5スレ>>899

【一筋の思い出をあなたに】

例年に比べて少雨だった五月雨の時期が終わり、いよいよ本格的に夏がやってくる。
厳しい冬を共に乗り越えた長袖に別れを告げて久しく、そもそも衣類を纏うことにすら
いささかの抵抗を覚えだす初夏の陽気。

繁茂とした森林を抱えるトキワにて、センターの冷房にホッとしながら書き物に勤しむ青年。
外では森からやってきたと思われる虫タイプの娘達が、冬の鬱屈を晴らすかのように、
元気に駆け回る季節だ。

時は夜。
日課となっているレポートの作成は、すんでの所で仕上がりにストップを掛けられていた。
「あとはあいつのページだけか…。一服するかな」

上体を大きく反らし、硬直した筋肉を緩めると同時に、深く息を吐く。
「今日はやけに遅いんだな…。何も無ければいいけど」

彼の旅路に付き従う娘達の1人、オニドリルが暮夜に及んでもまだ戻ってこない。
彼女達を統括する者として不安にならないはずは無かったが、
あの子ももう子供ではない、たまには夜遅くなることもあるだろう、と自分に言い聞かせながら、
そっと宿泊している部屋を出る。

センターの隅に設けられた小さな喫煙スペースに入り、ポケットから煙草の箱を取り出す。
長い行軍ですっかりクシャクシャになってしまっていたが、幸い中身は折れていないようだ。
火を移し、煙に淡い眠気を混ぜて吐き出す。
全員が帰ってくるまで安心するわけにはいかない。
彼はそんな時必ずこうして、最後の1人が帰ってくるのを待つのだ。

しばし煙をくゆらせていると、宿泊を求めるトレーナー達の中に、待ち人の姿を確認した。
「お、帰ってきたか。…ん?」

視認する限り、今入ってきたのは間違いなく彼が帰りを待っていた娘だった。
声を掛けて一緒に部屋に戻ろうと思ったが、どうも様子がおかしい。

「…あ」
向こうも彼の姿に気付いたようで、手を振りながらこちらに駆け寄ってくる。
一見すると何事も無いように思えるものの、彼女の目元から頬は泣きはらしたように赤く、
心なしか瞳にも潤みを湛えているように見えた。

おかえりと出迎えの挨拶を交わしつつも、彼の内心は気が気でない。
決して治安が悪い街ではないが、ロケット団員がしばしばジム周りをうろついているという話も聞く。
最悪の事態を想定した彼の顔は、みるみるうちに青ざめていった。
「何かあったのか? 悪い奴らに絡まれたりしてないよな?」

この男、自らのパーティに異常があると、傍目から見ていても過剰と思えるほど心配性になる。
そんな彼の悪癖を見透かしているからか、帰ってきたばかりの娘は柔和に微笑んだ。
「…大丈夫。襲われたりしてないから。安心して」
「そ、そうか。良かった」

部屋に戻り、暑い外から帰ってきた娘に、冷蔵庫から取り出したサイコソーダを差し出す。
やはり相応の渇きを覚えていたらしく、普段物静かな彼女の口腔は、貪欲に冷たい清涼感を求めた。
「飲みながらでいいんだけどさ、一応遅くなった理由聞かせてくれないか
 レポートにも書ける範囲で書かないといけないからさ」
「…(コクッ」
心配が晴れてようやく落ち着いて話を聞ける状態になった彼を見て、
オニドリルは静かな口調で語りだした。

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「…暑い」
梅雨が明けてからというもの、私の肌に針を刺すように、太陽が攻撃を仕掛けてくる。
暑さそのものは忌々しいと思う反面、カラッと晴れた天気は嫌いではないので、
ちょっと私物と頼まれ物を買いに行こうと、大空に飛び立った。

目的地であるタマムシデパートは、この地域では一番大きなお店だとマスターが教えてくれた。
もともと人が多い所は好きじゃないけど、ここの品揃えはとても助かる。
ギャロップに頼まれた香水や、キュウコンに一度見ておいたほうが良いと言われた下着は、
ちょっと私には過激に思えたけど、色々見て回ること自体はとても楽しい。
見るだけならお金も掛からないし。

