3スレ>>860


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 朝靄が掛かった、湖の上。
 湖低から突き出すように飛び出した岩の上に、ただひっそりと佇むそれは崇められるべき神秘。
 後ろ手にしながら岩に張り付いて、靄の中に差してくる朝日を浴びる姿は誰もが息をのむほどだったかもしれない。
 透き通った水の色を映し込んだような、長くしっとりとした髪。
 その額からは小さな角。
 首元と髪の先端で揺れる水晶玉が、深い水を吸って霧の中で鈍く輝いていた。

 遠くで風が、森の間を掻き分けて遠吠えのような音を響かせる。
 その時間、その場所は彼女のための神聖不可侵の領域。
 鮮やかな色彩に、時々ちゃぷんと水音が混じり、霧に霞んだそこは手を伸ばしても辿り着けない幻想的な空間ですらあった。

――彼らは、唐突にやってきました

 それは異界。
 色彩の中に在って他の色を寄せ付けず、頑なに拒みつづけて拒まれている異物。
 荒らすのではなく、染み渡るようでもなく、ただその色彩を掻き分けるようにして、ぽっかりと空いたうろが近づいてくる。
 くしゃりと足元の草が、その硬く硬くなめされた皮に靡いて地面に頭を垂れる。

「何の、用です?」

 影は二つ。
 黒と白――いや、灰色、限りなく白に近く、影を伴った灰色。
 まるで二人はモノクロのよう、対照的にして最も近くにあるもの。
 湖の傍に立つと、とぷんと水音が離れていった。

「いや、噂話を確かめに来たんだけどなぁ」
「では、お帰り下さい」

 取り付く島もない。
 モノクロに向けられた黒い、黒い瞳は、ただ冷厳に見据えている。
 岩苔の上に座り込んだ神秘は、言いようのない不快感を憶えながらそれらをまたも拒否した。
 この時間帯、この場所だけは神聖不可侵の領域。
 そこに乗り込んでくる人間は大抵が、その光景に目を奪われて意識半分にしながら立ち去る。
 好奇心旺盛な純粋な子供などは、たまに近寄ってきて、湖の縁に立ちながら彼女を眺める。
 しかし、彼らはそうではない。

「そういうワケにも。子供のお使いじゃあるまいし、そう簡単に帰ったら、なあ」
「では、どうするのですか?」
「捕まえる」

 影の一つがはっきりと即答すると、聳え立つ神秘は目つきを変えた。
 鋭く尖った、針の先のような視線が二つの影を射抜く。
 美しさと同時にどこかあどけない可愛さを残すような外見だったが、その目つきにはプライドがありありと見て取れた。
 自然の頂点に近く存在する、ドラゴンタイプの。

「私を、捕まえると?」
「その通り」
「……本当に不躾なんですね。人間でも貴方のような者は」
「まあ、俺は芸術の畑じゃないし。で、どうする? 覚悟はできたかお嬢様?」

 その時、焦げ目をつけるように燻られた彼女の感情がぐつぐつと静かに、そしてあっという間に沸騰した。
 先程までとは違う完全な敵意を対象に向けて、人間には名状し難い重圧感が訪れる。

「……覚悟をするのは、貴方です」
「ほーう。へーえ。さすがに、自信がある?」

 水面が震える、森がざわめく、魚は底へと潜って出てこなくなった。
 神秘は嘲笑するでもなく、ただ自らの存在を汚されたことに対して静かな怒りを向けた。

「私が勝ったら、もう二度と私の下に来ないと約束してください。出来なければ、それ相応の対処をするまでです」
「見返りは?」
「貴方が好きにすればいい」

 それは在り得ない可能性だから、と内在する心の中で思う。
 彼女の相手をするのは、影の一つではない……それは非力だから。
 だから、もう一人。
 見たことがない、他地方の存在だったかもしれなかったが、彼女には関係がなかった。
 静かに押し寄せる脅威に、しかし影は柳に風だった。
 満足のいく答えを引き出したのか、それとも来るべき時がきた事を察したのか。

「言ったな? ……よし、ちぃちゃん。いけ」

 影に付き従うもう一つの影が、静かに拡散される力の奔流をものともせずに、ずずっと前に歩み出る。
 灰色の影は、その時はじめて瞳に照準を装備した。
 そして、尋ねる。

