コダックの忘れ者
「ザバザバー」
河を泳ぐ黄色い物体。
「お~い、コダック~」
そしてそれに呼びかける男性。手には袋を持っている。
「ザバザバー」
「聞こえないのか? お~いってば~!」
「ザバザバー」
「ホントに聞こえてないみたいだな……仕方ない」
少年は徐に袋の中から魚を出し、それを振り始める。
「そ~れそ~れ、匂いよ風に乗れ~」
「ザバザ…? ザバザバザバザバー」
そうすると、今まで滅茶苦茶な方向に泳いでいたコダックが、少年のいる岸の方向へ向かってきた。
「おお、来た来た。魚の匂いが分かるなら、声で反応できるような気がするけどなぁ」
「ザバザバー。とうちゃ~く。よいしょっと」
岸に上がったコダックは少年の顔を見て、不思議そうな顔をする。
「……? きみ、だれ?」
今まで何回も会っているのだが、いつもこの反応なのだ。
だが、彼は何も言わずに魚が入った袋を渡す。
「おお、そうだ。きみは……さかなのひとだ。おひさしぶりです、どうもありがとう」
「昨日も一昨日も会ったんだけどねぇ」
「うん、だいじょうぶ。それはおぼえてる」
本当は、何度も名前も名乗っているのが、会う度にこの反応なのだから、もう諦めた。
だけどそれも、目の前で可愛く魚を頬張る姿を見ると……何となく許せてしまう。
やがてその可愛らしい行為も止まる。
「ふう、もうおなかいっぱい」
「そう、それじゃあ残りはここに置いておくから、夜に食べるといい。」
「よるまで、おぼえてるかなぁ」
「それまで、僕が一緒にいるから大丈夫だよ。時間になったら教えてあげる」
二人は昨日も同じ会話をしたのだが。……全く同じ時間に。
「おお、それはたすかる。おれいに、およぎをおしえてあげる」
「いいって。君に教わると、泳いでる間ずっとザバザバ言わなきゃいけなくなりそうだ」
「……わたし、そんなこと、いってるかなぁ?」
「言ってる」
納得がいかなさそうに頭を捻るコダック。
「……まぁ、それはいいや。でもだいじょうぶ、およぎをおしえるのは、とくい。」
そう言って男の手を取るコダック。そのまま河の方へ向かう。
「だから僕は無理なんだって。心臓が悪くて、お医者様にも止められてるんだ」
その言葉に反応して動きを止めるコダック。そのまま彼の方を向いて
「……そうだっけ?」
やっぱり憶えてなかったらしい。
「そうだよ。本当にキミは忘れっぽいなぁ、前にも言ったろ?」
普通のコダックが記憶を失うのは、能力を使った時ぐらい。
だけどこのコダックは、他の者より遥かに忘れっぽく。憶えているのはせいぜい三日前位の事だった。
「むぅ、でもきっと、うまれたときからこうなんだ。しかたない」
「そう、僕も生まれたときからこうなんだよ」
「そうか、それならしかたない」
考え事でもしているのであろう。コダックは彼の周りをペタペタと歩き周る。
「よし、およぐのはやめよう。きょうはおはなしをしよう」
「あれ、いいのかい?」
少年は彼女は泳ぐ事が大好きなのを知っていた。
「わたしのきおくが、たしかならばぁ、きのうはおよいだ。きみはみてた。だからきょうは、おはなししよう」
「…………うん、ありがとう」
なにが"だから"なのかよく分からなかったけれど、純粋に彼女と話できる事が嬉しかったので、すぐに彼は快諾した。
「それじゃあ僕は、君の事が知りたいな」
「むっ、わたしがはなすのか?」
「憶えてる範囲でいいから、教えてよ、君の事」
「むむむ、そうだな。……わたしはさかながすき」
「うん」
「あとは……きみのこともすき」
「……ありがとう」
だったら名前ぐらい憶えてほしいと思ったが、口には出さないでおく。
「う~ん、あとは……」
川の流れのように、緩やかに、時間は過ぎていく。
実は、こうして話すのも初めてではなかった。
だけど彼は、彼女と一緒にいられれば、幸せだったから。
だからこういった事を、何度も繰り返した。
毎日、毎日、同じ時間に、彼女の元へ足を運びながら。
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ある日、僕は彼女にある事を告げた。
「明日からしばらく、これそうないんだ」
僕の膝の上で魚を食べていたコダックは、思いがけない言葉に魚を取り落とす。
「そ、そうなの、ざんねんだな。じつに、……うん、じつに、ざんねんだな」
彼女を後ろから抱きしめながら、そのまま話を続ける。
