落下』することで、ジョセフはC-MOONの攻撃を回避したのである。

「『クレイジー・ダイヤモンド』ッ!」

 C-MOONからある程度離れた場所で、クレイジー・ダイヤモンドが床を掴んでジョセフは静止する。
 足の裏から波紋を流すのを再開して、床に足をくっつけて立ち上がるジョセフ。
 左腕に視線を向けて、既に完全に治癒が完了していることを確認する。
 してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべたジョセフは、波紋エネルギーを左腕に多く充当。
 漲ってゆく太陽のエネルギーにより、ジョセフの左腕の出血が止まり、少しずつ傷が塞がる。

「……なるほど。偶数回同じ場所を裏返せば、元に戻ってしまうということか。盲点だったよ。
 しかし裏返ったことによる傷自体は残るし、出血が止まるわけでもない……それを補うのが『波紋』か。
 私が新月を前に得た『強さ』に対抗できる力――波紋を使えるのが、よりにもよってお前とはな…………
 DIOも言っていたが、ジョースターの血統というのは実に強運で厄介な存在だ。
 これもまたDIOの受け売りだが……DIOの『運命』の前に現れた天適、というのが相応しいかもしれない」

 C-MOONだけではなく、プッチも一緒にジョセフへと接近する。
 ジョセフは気付いておらず、プッチも研究者を探している際に気付いたことだが、C-MOONもホワイトスネイクと同じ特性を持つのだ。
 すなわち、本体から離れれば離れるほどにスピードが弱まるという特性を。
 プッチの履く高級そうな靴が床に触れるごとに、カツリという乾いた音が格納庫に響く。
 奏でられる緩慢にして重厚なリズムが、プッチがゆっくりとだが一歩一歩着実に歩みを進めていることを表している。

「『人間は誰でも、不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』――DIOがよく言っていた言葉だ。
 そう、全ての人間は安心しなければならない。『不安や恐怖』とは、言い換えれば『運命』だ。
 ……理解できないといった表情をしているな?
 元々私がいた世界のDIOは、空条承太郎に敗北する『運命』を背負っていた。
 ここに呼び出されたDIOは、加藤鳴海に敗北する『運命』を背負っていた。
 空条承太郎は範馬刃牙を助けようとして命を落とす『運命』を、そこに浮遊している服部平次は『天国』の崇高さなど理解せずに死に行く『運命』を背負っていた。
 分かっただろう? 『克服』しなければならない『不安や恐怖』とは、その『運命』だということが。
 全ての人は、『運命』を『乗り越え』なくてはならない。
 私が元々いた世界のDIOと私にとって、それは『ジョースターの血統』であったのだ」

 そこまで言って、不意にプッチとC-MOONは足を止める。
 ジョセフとの距離、五メートル。
 動かない相手に対して、ジョセフも動こうとしない。

『シャアアアア!』

 叫ぶのとどっちが早かったか、C-MOONが右足を動かして蹴り抜く。
 対象は、プッチの見据える前方にいる――ジョセフ・ジョースターではない。
 真下――床の方向だが床ではなく、僅かながら床の上。
 ただの牽制、はたまたフェイントの意味で何もない場所を殴った?
 否、それまでプッチへの挑発を意図して浮かべていた笑みが、ジョセフから消えて表情に渋味が含まれる。

「いつ、気付いた……?」
「そもそも私がここに来るまで、お前が何もしないとは考えてはいなかった……
 必ずあるものだと思っていれば、見つけられない罠ではない」
「ケッ! 着替えを探してた時に、もっとイケてるデザインの服見つけてたんだぜ?
 だけど何とかっつー虫の繊維ほどじゃないが、波紋を通しやすい素材の服もあったからそっちにしといたってのによ!」

 ジョセフはプッチが来るまでの間に、上半身に纏っていた服をほつれさせて一本の糸とした。
 その糸を、床にくっつくかくっつかないかギリギリの所に張り巡らせる。
 角となる場所はクレイジー・ダイヤモンドで床に空けた穴に糸を突っ込んで、そのまま床を治して固定。
 繊維自体が細いので注意しなければ見つからない、まるで蜘蛛の巣のような物をジョセフは作ってあったのだ。
 実を言えば、跳び上がって重力に身を任せて移動したのには、作り上げたトラップを崩さないためとの意図もあった。
 張り巡らせた一本の糸が形成していた辺の数は、約百二十。
 C-MOONが蹴飛ばしたのは、ジョセフの仕掛けたトラップの一部――辺が十四ほど。
 その全てが裏返り、糸であったが為に裏返る能力は、攻撃を受けなかった箇所まで遡った。
 結果、ジョセフがプッチが戻って来る僅か二秒前まで必死で作っていたトラップは、一蹴にしてその価値をなくしてしまったのである。

