現状分析と今後について

文中で使用している「禁ポルノ法」という単語ですが、禁酒法と対比的に使用するために、
あえてこの用語を使用しました。厳密な「ポルノ」という意味ではなく、ポルノっぽいものを
禁じる規則、くらいのニュアンスです。


【禁ポルノ法の規制推進勢力について考えてみる〜禁酒法との比較観点から】

禁酒法は1919年から14年間にわたり施行され、現在では多くの悪影響をもたらした愚策として
評価されている。では、禁ポルノ法は将来どのような評価を受けるのだろうか。
前者の「禁酒法→闇ルートで粗悪品が流通し、関連勢力が拡大する」という事象は客観的に認識
しやすい。だから禁酒法推進勢力は、失敗を認めることができた。例えば、規制を支持した実業家
ジョン・ロックフェラー2世は禁酒法が失敗だったと認めている。もちろん、一部宗教勢力は決して
失敗をみとめなかったと容易に想像できる。だが結局、廃止したいと思う人が多くなり、禁酒法
改正を訴えたF・ルーズベルトが大統領選に勝利することで法律を廃止することができた。

一方で「禁ポルノ法→」この矢印の先は、前者ほど単純ではない。多くの人は、この矢印の先に
「社会の風紀・風潮」などのあいまいな概念ではなく、統計で数字として把握できる「性犯罪率が
どうなった」という事柄を結びつけるだろうが、性犯罪は禁ポルノ法以外の要素(社会情勢、景気等)
の影響も受けるため、当該法律との直接の関係が見えにくいからである。よって、客観的評価が難
しく「ポルノは悪、ポルノは有害」と思っている人は、考えを変えようがない。


【規制推進勢力の主張を予測する】

具体的には、規制推進勢力は、禁ポルノ法が実施された結果、もし性犯罪率upならば「upすると
いうことは、まだまだ規制が足らんのだ、もっと厳しく規制せよ」と主張するだろうし、もし犯罪率
downならば「もっと厳しく規制すればもっと減ってゼロになる」と主張するだろう。 変わらないな
らば「もっと厳しくすれば減るはず」と主張するだろう。

ここで言う規制推進勢力とは、反ポルノ宗教勢力・反ポルノフェミニストはもちろん、マスコミが煽る
強力効果論が正しいと信じこんでいる人達等、様々な人達を含む。そして、これらの人達の声を利用し
規制を推進することによって何らかの利権を得ている権力内部の人達は、当然そのまま利用を続けるだ
ろう。ただし、宗教勢力を利用するということはリスクを持つ。当初は一方的に利用していたつもりで
も、時間がたつにつれ「持ちつ、持たれつ」な関係になり、人を取り込んだり取り込まれたりして混然
一体化し、関係を切りたいと思っても切れなくなるリスクも否定できない。宗教勢力は「利用するだけ
して不要になったらポイ」できる都合良い相手ではない。だが、権力内部の人はそのリスクを踏まえて
いるのだろうか、疑問である。
また、権力内部の人のお墨付きを得た反ポルノ勢力は、一段と自らの主張を押し通そうと、その活動を
活発化させるだろう。彼らの目標が「ゼロ・トレランス」である以上、どこかで妥協することはありえない。


【規制には終着点がない】

規制、規制の行き着く先は、どこにあるのだろうか。
実写(ポルノに限らず性的表現を含む映画やテレビドラマ等)を規制し、マンガ・アニメを規制し、
それでも規制が足りないと言うことになった場合、次は規制範囲を広げるのか、それとも範囲は変えずに
より深く規制するのか。
前者なら、まず次は「コスプレ」「メイド喫茶」あたりがターゲットになるだろうし、極論すれば「文学」
「絵画」まで規制が及ぶだろう。
後者なら、実写もマンガ・アニメも、現実以上にクリーンな「ディ○ニー」のような内容ばかりになるだろう。
書いていてバカバカしくなってきてしまった。


【規制反対派の味方と敵】

反対派が味方につけることができるものの1つは、世論だ。それはないだろう、と思う人もいるかも
しれないが、それでも世論は味方だと私は思う。
なぜなら、これらの規制は一気にやってくるのではなく、長期スパンで徐々になされる。そして同時に、
世の中を構成する人間は少しずつ入れ変わっていくからだ。人が一度身につけた行動様式というのは
なかなか変わらないものだが、人が入れ替わると行動様式も変わる。そうすると意見が変わり、意見の
集合体である世論も変わっていくからだ。

