5スレ>>947


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 釣り合いの取れない組み合わせというものがある。
美女と野獣。蟻と巨象。セーラー服と機関銃…等々。珍妙なコンビとは世の中にたくさん転がっているものだ。
そんなモノをひとくくりに呼ぶ言葉…天地霄壌、月とすっぽん、黒いギターと漿果の庭…
例える言葉もやはり数多く存在するが―――『彼女』の現状を喩えるならばすこし意味合いが違ってくるだろう。
だがそのかわり、もっとも型に嵌ったこんな言葉がある。

『場違い。』

つい先刻ほど知り合ったばかりの"馬のお友達"が牽く馬車に乗り、藍色の空に月が浮かぶ頃には
昨日まではまるで自分とは縁がないと思い込んでいた目的の場所に着いてしまった。

徐々にその全貌を現す景色。映す窓を、長い旅路の中飽きることもなく眺めていた彼女は
一生着慣れることはないであろうドレスの裾に注意を払い、馬車から降り立ち歩くと間もなく。

「わぁ…。」

その表情は、呆然と憧憬が入り混じった顔をしていた。圧倒的な存在感を放っている荘厳な建物。
それが『釣り合いの取れない』彼女の眼前にあるのだから無理もない。

「ほんものだ…私、本当に来ちゃったんだ。"お城"に…」

行方を定めることもなく口をついて出た言葉はまるで靄のように掻き消えた。
冷たい鉄の檻でできた、街々の屋根よりも高い門扉に誘われるようにして―――





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    【萌えっこもんすたぁSS】





          『 ド レ デ ィ エ ラ 』  - 前 編 -



                                      著:ぺる



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 ドレディエラは、薄幸な娘であった。
幼い頃に母を失くし、亡霊のようになってしまった父の財力に漬け込んだラフレシアを継母としたその時から、
彼女の運命の歯車は狂ってしまった。父にとっては前妻である彼女の忘れ形見であるドレディエラははじめから疎ましい
存在として常にラフレシアの嫉妬の矛先に置かれていた。それ故に、そこそこ豪華な家に住んでいる事実に反して、
着ている衣服は所々解れが覗え、何度も修理された継ぎ接ぎの跡がある姿はみすぼらしさを一層際立たせる。
あるときは使い古された箒を持って、またある時は小さな山を築き上げるほどの洗濯籠を重そうに運びながら庭先に
現れる様子を第三者が見れば『ああ、彼女はこの家の召使なんだな』と百人全てがそう思うであろう。
…本当は、この家を華美なドレスで赤い絨毯の上を歩く権利があるのはドレディエラ、彼女だというのに。

それもこれも、全ては母の死が皆の心に影を落としてしまった。
父を操り、裏からこの家を支配しているラフレシアお義母様は直接の原因ではない。彼女はそう思っている。

しかし心優しきドレディエラ。自分の不条理な境遇など気にすることもなく、ましてや誰かの所為にして憎しみを
抱くようなことは決してなかったのである。

「そしてわたしは美しいドレディエラ。みんなが嫉妬してしまうのも仕方が無いことなの。」

家に住んでいる者たちの肌着をまた一枚、彼女の薄紅色の唇から漏れ出るメランコリックな自己陶酔など
知らん顔で照らし続ける太陽の方角へ翳しながら…いつものように独りごちる。

しかし心したたかなドレディエラ。誰に聞かせるわけでもないナルシストな独り言は彼女の癖である。

「――ェラ!ドレディエラ!!」

少し遠くから聞こえる、彼女を呼ぶ声。
それはこの家に住む者が行使できる、この家の奴隷を召喚する呼子。

「のろまなドレディエラッ!さっさと来なさい!」

それは明らかに侮蔑と憎悪の含まれた、怒声に近い叫び。この声が耳に入る度に、笛の奴隷であるドレディエラは
たとえ厠で用を足していようが、もしくは床と大して変わりのないベッドで寝ている時でいようが、
あるいは鋼鉄のようなパンを出来損ないの豆で作ったスープで嚥下を促す食事の最中であろうとしても、
号令のもとへ迅速に駆けつけなければならない。そうでなければ彼女はここに居られないはずだから。

「お呼びでしょうか、マスキッパお姉様。」

次第に大きくなる声のする方へと向かっていったその先は、ラフレシアの実の娘のひとり……
今のドレディエラにとっては下の方の姉である、マスキッパの部屋の扉だった。
控えめにノックをふたつ―――音を大きく立てれば扉を開いた開口一番それについて怒鳴られる―――
「失礼します。」とはっきりした口調でひとつ―――声が小さいと聞こえなかったと怒鳴られる―――
こうして入室の儀式を終えた所で漸くドレディエラは部屋の扉をいつものように開いて用件を伺うのである。

「遅いわよッ!アンタ何様のつもりよ!?こののろまッ!クズ!」

しかし報われないドレディエラ。如何様にして完璧な召使の振る舞いをしようと努力を惜しまずとも、そんなことと
無関係に、マスキッパが彼女をいの一番に口撃することは既に決定事項なのである。
ちなみに本日の罵声である『のろま』の呪文であるが、この時間に洗濯をしているドレディエラの予定を既に
把握している、マスキッパの計画的犯行であることをここに明言しておく。
部屋から眺めて庭先から遠く彼女の姿を捉えた時を呪文の発動条件とし、わずかに部屋の窓を開きつつ、
「ドレディエラ、さっさと来なさいドレディエラ」と唱えることで発動する。それがもたらす効果は
ご覧のとおり陳腐なもので、立場的に追い込まれたドレディエラを一方的に罵る権利が得られるといったもの。

「ごめんなさい、マスキッパお姉様……。」

マスキッパがこうして計画的に彼女をいじめていることを、ドレディエラ本人は知り得もしないが、まるで日課のように
組まれる召喚のローテーションを体験することによっていい加減に慣れていた。……だから、今日は"正しく適切に
"罵声を浴びることができたといえよう。それは以前、まだ経験の浅かったドレディエラは同じようにして彼女の
呼び出しに応じ、「お呼びでしょうか」と話しかけたところ、「庭先から窓越しに話しかけるなんてとんでもなく
無礼な召使ね。教養がないのだからアンタは召使ですらないただの奴隷ね。」と言われ、無教養の烙印を押し付けられた
挙句、階級も召使から奴隷に格下げされてしまった。こうした小さな失敗を積み重ねていくうちに、ドレディエラの
家での扱いはどんどんぞんざいになり、マスキッパにおける彼女の評価は『ストレス発散に丁度いい無能な奴隷』として
ストップ安を記録した。