「……どのぐらい、やればいい」

 ぐにゃり、と灰色の影が歪む。
 禍々しいモノクロの腕を水平に彼女の方へ向けると、もう一つの影は後ろに下がって臨戦態勢。

「弱々しくお前の足に縋りついて、赦しを請うくらいまで」
「イエス、マスター」
「戯言を……ッ!」

 『竜』の怒りは爆発し、瀑布が訪れた。
 愚かな敵を滅ぼしつくすまで、もう止まることはないだろう。





  ◇ ◇ ◇


 この世は理不尽だ。
 でも、結果だけはいつも理路整然としている。
 要するに優劣が決したということ。

「さて、良いおやつが手に入ったわけだが」
「……」
「……」

 昼過ぎ、みんな眠くなって出てこなくなったり、公園のベンチで休んで寄り添っている誰かを見かけたり見かけなかったりする街の昼過ぎ。
 彼らはいた。
 男が誰かに見せびらかすように、その右手に持った袋を上下させている。

「甘いショートケーキだな。どうせだから誰かに手づかみであーんして食べさせてもらいたいところだなぁ。やっぱり」
「……」
「私は嫌です」
「んー……それじゃ」

 悩む時間はほんの少し、余った左手を顎にあてて。
 ぐっと拳を握り締めて、一人で勝手に何かを決意した。

「ハクリューに決めた」
「だから、嫌だって言ったじゃないですか! 人の話聞いてます?!」

 体は前のめり。
 喰らいつくように両手を振り下ろしながら、彼女はちからいっぱい叫んだ。


 ――要するに、事は単純。
 彼女の方より圧倒的に、敵の力の方が強かったということ。
 波は虚空に飲まれた、息吹は解けるように闇に融解して消えた、肉片を斬り飛ばすような風は立ち込める前から消し飛ばされた。
 気付けば絡め取られているのは自分の足元で、灰色が蠢くと白竜はその度に不利を痛感させられる。
 さすがに足に縋りつくような羽目にはならなかった。
 ならなかったが、しかし――まんまとその捕獲機能を備えた人間の道具によって簡単に捕縛されてしまった。
 つまり、手持ちのもえもんの一匹となった。


 ぱたぱたと手団扇であおぎながら、その叫びを柳に風と受け流す主。

「いや、お前さ。俺はマスターだぞ? 一応」
「……」
「で、お前は何さ」
「もえもんです」

 ぎりぎりという歯軋りをしているかどうか、分からなかった。
 ハクリューが主人を見るとは思えない、憎憎しげな視線を彼の方に見つめながら、それでも事実を答える。
 傍目から見ていると、泣けるほど健気な姿。

「それから、約束あったよな? あの時の勝負で。言う事聞くって」
「ぐっ……」
「お前、自分の言った約束くらい守るもんだべ?」

 平然とそう言われると、彼女としては返す言葉がない。
 不遜な相手に従うのは彼女にとって屈辱だったが、今さら言った言葉を覆すのは屈辱にも劣るものだった。
 反故にした瞬間、何か決定的なものに膝を屈してしまいそうで、彼女はただ返す言葉に詰まる。

「つーか、俺としてはもっと違う事だってしたいんだよ、どうせだから。膝枕とか腕枕とか胸枕とか」
「貴方には小豆枕程度で十分ですッ!」
「よーし。じゃあ小豆枕でいっぱいのベッドの上で俺に夜伽してくれ。動く度にアレしゃりしゃりって鳴って、結構いい感じにビックリ淫靡だと思わねぇ?」
「そんな事、微塵にも思いませんッ……! 絶対にごめんです!」

 だから彼女にできるのは、精一杯抵抗することだけで。
 そもそも何でこうなってしまったんだろうと考えても、負けたからというごくごく当たり前の理由。
 逃げていれば、また結果は違ったかもしれない。
 それでも色彩の中に現れた灰色を、劣っているなどと思わないことは、彼女には不可能なことだった。

「こんな事言ってるんよ、このお嬢様。どう思う、ちぃちゃん」
「……」

 やれやれとオーバーリアクションをしながら振り返って尋ねるのは、彼の傍に佇むもえもん。
 モノクロの白、灰色。
 全身を黒く包んだ女性。
 色素が抜け落ちたような灰色の髪は、足元まで延びて、地面を避けるようにふわりと浮いている。
 その腕に不釣合いに大きいマジックハンドのような手は、やはり灰色。
 前に落ちた髪が右眼を隠して、その眼を窺うことが出来ない。
 左目だけが、まるでモノアイのように赤く、紅く、どこまでも無機質に世界を見据えている。

