2スレ>>231

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「……ん」  マスターが寝返りを打ったのか、膝の重みで目が覚めた。  いつのまにやら居眠りをしていたらしい。  ……随分気が楽に……?  眠ってしまうまではどうしても涙が止まらなかったというのに……。  今では涙は乾き、濁流のようだった心も落ち着きを取り戻している。  結論は出た。整理もついた。後は、マスターが起きたら行動するだけである。 「マスター、そろそろ退場の時間になりますよ」  以前の無口な彼がよくそうしてくれたように、頭を撫でる。 「……に……な……? ……手? やわらかい……?」  どうやら、私が膝枕をしていることがマスターを混乱させているようだ。  起きたばかりの虚ろな視線が辺りを彷徨う。 「起きてください」 「ん……」  なんの動作だろうか、マスターは右手で床をぺちぺちと叩いている。  それがあまりにも可笑しくて私は笑みを思い出した。 「ふふ……」  平和で穏やかな時間。マスターが好きだと言った静かな時間。 「……んあ……にーな?」 「はい、起きてください」  これでは母親と子供だ。さっきまでの悩みが嘘のようである。  おもむろにマスターは起き上がった。 「ん――」 「お早う御座います、マスター」  起きたばかりだとやはり頭は働かないらしく、マスターは立ち上がったままぼんやりとしている。  次第に目が覚めて、状況が分かってくるようになるだろう。  そうなる前に、私は今一度目元を拭い、顔を引き締める。 「休憩所……そうか」 「マスター、もう退場の時間です」  大丈夫。表情は崩れてない。目も合わせられる。大丈夫。 「行こう」  ふらふらと歩き始めたマスターの背中を、私は追う。  どうしよう、サファリゾーンを出たマスターは突然呟いた。 「何か悩み事があるのなら、解決するべきと思います」  さしあたってはそう、タマムシシティへ。  すると、マスターは何やら心配するような目でコチラを見つめた。 「大丈夫です、私なら何の問題もありません」  そうか、と口から一言こぼすと私たちはタマムシシティへと歩き始めた。    タマムシシティに到着する頃には辺りは暗闇に包まれていた。  住宅や店舗、街灯の明かりが昼とは違った町を演出する。  ……綺麗。  思えば一週間前にもこの景色を見たはずなのに、今日始めてみたような、そんな気がする。  私はそんな町の景観を眺めながら黙ってマスターの後に続いた。  目的地のジムが近づいてきた。  ジムは辺りの建物以上に強く明かりを放っていた。  そうして私たちはジムを横目に……横目に? 「あ、あの、マスター。目的地は……?」  マスターは何も答えない。ついて来い、そう言っているようだった。  訳もわからぬままに私はマスターに着いて行く。  それから三分後、たどり着いたのはデパートだった。  到着後もマスターは何も言わずに階段を登る。  二階、三階、四階。  マスターが足を止めたのは四階。何が売られているのかは知らなかったが、案内板がそれを教えてくれた。  どうやら色々な種類の石を売っているところのようだ。  ケースの中できらきらと輝くさまざまな色や模様の石が並べられていた。  ……宝石?  私が知っている単語と目の前の石を比較した時、マスターが何故ジムを素通りしたのかを把握した。  プレゼント。  きっとこの宝石を先に買いに来たに違いない。  並んでいる石を見つめていると、一つの石が目に写った。  ……夜空みたいな色。  マスターと野宿した時良く見た色だ。  マスターが見ている星を見たくて必死で視線の先を辿ったりもした。  とても懐かしい色だった。  私がその石に心を奪われているうちに、マスターはプレゼントを買ってきたようだ。 「ニーナ」  マスターが私の名前を呼んだ。  もう行くようだ。  はい、と返事をし、マスターのところまで駆け寄った。  外に出ると、マスターは立ち止まった。  私もつられて立ち止まる。視線を上に遣れば先ほどの石が空一面を埋め尽くしていた。 「ニーナ」  私を呼ぶ声。  最近久しく聞かなかった穏やかで、暖かくて、優しい声。  この声が、もうすぐ私のものでなくなるかと思うと胸が痛む。 「ニーナ」  マスターは二度、私の名前を呼んだ。そして振り返る。  私たちは互いの目をじっと見つめ合っていた。 「どうしました?」  何か、言い表せぬ予感を私は感じ取った。 「これ……」  マスターが差し出した手には先ほどの夜空の石。  どういうことだろうか? これはプレゼントでは……? 「これは……?」  私が尋ねると、マスターは何故か驚いた。 「ニーナ……月の石、知らない?」 「では、これが月の石……ですか?」  私の言葉にイチイチ驚きを見せるマスター。 「この月の石がどうしたんですか?」  マスターは言いづらそうに、うーん、と唸り、やがて、口を開いた。 「これは、ニーナを進化させる石だ」  進化、私は一度経験したものだ。単純に言えば、強くなること。  それを何故、マスターが私に問うのか。  そしてどうして、この石は私の目の前に差し出されているのか。  疑問はあった。だが、私は優先してあることを尋ねた。 「……こんなことをしていると、ジム、閉まりますよ?」 「ジム……? どうしてジムが……?」  困った顔で問い返された。  ……え? だって……  言うのは躊躇われたが、話が進まないので、思い切った。 「エリカさんが好きなんじゃないんですか?」 「……?」  マスターは相当に困った顔になった。本当に訳が分からない様子だ。  ……じゃあ、ここ最近元気がなかったのは?  視線で問う。 「……それは……ニーナを進化させるべきか、どうかで……」  開いた口がふさがらない、実際に自分自身がそうなるとは思ってもみなかった。  冷静に、冷静に。  一つずつ、慎重に、パズルのピースを纏め直す。 「……あ」  そういうことだったのだ。  バッジを見つめていたのは、『次のジムからはどうしようか』を考えていたのだ。  四つ目のジムで辛勝した、ということは、このままでは五つ目のジムは苦しい、ということだ。  その他あらゆる情報がぴたりぴたりと音を立てて埋まっていく。  そして一つ。残ったピースがあった。  それは…… 「そんなことで、ずっと悩んでいたんですか?」  マスターが進化しろと言えば喜んでそうしただろう。マスターのためなら何者も厭わない。  まして、私が強くなるだけなのだ。悪いことなどありはしない。 「そんなことじゃない……」  マスターの目がキリ、と真剣なものへと変わった。 「以前は自然と進化してしまったけど、今度は選択の余地がある」  それに、 「使うか、って聞いたらさほど考えもせずに了承すると思ったから聞かないでいたんだ」 「マスター……」  その言葉は深く胸に突き刺さった。  マスターは他にも私のイエスマン振りを心配していたのだ。 「だけど、もう聞いた。ニーナ、どうする?」  マスターは私を、私の選択を信頼して尋ねているのだ。単純な損得ではなかった。  今までは盲目的過ぎた。 「私は……」  でも今からは違う。 「私は進化しません」 「そうか……なら」 「だから、今から特訓です。さ、夜でもバトルしてくれる人は居ます。探しに行きましょう」  マスターの腕を取って私は走り出した。 「あぁ。石は……どうする?」 「プレゼント、してくれますか?」  ようやく私は、マスターと同じ夜空を見ることが出来たのだ。 「今夜は寝かせません」 「はは……」  マスターは不器用な笑顔を私に向けていた。

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