「何度言ってもわからないのねアンタ。マスキッパ『お嬢様』。アンタ奴隷、わたし貴族。理解した?」
「…はい。申し訳ございません、マスキッパお嬢様…。」

・・・・・・そしてこれは、クスクスとドレディエラを嘲笑するマスキッパお嬢様の最近のトレンドである。
今のように、『お姉様』と呼べばすぐに「お嬢様と呼べ」と指摘する。あるいはある日逆にドレディエラが、『お嬢様』
と呼ぼうものなら「アンタは義理とはいえ姉の顔もわからなくなったのか?」と問いドレディエラの言葉を待つのである。
そこでドレディエラに用意された回答は多いようで実質ひとつしかない。
もし、「昨日はお嬢様とお呼びするよう仰せつかりましたが」などと口答えしようものなら、彼女に横腹を蹴り倒され
頭を踏まれながらこう怒鳴られるのだから。「昨日のことを考える余裕が有るんだったら、もっと役に立つ奴隷の在り方を
考えろクソ無能がッ!」と。…故に彼女が足りない頭で考えた結果の最適解は、「ごめんなさいお姉様」であり、
問が逆であれば「申し訳ございませんお嬢様」が正解なのである。

「…ふん。まぁいいわ。近くに来なさい。跪きなさい。」

頭は悪いが次第に要領の良くなっていくドレディエラ。そんな大人しく面白みのない姿を見たいわけではないマスキッパの
心情は勿論よろしくない。なんとも皮肉な話であるが、ドレディエラの取った『正解』の行動は彼女の機嫌をよくする
『最善』とは程遠くその結果、部屋の空気をひと回りは冷やすかもわからない程彼女の声のトーンを落とすこととなった。

命令されるがままに、ドレディエラはマスキッパお嬢様が腰掛けている天蓋付きベッドの三歩手前で膝を折る。
額縁に飾られて壁に掛けられている、油絵具を煩雑にぶちまけたようなタッチで描かれた女性の肖像すらも彼女を見下して
哂っているかのように見えるのだから不思議なものである。

「ほら、これを御覧なさい。」そう言って両手で摘んで広げてみせたマスキッパの服。
ドレディエラには見覚えがあった。それはいつもマスキッパが部屋着として愛用しているスモックである。
触るととても肌触りが良い、絹製の織物。そんな薄桃色一面の生地の腹部を覆うやや右側の位置に、握り拳ほどもなく、
かといって小さいとは言い難い縦長の斑点が浮かび上がっている。

「これ、紅茶のシミよ。それも今朝アンタが淹れたミルクティー。それをね…お姉様と今日の予定をお話してて
口に含んだ瞬間思わず吐き出しちゃったの。ねぇ…どうしてかしら。わかる?ドレディエラ。」

ドレディエラにそれを一瞥させると、両手に持っていたそれを自身が腰を下ろすベッドにどうでもいい感じで放り投げたかと
思うと、彼女はゆらりと立ち上がり、カツンと踵を鳴らしながらとてもゆっくり、じっくり丁寧なたち振舞いで一と半歩ほど
ドレディエラに近づいた。そんな彼女の仕草と瞳を見つめていたドレディエラは、ぞくりと背筋に悪寒が走るのを感じた。

隠しきれない怒りが溢れている―――その矛先は私に向いている!

要領を得て同時に危機に敏感になったドレディエラ。そんな彼女が仕える目の前のお嬢様の瞳から発している
まるで殺意を凝縮したかのような赤黒い信号を受け取れば身体がアラートサインを出すのは必然の流れといえた。
その後の彼女が起こした行動はまさに条件反射、と表すに他ならない。

「いいえ、わかりませ―――ッッ!?」

無知を露呈する言葉でお嬢様好みの滑稽さを醸しだす試みはただの保険であり、まるで"こうされること"
がはじめからわかっていたかのように視線を外して頭を垂れて、彼女は来る衝撃に備えたのである。
脳天に直接響くようなただ一点の打撃。その予測に間違いはなく、やや左にそれた"ヒールの踵"が誤差となって
頭の左半分を抉るような焼けた痛みと、意図しなかったであろう逸れた暴力の矛先が左肩を射抜き余計に痛かった。

「アンタの紅茶がクソマズかったからだよッ!役立たず!無能ッ!○○○○ッ!」

そんな一撃だけでは暴力を振るった側は手応えを感じることができず、彼女はドレディエラの小さな頭をまた蹴る。
口から吐かれる醜い罵声に合わせて三度、四度と踏みつけて、ヒールの雨はそこで止んだ。
槍で貫かれたかのような衝撃が襲うたびに、ドレディエラの視界は揺らぎ意識を手放しそうになったが、
ある程度のシミュレートにより早期警戒を促した防御は無駄ではなく、頭を多少ふらつかせながらも痛みに耐えた。




見るに堪えない胸くそ悪くなる光景―――それでもドレディエラにとっては日常茶飯事であるが―――から数十分。
庭先から太陽を拝めるのはやはりドレディエラ。本日最後となる干し物は、マスキッパの薄桃スモック。
彼女はあっという間に下された"特別命令"を完了させ、今まさに仕事を終わらせる場面である。

まだ頭と左肩に疼くような鈍痛が残っているが、痛いこと以外は至って異常を感じられず、普段と変わらない。
姉曰く、無知で無教養で無能なドレディエラであったが、取り柄を挙げるとするのならまずこの無駄な頑丈さであろう。

「とっさに頭で庇ってよかった…。顔はイヤだもの。」

…他にはこの無邪気とも言える楽天的な思考も取り柄の部類に入る、かもしれないがそれよりもナルシストの極みにも
近いほどの、『自分は美人である』というあふれた自信。むしろ"美人"というファクターが"女"にとっては
最大の取り柄なのかもしれない。実際に彼女は美しい容姿を持っているのだ。
街ゆく百人の男を無作為に捕まえて彼女の写真を見せれば、まず間違いなく"綺麗""カワイイ""美少女"
といった評価を全員から頂くことも限りなく可能に近い。

