Colors 【vol.1】
住み慣れた国を朝一で飛び立ち、ここカントーまで十数時間。
空港からバスや電車を乗り継ぎ、カントーで有数の大都市ヤマブキに到着したときには、もうとっぷりと日が暮れていた。
それでも黄金色の名に恥じぬ煌びやかさは少しも衰えない。
最低限の生活用品しか詰まっていないボストンバックを肩にかけなおして、僕は観光半分な気持ちで歩き始めた。
「なんだかまた、すごく発展してる気がするな」
思わず一人ごちてしまったが、それもそのはず。前回僕がこの地を踏んだのはちょうど五年前。
成人した僕をキクコ婆様にお披露目しに来たとき以来だ。
(あのときも色々厄介事があったなぁ……)
何年ぶりかに会った従妹に絡まれたり、それに乗じてか次期当主争いに巻き込まれたり。散々な目にあった。
しみじみとそのときを思い出しながら歩いていると、腰のボールから抗議の声が届いた。
『そんな昔のことはどうでもいいから、早くここから出してくださらない?』
僕の思考を読んだのか、そんなことを言うエーフィ。エスパータイプだからって、その能力を無駄に使うのはどうなんだろう。
お嬢様然とした彼女は、僕のパーティの中でも特にボールに入れられているのを嫌う。
慌ててボールを開くと、彼女はさも窮屈でしたと言わんばかりに身体をのばした。
「ごめんごめん、なんだか色々思い出しちゃて」
「……全く。遅いことなら誰でも出来ます。貴方それでも私たちのトレーナーですか」
そう言いながら彼女は、埃なんてついていないのに体を払っている。
こういう神経質なところと説教癖がなければいいのに、なんてことは口が裂けても言えやしない。
「貴方、今度は失礼なことを考えていませんか?」
「いいや全然。……丁度公園が近いしいいかな。皆、出ておいで」
これ以上エーフィと話しているとボロが出そうだったので、追及から逃れるようにパーティの皆を解放する。
……憮然としているエーフィは、見ないフリで。
「ふわぁ~あ。あ、ご主人久しぶり」
「久しぶりって、半日くらいだろう?」
「いやいやご主人、細かいことは気にしないの」
うりうりと肘でつついてくるのはサンダース。寝起きで制御が甘いのか、君が帯電してるのも細かいことなんだろうか。
それに五年ぶりの日本に興奮しているのか、逆立った毛並みが刺さって痛い。
そんなサンダースと、傍から見ればじゃれて、僕の主観では割合必死の抵抗をしていると、白と赤のモフモフが僕の服を引っ張った。
「…………」
「あぁはいはい、おんぶね。分かったからそんな目で見ないでくれ」
捨てられたガーディのような目に僕が負けを認めると、打って変わって喜色満面で背中によじ登ってくるブースター。
……個人的に、僕は炎タイプには気性が荒い娘が多いと思っていた。代表格のリザードンなんか、正にそんなイメージを先行させるような娘だと思う。
でもこのブースターはスキンシップが大好きな甘えた。無口な割に表情は豊かで、悲しそうな顔をされると本当に悪者になった気分が味わえる、そんな娘。
僕の炎タイプへのイメージが、音を立てて崩れたのは言うまでもない。
「……っと、あれ。シャワーズは?」
いつもならここで、あらあらなんて鈴を鳴らしたような声が聞こえるんだけど。
彼女はパーティの中でも随一の天然キャラで、(主にエーフィのお説教とかで)傷ついた心を癒してもらっている。
なんてことを考えていたら、また思考を読んだエーフィが睨んできたので両手を挙げて降参ポーズ。
すると今度は無防備な僕の懐をめがけて、するりと通り抜ける黒い風。
「主、彼女ならまだボールの中で寝ています」
困ったものですと肩をすくめて、ブラッキーはくすねた煙草に火を点ける。
こういうことをするあたりが悪タイプっぽいと、彼女は分かっているのだろうか。
少し頭を抱えながら、報告に対して返答する。
「シャワーズについては分かったよ。久々の長旅だったし、このまま休ませようと思う」
半日禁煙だったせいか、いやにうまそうに煙草を吸うブラッキー。取り敢えずブラッキーにチョップを落としてから、煙草を奪い返して一本咥える。
それを見て、嫌煙家のエーフィはサンダースを連れて風上に位置取り内緒話を始めた。大方、煙草について中立なサンダースを口説き落とそうとしているんだろう。
いくら嫌煙派閥が増えたって、煙草をやめるつもりはないのにご苦労なことだ。
「……火の粉」
