3スレ>>610

 冷たい空気。
 底冷えのする風が、あちらこちらから吹き抜けて、そのたびに体が震える。
 肌に纏わりつく冷たい感触は、いつまで経っても慣れることなどない。

――わたしが

 思い出す度に体の奥から本能的に求める表情が顔をのぞかせて、すぐに現実に飽きて去っていく。
 思い出さなければいいのに、それができない。
 それはとても致命的なことのような気がした。

――わたしが、わるかったんだ

 結局そんな事はなくて、自らの悔恨をいつまでも続けているだけであったのだけど。

――わたしが、あんな、ものを



   ◇ ◇ ◇


 親というのは、実験動物のようなものであったとは聞いている。
 もっともそんな事は直接関係はないことなのだけど、『きみのおや』というものが大切に扱われているという話を聞けば他人事でも嬉しくなった。
 少なくともそのおかげで、この場にいることが出来たのだから。

 とてとてとおぼつかない足で歩いて、段差に足を引っ掛けて、はなを打ち付けてぐすぐすと涙ぐむ。
 そうすると、決まって一人の男の子が駆け寄ってきて抱きしめてくれた。
「大丈夫?」
 そう言って、私の頭を撫でながら抱き締める。
 それはとても幸福だったけれど、恥ずかしかったから、いつも控えめにじたばたと足を動かしていた。
 そうすると男の子も笑って、いつの間にか私も笑って、痛いことなんて忘れてしまう。
 追いかけてくる男の子と追いかけっこをして、男の子の母親が苦笑していい加減にしなさいよー、と言われるまで家の中で遊び回る。

 それからは、外に行くときもあるし、雨や夜の日は家の中で物音を極力立てずにいろいろなことをした。
 男の子が両腕を両脚を天井に向けて伸ばして、そこに私が乗る鳥さんごっことか、いろいろと。
 ふわふわだ、と男の子が言ってくれた私の髪を梳いてもらうこともあった。
 最初はちょっと痛かったけれど、男の子は私が痛がっているのを感じて、とても心を痛めたらしい。
 男の子は母親を呼んで、その母親が私の髪を梳く。
 そして、それをじっと見つめて、母親の手に導かれて私の髪にどんどん手を入れていった。
 男の子はあっという間に私の髪の扱いが上手くなって、それでもきっとまだまだ拙いものではあっただろうけれど――私は、その優しい手が好きだった。
 大好きだった。


――あんなものを


 外で遊ぶときは、冒険もしたけど、大抵の場合はよく行く場所があった。
 近場でならと母親に断りを入れられたので、野生のもえもんが出ない近くの空き地まで。
「ははっ、ほーら、つかまえてごらんよ!」
「ぁう、待ってくださいってばぁ! ……うー、滑り台の上に登るなんてズルい」
 追いかけっこ。
 花摘みじゃなくて、草摘み。
 ボール遊びにごっこ遊び、時には日が暮れるまでお互いの体をくすぐり合って過ごしたことも。
 他の男の子の友達も交えて一緒に遊んだり……とにかく、いっぱい遊んだ。
 友達を集めるといつもと言っていいほど私の自慢をして、私は顔から火が出るくらい恥ずかしくて。
 でもその後に男の子の友達が私を囲みはじめると、当の自分が近づけないのがいらいらしたのかな、大声を出してしまった時もあった。
 私はその後、ごめんごめんと繰り返す男の子にずっと付いていたと思う。
 きっと群れの中であわあわとしていた私にも、責任はあるのだと思う。


 ある時、外に出る機会があった。
 その日は小さなボールを持って。
 投げられたボールを私は受け止めきれずに、後ろの茂みに隠れてしまう。
 私は言われる前から、その茂みに頭から突っ込んでボールを捜し始めた。
 ボールは、見つけた……すぐに見つかった。
 あんまり遠くには飛んでいなかったから。