ドレディエラが覚えている母の面影は、片手で数える程度のエピソードからしか形作られていない。
「ドレディエラ。私のたったひとりの素直で可愛い娘。あなたは間違いなく私のような美人になるわよ。」
というのは幼き日の母親の言葉。間違いなく言葉の後半はドレディエラの心を形作る重要な要素になっている。
そして将来、ドレディエラが母親となり、娘を授かったとしたら、彼女の母親と全く同じ言葉を娘に贈るだろう。
彼女が肌身離さず持ち歩いている、たまご型のペンダントがある。片開きになっており、中には幼き頃のドレディエラを
抱えて微笑む女性の写真が入っている。月日が経つにつれ、その女性にどんどん近づいていく自分の容姿を確認する度に
彼女は密かな自信を育みつつ日々を過ごす。…だから、せめて顔は守ろうと。それがドレディエラという娘なのである。

「花冠も踏まれてなかった…。マスキッパお姉様も手心を加えてくださったのね、きっと。」

顔のことばかり気にかけて失念をしていたが、ドレディエラの頭の先からちょっと後ろにある、後頭部に近い場所からは
花が咲いている。これは種として最も大事な身体の場所なのであるが、彼女にとってはきっと2番目に大事な場所だろう。
幸いにも、花冠―――ここでは彼女の頭の一輪の花だけを指す言葉とする―――は踵の嵐から逃れていた。
…マスキッパが手心を加えたかどうかの真相は、分からぬままドレディエラの自己完結で葬られそうだが。

"もう一方"の真相である『お嬢様がお怒りの理由』については、本人からの種明かしがあった。
曰く「口にした瞬間違和感を感じたわ。アンタ、アタシを毒殺する気なわけ?」とのこと。
もちろんドレディエラ本人はそんな悪意、微塵ほども持ち合わせていなかった為、これでも不問?に済まされた。
(既に危害が加えられた後であったが、その後また制裁を加えることはなかったということ。)
それはともかく彼女が本質的に怒っていたのは別の場所にあったようで…これも本人の言葉から。
「アタシは何か変だ、ってお姉様にも説明をしたのだけれど、お姉様はいつもと変わらない、普通に飲める、
気のせいじゃないか、って言っておいしそうに飲み干していた。これはいよいよアンタが反抗的な態度を
こういった形でアタシに対してだけ攻撃することでお姉様との関係を悪化させながら孤立を促す卑劣な―――」
以下省略。要するに自分だけ感じた違和感に共感する相手もいないので、八つ当たり感覚でドレディエラを
呼んだのだ、服に染み付いてしまった紅茶の件も片付けるついでに。ただそれだけのことである。
「わたしにはその様な突飛な計画、思いつくことさえもできません。」とドレディエラが言葉を添えれば、
「そうね。なんて言ったってアンタはドジでのろまな無知ディエラだからね。」と情緒を安定させるマスキッパ。
事態収束。これが本日の小さな小さな"事件"であった。ただただ不憫なドレディエラ・・・・・・と思いきや―――

     ・・・・・・・
「やっぱり豚さんのミルクを混ぜたのがいけなかったのでしょうか…。」

ため息を吐きながら吐き出されたドレディエラの一言により、衝撃の後日談が掘り出されてしまった。



念のため明記しておくが、ドレディエラという娘に悪意や殺意といったものは一切ない。
勿論、だからといってやること全てが許されるわけではない。そんな甘えを躾ける親の存在が居なかった彼女は
善悪を判別する能力が著しく低い。教育も受けていないのだから当然である。―――が、今回の件に関しては
自業自得としか言いようがない。結果的にマスキッパの"紅茶に感じた違和感"は真に正しい指摘であり、
舌や口といったあらゆる消化器官が秀でている彼女であるからこそドレディエラの間違いを咎めることができた。
…では天真爛漫を体現したような心の持ち主であるドレディエラが、何故自身で発言したような事をしたのか。
それは結局簡単な理屈で、前述のとおり彼女には何が悪いコトなのかがよくわかっておらず、故に飲み物に
"何か異物を混ぜる"行為は単なるイタズラに起因する行動でしかなく"何を混ぜたか"は本質的ではない。

日々二人の姉から『可愛がられている』お返しに、思いつきで『イタズラ』をプレゼントしたかっただけなのである。
―――姉たちと同じことがしたくて…。そして広大な敷地の片隅で飼われている"家畜の家"があれば『そんなモノ』
を手に入れることはドジなドレディエラでも容易であった。さらに問題は、ドレディエラ曰く"豚さんのミルク"
と呼ばれた品が、"彼女自身で正体を把握していない"点にもあったが…これに対する真実は明かされることはない。



このエピソードはいささか特殊な例ではあるが、ドレディエラとマスキッパのこんな日常はほぼ毎日続いていた。


ちなみにこの日以来ドレディエラが、義理の姉たちにイタズラを仕掛けることは二度となかった。
マスキッパにイラズラのことで―――真相を暴くに至らなかったが―――怒鳴られて懲りたのであろう。
器量よく生きるドレディエラ。教養無くとも心は濁さず、自然と躾が施されていったのは一部姉のお陰と言える。





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 ドレディエラは、負けず嫌いな娘であった。
一生を総じて勝ち負けで判別するのは難しいことではあるが、少なくともドレディエラはいわゆる
"勝ち組"の部類に入るとはたとえ冗談でも言いがたいものがある。そういった漠然としたものではなく、
もっと具体的な勝負事に対してスポットを当ててみれば、常識などわからない、運動がよくできるわけでもない、
芸術的な造形があるわけでもないやったこともなければ勝負事などもってのほか。
彼女が挑める勝負などたかが知れている。その様な類は"不戦敗"と言われるがそれでも負けは負け。
しかしそこに彼女のコンプレックスは存在しない。だとしたらドレディエラは、"何に対して"負けるのが嫌いなのか。
その気質が顕著に現れたエピソードが存在する。


その日の晩餐を済ませた"長姉"ナットレイはドレディエラを呼び出した。控えめな二回のノックが自分の部屋への
来訪者であることをすぐに認識し「入りなさい。」と短く口にすればドレディエラは姿を現した。

「うふふ…いらっしゃい…今日も素敵なお召し物ね…。」

ナットレイは皮肉屋だった。召使であるドレディエラが着ることのできる衣服など、
ボロ布の寄せ集めで作ったような貧しいものでしかない。夏場は風通しを妨げ汗は吸収しないし、
冬場は寒さから身を護れない。華美さも機能性も全く取り揃えていない、まるで衣服界のドレディエラ。
そういう意味ではドレディエラが着る服としては"似合っている"と言いたいのだろう。そんな皮肉である。

