「そういえば、どうしてニビシティに行こうなんて思い立ったんですか?」
「……ん」
羽は休めずに顔だけを主に向けてモルフォンがそう尋ねると、彼は少しだけ首を捻って、すぐに両の手のひらを返した。
「そこまで強い理由があったわけじゃないな。せいぜいニビの博物館にちょっと興味があるくらいで」
「……考古学系博物館……」
「そうだな。まぁ、旅なんてそんなものだろう? 帰りは海を渡れる事だし、ついでにグレン側を渡って一周……だな」
いつになるやら、と彼は上を見上げながら呟く。
その様子に、左隣を歩いていたパルシェンから疲労からとも、半ば感じる呆れからとも取れる息が吐き出された。
「……やれやれ、何故そこでジムバッジの一つや二つ奪ってやるのが目標だと言えないものか。
主が無欲だとは思わないが、あまりに冷めすぎじゃないか?」
それは叱咤などとはまた違った意味合いを持つ言葉で、どちらかといえば分かっていながら言わずにはいられない愚痴に近かった。
「俺だって、あまり勝ち目のない戦いはしたくない。一応有名な公開戦は結構見てるんだぞ?」
もえもんを戦わせる事に意義を見出すトレーナーの最終地点ともいえるのが、ジムリーダーとその先である四天王。
ジムリーダーは四天王に挑むために必要なジムバッジを持つ、強さを測る指針としても存在しながら、その街の強力な権力者としての働きもある。
もっぱら治安維持がおおよその仕事であるが、各街のジムリーダーによってかなり性質が異なる傾向にある。
もえもんバトル、それも高レベルが望める試合となれば当然のように報道機関からは引っ張りだこで、一部の挑戦者との戦いは全国に放映される事もある。
当然のように彼も、その視聴者の一人だった。
瞼に焼きついた何百枚もの絵が、彼の中で神格化されているかのように、燦然と光り輝いている。
それは、あまりにもまだ遠く。
「そんな事は解っているさ」
解っていてもパルシェンはあまり機嫌がよろしくないようで、無愛想な面をさらに硬くする。
「だがな、主。主は自分で限界点を狭めすぎる」
「……もっと横暴になーれ……」
「まぁ、確かに言うべきじゃありませんよねー。力を正確に把握できることとは、また別問題ですよ?
今すぐの決断はともかく、未来の展望の枠をわざわざ狭くしなくてもいいんじゃないですかね?」
棘のある言葉で刺してきたパルシェンに続いて、後ろから右から、ステレオを超える勢いで彼の耳を打つ。
珍しく三人で一致した意見が飛び出すと、彼女達の主も、深刻そうに首を捻った。
「そうだな、悪い。みんなきっちりやってるんだものな、これからどうなるかなんて分からないな」
ほんの少しだけつきものが取れたように彼がそう呟くと、空気が少しだけ柔らかくなった気がした。
モルフォンがぱたぱたと、いつものように笑いかける。
「まあ、才能限界って話もありますけどねー」
「それならお前は物陰で泣いていることだな、毒蛾」
「嫌ですよー、ただの話じゃないですか? パルシェンさんは本当に突っ掛かり方が辛辣ですねぇ」
「……信じるべきは自分で十分……フェイスフェイス……」
「おや、マスターはいいんですか?」
「……御主人様は私の一部なの……貴方を殺して私も死ぬ」
「それは勘弁してくれ」
「……いけず」
「おい、主。どうやら出れそうな場所にきたぞ。向こう側に繋がっているか知らんが」
くいくいと触手で腰を引っ張るドククラゲを彼が触手を丁寧に一本ずつ払っていると、パルシェンが指を指して洞窟の表を指差した。
お月見山はおおよそ人間が通るための通路は整理されているものの、未だに手付かずの区域が多い。
それが一部の研究者や、お宝目当てのトレーナー、或いはウォッチャーの来る理由なのだが。
ともあれ道を外れて表層近くを歩いていれば、本来とは遠回りになってもある程度は何とかなってしまう事も多いのである。
パルシェンが指差したのは、丁度雨によって岩盤の薄い部分が割れた、天然の出入り口だった。
「……まぶし……」
三人が外へ出ると、引っ張られて外に飛び出したドククラゲがカートの中へと引っ込んだ。
