5スレ>>928-5


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彼女との出会いは、三ヶ月ほど前。
彼が休暇中にアメリカの某都市を訪問していた時に遡る。
学生時代の友人(男)に休みが取れそうだから行かないかと誘われたのだ。
滞在期間は五日。
観光地に行ったり行かなかったりしつつ、のんびり過ごすつもりだった。

その、三日目のことである。
二人は落ち合う時間だけを約束して、別々に町中をぶらつくことにした。
とはいえ彼、宮田李白には何がしたいという当ても特になく、
人通りが多い市場を歩いていた。
その日は一日中晴天で、そぞろ歩きをするには好都合だった。
観光地ではない場所の方が彼は好きで、市場はその格好の的だったのである。
見慣れた野菜も見慣れない果物も、一緒くたに並べられている光景。
屋台から漂ってくる、香ばしい香り。
活気溢れる人々の声。
気前の良い店主は味見もさせてくれる。
彼は五感でこの市場を感じていた。

そんな折り、彼は何とはなしにある青果の屋台に目をやった。
人柄の良さそうな大柄の店主が、目の前の女性に話しかけている。
一方小柄な白い長髪の女性は何も反応を見せていない。
彼女はおもむろに両手を前に出す。
それぞれに林檎と洋梨をつかむと、さっと向きを変えて逃げ出した。
店主の声が聞こえたのと、李白が女性の窃盗に気付いたのがほぼ同時だった。
運良く、盗人は李白の方向に突進してきている。
泥棒が目の前の男を避けようと方向を僅かに変えたのに合わせて、
李白も素早く体を横にずらす。
女性は避けきれずぶつかったが、男は体格差のため全く動じない。
李白はそのまま盗人の両肩を押さえつけた。
しかし彼女も捕まるまいともがき罵声を浴びせてくるが、
残念ながら李白には日常会話程度の英語しか分からなかった。
そうしていると、店主がすごみを利かせた表情でやってくる。
「観念するんだな。泥棒はいけないことだぞ」
理解してもらえないとは思いつつも、李白は日本語でそう語りかけた。
言いながら女性を見下ろすと、目が合った。
するとどうしたことか、急に眠気に襲われ、
盗人を押さえつけていた腕の力が抜けていく。
これ幸いと、女性は腕を振りほどいて雑踏の中へと姿を消していった。
こうなってしまうと、店主は泥棒に構うどころではない。
目の前で倒れた観光客を介抱する他はなかった。

意識をなくしていたのはほんの数分で、
目を覚ました時も何ら身体に異常は見られなかった。
店主にThank you, I'm all right.とだけ言ってから再び雑踏へ繰り出す。
しかし李白は数分前までの調子ではなく、
まるでずっと夢を見ているような気分にとらわれていた。