「さてそれでは、いつものように始めますわよ?…うふふ…いらっしゃい…。」

そんなナットレイの皮肉に喩えるならば、彼女の"ドレディエラ教育カリキュラム"は一段と異質さを放っている。
完結に言い表すならば、ナットレイは"人形遊び"が好きである。彼女の部屋には、大量の人形が大小様々な形で
ベッドやら机の上やら壁掛けやら…様々な場所に頓挫している。すべて彼女手製の愛が込められた人形たちである。

数多くの住人が居座る薄暗い部屋の中央で、高価な椅子に座らされたドレディエラ"人形"はそこで"いろんなこと"
をされる。抜群の芸術的センスと美的感覚を備えたナットレイは、まず彼女に毎日様々な服を着させた。
あるときはたくさんのフリルをあしらったフリフリのドレス…あるときは白と黒のコントラストが実にシンプルさ
を際立たせた、機能性にも十分優れるメイド服…またある時は男性の貴族が好みそうな花の刺繍をあしらった
ワンポイントのドレスシャツに漆黒のタキシード…等々。そしてその都度素直に感想を述べながら、ナットレイは
紙面に何かしらメモ書きをする…その作業に対するドレディエラの理解は皆無であり、何がしたいのか全くわからず
困惑を隠せないが、尋ねる権利などあるわけがないと思い込んでいる着せかえ人形は、特に口を開かない。
そしてナットレイもそれがよくわかっており、特に自分の行動に対する説明は一切行わない。
必要であればナットレイはデッサンも行った。創作意欲が刺激されたり、衣装がドレディエラによく似合っている
時はこのように筆を執ることが多く、そういった場合彼女の機嫌は大変良い。

…そしてひと通りの着せかえごっこを楽しんだナットレイは、『次の段階』に進むために必ず彼女にこう言うのだ。

                  ・・・・・
「ふぅ…それではドレディエラ、次よ…脱ぎなさい。」

豪雨が打ち付けられる窓から刹那の光が部屋に飛び込んでくる。ナットレイには見えた。いつもと変わらず、
その単語を聞くたびに顔を強張らせるドレディエラの表情が。それを見つけてはいつも、ついにやりと笑ってしまう。
もう分かりきっている"授業の流れ"とはいえ、如何なる慣習がつこうとも奥底に眠る感情はどんなに隠そうとも
隠し切ることはできない。…それを知っているナットレイという娘は、その表情を垣間見る瞬間に本質を露わにする。
ドレディエラは短く「はい」と答えると、ゆっくりした動作で右肩からくねらせ、艶かしく左手を添えながら
本日のお召し物―――今日はワンピースで脱衣しやすい部類であった―――を身体からずらしてゆく。

「うふふっ!いいわよ…慣れてきたじゃない。ま、今日は"おさらい"ですから"できて"当然ですわね。」

ナットレイは、いつものように始まった眼前のストリップショーをとても愉快そうに眺める。
つい先ほどまで握っていた筆を、鞭に替えて…。そう、キャンバスボードの腰掛けから立ち上がった瞬間から、
彼女は"芸術家"から"女王様"へとクラスチェンジするのである。これが…ナットレイという娘の最後の特性。

皮肉屋・天才芸術家・そして加虐嗜好者―――次姉など比較にならない、大概な人格の持ち主なのである。

それ故に、何故彼女が『こんなこと』をするのかなど、誰にも理解することができないのである。
だとすれば、無知蒙昧な人形ドレディエラに『そんなこと』を理解できようと思うものか。できるはずがない。

―――だが、そんなことはどうでもいい。ドレディエラはただひたすら、淫らな衣服の脱ぎ方を実演するだけしかない。
そして支えを失ったワンピースがふわりと地に降り伏した時、女王様の腕は振るわれたのである。

「~~~~~~ッ゛!!」

歯茎から血が滲み出そうなくらい奥歯を食いしばっても、くぐもった声は漏れた。
それは全身を駆け抜け暴れる痛みに対する抵抗。
ドレディエラは今日もまた、精神を蝕んでゆく暴虐の蛇との邂逅を済ませた。

「んー…良いですわ。僅かな羞恥を垣間見せながらいやらしく腰をくねらせる艶姿が、わたくし好みで。
でも、だからこそ滞り無く流れるように脱いでしまうのはいささか"勿体無い"。せいぜい焦らし方を考えなさい。」

鋭い暴力を放った右腕とはまるで正反対に、冷徹とも取れて覗える言葉を淡々と話すナットレイ。
汚い悲鳴を放つ醜いブタが大嫌いな彼女だが、淫靡に喘ぎ、欲しがる人形ならば愛してみせる。
…今のドレディエラにはそんなことはまだ難しいだろうと理解しているし、かと言ってブタを飼う気はない。
だからドレディエラはブタに成り下がらないよう、ひいては姉の機嫌を損ねないような立ち振舞いはする。
故に、彼女のリアクションはナットレイにとって、普通であり当然。絶叫を抑えたのにはそれなりの理由があるのだ。

そんなことよりもドレディエラにとっては、ここが一番大事なポイントなのである。
たった今"先生"から賜ったヒントを、一言一句漏らさず記憶しておくことだ。これを学習することは"生徒"に
とっての本懐である。だからこそ、次回の"テスト"でそれは重点的に試される。鞭打の痛みに沈んでいる暇はない。

「…それにしてもあなた、随分プロポーションが良くなったのね?ふくよかになって人並みに肉がついたというか…」

ただ今回に限って、異例のイベントが発生した。ナットレイが、ドレディエラの変化に気づいたことである。
確かに、教育を始めた当初はそれはもう貧相な体つきで、鞭で叩けば背骨ごとぼきりと折れてしまうのではないかと
不安さえ覚えた彼女の肢体だが、今ではただ起立姿勢だけで常に肋が浮き出ているようなことは全くなく、
健康的な色艶、女性的な身体の丸み、最低限の機能を備えた飾り気のないブラに包まれた形の良い双丘―――そういえば
いつの間にかつけていた。いつだかは憶えがない―――、色気を醸しだすしなやかな脚線…まさに歳相応の体だった。
それがナットレイにとって嫉妬の琴線に触れることは決してなく、寧ろ美を愛でる彼女にとって機嫌の良くなる事実
ではあったが―――気になってしまった以上疑問を解消するまでは落ち着いていられない。

「わたくしにとってはどうでもいいけれど、あなたの食事はそんなに満足のいくものではなかったはず。であれば
あなたはわたくしたちの目の届かない場所でその身体が満足するだけの栄養を摂取していることになるわ。」