「…あ、これ」
ブラブラと店内を回っているうちに、前から欲しいと思っていたお菓子の作り方の本を見つけた。
以前バレンタインで一念発起してお菓子作りに挑戦した時から、教えてもらったり本を読んだり、
時には実践したりして、結構良いものが作れるようになったと思う。
そこで今度は上級者向けの本で勉強し、マスターにもっと喜んでもらおうと思っていた。

このためにお小遣いを残しておいて良かった。そう思いながら手にとろうとした時、
横からももう1つの手、いや、ふわりとした羽が。
「きゃっ」
急を突かれる形となった私は、思わずその上に自分の手を重ねてしまった。

ほんの少しの差だと思うけど、手の位置は相手のほうが下。つまり先に本を手に取ったのは相手。
「…ご、ごめんなさい」
少し慌てながら手を離し、相手に頭を下げる。

「い、いえ! 私のほうこそ横からごめんなさい!」
顔を上げてみると、先ほどの感触から推測された姿を裏切らず、私と同じ鳥タイプのかただった。
サラサラした緑色の髪をボブカットでまとめ、澄んだ瞳と民族衣装のような奇妙な模様の入った衣服を
身にまとうその人は、流水の速度が異様に早い場所にあるししおどしのように、ペコペコと何度も
詫びの言葉を発している。

この姿は図鑑で見たことがある。確か、ネイティオといった。なんでも超能力が使えるとか。
知識として、同じ属性にこのような種族がいるとは知っていたものの、実際に見たのはこれが初めて。
図鑑で見るよりちょっと小柄かな? 私より頭半分ぐらい背が低い気がする。

「あ、あのっ」
「…?」
珍しい人に会って少し興味を抱いていた時、ようやく謝罪の言葉を出すのを終え、胸に本を抱えた
ネイティオさんが不意に声を掛けてきた。
「お菓子、作られるんですか?」
……え?
こんな突然の質問に戸惑わない人がいるだろうか。
というか、この本を手に取った時点でそのことは明白なはず。
ぎこちなくはいと答えはしたものの、質問の意図が掴みきれず、しばらく立ち尽くしてしまう。

しかしネイティオさんの様子を見てみると、白い肌を真っ赤に紅潮させ、
沈痛な面持ちでこちらの様子をジッとうかがっている。
これが、前にギャロップに見せてもらった雑誌に載ってた上目使いというやつかと思い、
なるほどこれは確かに効果は抜群と実感した。自分で出来るかはさておいて。

「もし良かったら、教えていただけませんか…?」
それにしてもこれは、なんというか…。とても急な話。
「…わ、私が?」
思わずこんな一言を呟いてしまうのも、無理のないことだと思う。
第一、私自身ついこの間まで料理に関しては初心者で、最近ようやく覚えだしたのだ。
その私が教える? もう少し人選は慎重にしたほうがいい。

「お時間、無いですか」
うぅ…。そんなに泣きそうな顔で迫ってこないで。
大きくて澄んだ、一言で言えばとても綺麗な目で懇願されると、断るだけで罪悪感が…。
「…あるには、あるけど」
ある種の眼力に圧されて、つい素直に答えてしまう。
確かに今日はオフの日だけど、ちょっと買い物してデパートを見て回ったら帰るつもりだった。
「ほ、ほんとですか!」
でもそんなに嬉しそうにされると、言おうと思ってることも口に出せないよね…。

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時は既に夕方。
私はとりあえずネイティオさんを連れて市内の小さな喫茶店に入った。
道中話していて思ったのは、凄く恥ずかしがり屋だということ。
事実、決して話すのが得意ではない私ですら、すぐに口ごもってしまうこの人が相手だと
話題を振らざるを得なくなっている。
喫茶店に入ってからも、飲み物の注文すら顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら
なんとか受け答えをしていた。助け舟を出そうかなとも思ったけど、見ていて少しだけ
面白かったので、そのまま様子を静観を決め込んだ。