現在進行形で起きている行動様式の変動の方向性は、新聞購読率の低下、テレビを見ない層の増加からも
わかるように「旧マスコミ(あえて旧と呼ばせていただく)との接触の低下」である。
そうやって偏向マスコミ(注1)の呪縛から解き放たれ、自由に考え、専門知識を学び、専門書に触れ、
おかしいと思ったことは批判できる人が増えていくと、自然と増えていくのは反対派ではないだろうか。
ありがたいことに、規制は進めば進むほど、本質からかけ離れた「そんなバカな」というものにシフトして
いくので、おかしいと気がつく閾値が低くなる。
だから先に極論と書いた「文学」「絵画」に規制が及ぶ恐れは現実的にはほとんどない、と思う。

ただし、世論が味方になるには、いくつか大きな条件がある。
1つは「ネットの規制」がされないことだ。これについては説明は要らないだろう。
そして、もう1つは「幼児・小学生を対象にした猟奇的な事件が起きないこと」だ。これが起きると、一冊
マンガがあっただけで「容疑者はロリコンオタクだった」とされるのは確実だ。昨今のマスコミ報道を見て
いると、下手したら1冊もなくてもそのように扱われる恐れもあり、いずれにしろ感情の波で規制規制一辺倒になる
だろうことは火を見るより明らかだ。
(現在の50代くらいの年齢層に、アニメ・オタクに対する拒否反応が強いのは、1989年に起きた東京・埼玉連続幼女
誘拐殺人事件の時に、自分の子どもが被害者と同じくらいの年齢だったからではないか、という説もあるくらいだ)

世論の他に味方になるのは、民主主義の復権だ。いつのまにか「特定宗教に偏った考えを持つ人」が権力の中枢に
おり、法案提出を画策しているという現状や、「政治には興味があるが、どの党も自分の考えと大きくズレている
政策を掲げており、どの政党も支持できない」という人も多数いる現在の状態が、民主主義が正しく機能している
状態だとは私には思えない。もちろん後者については、細かな点まで全て一致する必要はなく、大きな方向性が一
致するなら妥協可能なレベルの不同意点が少々あってもかまわない。民主主義の復権については、長くなるのでこ
れ以上は書かないが、私が目指したいのはkinesthetic democracyの実現だ、ということだけ書いておく。


【ポルノとのつきあい方、個人的に】

私は「実在児童のポルノは、児童の性的虐待という行為の記録そのものなので、製造・配布する行為は
罰則つきで違法とすべき」という考えである。ただし、ここでいう児童を一律に18歳としていることには
少々疑問を持っており、女子の婚姻可能年齢16歳あたりを区切りにしてもよいのではないかと考えている。
婚姻という自己決定ができる年齢ならば、婚姻だけでなく、さまざまな自己決定も責任を持ってできるはず
だからである。それができないというのなら婚姻可能年齢も上げなくては合理的でない。
また「犯罪的ポルノ」も厳しく規制すべきと考えている。具体的には、女性の同意を得ていなかったり、
錯誤に陥らせて同意させたり、脅迫したり、後で同意内容から外れた行為を無理強いする行為などである。
これらは、重大な人権侵害かつ犯罪行為であって、決して許されない。
そこで線を引く。
それ以外の、性的自己決定権を持つ女性が自らの自由意思で進んで行動しているポルノには、何も問題ない
のではないだろうか。その意味では、日本語版wikipedia「裏ビデオ」の項目に掲載されている(注2)オースト
ラリア・キャンベラ市の女性市長の発言
ポルノや性表現に寛容で、抵抗感が低い方が、犯罪性の高いポルノを撲滅しやすいので好ましいのではないか。
特に男性ではなく女性がもっとポルノを見て、楽しむべきだ。そうすることで、女性がポルノを監視し、
犯罪性の高いポルノを抑制できる
この趣旨は実に興味深い。
ただ、この発言を受けて作られたNVE(non violent erotica)基準等を含めオーストラリアの政策そのものには
かなり疑問が多いことを併記しておく。特にAカップの女性が児童の代用にされるという理由で出演禁止とい
う政策等は著しく不当だと思う。

それと、本当に個人的なレベルの話になってしまうが、ポルノにせよ風俗にせよ性を売り物にする女性の生き方を
私は正直言って好きではない。自分の家族がやるといったら絶対やめさせるし、親友でもやめるようにしつこく
説得する。もちろんこれは私の価値観(というか、私が育った家庭の価値観)であるので、赤の他人に賛同しろと
押しつけるつもりは一切ない。



(注1)すべてのマスコミが常に偏向報道をしていると思っているわけではないので念のため。
(注2)元情報を探そうとオーストラリアの新聞の過去の記事等を検索したが、
  かなり努力したにもかかわらず探し出すことができなかった。



なぜwikipediaの「裏ビデオ」にたどりついたのかは、自分のことなのによく覚えていません。
それと、下の広告は私が出しているのではなく、勝手にでてきているだけです。消せないのかな。





最終更新:2010年05月31日 19:47