持っていた鞭をどこかに放り投げ、肉薄したドレディエラから瞳を離さず、ガシッと右手で彼女の顎を掴む。

「発言を許可します。わたくしの満足する答えを仰ってごらんなさい、ドレディエラ!」

ここで僅かな葛藤の生まれたドレディエラではあったが、正直に話す以外に道はないのだ。だから目を逸らさず答えた。

「毎日少しずつではありますが、豚さんの食事を分けてもらいました。申し訳ありま…せん…。」

さすがに最後の方で制裁を覚悟したにも関わらず怖気付き、ドレディエラの声は霞のように消えかかったものだった。

「――――」

彼女の告白からどれ位の間があったのだろうか。固く目を閉じて固まってしまったドレディエラ。
薄い闇に包まれながら、奥の壁端に居座っている振り子時計がコチッ、コチッと予定調和のリズムを独奏する。
十ほど刻まれた頃だろうか…ドレディエラは進展のない闇から抜け出すために恐る恐る目を開く。

「ふ…くく…ッははは!はははっハハッハハハッ…くく……―――そうなの、なるほど…。」

ドレディエラはその瞬間、本日最大の恐怖を味わった―――であろう、おそらく。
何故ならば、こんなに口を大きく開いて天井を仰ぎながら呵呵大笑を晒すナットレイを初めて目にしたのだから……。
それはそれは不気味で恐ろしく見えたからだ。…気づけば掴まれた顎も解放され、身体も離れていたけれど。

「フフッおもしろい…ふくくッ、おもしろいわ。いい!すごくいいわあなた。」

ひとしきり笑い尽くした彼女の口から出た次の言葉は、そんなものだった。だがドレディエラにはやはり理解できない。
私の表現がそんなに可笑しかっただろうか。いつの間にか私は人を笑わせる才能が芽生えたのだろうか。
私はあなたの大嫌いな卑しいブタと同じ食事を食べている家畜同然の存在だというのにそれでも愉快そうに笑えるのか。
―――ドレディエラはそう思った。

「もしわたくしたちの食事を、どこかで盗みとって一口でも手をつけていたのならちょっとどうしてしまおうか
考えたけれど…うふふ。あなたが"そんな事"するわけが無いものねぇ。勘ぐってしまったわ、許してドレディエラ。」
「っ…!?そ、そんな…こと…滅相も………。」

"滅相も無い"というのは、果たして『姉達の食事を盗み食いする用な狼藉』のことなのか、あるいは
『姉が非を認めて愚妹に許しを請うこと』に対して言った言葉なのか、あるいはその両方かはわからない。
少なくとも、姉が怒りを露わにすることはなかったのである。やはりわからないドレディエラ。呆然である。
まるで恋人にそうするかの様な、ナットレイの愛おしげな頬擦りでさらに硬直は酷くなり、本当に人形の様相であった。

「必要ならば、いいでしょう、豚のエサをこれからも奪って空腹を満たしなさい。けど…過剰な摂取でブタになる
ようなことがあったら…わかっているわね?ドレディエラ・・・・・・いいわね?今の完璧な体型を維持することよ…。」

言葉の前半は、子供に諭す母親のように暖かく…そして後半は首を狩る断罪人のように冷たく、ナットレイは言った。

「はい……はいッ…!ナットレイお姉様。」





という美談(?)でまとまっていったエピソードではあるのだが、解消すべき疑問は多々ある。
ここで明確にしておきたいひとつの疑問の背景『ブタの餌を食べた理由』は、さらに過去へと遡り、起源なる逸話が
存在する。それを簡潔にまとめるならば、ドレディエラ唯一の敗北がそこにあったから、ということである。

ある日いつものように、ナットレイの教育が行われていた頃。第二のカリキュラム―――
そう、それはドレディエラが『肌を晒す授業』において、事件は起こった。
何の用途に用いられるのか彼女には理解できない、月明かりに怪しげに黒光りする、ボディラインがはっきり浮き出る
ボディスーツのようなものを脱ごうと、ドレディエラはとりあえずわからないなりに手をかけた。

「あなたって本当よく生きているのが不思議になるわ。そんな骨と皮だけの身体でわたくし達のような生き物も生きて
いけるなんて。…でも見ていて機嫌が良くなる話ではないわね。"あなたの母君"が見たらなんてお嘆きになるかしら。」

長姉が何気なくついた"いつもの"痛快な皮肉に過ぎなかった。……少なくとも彼女にとっては。
だが、それは引き金を引くに等しい言葉の凶器。ドレディエラにとっては、触れてはいけない『禁呪』のようなもの。
銀の銃弾を胸に受け僅かな静寂が過ぎゆく後に、膝から崩れ落ちたドレディエラが、慟哭したのだ―――。

亡き母を想うドレディエラ。だからこそナットレイが想起させた"悲しみの母君"の姿が彼女の深い深い心理に刺さった。
故に悲しくてたまらなくなったのである。母からいただいた大切な身体が乾涸びて悲鳴を上げている、事実に。
―――あるいは、そのことに気付かなかった自分の愚かさに対し、涙を留めてこらえることに堪えられなかった。
あまりにも突然に起こった、眼前での感情の決壊にナットレイはしばし呆気に取られていたが、さすがにこのまま
鞭を振り下ろす気分にはなれず、宥めるように傍に寄り添ったという…。
母や"妹"とは違い、彼女にとってドレディエラは嫉妬から来る愛憎の対象ではなく、寧ろお人形のような『遊び道具』
という認識以外に他の感情はない。妹のそれは母に影響され流された源を自己にもたない故の弱さの象徴であると思って
いるし、母の場合は過去の遺物に囚われているが故の脆さの露呈でしかないと分析していて自分は違う。
…とナットレイ自身は考えている。だからこのまま壊れてしまいそうな道具に対してなんとか修繕を試みる。

そのまま長い時間"故障"していたドレディエラは、操り糸がぷっつり途切れたかのようにそのまま眠りに落ちたという。
それゆえ本人に事情を訊く機会は逸したものの、彼女の中では解析と考察、そして自己完了が終わっていた。
但し、たとえ天才でも仮説と実態が些かズレていたとしても、気づくことはできなかったのである。
そも彼女の考察通り『精神的未熟さから来る心因性ストレス』だったとしたら、とっくに彼女はすり減っていただろう。
当たらずとも遠からず―――それからというもの、彼女がドレディエラを呼ぶ機会は目に見えて減っていった。


・・・・・
だからこそ、敗北を知ったドレディエラは、勝つための行動を起こしたのである。
誰の目に触れることなく、悪事を働く回路もないドレディエラ独自の、密かな計画が―――。



