「おまちどうさま」
湯気の立つアールグレイを注いだティーカップを、カウンターから腕を伸ばして置いた。
ティーカップの正面に座っている青年は、しばらく陶杯の中の色を見つめて、それから取っ手を掴んで一口啜った。
「…どう?」
「………美味いよ」
カチン、とティーカップを置くと、彼の傍らに置かれたゴーグルがほんの少し揺れた。
「ごちそうさま」
俺は空になったカップをカウンターに置いて、冷水を口に運んだ。
紅茶は確かにうまかったんだけど、そのせいで勢いよく飲んでしまい、口が熱い。
「…どうだった?」
「さっきも言ったけど美味い。俺は専門家じゃないけど、味覚は正常なつもりだ。
カントーをひと通り旅していろいろ飲んできたけど、今までで一番美味しい紅茶だった…と思う。
これなら客も取れるだろ」
「よかったー。せっかくお店作ったのにお茶がおいしくないんじゃしょうがないし」
「…それには同意するけど…バルト、おまえホントに店開くのか?」
周囲を見回す。俺が今座ってるのは、新築ほやほやの喫茶店のカウンター席だ。
壁紙、照明、インテリア―――調和がとれていて、落ち着いた雰囲気を醸し出している――が。
「そりゃここまで頑張ったんだし、開くに決まってるでしょ。
クリムだって、お金貸してくれたり建てるの手伝ってくれたじゃない」
「…そういうことじゃなくて…お前、一人でこの広さを切り盛りするつもりかよ?」
広い。開店したての喫茶店としては少々広すぎる。
貸し切れば小学校の1クラスは軽く入るだろう。
「この広さに客がいっぱいなんてことになったらお前絶対過労死するぞ。
…そもそも…」
「そもそも?」
「お前紅茶とコーヒー淹れる以外ほとんど何もできないだろ、喫茶店経営に関して」
まずそれが致命的すぎるだろう常識的に考えて。
小さなころから夢は喫茶店のオーナー(というよりマスター)だった。
そのための勉強はしてきたつもりだけど…
「仕入れに会計、清掃に整備。お茶いれるだけが喫茶店じゃない。
確かにバルトのお茶はすごくうまいけど、それだけじゃ喫茶店はやってけないだろ。
ここまでは俺達が手伝ったとはいえ、店を始めたらそこまで手伝うわけにもいかないしな」
「う…数年見ない間にずいぶん現実的になったね、クリム…」
カウンターに頬杖をつき、溜息を吐いて遠くを見る目をしている幼馴染。
…会ったころから暗い目をしてたけど、なんか最近疲れてるようにも見える…。
「ジムリーダーなんてやってると嫌でもそういうとこ見ないといけないんだよ。
設備の修繕・維持費、消耗品もまめに補充しないといけないし、大勢で住んでるから食費や光熱費もばかにならない。
まぁ食費に関しては俺もシャワーズに頼りっきりなんだけどな…」
「苦労してるんだね…」
「…俺の事はいいんだよ、起業する友達に数十万貸すくらいの余裕はあるんだから。
それよりこの喫茶店のほうが重要だろ。…いっそ、従業員雇ったらどうだ?」
「無理だよ…このお店建てるのにお金ほとんど使ってるし、給料が出せないから…」
「…じゃあ、いっそ旅でもしてみるか?」
「…旅?」
クリムが体を起こし、水を一口飲んでから続けた。
「萌えもんトレーナーとして、各地を回って従業員を探す、ってのはどうだ?
