「マンガ児童ポルノ」という単語の恣意性


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一部の団体等が頻繁に使用する「マンガ児童ポルノ」という単語は
「児童ポルノ」という大きな枠組みの中に「(実写)児童ポルノ」と「マンガ児童ポルノ」
が含まれる、と定義づける言葉だと考えられる。

この定義について、何らかの議論がなされたという形跡は全くない。つまり一部の団体等
によって一方的に使用されているだけの、恣意的な単語といえる。
しかし、特段の興味を持たぬ人間がこの単語に接触を繰り返すと、それが当たり前の言葉
として認識されてしまう可能性がある。これは情報操作テクニックの「反復」にあたる。

「(実写)児童ポルノをなくしましょう」という、おそらく社会的にかなりの同意を得られる
(かつ、法律にも準拠した)フレーズを叫び、「マンガ児童ポルノもなくしましょう」という
フレーズもしれっと横に並べるのは「両者は同じような性質のものだ」と誤認させる行為
である。
言うまでもなく、実際に被害者がいる「児童ポルノ」と、誰も被害者がいない創作物である
「児童の性行為を描いたマンガ」とは、そもそも別個の性質を持った全く異なるものである。
少しでも考えれば分かることだが、考えない人が無意識のうちに誤認してしまうことこそが
規制推進派の狙いなのだろう。

ちなみに、この単語をよく使っている団体のひとつが産経新聞であるが、同紙は
2009年6月25日の記事で以下のように述べている。(下線は筆者による)

「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」など、これまで俎上にのぼった近現代史の
代表的論点をたどると、もともとの発端は今回の放送に使われた「日台戦争」という言
葉同様、後に一部学者や出版物から編み出された造語に始まったものが多い。
日本のメディアが盛んにこれを取り上げ、定着した後に、計り知れない禍根をもたらす。
同盟国の米国で可決された「従軍慰安婦」をめぐる対日非難決議のように、外交の足か
せとなったり、日本の国が不当におとしめられていく
そうした悪循環の構図やメディアの悪意にすでに多くの国民が気づき、真剣に憂慮して
いる。公共放送の番組作りに厳しい目が向けられる理由だ。

産経新聞は「人の振り見て我が身を直せ」という言葉を知らないのだろうか。


余談だが、この定義づけによれば同様に「ゲーム児童ポルノ」「アニメ児童ポルノ」
「文学児童ポルノ」「絵画児童ポルノ」等、様々なバリエーションの児童ポルノが
存在しうることになるのではないだろうか。大多数の人にとっては「そんなバカな」
であるが、一部の人達は「文学」と「絵画」までも平然と主張しそうな所が恐ろしい。