幼稚で未熟なドレディエラ。されど努力は怠らないドレディエラ。彼女の拠り所はもう亡き母しか居ないのだ。





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 不幸に敷かれた哀れな日々を細々と、さりとて逞しく生きてきたドレディエラ。
大なり小なり彼女的に良い日悪い日は波あれど、それでも不気味なほどほぼ変化のない毎日を過ごしてきた娘。


だが、不幸はいずれ精算されて然り。少なくとも、生きている限りは―――。



これは彼女の運命が劇的に変わる"変曲点"となる一日の、前日。
その前の日は、長姉ナットレイの"授業"が実施され、さらにその前の日は、次姉マスキッパの"躾"が叩きこまれた。
…そして今は、義母のグラスに葡萄酒を注いでいるドレディエラ。
彼女が各々に呼び出され、独自の時間をそれぞれ強いる頻度としては、第一に次姉で、圧倒的に多い。
第二に長姉で、以前は次姉に迫る数程有ったが、前述の理由で大きく差がついた。
そして滅多に呼ばれることがないのが、今目の前で血のような赤ワインを啜る義母ラフレシアである。
単純に忙しいらしく、あまりこの家に帰ってこないこともあり、それこそ年に数回といった程度だろう。

「…おまえも随分と大きく育ったものよ。時間だけは何事も無く流れよる。」

バスローブを身に纏い部屋の主は帰還した。そのまま純白のクロスが敷かれた円卓にまで歩み寄ると、どかっと乱雑に
尻を椅子に沈め、目の前に置かれたワイングラスに手をかけ、そのまま拍子もなく煽ると「おまえの生まれ年に造られた
ワインはやはり反吐が出そうなくらい不味い。さっさと取替えよ。」と吐き捨てるような女である。
ドレディエラは言われるがままに別のボトルに取り替え、主が不在の間にやったことと同じ動作で同じ分量、
新しく用意したワイングラスに注ぎ、仕事を終えたらまた控える。

義母との"面会"の時だけは、正装が許可されている。普段はあまりにも汚れが目立つような仕事を押し付けられるが為に
継ぎ接ぎで煤塗れな布切れを着ているが、この時に限りワインレッドのメイドワンピースに漆黒のエプロンドレスと
メイドカチューシャ、そしてワンボタンのリストガードというドレディエラの貴重なメイドフル装備シーンである。

「"私の娘達"とはうまくやっているようだな。貴様の"世話"も任せた甲斐はあったというもの…。尤も、世話されて
ばかりではただのゴミクズでしかないわけで、せいぜいこれからも粗相のないよう召使としての本分を全うすることだ。」

   ・・
これがあのふたりの娘の母親なのだから、納得の血縁である。三人のことをよく知り、こうして関係を改めて
明記することで『ああそうだな、全くもってその通りだ。』と思わずにはいられない。
その母親の気性にならい、この面会にはいくつかのルールが存在する。

原則第一、召使(ドレディエラ)は発言を許可されていない。
原則第二、部屋主(ラフレシア)の命令に対して、召使は遂行の義務を負う。
原則第三、原則第一と原則第二が競合した場合、原則第二が優先される。

以上のみっつである。例えば今のような会話の最中に召使は言葉を挟む権利など存在しないし、部屋主が機嫌を損なって
召使に向かいワイングラスを投げつけ血を流したとしても、召使は口を開くことは許されない。
(原則にはないが、避ける選択肢などもってのほかである。次はワインボトルで直接殴られるからだ。)
部屋主が「ブタの鳴き真似をしろ」と命令すれば、召使は四つん這いになって「ブヒッブヒヒブゴッ!」と言わなければ
ならないし、「三分で面白い話をしろ。」と命令されれば、座して落語を開かなくてはならない。

       ・・・・・
「まぁ、それも城での生活が始まるまでの話だが……。」


そしてその言葉こそ、ドレディエラの無限を描く繰り返しの日常に終止符を打つ、決定的な言葉であった。
……今のドレディエラには、その言葉の"ほんとうの意味"など理解できるはずもない。それもそのはず。

                    ・・・・・・・
目の前で口角をつり上げるこの義母でさえ、そんな結末など想定していないのだから。

「ドレディエラ。明日は私も、おまえの姉達も一日中おらぬ。屋敷の掃除でもして寝ていろ。」

ただ―――その一言、いや二言だけはドレディエラに違和感を生じさせるにまで至った。
姉二人が揃って一日中居ないことはこれまでになかった日常であったし、日々身を粉にして働いてきたドレディエラに対し
『寝ていろ』という命令は、彼女にとってあまりにも荒唐無稽な話であったからだ。

疑問こそ生じたものの召使が質問する権利はない。…しかし答えはじきに分かる。時が来たからだ。
とはいえ今のドレディエラはどうすればいいか分からぬまま、次の日の朝を迎えたのである―――。



ドレディエラにとっていつもの一日になる予定だったその日。しかし"異常"の来訪はあまりにも早かった。







     箱庭で灰をかぶる姫君《シンデレラ・レディ》へ


 この手紙は、あなたが外の世界へ飛び立つための切符にございます。


もしあなたが運命を掴み取る意思をお持ちであるのならば、同封の『城への招待状』を空にかざしくださるように―――





とても短く纏められたその手紙は、そこそこ広い家のとある客室の窓に紛れ込むようにして挟まれていた。
いつもとは随分勝手が違い、朝早くめかし込んで出かけていった義姉や義母の朝食を作る手間が省けたので
早めに家の掃除にとりかかったドレディエラであったが、思わぬ場所で謎の手紙を拾いどうすればいいのかわからず、
手にしたものを調べていくうちに、差出人の名前を見かけた瞬間頭の中が真っ白になって、いつの間にか封を開いていた。


封書の差出人は、キリエハナ―――信じられないことだが、そこにはドレディエラの実の母の名前が記されていた。


その五文字を網膜に焼き付けた瞬間、ドレディエラはまるでとり憑かれたかのように震えた手で便箋を取り出し
縋るようにして内容を一文字一文字凝視し始めた。しかし彼女が期待を膨らませたものとは随分違い、中身は随分と淡白で
どこか他人行儀だった。ちぐはぐな外見と中身。それはとても怪しくクロいシロモノとして結論をおくのが普通だろう。