「何か、長いこと外に出てなかった気がするから不思議だな」
彼は右手でひさしを作って、辺りの様子を眺めながらそう呟く。
丁度横に五人並んで歩けそうなくらいのスペースの道が、僅かな傾斜を描いて視界のない場所へと続いていっている。
両側は見上げなければならないほどの傾斜が灰色の岩壁で作られており、とてもではないが普通には登れそうもない。
モルフォンは基本的には昆虫だ、羽はあっても翼はない。
自重を支えるには十分であっても、他人を持ってまで飛べるほどの力は持ち合わせていないのだった。
「とりあえず道はあるみたいだから、いけるところまで――」
ちょん、ちょんと。
思考に陥る彼の右腕を、優しくつつくものがあった。
どうした? と右側に振り向くと、今度はつんつんと頬を突っつかれる。
「うわ、マスターのほっぺって結構やらかいですねー」
「……テイクアウト可能……?」
「さすがに威厳がアレだから止めてくれ。ドククラゲもそんなに触手伸ばすな、せめて一本に」
「おい、毒蛾」
ぴしゃりと、パルシェンがしめる。
一人だけ真剣に前を見つめたまま、腕組みして、その冷たい視線を前から決して外さない。
「はいはい、分かってますって」
釘を刺されると、モルフォンはくすくすと笑って指を止め、代わりに肩に寄り添ってくいっと前を向かせた。
「マスター、おでましみたいです」
何が、という疑問はすぐに解消された。
三人(一人は無視して人の頬をいじっている)の見つめる先、緩やかにカーブして傾斜に隠れた向こう側。
そこから一人、また一人と、トレーナーが姿を現してくる。
その服装はそれぞれ統一感が無いが、もえもんを誰もが傍らに連れており、しきりに石壁で仕切られた傾斜に目をやっては、移動していた。
見える範囲ですでに5人。
「……もしかして、そういう事か」
「多分、そうじゃないですかねぇ」
人は見かけによらない。
そうは言うものの、目の前にいる彼らの全員が全員、どう見ても怪しい機器を持って、奇怪な行動を取っているのは確かだった。
研究者には見えず、研究熱心な青年達にしては年齢層が妙にばらばらすぎる。
このグループが何なのか、少なくともその答えをあまり望ましくない体験と共に可能性を提示された彼らとしては、そう考えるのも不思議ではなかった。
「一つだけ言えることがある」
――何でこんなところに?
そう思った彼の疑問が口を突いて出る前に、パルシェンが一つの答えを口にした。
「あの電波の情報をまともに信じた時点で、私達が間抜けだったということだ」
何気にひでえ言い草であったが、誰一人として否定するものは出てこなかった。
そして既に取り返しがつかず、見える範囲で7人にまで増えた集団は、当然道の反対側にまで立つ彼らに気付くことになる。
その集団が、それぞれのもえもんを伴って近づいてくる。
「サイホーン、パラセクト、ゴルバット、エトセトラエトセトラ……どうします、マスター?」
相手が連れたもえもんを指で数えながら笑って彼女の主に尋ねると、主はふう、と息をついて肩に力を入れた。
荒事の気配を何となく察知したのか、ドククラゲもいじるのを止めて大人しく触手でしがみついたままカートに入っている。
「別に見つかったからって、戦わなきゃいけないわけじゃない。そのくらいの分別はあるだろう。……あまりじろじろ見るなよ」
釘を刺してから、彼は彼が出来る限りの堂々とした姿で彼らの方へと近づいていった。
後ろに触手つきでカートがついてきている状態では堂々としていても余計変に見えるかもしれないが、或いはそれも牽制になったかもしれない。
集団は近づく事をやめ、出来るだけ道幅いっぱいに広がるようにして、四人の通る道を塞ぐ。
「……」
パルシェンとモルフォンが彼らの少し手前で一時停止すると、彼は腰に巻きついていた半透明の触手に手をかける。
ぽんぽん、と叩くと意図を理解したのか、するすると触手はカートの中へ回収されて、ひょっこりとドククラゲが顔を出した。