ホテルに戻っても、彼は昼間の出来事を友人には話さないでいた。
どうせ信じてもらえないと思ったからである。
友人がシャワーを浴びている間、彼はベッドでずっとその事を考えていた。
とその時、何かを叩く音が三連続でした。
……確かに、窓の方からした気がする。
だがここは五階である。窓の外に人がいるはずはない。
するともう一度、今度はやや強く、叩かれた。
間違いなく、そこに誰かがいるのだろう、窓ガラスを叩く音だった。
思い切って厚手の青いカーテンを開けると、そこには――昼間の女がいた。
夜を背景に浮かぶ白い服は、神秘的でさえあった。
李白は慌てて窓を開ける。冷たい外気が入ってくるが、気にしない。
見間違いではなかった。目の前に、あの盗人が浮遊している。
彼はどういう反応をすればいいのか分からず、とりあえず
「G...Good evening!」
「日本語でどうぞ」
女性は澄んだ声でそう返した。
「なんだ、分かるのか。発音も随分上手だが、誰に教わったんだ?」
女性とはいえ犯罪者である。
不思議な力で眠らされた危機感から、彼は最大限の警戒をしていた。
「誰にも。私は、全ての人間と萌えもんの言葉を話せるから」
「全ての?」
「そう、例外はない。私は、そういう萌えもんだから」
部屋の明かりに反射して、彼女の赤い目が光る。
「そんな凄い萌えもんが、一体僕に何の用だ?
まさか、仕返しに来たんじゃ……」
「違う。あなたが日本人だから」
「意味が分からない」
「私を日本に連れて行って」
聞けば、彼女には主人がいないらしい。
それでも言えない事情で日本に行かなければならない。
だから、日本人旅行者である李白にわざわざ会いに来た、という訳なのだ。
「つまり、僕が君の主人になって一緒に帰国したいと」
「物わかりが良くて助かるわ」
「良いとは一言も言ってないが。
僕には萌えもんが一人いるんだ。
これ以上増やすつもりはないから、悪いけど他を当たってくれ。
ところで君は本当に萌えもんなのか?
見たことのない姿格好だけど」
すると女性はふ、と口元に笑みを浮かべてから、こう言った。
「あなたは、アルセウスを知っているかしら」
「な……」
友人がシャワールームから出てくる音が聞こえたので、
萌えもんの女性は飛び去っていった。
「李白、寒くないのか?」
背後からの友人の言葉を聞いて、李白はようやく正気に返る。
「ああ、そろそろ閉めるか」

その翌日、李白は友人と町を周遊しながらも見えない何かを感じていた。
「ねえ、お兄さん達」
それが姿を現したのは、二人が夕食のレストランを探している時である。
「私とお食事でもしません?」
真っ白な服を着た女性が、背後からそんな風に声をかけたのだ。
「なあ、李白」
しかも道のど真ん中で、だ。
「どうした、大輔」
「まさかアメリカに来て美女から逆ナンされるなんて思わなかった」
「無視していいよ、こいつは」
李白は女性を無視して歩き出す。
しかし萌えもんの女性は食い下がった。
「待って下さい! お礼がしたいんです!」
昨日の態度とは打って変わって、ずいぶんと下手に出ている印象を受ける。
「なんだ李白、知り合いか?」
彼女の視線は李白へと注がれていたのだ。
こうなってしまったら、無視を決め込むのも難しい。
「お食事代は全部私が出しますから、せめてお話だけでも」
今日の彼女は可愛らしいポーチを持っていた。
それを半分開け、大輔にその中身がドル札の束であることを示す。
「せっかくだからお言葉に甘えても良いんじゃないか?
日本語がこんなに上手く使えるってことは同郷だろうし」
「その金、スリで稼いだものだよ。
だったらなおさら世話になる訳にはいかないじゃないか」
女性は黙ったまま否定しなかった。
「マジかよ……」
「逃げるぞ!」
若干の人通りがある歩道を、二人は走った。しかしだ。
「待って、話だけでも聞いて」
瞬間移動でもしたかのように、いつの間にか二人の目の前に姿を現すのだ。
「私そんなに難しいことお願いしてないでしょう」
そのたびに方向転換をするから、彼らは走りながらほとんど動いていなかった。
体力が尽きるのも時間の問題と気付いた李白は、走るのをやめた。
「その気になってくれたようね」
「仕方ない……付き合うよ。
僕たちをどこかに誘導するのならともかく、
同じ所を行ったり来たりさせるだけってことは、
少なくとも危害を加えるつもりはないみたいだからな」
「物わかりが良くて助かるわ」
「ただし、君は一セントも払うなよ」