 サマヨール。
 本来ならこのカントー地方には存在しないそのゴーストポケモンは彼の傍に、ただ佇む。
 それがあまりに『動』の動作がなくて、それに気付いて、ハクリューはただぞくりとする。
 ただ彼に傅くその様子は従者のようであって、奴隷のようでもあって、何かもっと別の異質な憑き物のようでもあった。

 ただ、そこだけは突っ込まなければならないところがある。

「普通です! 大体、何ですかそのちぃちゃんって……ニックネームにしては変じゃないですか。何でちゃんまで?」

 ハクリューがそこのところは素直に、胸に手を当てて尋ねる。
 すると彼は必要以上に胸を張ってから、自信満々といった風に答えた。



「俺の初恋の女の子の名前」
「気持ち悪ッ?!」

「よーし、やっちまえ。ちぃちゃん」
「イエス、マスター」

 がしり、と。
 いつの間にかハクリューは、真後ろからその細い体を掴まれていた。
 忠実な僕はいつの間にか後ろに回りこんで大きな手で肩を掴むと、機械的なその赤い眼の動きを全く変えず正面を見たまま、
ずるずると後ろへ引っ張っていく。
 図面が夜なら間違いなくホラー確定であった。
「ちょ、ちょっと……?!」
 暗い路地の、裏の方へ。
 陰の世界へ。
 ハクリューはじたばたと手足をばたつかせながら、とりあえず必死に(とりあえず)主の方に助けを求める視線を送る。


 あさっての方向を向いて、露骨に無視された。


「ちょ、ちょっと、冗談、冗談で、今のは口が滑ったというか何ていうか……いやあああああああぁぁぁぁぁぁーーーッ?!」







 暫くすると、よたよたと裏路地からすっかり惨めになったドラゴンタイプが姿を現した。

「おー、いい感じにげっそりいってるな。ダイエットにいいんじゃないか?」

 体を両腕で抱くようにして出てくると、じろりと彼を睨みつけるものの、彼は平気な顔で受け流した。

「大体なー、お前だって人のこと言ってる場合じゃないんだぞ。お前だってニックネームは付けるんだから」
「く、くううっ……はぁはぁ……」

 やがて背後から、変わりないその紅い瞳を覗かせてサマヨールが出てくると、ハクリューはびくりと震えてよたよたと離れる。
 サマヨールは構わず、その場で直立不動で立ち続けていた。

「そうだなぁ。ハクリューだからハクとか?」
「何でいきなりそんな単純なものになってるんですか……? いえ、それで構いませんし、寧ろそれで止めておいて欲しいんですけど」
「いや、やっぱりダメだ」

 んー、と唸りながら首を振って、彼は自分の案を打ち消した。
 とてつもなく不安な表情で見守るもえもん一匹をよそに、彼は一人ごちる。

「俺が『ハク、ハクー!』って言ってると、まるでお前が純朴で親切な川の神みたいに聞こえるしなー」
「あの、私は純ドラゴンなんですけど。そもそも川の神と比べられても」
「ばっか、お前なんてハクに比べたら道端の石ころにも劣るに決まってんべ? やっぱ野生でぬくぬくとやってた影響かねー、ちいちゃん」
「何言ってるんですか、野生でぬくぬくなんて。人間に抱え込まれた方がよっぽどぬくぬくしてるじゃないですか」

 澄ました顔で言う彼女の心は本心だったし、半分ではそれを多少誇りにしているような節もあった。
 野生は野生だ、野外の生存競争に身を置かなければならない。
 しかし人間に囲い込まれた者はその生存競争から解放される、自分で餌を見つける必要すらなくなる事もある。
 行われるのは精々がお互いを気遣う擬似的な見世物の戦闘程度、そこに生死が鎌首をもたげる事は極めて少ない。
 それは事実でもあった、けれど。