と、背中のブースターが火を点けてくれた。ありがとうと頭を撫でて、僕は近くのベンチに座って煙草を吸い始める。
隣ではブラッキーが煙で輪っかを作っていた。半日ぶりに味わう煙草はまた格別で、喉を通る重さが心地いい。
そうして半分ほど吸ったところで、いきなり僕とブラッキーの口から煙草が離れた。それはしばらくそのまま宙に浮き、勢いをつけて遠くにあった灰皿へとダイブする。
言うまでもなくエーフィの念力の仕業で、どうやら彼女の中での制限時間はとっくにオーバーしていたらしい。
「OK、わかった。休憩は終わりにして、そろそろ移動しようか」
「当然です。いくら親しき仲とはいえ、一宿させていただくのです。それなりの礼儀というものが必要でしょう」
「エーフィは細かいことを気にしすぎだよ。ご主人の友達なんだし、別にいいじゃん」
貴女はおおざっぱすぎです、と今度はサンダースにかみつくエーフィをなだめながら、僕たちは公園をあとにした。
ヤマブキシティから五番道路を通り、ハナダシティへ。そこからさらに北の二十四・二十五番道路の先に、僕たちの目的地がある。
カップルに人気だという岬を横目に、小高い丘をのぼり門をくぐり、とある豪邸の前に立つ。
そこにはあまり似つかわしくない普通のチャイムを鳴らしてしばらく、中からどたどたと足音が聞こえてきた。次いで、勢いよく開く扉。
「長旅ご苦労さん! ここまでしんどかったやろ?」
カントーでは珍しいジョウト弁で、にこにこと話しかけてくる茶髪の青年。直接会うのは数年ぶりだけど、かわりないようで嬉しくなる。
「それほどでもなかったかな。……今晩は六人でお世話になるよ、マサキ」
「任しときや。久々のお客で腕が鳴るわ。ささっ、あがりぃ」
言って、くるりと背を向ける茶髪の青年――もといマサキ。
お言葉に甘えて、僕たちはマサキの家にあがりこむ。個人所有にしてはあまりに大きすぎるその家は、萌えもん預かりシステムの特許で得た資産の象徴たるものだ。
玄関から続く長い廊下を歩き、リビングに通される。
豪邸に相応しく広大なそこには、最早ベタ過ぎて冗談としか思えないような西洋の甲冑や、無駄に高そうな陶器などが調度品としてしつらえてあった。
しかしそれらよりも目を引くのが、百五十号もの巨大なキャンバスに描かれたイーブイの油絵だろう。
マサキは預かりシステム開発者としても、無類のイーブイマニアとしても有名だ。それでも、この絵はやり過ぎだと思うけど。
「なんや、やっぱり疲れてるんやないか。風呂はもう沸いとるで」
肖像画に対しての溜息を誤解したマサキがそう言ってくる。正直に言っても仕方がないので、適当にごまかすことにする。
「宿に着いたからね。安心してどっと疲れがきたのかもしれない」
「なら余計に入ってきぃな。うちのは、温泉ひいてきた自慢の大浴場やで」
温泉の単語に、目を輝かす僕の相棒たち。こういうとき、僕のパーティは女の子しかいないんだと改めて実感してしまう。
「僕はマサキと話してるから、先に入ってきたら?」
言い終わるまでに、スピード命なサンダースがブースターを引っ張って駆け出す。
普段はそんな素振りを見せないが、実はかなりの温泉好きであるブラッキーも、どこかそわそわしながら後に続く。
というか君たち――。
「大浴場なら、ここ出て突き当たりを右やで」
ニヤニヤしながら、思考の先回りをしたマサキがそう言う。その目は、女の子ばかりやと大変やねと笑っている。
今度は、その意味を誤解されようがない溜息が出た。そして仲間の行動に呆れかえっているエーフィに視線を向ける。
「というわけでエーフィ。念話で場所を教えてやってくれ。今頃迷ってるはずだから」
「えぇ、いま送りました。全く、あの娘たちときたら……」
ここでエーフィの、相手のいない説教が始まるかと思いきや、見かねた家主が割り込んできた。
「まぁそう言いなや。長旅で疲れてたんやろし。さっ、エーフィちゃんも入ってきぃ」
笑顔を絶やさないマサキに毒気を抜かれたエーフィは、いいんでしょうかと僕に視線を向けてくる。
「マサキがこう言ってるんだから、入ってきなよ。あっ、シャワーズも一緒に頼む」
言って、腰のボールをエーフィに渡す。これまで寝こけていたシャワーズも、あとあと温泉をふいにしたと知ればさすがに怒るだろうし。
エーフィはボールを渡されてからもしばらく悩んでいたが、ではとマサキに小さく会釈してから部屋を出て行く。