萌えもんなら、人件費の代わりに食費と光熱費がかかるけど、一緒に暮らせるからいい事も多いと思うし。
こう見えてトレーナーやって各地まわってんだ、アドバイスならいくらでもできる」
「…なるほど…でも、お店どうする?」
「最低限の管理は俺がやっておく。
…貸しにしとくから、誰か連れてきてから紅茶とケーキのセットでも後々おごれ」
「…わかった、やってみる!」
「なるほど。そういうことじゃったら、今丁度いいのが一人おるでの。すぐ連れてこよう」
「わかりました」
萌えもん研究の権威の一人、オーキド博士。
クリムの紹介で僕はここを訪ね、そして萌えもんを一人もらえることになった。
昨日あのあと、クリムに手伝ってもらって支度をしてきた。
とりあえず、萌えもんをもらってからニビへと向かう寸法になっている。
「待たせたの。ほれ、モンスターボールじゃ」
『わー、人間さんだーっ!』
そして、僕が受け取った萌えもんは…炎タイプだった。
数分後、受け取った萌えもんと一緒に、僕はトキワへの道を歩いていた。
「あらためて…初めましてご主人さま!アチャモです!」
「よろしくアチャモ。僕の事は『オーナー』と呼んでほしい。
…アチャモは特技なんかはあるかな?」
「はい!お菓子作りが得意です!」
どうやらアチャモはお菓子を作れるらしい。
…ひょっとしたら、いきなりいい人材を拾ったかもしれないなぁ。
「オーナー、これからどうするんですか?」
「そうだなぁ…ニビに行こうと思うんだけど、もう一人くらい仲間が欲しいかな?」
「捕まえるんですか?」
「バトルはしたことないからなぁ…」
苦笑しながら、空のボールをかばんから取り出して握る。
…これを僕はうまく使えるのかな。
アチャモに見せるように、空の上に向けてぽーん、と放り投げる。
「こんな風に適当に投げたら捕まったりしないかなー、なんて…」
『うぅわあああぁぁああぁぁぁぁぁっ!?』
…何か悲鳴がしたような。
ともかく、ボールが降ってきたので、片手で受け止める。
「って、あれ、何か入ってる?」
投げるときは空っぽだったのに、とボールを開く。
「げっほ、げほ…うぁ、なんだこれ…」
…萌えもんが出てきた。
自分に何が起きたのか把握できていないらしい。僕もだけど。
「…ひょっとして、僕…捕まった?」
「みたいだね」
「ボール投げたの君?」
「…みたいだね」
どうやら…先ほど放りあげたボールがこの萌えもんに直撃したらしい。
「ご、ごめん…適当に投げたら当たっちゃったみたい…」
「なんだよ、それ…」
怒っているというよりは、驚きと呆れが同じだけ入り混じった表情を浮かべている萌えもん。
やがて溜息をつき、僕に向きなおった。
「…ま、ここで偶然捕まったのも何かの縁かな。僕はエアームドだ。
こう見えて男で、よろいどり萌えもんだから空を飛べる。多少は役に立つよ」
「僕はトレーナーのバルト。オーナーって呼んで欲しい」
「オーナー?…そりゃまたどうして?」
怪訝そうなエアームド。…それはそうか。
「僕が喫茶店を開いたからだ。従業員を集めるためにトレーナーをやってる。
恥ずかしながら、僕…紅茶とコーヒーを淹れることしかできないから…」
「…僕も手伝え、ってことか。何をすればいい?」
うーん…エアームドを見つめる。…なんとなくわかった。
「…君、計算速そうだよね」
「何をいきなり…!?」
「255円の紅茶2つと330円のケーキを3つ買った。その日は割引で全体で5%引き。さておいくら?」
「1425円」
「ほら、早いじゃない。…会計をお願いしようかな」
「くっ…わかったよ…」
「こっちはお菓子担当のアチャモ」
「はじめまして、アチャモです!ふつつかものですがよろしくお願いします」
「あ、あぁ、よろしく…なんかその挨拶おかしくないかい?」
…まぁ、とにかく。これで二人目の従業員をゲットできたというわけだ。
「これからニビに行く。もっと仲間を増やしたいから、3人でがんばろう!」
「はいですっ!」
「仕方ないな…」
…まぁこういうわけで。
僕の従業員探しの旅が、始まったのでした。
最終更新:2008年10月07日 21:46