「『一度だけ』だ。『二度』ではない。
 『二度目』は別の場所を狙おうと、無理矢理に『一度目』と同じ場所に受けるかもしれない。お前の身体能力ならば、それが可能だ。
 『たった一度』裏返っただけで即死するような部位を殴られて、その『波紋』で『二度目』まで耐えられるのかァーーーッ!」

 声と同時に、プッチがかつてトラップが張り巡らされていた場所に侵入。
 ジョセフとプッチとの距離、クレイジー・ダイヤモンドの射程ギリギリ――三メートル
 C-MOONだけがクレイジー・ダイヤモンドの射程へと入り、ジョセフへと駆ける。
 ジョセフの前へ出たクレイジー・ダイヤモンド。意に介さず、加速を止めぬC-MOON。
 C-MOONが、クレイジー・ダイヤモンド目掛けて左の拳を繰り出す。狙いは顔面、左フック。
 仮に食らってしまえば=裏返ってしまえば、確実に死に至る一撃。
 しかし本体が近距離にいようと、スピードはクレイジー・ダイヤモンドの方が上。
 クレイジー・ダイヤモンドが、C-MOONの左前腕に裏拳を打ち据える。
 フィードバックするダメージにプッチが、苦悶に満ちた吐息を漏らす。
 クレイジー・ダイヤモンドの拳にジョセフが僅かながら波紋を込めていたこともあり、動きが静止するC-MOON。
 とは言っても、攻撃を放ったクレイジー・ダイヤモンドが二打目を放つ時には、動けるようになるだろう。
 それだけ流した波紋は微弱。

 ゆえに――――動いたのは、ジョセフ本人。

 一度地面を蹴っただけで、プッチとの距離を半分まで縮める。それは、言うまでもなく人間を超越した速度。
 プッチの元に戻ろうと、クレイジー・ダイヤモンドに右ストレートを放つC-MOONだが、本体が焦っているがため、C-MOONの動きは荒い。
 クレイジー・ダイヤモンドは、逆海老に身体を反らして軽々とを回避。
 逆に、クレイジー・ダイヤモンドの下段蹴りによって、足元を掬われてしまい尻餅を付いてしまう。
 C-MOONに馬乗りになり、拳の乱打(ラッシュ)を叩き込まんとすクレイジー・ダイヤモンド。
 あわやと言うところでC-MOONが解除され、クレイジー・ダイヤモンドの拳は床を砕くだけに終わった。
 それと同時に、射程外に抜けようとするジョセフにクレイジー・ダイヤモンドが引っ張られる。

「こいつは効くぜェーーーッ! 指先に波紋を集中!!」

 波紋による痺れから脱したプッチの視界に入ったのは、既にかなり距離を詰めていたジョセフであった。
 ジョセフは、右手の人差し指と薬指だけを伸ばした状態で振りかざしている。
 波紋は一点に集中させた方が威力が高まる――などと知る由もないプッチだが、何にせよ受けるわけにはいかないとプッチは判断。
 咄嗟に、服の内より『デス・サーティーン(死神13)』のDISCを取り出すと、すぐさまジョセフへと投げつける。

「危ねえッ!」

 DISCが挿入されてしまえば、一瞬とはいえ行動不能に陥る。
 絶対にそれだけは避けねばならないと、ジョセフは判断。
 プッチに突き刺すべき指で、ジョセフは『デス・サーティーン』のDISCを打ち払う。
 弾く波紋を受けた『デス・サーティーン』のDISCはあらぬ方向へと吹き飛ばされ、プッチの重力によって部屋の隅へと追いやられる。

「まだだ!」
「――ッ!? ちィィ!」

 プッチが取り出していたDISCは一枚ではなかった。
 同時に『リンプ・ビズキット』のDISCも取り出していたのである。
 ジョセフが気付くと同時に、プッチは投擲。
 標的は、ジョセフの額。
 スタンドはホワイトスネイクでなくなったとはいえ、これまで幾百ものDISCを取り出し保管してきたプッチ。
 投げ損なうなど、あり得るはずがない。
 『リンプ・ビズキット』のDISCは、吸い込まれるようにジョセフの額へと飛来する。
 一秒にすら満たない僅かな時間で、ジョセフは決断する。