「お母様…!」

だがしかし―――現状の彼女が普通であるなど笑止千万!普通じゃないからこそドレディエラ。
泥人形のようなただの召使は母を求めた。光が差し込むその方へ。
窓を開け破る、身を投げ出す、庭先に転がる!草と土に塗れても振り払おうともせず、駆け出す―――
足が縺れる、転びかける、それでも走る!翔ぶが如く投げ出したその身は庭の真ん中で、止まる。
空を仰ぐ。そして……母の幻影を光に晒した。ドレディエラにとってこの上ない、夢のような魔法を今―――

          ・・・・・
「―――残念だけど、そんな魔法は存在しない。」


…わかってはいるものの、目が覚めてみるととても儚い気分になる。いつもいいところで話は終わる。
だから夢は夢なのかもしれない。そんな風に白昼夢の終わりを導く"誰か"の一声でドレディエラは現実に戻った。

「死者は目覚めない。邂逅も果たせない。そんな事はみんな知っている。でもどうしてか縋ってしまうんだね。
"ボク"の知り合いにも研究してた人はたくさんいたけど、みんなあまりいい結末を迎えてはいない様なんだ。」

翳した手は力なく、次第に重力に従った。何もかもがわからなくなったまま、ドレディエラはゆっくり振り返る。
その声は、背後から聞こえてきたから。"見上げた先"に声の主は漂っていた。

「お母様ですか…?」

                  ・・
力を失った声でドレディエラは尋ねた。家族以外ではほとんどしない会話の相手はかぶりを振った。

             ・・・・・・・・・・・・
「ちがうよ。キミのお母様はこんなふうに空を飛ばないし自分のことを"ボク"とは言わない。
何よりこんな深い紫色のローブなんて絶対に似合わない。それはキミがよく知っていることだろう?」

勿論そんなこと、訊かれるまでもない。ドレディエラはとっくに理解に及んでいた。でも夢から醒めたばかり。
寝起きのように白い靄がかかった頭は思考が働かないし、目の前の相手が何を言っているのかさえよくわからない。
ただはっきりと、質問を否定されて改めて母親がそばにいないという事実、それだけは理解していた。
「じゃぁ誰…?」と、まるで意思もなく自動的に漏れ出たような次の質問に、飛ぶ者はこう答えた。

「ボクは魔法使い。でも昔はよく"魔術師"とか"研究者"とか"先生"とかいろいろ言われていたけど、キミから見れば
そうだね…あまりいい印象はないんだけど"魔女"が相応しいのかもしれないね。」

魔女―――そう答えた"彼女"の声は、まだ思春期を迎えていない少年のような純粋さがあったようで、女性のような豊かな
包容力を感じ取れそうな気もした。どこまでも中性的でミステリアスな雰囲気から性別は判別しづらいのだが、自分の事を
"魔女"と称するあたりで女性なのだろう。ドレディエラも後にそう認識を始めることになる。

「ボクはキミを誑かした悪い悪い"魔女"に違いはない。亡き母の幻影にすがりながら、母との思い出の日々を偲ぶ中で、
それらを忘れないよう半ば無意識的に、必要以上の情報は日常から排除しようとするキミの世界に入り込む"異物"さ。」

そんな自嘲的な言葉をなんら悪びれる様子もなく淡々と語る魔女。冷静に分析すればドレディエラにも
『彼女は知りすぎている』ことくらいわかったはずであろう。

「母が! ……母が、手紙をくださったのです。」

だが未だに霞を掴みとろうとするドレディエラ。ああ、これはついに効果が強すぎたなと悟った魔女は、ついに種明かしと
いう名の"気付け"を施す。

「その手紙を書いたのはボクだよ。」

                      ・・
瞳孔が開く。鼓動が跳ねる。嘘だと、その魔女はまた唆そうとしていると、ドレディエラの中の誰かが囁いた。
だが―――その支配力は最早力など持つ道理がなかった。あるはずのない霧は払われた。視界が良好になる。

「だったらぁ!何故ッ!?」

天を突き破るその嘆きこそ、不幸の雨に晒されてできた湖底の溜まり。抑圧され続けてきた彼女の本音!

     ・・・
「何故私にいない母を会わせようとしたのですかッ!こんなの!こんなの…ひどいです…こんなの゛ぉ…ぉ…っ。」

顔を覆い、地に蹲るドレディエラ。直後―――二滴三適……そして、決壊。まるで彼女の涙に呼応するかのように、
いつの間にかたちこめていた暗雲から放たれた雨が辺り一面に降り注いだ。つい先ほどまで雲ひとつない快晴だったはず
なのに、まさに今―――空が哭いていた。

(これこそ魔法じゃないか…。それ以外に何と形容できるものか!)

涙を流し、それを洗い流すかのような天からの洗礼を全身に浴びるドレディエラを神妙な表情で眺める魔女は、不意に
そんならしくもない事を思ってしまった。まるでそれは奇跡の顕現―――陳腐な言葉だが成程、確かに存在したんだと。
だがそんな娘であるからこそ―――まぁ"これ"は完全に予想外であったものの―――彼女は背中を押したくなったのだ。




「…ねぇドレディエラ。キミは憶えているはずなんだ。よく思い出してごらん?」

しばらく泣き崩れていたドレディエラを眺めていただけの魔女が、そろそろだと言わんばかりに口を開いた。
嗚咽ばかりが突き出るその小さな口からは声を形にすることすら困難だろうが、ドレディエラはその言葉に応じるように
岩戸の扉を開くように、隠していた顔をゆっくりと上げた。再び魔女と瞳を合わせて―――

「約束したんだろう?あの人が連れていってくれる筈だったんだ。見えるだろう?あの遠く遠く聳える高台のお城が。」

悲しみに明け暮れていたドレディエラは、その言葉を聞き入れるうちに、別の何かがこみ上げてくる感覚を味わった。
そう。これは親がくれた子供へのプレゼント箱。その大切に保管していた箱を開ける時が来たのだ。

                  ・・・・・・・・・
「思い出せドレディエラ!キミをお城に連れていってくれる約束とは、誰と交わしたものなのか!」

光が、溢れて―――フラッシュバック。



『…ぁさまー!おかぁさまー!きてーおかぁさまー!』

―――ああ、わかる。"私"にははっきりと識別できる。これはセピア色の風景。今いる場所とは少し違う。
でも見えているのは同じ風景。"この日"私は朝が早いにも関わらず、まだ眠りの中であった"母親"を起こして
庭先ではしゃいでいたのでした。早起きは何をするにもひとりで、退屈で、かといってまた眠るという概念は私にはなく、
たまたま起きた早い朝は、こういった事をすることで、時間を埋めようと必死だったのでしょう。