そうして完全な自由の身になった彼は、ずいと二人の前へ出て、手をあげて声をかける。
一番前にいる、山道にしては軽装の青年に。
「よう」
「……よう」
意思を推し量ろうとするような目、目、目。
すでに近づいたことで、視界に入っている人数は11人、もえもんを足すと面倒な数になるところまで増えている。
極力平静を保つようにして、三人のもえもんを持つその主は話しかけた。
「この先は、道が繋がってたのか?」
「……ああ、繋がってるぜ。ちょうど正規の道の横穴にな。……あんたらは、どうしてこんなところに? ここは普通の道じゃないだろう?」
「観光だからな。あちこち回ってきたんだが、どうやら元の道に戻る手間が省けそうで良かった」
何を目的にしているのか、何をするつもりなのかを探り当てようとしている。
この場を切り抜けるのは平然とシラを切るのが最も得策であって、答えに迷えば疑われることは間違いなく、彼は頭の中で文法を間違えないようにするので必死だった。
辺りを見回す余裕はない。
「そうか」
青年はそう言って、一度彼とその他のもえもんを見渡した。
一瞬ドククラゲのところでぴくりと止まったものの、彼は右手をひらひらさせて後ろに合図を送ると、
「それなら、早いところ帰んな。でないと怪我するぜ」
「ああ、そうする」
そう言った。
誰がとは言わないし、誰のせいでとも言わない、お互いその言葉が持つ意味をよく分かっているから。
道を塞いでいた彼らともえもんがさっと両隣の斜面によって中央に道を作り上げた。
同時にそれは包囲網でもあるという事だったが、彼らにその道を通らないで済ます方法はない。
後ろを向くと、彼の相棒達に声をかける。
「モルフォン、ドククラゲを頼む」
「はーい」
「……優しくして……」
ドククラゲが伸ばした数本の触手を手に持つと、真っ先に彼の後をついて歩いていったパルシェンを、モルフォンが追う。
11人、そして同程度のもえもんの視線の中を、やはり表面上は平静としながら彼は歩き、その後ろを三人が付き従う。
「…うわ、いいもえもん連れてるじゃないか」
後方から声が聞こえても、彼は無視する。
粘つくような声が、何となく耳に引っかかってはいたが、そういった輩がいるのも不思議ではなかったから。
だから、無視した。
無視してしまった。
「……おい、ちょっとぉ」
それは大した言葉ではなかった。
なかったが、決定的な言葉だった。
前者の言葉が『周りを取り囲んでいた状態』で吐く言葉なら、今度のものは、それはつまり。
まさか、と目を見開いて彼が振り向くと、
「……三度だ」
後ろであーらぁ、といった感じで見ているモルフォン。
斜面によけていたはずが、いつの間にか中央を歩くパルシェンの隣にくっついて手を伸ばしている、男。
そして――
「二度も私が拒否したのにわざわざ触ってきたな。……この下衆!」
表情を見ないでも分かる怒り心頭のパルシェンが凍りつくような声で叫ぶと、その腕を伸ばして――七色の光が、閃いた。
「ぐげぇっ……!」
吹っ飛んだ。
首元に霜を残して、戦闘時より遥かに微弱であろう七色の閃光は、しかし十分な威力で男を灰色の斜面に叩きつける。
吹っ飛ばした瞬間、時間が制止したように誰も動かなくなった。
「モルフォン!」
「はいはーい、合点承知」
――中央にいた彼ら以外は。
もえもんの正規のバトルならともかく、遭遇戦であれば先手を取れるかどうかに大きく左右される。
あまりの予想外に一瞬ざわついた中で、モルフォンはあくまで冷静に、彼の言い残した事を自分で補完する。
ぴんと感覚を研ぎ澄ませて彼女の思念が送り込まれる先は水滴のようにとがらせた一点。
次の瞬間には敵方に飛んでいたゴルバットが哀れなことに墜落して、飛行者がいなくなる。
しかし、そこで彼らだけの時間は終わり。
「てめぇ!」
「行きますッ!」
敵の大多数が動く。
パラセクトが蠢く、サイホーンが中央に置いてあったカートをバケツか何かのように吹っ飛ばして突進してくる。
「通すかッ!」
それを前に飛び出したパルシェンが右肩から阻止し、体重を入れて踏ん張る!