「…何作る? あまり難しいのは教えられない」
2人揃って同じタイトルの本をパラパラとめくる。
私は後でゆっくり選べばいいけど、この人は今しか教わるチャンスが無いとばかりに
必死で吟味し、真剣な表情であるページを指差した。

「…!」
そのページに配された写真に写る、鮮やかなデコレーションが施されたお菓子を見た時、
私は不覚にも驚きの表情を浮かべてしまった。この子がそれを読み取れているかはわからないけど、
このお菓子は私にとってとても思い出深く、また大切なものだったから。

「ど、どうされました?」
「…ごめん、何でもない。これならいける」
本の内容自体は上級者向きだけど、基本的な部分は今まで学んできたことと大差はない。
細かい飾り方などは本人に任せるとして、私は持てる知識をフル動員しながら、
なるべく細かく説明した。このお菓子に向ける気持ちの強さが、普段より語り口を
滑らかにしてくれていたかもしれない。
ネイティオさんも熱心にメモをとりながら、時に質問を交え、本気の態度で私の疑似『講義』に
耳を傾けている。先ほどまでの彼女と同じ人物とは思えない。

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「あ、ありがとうございます! 変なことに付き合っていただいちゃって!」
ほんとだね。
でも、なんだかんだで少し楽しかったのもほんと。
「…気にしないで」
かれこれ二時間ぐらいあのお店にいた。もう日は傾き、そそくさと家路に就く人々の塊が、
街のメインストリートを埋め尽くさんばかりに膨れ上がっている。
「お礼とか、そういうの何も考えてなくて、その、何と言ったらいいか…! ごめんなさい!」
「…いい。そういうのじゃないから」

このままだと会った時のようにまたししおどしループが始まってしまう。
そうなれば彼女の気が済むまで帰れそうにないので、ここで今まで思っていた疑問を聞いてみることにした。
「…でも、どうして私に?」
広場のちょっとしたベンチに座り、行きかう人々を眺めながら、何気なく問う。
しかし彼女から帰ってきた答えは想像していた以上に深刻で、思わず息を飲んで聞き入ってしまった。



ネイティオさんのトレーナーは他の仕事と兼業で、とても多忙であるらしい。
他にも幾人かを管轄しているものの、体力的にも精神的にも相当参っているようで、
近いうちにトレーナー業は廃業することになるという。
本業になる仕事で長期の出張が控えており、皆を連れて行くことが出来ないというのも要因の1つ。

数日前、そのことを知らされたネイティオさん達一行はパーティー解散におおむね同意。
ネイティオさん自身は、本当はそんなの嫌だと言いたかったらしいけど、トレーナーさんの事情は
よく分かってるし、根っからの引っ込み思案も相まって、上手く言い出せなかった…、と。

だからせめて、トレーナーさんの思い出になるものをあげたい。
物をあげて終わりではなく、2人で共通の思い出を残したい。
内気な彼女が考えた一番の方法は、手作りのお菓子を一緒に食べて、味を共有すること。
そしていつかトレーナーさんが帰ってきた時、今よりもっと上手になって、お菓子をあげながら
おかえりなさい、と言ってあげることだった。

そのために作り方を勉強しようと思ったものの、本から得られる情報だけでは心もとなく不安に
思っていたところ、偶然同じ本を手に取ろうとした私に、イチかバチかお願いをした、とのこと。



話している途中から、ネイティオさんの目から大粒の涙がポロポロと零れ、離れたくないという
切実な想いを時折吐露していた。
「…そう」
こういう時、自分の口下手を心から呪う。上手い言葉が見つからないのだ。
それどころか、もと自分がそういう状況になったらと思うと、急に得体のしれない不安感に苛まれる。

でも、今ここで私まで沈んでしまったら、この人がこれからしようとしていることへの活力を
きっと削いでしまう。
だから私は、自分の持ってる精一杯の元気をあげるつもりで
「…きっと、喜んでくれる。また一緒に居られるようになる。絶対」
と、いつもよりちょっと強めの口調で言った。

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ネイティオさんは別れ際には気を取り直してくれたようで、小さな体で一生懸命手を振ってくれた。
でも私の心はずっとざわめきっぱなしで、少し整理が必要なのが自覚できていた。