「おおぉぉおぉおおおおおッ!」

 ジョセフは――軽く両足を曲げた。
 跳躍しようとしているのは明らかであった。
 それこそがプッチの狙いであると気付いていながら、ジョセフにはそうするしかなかった。
 プッチがC-MOONを再発現させる。
 飛び上がってしまえば、波紋によって足場が固定されることはなくプッチの重力に身を任せることとなる。
 落下するとはいえ、初速は大したものではない――C-MOONが余裕を持って追いつき、拳を叩きこめる程度の速度。
 勝利を確信するプッチの脳内では、賛美歌が鳴り響いていた。
 しかし――

『ウシャア!』

 しかし、C-MOONの拳はまたしても空を叩くに終わる。
 ジョセフは確かに跳躍した――両方の足の裏から『弾く波紋』を流しながら、背後へと。
 結果、ジョセフはプッチの予想を遥かに超えた速度で、落下していったのである。
 ジョセフが部屋の隅へと追いやられ、体勢を立て直す直前。
 一瞬生まれるであろう隙を狙おうと、C-MOONを走らせるプッチ。
 極力C-MOONのスピードを衰えさせないために、C-MOONを追おうとしたプッチの元へと何かが飛来してきた。
 それは――糸の破片であった。


  ◇  ◇  ◇


 弾く波紋によって背後へ向かって、『飛び降りた』ジョセフ。
 プッチの重力によって、重力加速度に逆らうえずに壁際へと落下していく。
 落下しながら、ジョセフは射程距離の短さから引っ張られて来ているクレイジー・ダイヤモンドを駆動する。
 クレイジー・ダイヤモンドは空中で拳を動かし、ジョセフが右の足の指に挟んでいる糸の欠片に触れる。
 それはC-MOONに無効化されてしまった、ジョセフが製作したトラップに使われたものであった。
 足の指で挟んで糸を回収なんて器用な真似が出来るのか? と思うかもしれない。
 しかしジョセフは、かつて柱の音が一人・ワムウとの戦闘中に、疾走する馬の上で手綱を足で挟んで動かしたことがある。
 そんなジョセフにいてみれば、走りながら同時に糸を回収するなど成功して当然のことだったのだ。
 クレイジー・ダイヤモンドはその糸に触れ、治す能力を行使した。

 ――治すべきものが散り散りになっていたとしても、クレイジー・ダイヤモンドは問題なく元の形に戻すことが出来る。

 糸の欠片は、ジョセフを追うC-MOONを通り過ぎて、プッチの方まで飛んで行く。
 散らばった糸のくずが最も多い場所――プッチの足元で、ジョセフがしかけたトラップよりもさらに前、服の状態へと『治った』。
 すぐにジョセフを追おうとしていたプッチは、服に足を取られて転びそうになる――それだけではない。
 抜け目のないジョセフは治す前に、糸の欠片に波紋を流しておいた。プッチは暫く全身が痺れ、動くことが出来ない。。
 しかし糸の欠片に流した波紋は、クレイジー・ダイヤモンドからC-MOONに流した波紋よりもさらに微弱。
 身体が軽く痙攣する程度で、スタンドを操作するのには影響がない。
 ゆえに、依然ジョセフを追いつ続けるC-MOON。
 対して落下中のジョセフは、プッチが倒れたのを確認してズボンのポケットへと手を突っ込んだ。

「ただの銃弾ならともかくよォ……これなら裏返せねェよなァアーーーーッ!!」

 取り出したのは、プッチが来る前にジョセフが回収していたスーパー光線銃。
 エイジャの赤石でも構わなかったのだが、赤石が入ったデイパックは届かない場所にあったのでジョセフはこちらを選んでいた。
 C-MOONの視覚より光線銃の存在を知ったプッチが焦るが、焦ったところで波紋の痺れはあと五秒は取れはしない。
 しかし光線銃相手に五秒動けないというのは、ヘヴィすぎるハンデであった。

 ――〇秒。
 落下していたジョセフが、バイクやボックスの追いやられた場所まで到着。
 ボックスに背を叩きつけそうになるが、クレイジー・ダイヤモンドでボックスを殴り飛ばす。
 次にバイク、コマンドロイドの残骸、再びバイクと身体を打ちそうになるが、ことごとくクレイジー・ダイヤモンドの拳を叩き込む。
 続いて服部の死体が接近。危うく殴りそうになるもののギリギリで気付く。
 未だ、エンリコ・プッチは動けない。