「手術を、しようと思ってね」
「……しゅじゅつ?」
「え~と、つまり……治療だよ。僕の心臓の」
「そうなのか……それなら、しかたないな。しっかりなおしてくるといい」
「ありがとう。…………それにね、この手術が成功したら、君と一緒に泳ぐ事もできるようになるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の方を勢いよく振り返るコダック。
「なに? それはほんとうなのか?」
「うん、だからちゃんと待っててね」
「うん、それなら、まっている。……ふふふ、たのしみだなぁ、はやくおよぎたいなぁ」
本当は、分かっていた。
三日も会わなければ、彼女が僕の事を憶えていないであろう事は。
でも、それでもやっぱり、"もしかしたら"という希望を持っていたかったし、
それになにより
「もし、わたしがきみのこと、わすれていたら、ちゃんとおもいださせてね。」
「……どうやって?」
「う~ん、さかなをみせるとか、いままではなしたことをはなすとか、なにかおもいでをいうとか」
「そんなんで思い出すかなぁ」
「むぅ、でも、がんばるよ。きみのことは、おもいだしてみせるさ」
―――――彼女が、こんな事言うもんだから。
「そっか、じゃあ、忘れてたら僕が頑張って思い出させるから、君は頑張って忘れないようにしてね。」
「うん、がんばるよ」
「それじゃあ僕はこれで」
「うん、ふたりでおよぐの、たのしみにしてるから。しゅじゅつ、がんばってね」
「……ありがとう。それじゃあ、またね」
「うん、またね」
結局、僕が頑張って、思い出させる事になるんだろうなぁ。……思い出すかなぁ。
まず、どうやって思い出させるか、それを考えないとなぁ。
そんな事を考えながら帰路に着く。
手術への不安なんて物は、チラリとも出てこなかった。
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それから数日後。
比較的大きな河の岸辺にて、足をブラブラさせている黄色い物体。……コダックである。
「まだかなー、おそいなー、……まだかなー」
そして河から出てくる貝。
「ねぇねぇコダックちゃん」
「……きみ、だれ?」
「シェルダーだよ、いい加減憶えてよ!」
「ううむ、みたことあるような、ないような」
表面上怒ってはいるが、彼女はいつもこうなので、別に気にしていない。
「まぁ、いいや。そんな事より、この間から何を待ってるの?」
「……わからない」
「…………へ?」
「なにをまってるのか、わすれちゃった」
「……分からないのに、待ってるの?」
「うん、わたしは、まってなきゃ、いけない……ようなきがする」
「曖昧ねぇ。そんなに楽しそうなのに」
「べつに、たのしくは、ない。たのしみなんだ…………なにがかは、わすれちゃったけど」
「ふーん」
しばしの沈黙が、場を支配する。
まぁその間もコダックは、足をぶらつかせながら「まだかなー」と唸っているのだが。
「私、向こうで遊ぶけど、コダックちゃんもこない?」
「いい、わたしがここにいないと、きっとこまる」
「……誰が?」
「…………わかんない」
「そっ、まぁいいわ、それじゃあね」
何となく、その返事が予想できていたシェルダーは、それだけ言って、また河の中に潜って行った。
「まだかなー、はやくおよぎたいなー、まだかなー」
泳ぎたいなら泳げばいいのに、と心の中で思ったが、そうする気は無かった。
コダックには、その理由は分からないが。
彼女は毎日こうしていた。
毎日毎日、よくわからない誰かを待っていた。
だが、ずっとぼーっと、しているわけにもいかない。
「ああ、おなかすいたなぁ、なにかたべようかなぁ、さかなでも………さかな?」
急にその場で立ち上がり頭を抱え始めるコダック。
「う~ん。なにかおもいだせそうな……う~ん、わからない」
しばらく考えたが、やはり何も思い浮かばなかったらしい。
「でも、ごはんはもうちょっとだけ、まとう。たしか…………もうちょっと、あとだった」
何の事かは、忘れちゃったけど。
心の中でそう呟いて、また足をぶらつかせる。
「まだかなー、…………はやくあいたいなぁ」
一人の少年が、いつもの時間に
おいしそうな魚を、いつもより沢山持って
いつもの場所に到着するまで
あと、30分
最終更新:2007年12月20日 23:53