「お前さ、お前のそういうところが無駄におぜーさましてるって言うんだよ」
「……どういう意味ですか」

 彼は、そんな彼女を、いや、彼女に呆れるような表情を見せてから。

「ぶっちゃけ、面倒じゃねぇ?」
「……何がです?」

「色々。関係とか。そもそも野生なら仲間同士でコミュニケーション取り合ってればいんだよ、それが人間に飼われると人間の事まで関わらなくちゃいけない。
どう考えても面倒くさいだろ、そう思わね?
大体俺らって、毎日毎日毎週毎月毎年ぽたぽたダラダラポタポタだらだら汗とか涙とか血とか脳漿とか羊水とか垂れ流していっしょうけんめい生きてるだろ。
その上で、それ以外のもんまでどーして背負う必要があるよ?
在り得ないだろ、なあ?」


「……」
 ぞくり、と彼女の背筋が震えた。
 言葉を紡ごうと思っても、喉の奥がからからと回って思うように言葉が出てこない、紡げない。
 飛び込んでくる景色が酷く気持ち悪い。


「ある日ね、一人ね、女の人がね、通行人のフリをしてね、そこらへんでただ荷物を運んでただけのもえもんを撃つんだよ。
火薬とか脳漿とか血とか肉とか、他にも肉染みみたいに脂っこくて気持ち悪いものを撒き散らしながらさ?
で、涙ながらに訴えるわけだ。

『うちの子供は仕事がなくて飢えているのに、何でもえもんなんかに仕事があるんだ』

ってさ?
笑えるよな、おかしいよな引けるよな気持ち悪いよな?
あぁ、結局その女は罰を喰らって今も禁固刑を喰らってるし、その息子は相変わらず飢えながらそれでも生きてるんだけどさ。
で、誰が悪かったんだろうな。その無能駄目息子か? それともトチ狂った母親か? それとも居場所を占有したもえもんか?」

「……」
「余計なしがらみ生むことになるんだよ、人間にしがみつくってのは。野生の方が、よっぽど気ままだと思うだろ? なあ?」

「……マスター」
「ん? ちぃちゃん、何さ?」
「水を」
「ああ、気が利くな、ちぃちゃん。後で思い切りハグしてあげよう、世界の中心辺りで」


 ぱちぱちと、世界を確かめるようにハクリューは瞼を開け閉じさせる。
 一瞬、一瞬の電撃的な出来事だったが、それは確かに世界改変の合図のようだった。
 視界があっという間にモノクロに塗り替えられた。
「あー、おい。大丈夫か?」
 それが、じゅんじゅんと、カラーに戻り始める。
 一色が入れば、赤青黄。
 光が明瞭になると、そこで始めて彼女はけふ、と息を吐き出して、同時に何も喋れなかったことに今さらのように気付いた。



「というわけで、黙って乳出せや」
「どんなわけですかッ!」
「げ。今なら何でも自然に言う事聞いてくれると思ったのに」

 ようやくそう言い返す事ができると、ふうと彼女は息をついた。
 今さら蒸し返すのも可笑しい、そんな話は色々と穴だらけではあったけど、誰かの平原に地雷原をしこたま埋設して去っていった。
 だというのに彼は相変わらずの表情。
 ポーカーフェイスなのか、それとも  なのか。

「やけに肌の露出を嫌がるな、お前。ひょっとして邪気眼?」
「普通嫌がります。というか何ですか、それは」
「ああ、つまりそういう事か」
「人の話を少しは聞いてくれませんか……?」

 ぽん、と手を打って勝手に納得する彼。
 じと目で見ても全く自重する雰囲気はなく、むしろ余計興奮しているように見えるのは多分彼女だけ。

「お前、意外と着太りするタイプだったんだな。へっへっへ」
「しません」
「じゃあぱっd――」

 ぶつん、と何かが切れる音がした。
 一瞬で閃光が集束すると、何かがばちばちと弾ける音と共に、ハクリューから白光を帯びた熱が暴発する。
 斜線軸は男。
 暴発して首にクリーンヒットし、あわよくばというところまで高められた威力の攻撃は、しかし。
 突如として彼の目の前に現れたうろに飲み込まれて、消えた。
 うろは全てを飲み込むと、ぐにぐにと姿を変えて、やがてうろが閉じて消えてしまう。

「お前、今本気でやったべ? 俺を割と本気で殺そうとしただろ?」
「……ええ、本気でしたよ、本気でしたとも。もう少しでうっかり周囲に誤爆してしまうところでした、今度から気をつけますね」

 ふふふと笑って、もはや開き直るハクリュー。
 渾身の力を載せた殺人級の一撃はしかし、同じもえもんに阻止されて虚空へと消えた。
 サマヨールは相変わらず微動だにしていない。
 ハクリューにしても彼女にきっと阻止されるであろうという事は分かっていたが、かといって殺すつもりがないわけではない。