 ――壱秒。
 クレイジー・ダイヤモンドの両手で、服部を他には何も浮かんでいない安全地帯へと放り投げる。
 死体とはいえ、出来るだけ傷を増やしたくはない。そうジョセフが考えたため。
 ジョセフ、壁に到着。すぐさま足の裏からくっつく波紋を流して、壁に飛び降りる。
 同時に、ジョセフにとってその壁は『床』となる。

 ――二秒。
 いまのジョセフにとって『上』にいるプッチを見上げるため、首を上げたジョセフ。
 ボックスやバイクから背を守っていたために気付かなかったが、C-MOONが予想以上の速度で迫っていることに気付く。
 C-MOONは厄介だが、ジョセフはプッチが痺れている間に勝負を決めようと判断。
 未だ、エンリコ・プッチは動けない。

 ――三秒。
 逃げという選択肢を捨て、スーパー光線銃の照準をプッチに合わせ――発砲。
 狙いは、顔面と右太腿。当たれば確実に命を落とす箇所と、喪失すれば移動速度が大幅に減退する部位。
 発砲した直後、C-MOONの拳がジョセフの右手にヒット。光線銃ごとジョセフの右腕が裏返る。
 光線銃の破壊を確認したプッチが、C-MOONを解除。
 二撃目を待つジョセフの前から、C-MOONは姿を消す。
 未だ、エンリコ・プッチは動けない。

 ――四秒。
 プッチから放射状に放たれている重力が、光に影響を及ぼすほどに強力なわけもなく。
 放たれた光線は、プッチ目掛けて直進する。
 今にも光線がプッチを穿たんとした瞬間、プッチがC-MOONを再発現。
 動けないとはいえ、光線が刺し貫こうとしている部位を己の目で把握していたプッチ。
 C-MOONの拳が顔面に、蹴りが右太腿にヒットする。
 同時に、プッチの顔面と右太腿が裏返る――殴られた箇所が、さながらクレーターでも出来たかのようにひしゃげて変形。
 致命傷を与えたであろう光線は、変形したプッチの顔面と右太腿に掠りもせず、プッチの背後の壁に二つの風穴を生み出しただけであった。
 ジョセフ・ジョースターは、驚愕して動けない。

 ――五秒。
 エンリコ・プッチから痺れが消え、身体の自由を取り戻す。
 もう一度C-MOONに殴らせて身体の形を戻しているプッチを見て、ジョセフはやっと現実を受け止めた。


 ジョセフが事前に用意したトラップ。回収しておいた光線銃。右手。事前に考えておいた作戦。
 全てを喪ってしまったのに、倒しきれていない。
 その絶望的な現実を、ジョセフ・ジョースターは受け止めた。
 裏返った右手は、動脈を傷つけてしまっている。
 いくら波紋使いのジョセフでも、早く適切な処置をしなくては死ぬことはなくても、戦闘するだけの体力を保つのは難しい。
 プッチもそのことに気付いているらしく、接近してくる素振りを見せない。
 つまり、C-MOONにもう一度殴らせて元通りにするのは無理だろう。
 ジョセフはクレイジー・ダイヤモンドを解除する。

「『マジシャンズ・レッド』ッ!」

 そして発現させたマジシャンズ・レッドに、手刀を作らせ――ジョセフは右手首から先を切り落とした。
 激痛に表情を歪めながら、ジョセフはマジシャンズ・レッドの掌で傷口を押さえる。
 傷口を焼くことで、出血を止めることに成功したジョセフ。
 地面に落ちた裏返っている自分の右手を、マジシャンズ・レッドに拾わせてプッチへと投げつける。

「この俺が大量出血死なんて、かっこ悪ィ死に方を選ぶとでも思ってんのか。このスカタンがッ!
 ジョースターの血統を途切れさせてえなら、頭でも裏返して見やがれッ!!」

 投げられたジョセフの右手は、重力に逆らって速度を落としながらもプッチまで届いた。
 しかし右手はプッチに激突することなく、C-MOONに払いのけられる。
 結果、裏返っていたジョセフの右手は元の形状に戻る。

(いまさら治してんじゃねェェェエエエエエエーーーーーッ!!)

 かなりまずい戦況にもかかわらず、ジョセフはつい胸中でそう怒鳴ってしまっていた。