三人は庶民的なレストランで食事をすることになった。
結局、彼女の言い分は昨夜李白に言ったのと同じである。
彼女がアルセウスという萌えもんであること、
日本に向かわなければならないこと。
「李白、アルセウスって萌えもんは本当にいるのか?」
「『創世記』の中で語られる、この世の全てを創造したとされる萌えもん。
それがアルセウス。伝承にしか登場しないのかと思っていたけど。
もしもそうなら、君は一体どの妹なんだ?」
「私の属性は、『悪』」
「それと、アルセウスともなれば、
ここから日本までひとっ飛びで行けると思うんだけど」
「お姉様や、『空』の妹ならばまだしも、私にそこまでの能力はない。
人間の振りをして飛行機に乗ろうにも、人間じゃないからパスポートはないし、
かといって萌えもんだけで飛行機には乗れないし」
彼女の前に置かれているのは、オレンジジュース一つきりだった。
ストローでかき混ぜると氷がカランと音を立てる。
同じテーブルに置かれているステーキとスパゲッティには、
全く興味を示していなかった。
「出来ない話ではない、けどな……」
彼女を自分の萌えもんとして日本まで一緒に搭乗するのは不可能ではない。
だが、彼らはすでに帰りのチケットを予約している。
この萌えもんを連れて帰るためにはそれをキャンセルして、
下手をすれば滞在期間が一晩延びかねない。
そこでアルセウスはこれ見よがしにポーチを示す。
しかし二人とも、スリで稼いだ金を使うことには抵抗があった。
「なあ李白、ちょっと思ったんだけどよ」
「ん?」
「もしこいつが本当に世界を創造した萌えもんなら、
どうして俺たちに正体を明かすんだろうな?」
「脅迫するためよ。
私がアルセウスと知ったら誰も逆らおうとはしないでしょう。
もし要求を呑まなければ……殺すよ。
さっきの『しんそく』を見たでしょ?」
確かにあの身体能力は、人間のそれではない。
萌えもんが持つ潜在能力は人間を遥かにしのぎ、
命を落とす事故も毎年起きている。
もし萌えもんが悪意を持って人間に襲いかかったら
人間になすすべはない、ということだ。
彼らは、悪銭でチケットを取り直すことを決めた。

幸いにも、出発予定日の夕方の便で帰ることが出来た。
その時にアルセウスは初めて、自身がエヴィールという名であることを明かした。
「自分で付けたのか? それとも」
「教えない」
そうして彼らは、十時間を超えるフライトを共にすることになった。

だがどうしてか、日本に着いたというのに、
入国ゲートをくぐってもエヴィールは二人から離れなかった。
「約束したのは日本に連れてくるところまでだから、
もうどこに行っても構わないんだよ?」
李白の言葉に、アルセウスは答えない。
たまたま行く先が同じなだけだろうと思い、
二人の人間はそのままスーツケースを引いていく。
だが都心へ向かう電車の切符を買おうかという段階になっても、
相変わらず彼女は真後ろにいた。
「まだ何か言いたいことが?」
「リハク、あなた、萌えもんの教授だって言ったね」
「言ったよ」
「なら困っている萌えもんは助けるのが当然ね」
「は?」
「日本に来ることばかり考えていて、その先のことは――」
「悪いけど、もう一人増やすつもりはないよ」
隣の友人に目配せすると、彼も首を振って拒絶を示した。
「――スリをして生きていくつもりだった」
李白には、彼女の言わんとすることが分かってしまった。
窃盗で生きてきた彼女から生業を取り上げたのは李白だから、
彼自身が面倒を見ろ、と。
「それに教授ならば、くっついていればいつか
お姉様の手がかりを得られるかも知れないし」
「もしかして日本に来たいと言ったのは、そのお姉様――
最初のアルセウスに会うためか?」
「そう。日本から来た萌えもんから、
アルセウスが何人か日本にいるという噂をね。
誰かしらに会えれば、お姉様に近づけると思ったの。
私たちは、お姉様に会って謝らなければならないから」
そこで李白は、創世神話に描かれた妹たちの戦乱のくだりを思い出した。
長姉、ノーマルタイプのアルセウスは、そんな妹たちを罰するため、
あるいは戒めるため、あるいは争わせないために封印したという。
そうしてから自身も眠りについたのだが、
その封印も眠りも、期限付きのものだとされている。
「じゃあ僕が君を連れていれば、
いつか最初のアルセウスに会えるんだね?」
「それまで生きていられればね。私たちの命は、永遠だもの」
エヴィールは皮肉的な笑みを湛えて、目の前の男を見ていた。
そんな彼女の姿はやはり、今まで絵画に表現されてきたアルセウスそのものである。
オシャレのために服や髪型を替える萌えもんはいるが、
髪の色を変えるものは萌えもんとしてのアイデンティティをなくさせるのでいない。
全体が真っ白な中に襟足から黒が混じるその髪は、
彼女が創造神の妹であることを物語っていた。
李白は、右手を彼女に向けて差しだした。
「いいのか、李白。お前にはアリアが……」
「なんとかするよ」
エヴィールはその手を左手で取り、甲にキスをした
「世話になるのだから、このくらいは当然でしょ。
あと、私のことはエヴィと呼びなさい」