凄まじい速度の質量激突からでもなお、パルシェンは傾がない。
「ちっ……、ッ!」
ならばと体勢を入れ替えようとする相手の横合いから、もろにバブル光線が炸裂して崩れ落ちる。
「……敵軍バリアー……?」
いつの間にか素早く脱出していたドククラゲが、近くにいたゴローンを絡め取った挙句、斜面を背中にして盾に取りながら撃った一撃だった。
「解ったからさっさと来い!」
「おk」
げしっと、パルシェンは崩れ落ちるサイホーンに特に意味もなく蹴りを入れてから叱咤する。
しかし、彼女達の背後からは次々と命令が飛んでいた。
「きのこのほうし!」
「どくばり」
「ようかいえき!」
「ロックブラストだってばぁ! 言う事聞いてよぉ!」
が、退避するパルシェンとドククラゲに入れ替わるように、モルフォンが前に出る。
「かぜおこし!」
「はーいっ!」
ふぁさりと着地して、自重を支えるためのその羽を振り動かすと、瞬く間に風の奔流が生まれた。
それは鳥ポケモンが生み出すものよりは遥かに規模の小さいものだが、それで十分。
どくばりを吹き散らし、ようかいえきを飲み込んで、きのこのほうしが混ざった最悪な『風』が相手に帰る。
「何とかしろーーッ!」
たちまち相手陣が大混乱に陥り、トレーナーの一部はその場で眠りこけたり気絶したりする者も現れた。
「……思った通り、取る行動がてんでんばらばらだな」
「無駄に人数が多いのも、考え物ですねー」
羽を羽ばたかせて、姿勢はそのままに後退してきながらモルフォンは混乱する相手方を見つめていた。
そして、今しがた駆けてきたパルシェンに目を向ける。
「……それにしても、結局荒事になっちゃったじゃないですか。パルシェンさん、どうしてくれるんです?」
「知るか、あれを許してやる理由などない。お前こそ、黙っていられるのか?」
「無理に決まってるじゃないですか」
にっこりといい笑顔で返すモルフォンに、やれやれとパルシェンは視線を外す。
混乱が晴れて、トレーナーの3分の1ほどは既に脱落していたが、残りは未だに健在だった。
その上、後ろに控えていた男達はほとんどが新しいもえもんを出し終わっていた。
「あー、こっちが主力っぽいですね。サイドン、ライチュウ、エトセトラエトセトラ……どうします?」
ほとんどが最終進化系のもえもんが六匹、さらに既に出ていたもえもんはまだいる。
先手は取ったものの削れた戦力はそこまでで、数の不利を覆せるほどの実力差がない事は明白だった。
「……三十六計……その昔偉い聖騎士も取ったと言われる方法を……」
「そうだな、逃げよう」
あっさりと、彼はそれを口にした。
どちらにしろ彼らの目的はこの場を通り抜けることで、この時点で相手集団を抜けている以上、後は背後に逃げればそれで済むのである。
「……私の箱が……ああ、お別れなのね……」
「悪いなドククラゲ、とりあえずおんぶで我慢してくれ。……パルシェン」
「解ってる」
まきびし。
退路を確保するために、それを彼女が体からばら撒こうとした――その時。
「恥を知りなさい、あなた達!」
空気を震わせる、やたらと無闇によく通る声。
それが谷間に生まれる道全体に響き渡って、全員の注目を集めた。
彼ら四人の前方、そして彼らと対立する集団の――ちょうど、後方。
「……まさか」
「……ヒーローは遅れて参上するもの……立証されたよ……?」
「この場合はタイミングが悪いと言うんじゃないですかねー、単純に」
彼らのうち大半が出来れば見間違えであるといいなあ、と思っていたその影こそ。
まさにスターミーだった。
「平和を望む弱者をいたぶり、己が支配欲を満たそうとする者達よ! 正義はあなた達を許しませんッ!」
びしいっと指差し、全く声量が落ちないまま宣言を続けていく。
さすがに集団は初見のためかうろたえを隠せず、もえもんに命令するのも思わず忘れてしまっていた。
「お前、何者だッ?!」
「あなた達に名乗る名前などないッ!」
「前と変わっているぞ」
「……きっと視聴者に優しい配慮……一度に二粒美味しいヒーロー……」
「いきますッ! 受けなさい、正義の鉄槌を!」
そう叫ぶと、彼女は再び謎のポージングに入る。
目を瞑って今度は両手を下にしながら交差させ、集中力を高めていく。
その頃にはようやく我を取り戻したのか、集団の人間達は次々と襲い掛かっていた。
まるで昔の自分達のフラッシュバックを見ているようで、彼らにとっては何とも微妙な気分だった事は否定できない。
「……ちょっと待て、ちょっと」
「何ですか?」
「まさかあの電波……私達がいる事が全く見えてないんじゃないか?」
「さすがに見えているんじゃないか。もう一度巻き込むなんて事は……」
「タイダル・ウェイブッ!」
両手を思い切り上に上げながら彼女が叫ぶと、同時に彼女は天高く、飛んだ――否、跳んだ。
太陽光を受けて眩しく煌く影となり、そしてしゅたっと着地する。
何かに。
何かに?