小さい頃にマスターに拾われた私は、ずっとあの人と一緒にいるのが当然だと思っていた。
でも、その日常がある日突然終わりを迎えることになったら?
大切な人と離ればなれにならなきゃいけないとしたら?
皆は、私は、どう言えばいいんだろう。
色んな怖い事態が次から次へと浮かんでは重なり、自分でも収拾がつけられないまでに暗澹たる
気持ちに支配されている。

細々とした物と本が入った買い物袋を下げながら、重たい気持ちで空を飛ぶ。
周りはすっかり暗くなっていて、一度方向感覚を見失えば軌道修正に時間が掛かるだろう。
それがまた、私の不安感を煽る。

夏なのに、顔に当たる風が冷たい。
いや、正確には私の肌が風を冷たく感じる状態になっているのだ。
他ならぬ私から、その原因はとめどなく溢れ出ていた。
とにかく、早く帰りたい。帰ってあの人の顔が見たい。



センターまでの長いようで短い帰路もようやく終着点にたどり着く。
でもすぐに入る気にはなれなかった。あんなに早く帰りたかったのに。
もし、私が出かけている間に彼がいなくなっていたらどうしよう。
そう思うと、怖くて一歩が踏み出せなかった。

「…これじゃ、だめ」
しばらくセンターの脇でぼんやり立っていたけど、いつまでもここにいるわけにもいかない。
零れていた涙も最後の一滴が流れ落ちる前に強引にふき取り、いつもと同じ様子を取り繕いながら、
恐る恐る足を踏み入れた。

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「そうか、そんなことがあったんだな」
今日という日の顛末を細かく話してくれたオニドリルは、心身共に疲れた様子で目をシパシパさせている。
そのネイティオにもトレーナーさんにも会っていないので、把握しきれていない部分もあるかも
しれないが、それでもこの子が抱えてしまった不安の重さは理解できた。

「…マスター?」
オニドリルのもとに歩み寄り、クシュクシュと頭を撫でてやる。
「俺はいきなり消えたりしないよ。この生活は気に入ってるし、皆と一緒に旅するのは楽しいしな」
赤くなった目元をジッと見つめ、諭すように言う。

「それに、デートした時に約束したじゃないか。お前が成長していく様子を見届けるってな。
 今日の出来事だって、人のために一生懸命になったんだ。トレーナーとしても、家族としても、
 本当に誇らしいことだと思うよ」
「…うん」
オニドリルはようやく安心したという表情になり、そっと手を握ってきた。

「…あの人の気持ち、今なら凄く分かる」
指の一本一本を撫でるように触りながら、感慨深げなトーンでオニドリルが言う。
「…きっと、こうしてもらいたいんだって。帰ってきた時におかえりって言ってくれて、
 褒めてくれる人がいるって。こんなに嬉しいこと、私他に知らないから」
「そうだな。きっとその子の計画も上手くいくさ」
こんな事を言ってもらえれば、トレーナー冥利に尽きる。
きっとそのトレーナーさんも苦渋の決断だっただろう。
だからこそ、いざ出迎えてもらえた時には、きっと今の俺と同じ気持ちになるはずさ。

「…ねぇ、マスター」
手を握ったままのオニドリルが、こちらに顔を向け、改まった様子で呼びかける。
「…これからも、よろしくね」
そう言った彼女の頬が再び朱に染まっていたのは、たぶん先ほどまでとは違う理由なのだろう。

【あとがき】
(´・ω・`)2011年も半分が過ぎてしまいましたね。こんにちは。嫁ドリルです。毎日暑いですね。
今回はトレーナーと萌えもんの別れという暗いテーマで、ギャグオチ無しです。

ただこの後、何気にネイティオとオニドリルはデパートでちょくちょく会ったりして友人関係になっています。
二人で思い出のお菓子"チョコレートマフィン"を作りあったりしてそれなりに楽しく過ごしているので、
ネイティオの寂しさも少しは緩和されていることでしょう。

では熱中症で倒れたりすることの無きよう、お気をつけて。ノシノシ

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最終更新:2011年07月18日 12:10
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