(誰が名付けたのかは知らないけど、エヴィールって名前、
きっとdevilから取ったんだろうな)
ダークライが出て行った窓にもたれるアルセウスを見ながら、
李白はふとそんなことを思った。
「リハク、あんみつ食べたい」
「今の時間は混んでるから、あと三十分くらい待った方が良い」
以前レストランに行ってあんみつを食べたところ、
彼女はそれをいたく気に入ってしまったのだ。
以来、こうしてねだられることがしばしば。
ちなみに彼女は人目を避けたがる様子がない。
アメリカでも市場で普通にしていたのだから、当然ではある。
今日ではアルセウスの風貌どころか存在すら知らない者が多いし、
知っていてもアルセウスの格好をした馬鹿者としか見なされない。
萌えもんは彼女が偉大な存在であることを本能で察知できるが、
逆にそのことを口に出すようなこともないのだ。
エヴィはその事を理解している。
とはいえ李白にとってはそうではない。
彼にとってエヴィが何者なのか、説明するのが厄介なのだ。
身近にエヴィの存在を知るものが少なく、
大輔以外にアルセウスであることがばれていないのが幸いである。
今後もできる限り人目は避けたかった。

そうして時間は過ぎ、昼休みが終わろうかとした時、
窓から黒い萌えもんが飛び込んできた。
物理的に入ってきたから、ダークライではない。
立ち上がったそれは、黒い帽子と黒い翼を持つ、ヤミカラスの少年だった。
「アルセウス様、ご報告が」
ダークライ同様跪いて、恭しく告げる。
「何かしら」
「『空』の妹君がこちらに向かわれているとの噂が」
エヴィはこの少年の処遇を数秒考えてから、
「そう、ありがとう。報告はそれだけ? なら下がりなさい」
ヤミカラスははっ、と返事をしてから飛び去っていった。
「飛行タイプの妹って言ったら、最初の妹の一人じゃないか」
「それは神話の中ででしょ。順番なんて誰も知らないわ。
それより今の報告、不自然じゃなかった?」
「どこが? 探していた仲間に会えるんだろ?」
「自分が会う前に使いをよこしたのが怪しい。
『空』の妹がヤミカラスより早く飛べないなんてあり得ないわ。
これは、私の反応を試しているとしか……」
「それもそうか。で、どうするつもりなんだい、エヴィ」
「無視して良い。向かっているんなら、向こうから来るでしょ。
それより今は、あんみつが食べたい」
「じゃあ、そろそろ行こうか」
ちなみにアルセウスは、燃費がかなりいいので食事はほとんどなくても
生きていられるらしい。
だから彼女にとって甘味はエネルギー源よりも娯楽の意味合いが強かったりする。

ダークライは、君島公平が午後の講義を聴いているのを窓の外から監視しつつ、
主人が嬉しそうに校門をくぐって行くのを横目に見ていた。
ツールボックス

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