『あまり遠くに行ってはなりませんよ"レディ"。まだ霧も晴れていないのですから。』

傍にお母様がやってきては、その様なことを私に言って注意を促す。レディと呼ばれていた頃の私は、母の細やかな
注意も聞かないような"やんちゃ"であった…と思います。そんな私がこんなとき母を呼び出す理由はいつだって、自分の
好奇心を満たさなくては満足できない子供であるが故のもの。

『ほらーみて…あっ、見てくださいお母様あれ!』
『ふふ…今はいいのよ"おすましさん"じゃなくて。"かわいこちゃん"のレディを見せてね?』
『うっ、うん!わかった!』

"おすましさん"とは礼儀正しくすること、"かわいこちゃん"とは気質通りの私のことをそれぞれ指していて、
私は時折うまくこのふたつの言葉遣いや仕草を使い分けるよう母に言われていました。
でもよく考えてみれば今は"おすましさん"は要らない状況で、それすら失念するに至る事態となっていて…。

『あそこ、木がいっぱいたってるのに、ちょっとだけちがうの。ちがう木がたってる!』

それは新しい発見で、驚嘆に値する私は右も左もなく、まずは母に教えを請うのが慣わしなのです。
説明する力も未熟な幼い私は、指で場所を示したり、身振り手振りを交えて一生懸命伝達を試みる。でも辺りは
朝靄がたちこめており、よく目を凝らさないと"それ"はまるで幻のように現れたり消えたりして捉えることは困難だろう。
それでも母はいつも、私の話を最初から最後まで聞いてくれる。この時も勿論例外ではありませんでした。

『よく言えたわねレディ。あれは"お城"』
『おしろー?』
『そう、お城。』
『おしろー!おしろ、おしろー!おもしろーい!』

新しい宝物を見つけたような感覚が、私の感覚を刺激します。またひとつ母から新しい世界を与えられた気分になって。
そしてひとしきり喜びを表現した私が、次に口にすることといえば決まって、こう。

『…おしろってなに?』

それは遅れて襲ってきた不安を象徴する疑問。見たこともないものを発見したかと思ったら得体の知れないものだった、
といった流れでしょう。でも私には母がいたから、そんな不明物体でも恐れることなく知る欲求を貪ることができました。

『お城は…お家なのよ。』
『えっ!?おうちなの?』
『そう。この国のとっても偉い人達が住んでいたり、働いたりしてるお家なのよ。』
『そっかー!おうちだったらこわくないよ!』

そんな私の回路をよく理解していた母は、既に私が知っている言葉で意味を補完してくれた。『城』が『家』とリンク
することによって、私の『城』という認識はしっかりと植えつけられ、枝葉を伸ばすように世界が広がってゆきます。

『おかぁさまはおしろにすめないの?えらいひとなのに。』

"偉いひと"というのは、私の中では母が基準となっていました。こんなに素敵な世界を教えてくれる母はまるで神のような
存在であったため、母=偉い人の等式が結ばれていました。ここでのえらいひととはそういう意味合いで…。
疑問の解消は新たなる疑問を呼びます。止めどころのない私の質問の嵐でも、母はうまく制御を利かせます。

『……そうね、私よりももっともっと偉いひとがいて、そういう人達のためにお城はあるのよ。』
『えええ!?すっごい!そうなんだ。』
『そう、すごいのよ。』
『いきたい!おしろいきたい!』

母よりも偉いひとなんて、一体どんなひとなんだろう!そんな強い好奇心は遠くに見える小さな木々の開けた場所に
思いを馳せさせます。"うみ"を知れば海に連れていってもらえた。"まち"を知ればおうちの外で母と手をつないで
買い物に出かけた。そして今度はお城に連れていってくれるんだろう、そう思っていました。

『……いい?レディ。お城には"おすましさん"がうまくできないと行けないの。』

―――そう、思っていました…。

『え……レディはダメですか…?』
『ううん違うわ。ただ、もっと"おすましさん"をお勉強して、体も大きくなったら行ってもいいのよ?』
『やだー!いまいきたいです!』
『うふふ。今はダメよレディ。今行ったら……"迷子"になっちゃうわよ?』
『!? やーだー!まいごやだー!』

じたばたと小さな身体で小刻みに跳ねては叫びます。お城に行きたいけど、迷子はもっと嫌だ。ひとりは怖いから。
そんな葛藤の末に爆発させた私の不満も、やっぱり母が宥めてくれました。

『レディ。それじゃ約束ね。』
『…やくそく?』
『そう、約束。レディがちゃんと"おすましさん"できるようになったら、お母さんがお城に連れていってあげる。
今は迷子になっちゃうから、迷子にならないようになれたら、行こうね。』

そうです。
この時、私をお城に連れて行ってくれるよう約束したのは『母』でした。


『…うんっ!わかった。やくそく!』



そうして今もなお、約束は果たされていません。
      ・・
だって、私は迷子になってしまったから―――。





「……連れて行ってくれるんですか。」

セピアから抜けた、彼女の第一声。

「お母様は、私をお城に連れていってくれるんですか!?」

                                        ・
泣きそうな顔で、魔女を睨む。勿論目の前の魔女は母ではない。ドレディエラは、もっと先を視ている。
魔女は微笑む。その肩書のような邪悪さなど、微塵も感じられない、笑顔。手振りで答える。"右手を見ろ"のサイン。

「私は…もうっ……迷子じゃな゛いんですか…ッ!?」

右手に握られていた『母からの手紙』は、もう止んだにわか雨に晒されてすっかりグシャグシャになってしまっていたが、
『お城の招待状』だけは雨露の被害を最小限に抑えたようで、文字まで流されることはなかったようだ。
それに目を落としたドレディエラは、再び別の涙をぽろぽろと零す。"霧の迷路"に迷い込んだ迷子は、生還を果たしたのだ。


「キミは今夜、城で行われる舞踏会に参加する権利を得た。答えを聞こうじゃないか、ドレディエラ。」




         母 の 手 を 取 っ て 城 に 行 き ま す か ?




「はい…ッ!行ぎますッ!」


涙と鼻水と通り雨と…。グシャグシャになった顔をゴシゴシ腕でニ、三擦った後、ドレディエラははっきりと答えた。









                                               『ドレディエラ』前編・終








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【あとがき】


後編もあるので後記的なものはそちらに回すとして、書いている途中で不意に思った一言だけ記しておきます。

萌えもんってなんだったっけ?
ツールボックス

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