その姿は優雅で、この豪邸に似合ってお嬢様らしかった。
さて。
女の子の風呂は、とかく長くかかるものだ。一緒に暮らしていて、それは身にしみて分かっている。
マサキもそれは理解していたらしく、エーフィが出て行ったと同時に隣接している食堂へ飲み物の準備に引っ込んだ。
僕はとろけそうになる座り心地のソファをすすめられ、旅の疲れが癒されるのを感じていた。
しばらくして、香ばしい匂いをたてるカップをトレイに二つ乗せてマサキが戻ってきた。
「珈琲、ブラックでよかったやんな?」
ことりとテーブルに置かれたカップは当然のようにウェッジ・ウッド。そこから立ち昇る匂いにつられて、ついつい懐に手が伸びる。
それに気付いたマサキは、黙ってガラスの灰皿をよこしてきた。甘えて、煙草に火をつけ深く吸い込む。
「ありがとう。一服にはこれじゃなきゃ駄目だよ」
言って、珈琲を一口含む。苦味だけじゃないしっかりとしたコクが感じられて、いい豆を使っているなとぼんやり考えた。
「……なんや霧の街に十年以上も住んでるとは思えんセリフやな」
「まぁ、僕はジョン・ブルじゃないし。あの国には父さんの仕事の都合で住み始めただけだったしね」
父さんは、(自称)世界をまたにかける商社マンで、家にいないことのほうが多かった。
そのせいか幼い僕は父さんを父親だと認識できず、「お帰りなさい」の代わりに「いらっしゃい」、「いってらっしゃい」の代わりに「また来てね」なんて言っていたらしい。
それが堪えたのか、僕がハイスクールに入る頃にはヨーロッパの島国で内勤を始めた。
「親父さんは元気なん?」
「さぁてね。この間はジャングルをバックに母さんと撮った写真が送られてきたけど。元気なんじゃないかな」
やはり内勤は父さんの性に合わなかったらしく、僕の大学入学と同じくして商社マンに返り咲いた。しかも今度は母さんを連れて世界中を飛び回っている。
……しかし、ジャングルに一体どんな商品があるんだか。
「親父さん変わってへんね。……初めて見たんはユーストン・スクエア駅やったかな」
「そ。マサキがはぐれたイーブイを探してたときだね」
僕がそう言うと、あーあーそうやったと笑いながら珈琲を飲むマサキ。
「今やから笑い話ですむけど、あんときはホンマどーしよか途方に暮れとってんで。馴れん国で知り合いもおらんかったし」
「僕たちも途方に暮れたけどね。いきなり見ず知らずのイーブイに泣きつかれたんだから」
本当にあの時はどうしたものか困った。父さんと母さんを見送るとこで、そのままなし崩し的に三人でその娘の主人を探すことになって。
運よく主人であるマサキを見つけたときには、父さんたちが乗るはずだった電車は出ちゃってたし。
「やー、最初っから迷惑かけっぱなしやったな。でも、あーいうんを地獄に仏やって実感したわ」
「で。そんな衝撃的な出会いをして、次に会ったのが大学の事務室とかね」
そうして図らずも大学の同期、さらに言えば異国での唯一の知り合いとなった僕は、以降の大学生活をほとんどマサキと一緒に過ごすことになる。
というのも、マサキは英語がてんで駄目だったからだ。十代で今の萌えもん預かりシステムの基礎理論を組み立てた頭のキレは、語学には発揮されなかったらしい。
本当、何度マサキのために論文の翻訳をし、学会で通訳の仕事をしたことか。ちゃんと報酬をとっていれば、今頃ひと財産儲けられていたくらいだ。
「まぁ、それが運命ってやつちゃうん?」
「笑えないよ、それは」
お気楽なマサキの台詞に、今日一番の溜息が漏れた。
* *
カントー地方萌えもんリーグ本部、セキエイ高原にある四天王専用の宿舎。四天王の権力を示すかのように贅が凝らされたその一室に、男はいた。
男はソファに深く腰掛け、何かのレポートを読んでいる。
しばらく紙をめくる音だけが部屋を支配して、それが止まったかと思えば男は表紙に留めてあった写真を取り上げた。
「これがキクコさんの孫か……」
そこに写っていたのは、一人の青年。
波打つ焦げ茶色の長髪に、同色の瞳と顎鬚。
大男というよりは、ひょろ長く学者めいた印象を受ける体格。
――それは異国にてColorsと呼ばれた、一人の萌えもんトレーナーの姿だった。
「五色のイーブイ使い、ジャン・エイメル。君は、四天王に相応しい器かな?」
答える者は誰もなく、ただ静かに夜は更けていった。
最終更新:2009年12月17日 19:42