突然辺りの地面から吹き上げた、とんでもない量の水で出来た水壁の頂点に。
そしてその水壁は、当然のように凄まじい速度でこちらへと突っ込んでくるわけで――
「モルフォン、とりあえずお前逃げろ。自分だけなら崖上に飛べるだろう?」
「すいません、お先に失礼させていただきますねー。マスター、どうかお元気で」
「そんな不吉な台詞を言っていかなくてもと思うんだが」
「おいクラゲ、ありったけの腕で主を固定しろ。急げ」
「……拘束……御主人様を触手で拘束したよ……気持ちいい? 昇天する?」
「どう気持ちよくなればいいのか知らないが、任せたぞ」
「任せんしゃい」
「阿呆な事を言ってないで、主もさっさとどこでもいいから掴まれ。離すなよ?」
ぎゅうっと三人で押し競饅頭をするように、彼女達の主を中心として固まる。
押し迫ってくる水壁があっという間に前方の成す術もない集団を全て飲み込み、続けて――彼女達も、飲み込んだ。
狂ったような力の奔流の中で、あらゆるものが成す術も無く押し流されていくのを最後に見ながら。
彼は、その意識を激流に奪われた。
最後に、手放す前のかけらのような意識で、妙な声を聞きながら。
「……はぁ…んっ、あるじっ、貴様っぁあふっ、何処でもいいとはいったが……! あ、くふぅっ……あと10cm、
あと10cmせめてずらせっ……! んくぅうっ……!」
◇ ◇ ◇
「……ん」
ぱちぱちと、瞬き。
意識の覚醒は、いつものようにまどろみから起きるように、深い深い沼から徐々に起き上がるような作業ではなかった。
瞬きをいくつかすると、フラッシュバックするのはいくつもの光景。
凄まじいまでの力の奔流と、飲み込まれる自分と。
気だるいままに視線を投げやると、いつものような朝ではなくて、彼は急いで上半身を起こした。
少し擦っているところはあるが、その体は概ね健康体のままだと言っていい。
「起きたのか、主」
「ああ。……ところで、…ここは?」
そこは天井にある亀裂が太陽の光を呼び込んでいる、大きな空洞の空間だった。
ただいつもと違うのは、そこがもえもんだらけであった事か。
傍から見ていると、まるで頭が痛くなりそうな数の灰色な――イシツブテやゴローンといった種族が、空洞一杯に集まっている。
「天国の順番待ちから思った」
「洒落にならんな、主。ここはいわゆる『巣』の一つだそうだ」
「……どういう事だ?」
「そのままさ。あの後に、ここのもえもんの代表者に連れてこられた。まあ、害意はあるまい」
「そうか。
ところで、さっきから振り返ってくれないのは何でだ? パルシェン」
パルシェンは、その後姿を見せたままいつものように凛とした喋り方をするだけで、振り返ろうともしない。
しかしそう聞くと、彼女はどこかうわずった声で
「知らん」
と答えるのだった。
ドククラゲに至っては、「……役得独り占め……ずるい……」とうわごとのように繰り返していたので、彼はとりあえずの追求を諦めた。
「お目覚めですか、マスター。いい夢は見れました?」
声を掛けられて振り向けば、彼のよく知る顔が、ぱたぱたと相変わらずの姿で羽ばたいている。
「あんまりな。お前は無事に逃げれたんだな」
「おかげさまで。……あ、こちらゴローニャさんですよ。この群れのとりあえずのリーダーだそうで」
「よ。元気みたいで何よりだな」
金髪に、女性特有の体のまるみを残しながらも、その体はがっしりとしているのが解る。
体のあちこちに岩盤のようなものが張り付いた最終進化系は、快活に笑った。
「さて……まあ、奴らを追っ払ってくれた事を感謝するべきか、それともうちらの領域を無駄に荒らした事を注意するべきか、迷うところだが」
「すいません……」
さらに小さくなったスターミーが、ゴローニャの横でちょこんと、所在なさげに立っていた。
どうにも彼女は自制が効かない性格であるようで、天災と思ったほうが幸せになれるのかもしれない――と彼は思う。
――あの時。
本人の掛け声はともかく、打った技は間違いなく『なみのり』であっただろうと彼は思う。
基本的に水系の大技は、明らかに他の属性の技と違って根本的な質量を必要とする。