「……あれ?」

 でも私は、同時にもう一つ何かを見つけてしまった。
 茂みの奥に落ちている、確かな小さい煌き。
 黄金にも似ているけど、ちょっと違う気がする――透き通るような輝く石は、黄色く。
 私はたまらずそれを手に取ると、偶然見つけた綺麗な宝石を自慢するようなキモチで、男の子のもとへ持ち帰る。
「……わ」
 さすがに、驚いたみたいだった。
 ――あの時の顔は、忘れられない。
「何だろう、この石」
 その小さな手の中で、その石はいつまでも輝いていた。


 持って帰ると、早速男の子は母親に見せて何だろう? と疑問を呈している。
 どうも母親もあまり分からなかったらしいのだけど、そこは大人の物知り仲間というものなのだろうか。
 その正体は、私が彼から夕ご飯のピーマンを無理矢理譲り受け渡されているころに判明した。


「かみなりのいし、だってさ」
 強大な力の源、それが結晶化した石。
 よくは分からないのだけど、それが自分にとって大切なものだという事だけは、男の子と母親の説明でよくわかった。
 偶然見つけたそれが思わぬ宝だったことに、私はとても喜んだ覚えがある。
 母親は、見つけたあなたが好きにしなさい、と男の子に石を手渡して、ちょっと豪華だったご飯の後片付けを忙しそうにしている。

 男の子は朗らかに笑って、使っちゃおうか、と言った。
 どうせ持ってても意味がないものだから、使いたい、とも。
 正直実感は沸かなかったのだけど、きっと体も少し大きくなって、色々なことが出来るようになるなら、いっぱい遊びも増えるかもしれない。
 それに、ひょっとしたらこの男の子を――あの憧れの草むらの向こうへ、連れて行ってあげることができるかもしれない。


 そう思って、私は頷いた。
 ――それが何をもたらすかも、知らずに。





 ごくり、と唾を飲み込んだのは本当に私だったのかな?
「……すごい……!」
 手順に従ってその結晶の力を『取り込んだ』私は、体にどんどんと熱を帯びていく。
 それが沸点まで達すると、急速に私の姿カタチが、私を構成している情報が置き換わる。
 思わず瞑っていた目を開けてみれば、そこは私のよく知っている世界で、大きく違う世界があった。
 自分の体が、まるで羽が生えたように軽くて。
 体の奥から何かが湧き出るように、体に訴えかけてくる。

「すごいや!」

 何が凄いのか、鏡も見ていない私には分からなかったけど――でも私は嬉しかった。
 だって目の前の男の子が、とっても嬉しそうにしてる。

 それに、私のカラダだって、以前と比べたらすごく――


ばち。



「すごいよ、こんなの! きっとみんなに見せたら驚くだろうなぁ。あした、早速見せてやろうっと!」
「ぁ、ぁう、あう――」
 私は少し慌てて、手足をじたばたとさせるけど、男の子はそれをいつもの合図と受け取ったのかもしれない。
 かたくなに私を抱き締めたまま、放そうとしなかった。
 私も私で、


ばち、ばち


 からだの、へんちょうに、……考えが追いつかなかった。
 ぱちぱちと頭の奥がはじけて、おかしくなりそうな熱が体の奥から押し寄せてくる。
「だ、だめ……だめっ」
 必死で身を捩って、なんとか男の子の腕から脱出する。
 当然のように、何で? ――という顔で、その子は私の方へ近づいてくる。
 私の体に何が起きているのか、知りようもない。


ばちばちばち、ばち


 止まらない。
 ――止まって。
 止まらない。
止まらない。止まらない。
 止まらない。 ――止まって 止まらない
止まらない 止まらない 止まらない、止まらない、止まらない、
止まらない止まらない止まらない止まらない、たすけてたすけてたすけてやめてやめてやめて――!