そのためになみのりやハイドロポンプといった有名な技は、水場が必ず近くにある事を必要とする……はずだ。
それを水場が全くない、こんな山道であれだけの威力をたたき出して見せた。
本人が水を何処かから呼び出したのか、地下水を使ったのかは疑問が残るが、いずれにせよやはり、桁違いの能力だ。
「味方にすれば頼もしい……って人はいますけど、敵でも味方でも恐ろしいって人は珍しいですよねー」
「ま、うちらには幸い被害がなかったし、良しとするさ。まぁ正直助かったよ。あたし一人でこの山の全体を守るのは、ちょっと無理があるしね」
彼女の話によれば、最近とみに現れていた集団は岩盤を崩して自分達の住居に侵入しようとしていた……という事だった。
集合するのが定期的ではない事と、その年齢などの不一致さから後ろ盾はないか、あまり大きな後ろ盾はなかろうという結論である。
「もっとも、ヤツらの狙いは実のところ、うちらじゃないだろうけどね」
そう言う彼女は苦笑するような、うんざりするような、判別しづらい表情をしていた。
「昔はただの無難な通路でしかなかったこの山も、随分変わったよ。つい数十年前から連中が現れるようになって……。
それからこの山には今まで現れることがなかった、ああいう連中に目をつけられるようになっちまった。全く、迷惑な話だ」
笑いながら話す彼女に彼がどう応対すればいいか迷っていると、それを感じ取ったのか、彼女がばんばんと背中を叩いてきた。
「あんたに話すことじゃなかったな、気にするな。……家族に外への道を案内させるから、ついてってくれ。
ただし、出入り口の事は内密にな」
「もちろんだ」
……結局、無難な答えしか返すことが出来ずに。
◇ ◇ ◇
「やっと、外か」
「街も見えてきたな。色々あったが、無事につけて良かった」
イシツブテに付いて岩山のあちこちを歩き回り岩をどかしてもらえば、そこは既に街が眼下に見下ろせる、山の斜面の上だった。
帰っていく時にもちろん、岩は閉じられていたが。
内密にとは言ったものの、一週間もすれば恐らくその場所は塞がれてしまうのだろうと彼は感じていた。
「それでは、私はそろそろお暇します。……何か色々ご迷惑をお掛けしましたが」
びっと敬礼のポーズで、スターミーは四人の方を向き直る。
さっきまでしょぼんとして小さかったはずの姿であるが、今はもうすっかり元通りだった。
そのくらいのメンタリティでなければ、彼女のような真似は逆に出来ないのであるが。
「また正義のために、いずれお会いしましょう! それではッ!」
そう言って、結局彼女も最後は疾風のように去っていった。
「……しかし、ニビ側に降りてどこに行くつもりなんだろうな」
「別に何処でも生きていけるんじゃないですかねー、あれなら」
「……一流は仕事場を選ばない……」
実に好き勝手な事を言いながら、彼らはスターミーを見送った。
「しかし、強かったな」
「そうだな。……到底御しきれると思えないが」
率直なパルシェンの言葉に、彼女の主はトレーナーとしての評価を付け足した。
彼が見たスターミーで最も印象が残っているのはハナダジムリーダーであるカスミの切り札だ。
しかし、その時に見たスターミーと、今見たスターミーは全く印象が違う。
清廉な動きとコンビネーションに目を奪われた前者のスターミーと違って、後者はひたすらにパワー押しだ。
『敵の前に出る』『技を使う』……このたった二工程で、自分達を始めとする多くのもえもんを戦闘不能に陥れた。
しかし逆に言えば、その程度で負けてしまうほど相手がふがいないだけかもしれない……とも言える。
……あのスターミーが、強すぎるとも。
「それよりマスター、聞きたい事があるんですけど」
「何だ?」
「あのゴローニャさんが言ってましたよね。『迷惑な話だ』って」
「言っていたな」
くすくすと、モルフォンが笑う。
彼女はそのまま、彼の肩に擦り寄るように羽を合わせながら呟いた。
「あれって、どっちの事を言ってるんだと思います?」
街までは、あとすこし。
最終更新:2007年12月21日 00:33