 ――はじけた。

「あ、ああ、ああああああああ」

 体の奥から流れる力の奔流は、どうやら進化のもたらした過剰な力。
 それが電撃となって部屋中に蜘蛛の巣のように駆け巡り、辺りに迸ってところどころに焦げ目をつける。
 その少年は、目を剥いて気絶したまま動かない。
 下から、どんどんとけたたましい音を立てて、慌てて階段を登ってくる足音があった。
 もっとも、もう彼女には聞こえていなかったけれど。


 何があったの、と扉を開けた母親の表情を、彼女はまともに見れなかった。
 ただ目の前の少年が揺すられて、それでようやくその瞳を開いたのを、ただ呆然と見ていた。
 母親と少年の目が向く中で、彼女の『変調』は止まらない。
「ぁ、ぁく……ッ」
 ばちばちと、今度は目に見える形で電撃が発現し始める。
 母親は少年を抱きかかえると、急いで階下に降りていった。
 彼女には追いかけることなど、到底できなかった。



 それからの事は、ただ瞳を、覚えている。
 今までいつでも微笑みかけてくれた男の子の表情は、怯えたまま変わることがなかった。
 代わりに表情少ない男の子を代弁するように、母親が彼女を――少しだけ、責め立てた。
 少しだけというのは言うまでもなく、罵倒の途中で彼女がまたも、その体から電撃を迸り掛けたからだった。


 その日のうちに、彼女はその家をたたき出された。
 可愛い家族か、ペットか。
 どちらにしてもそういった存在として目こぼしをもらっていたものが、牙を剥けばそうなるのは当然のことだった。
 和解の余地もない。
 彼女は問答無用で全てを傷つけてしまっているのだから。
 家の中からりりりんと響く何かの音が、その街の警察を呼ぶためのものであるなどと、彼女には当然知ることもなかった。


 ただ、どうしてあんな事になってしまったのかと――そう思いながら、彼女は草むらの向こうへと去っていった。



 何が問題だったのか。
 イーブイと呼ばれる彼女の何かが偶発的に影響したのか、それとも石に問題があったのか、両方なのかそれとも全く別の問題なのか。
 それを知る由はない。
 ただ、はっきり言えるのは。

 彼女はその時に力を手に入れて、他の全てを失ったということだった。



   ◇ ◇ ◇



――あんなものを拾わなければ、みんな幸せだったのに、わたしが

 外に出た彼女を迎える者は、誰一人いない。
 そもそも彼女は野生ではないし、その街から隣接した地域には仲間など誰一人として存在しない。
 冷たい風が吹き抜けるのが、寂しくて寂しくてたまらなくて、彼女は幾晩も泣いた。
 いつでも泣いていると飛んできてくれた少年は、もういない。
 その暖かい温もりを思い出すたびに、吹き抜ける冷たい風に温度を奪われて、とてつもない喪失感に襲われる。


――わたしが壊したんだ……私が


 自分が拒絶した。
 自分があの風景を台無しにした。
 彼女はただあの温もりを感じて幸せでいたかったのに。


――あんな石を、あんな石を拾ったのが悪かったんだ


 そして今日、どことも知れずに迷い込んだのはどこかの廃屋。
 出遭ってしまったのは、人間。
 それもあちこちから現れる人間達が、次々とその手ずからもえもんを繰り出してくる。
 集団に取り囲まれるように、彼女の出口は一つの穴もなく塞がって、ただかたかたと体を震わせて。
 その時に見つけたくらいくらい部屋に、一人閉じこもる。


――いらなかったのに、こんな姿、欲しくなかったのに


 交差して、過ぎ去っていく足音にただ震えていた。
 見つかれば優しく保護されるかもしれないという事を、今の彼女にはとても考えられない。
 進化してある程度経ったせいなのか、彼女にとって忌み嫌うべき『力』は段々と正常に彼女の制御下に入りつつある。
 それでも逃げ出したかった。
 或いは、帰りたかったのかもしれないけれど。

 彼女は独り、冷たい暗闇ですすり泣く。










「……あら、おかしいですわね……」

 闇の中で闇が蠢く。

「野生でしょうか? 確かに追い詰めたと思ったのですけれど。逃げたのかしら? ……残念」

 漆黒の中で深遠が轟く。

「寂しい顔をしているから、せっかく楽しいお人形仲間にしてあげようと思いましたのに……。ふふっ」


 底冷えのする笑みを浮かべながら、闇の主は漆黒の向こう側へと還っていった。

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最終更新:2007年12月21日 02:20
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