「開き直るなよ、もえもん。お前あれだぜ、俺は一応マスターだぞ。マスターの命令は絶対、マスターの為なら火の中水の中、
マスターが白といえば黒でも白だ。憶えとけよ、ここテストに出るぞ」
「何ですか、その横暴は……。私は犯罪の片棒を担ぐ気にはなれません」
「俺がいつ犯罪をしたよ?」
「私が言わなくちゃならないんですか?」
「うわひでぇ。何このもえもん」

 どう見ても犯罪予備軍。
 言い返すものの、空気に向かって殴っているような感触を拭えずに、彼女はただかつかつと頭の中が煮詰まっていくのを感じた。
 どこまでが本気か分からない。
 どこからが暗喩か分からない。
 何でこんな事になったのだろう、と実に何度目かわからない問答を心の中で繰り返して、彼女はただ触れた。

「そもそも、そんなわけないじゃないですか。もえもんの酷使は禁じられているはずです」
「……そんな法律、あったっけなぁ? なぁ、ちぃちゃん。知ってるか?」

 敢えて声を伸ばすようにしながら、声に出来る限りの含みを持たせて――彼は直立不動で動かないサマヨールに声を掛けた。
 それはサイコパス。
 空気という名の名状しがたい意思をのせて声を飛ばす、その音。
 が。


「イエスです、マスター。みだりに意味もなく虐待したり、傷付けたりするものは罰則に値します。
また、人間ともえもんは共存に力を尽くさねばならぬとあります」




「と、まあこういうわけで俺の絶対命令権は公的に認められているわけだ。文句があっても聞かない」
「今、無視しましたよね?! わざわざ言わせておいて無視した?!」

 あくまでサマヨールは無反応。
 猛烈な勢いでハクリューが抗議すると、さも面倒そうな顔で彼もついに開き直った。

「うるせ、法律だろうがウェッブルールだろうが知ったこっちゃねぇ。ここでは俺がルールだ、文句あるか白蛇」
「竜ですッ!」
「蛇でいいだろ、もうお前。進化系も竜っつーか、むしろムー○ンっぽいし」
「一緒にしないでください! 神聖なドラゴンの力を、一体何だと思って――」
「で、何の話をしてたんだっけ?」
「……~~ッ! あなたはッ!」
「?」
「いまさら『何、私おかしいこと言ってますか?』みたいな表情をしないでください!」

 ひとしきり怒鳴ってから、息をつこうとして思いとどまり、そのまま息を飲み込む。
 そこで息を吐いてしまえば、何となく何かに負けた気になってしまいそうだったから。
 だから、心の中から溢れてくる理不尽な想いに見えないところで歯軋りしながら、ちゃんと答えた。

「……私は幾らなんでも、無茶な命令ばかりは聞きたくないという事です。……というか、可能な事なら貴方の言う事は聞きたくない」
「ああ、そんな話だったっけ」

 半ば諦めたような視線を投げかけながら、彼女は後ろに本心を付け足していた。
 それに対して、暫く彼は人差し指でこめかみを叩いてから。


「じゃあ、そうすればいいんじゃね?」
「……え?」


 ある意味最も予想外の答えを、口にした。


「そうすればいいだろ。俺の言う事なんか無理に聞かなくてもさ。近くの交番にでも何でも駆け込んで言えばいいじゃないか。
『捕まって、理不尽な虐待を受けてます』とか。
そうじゃなくても、他のトレーナーに助けてくださいって泣きつくとかさ。
やればいいじゃないか、なあ。神聖なドラゴン様?」
「――ッ」
「なあ『ハクリュー』。お前、ミニリューで生まれてきて良かったよな?」
「……今度は、何を」


 また、だ。
 また、世界がモノクロになる。


「そのまんまの意味だよ。誰にでも祝福される強さでおめでとう、誰にでも期待される将来でおめでとう、誰にでも愛される姿でおめでとう。
まー確かにお前が言う通り、お前は神聖だもんな。
メタモンとか、捕まえられたら大抵はやる事は決まってるんだぜ?
しかもそれをやってるメタモンの方は、特に何も思わずに嬉々としてやってるってのがまた凄ぇよな。
ドガースやら何やらなんて際物好きの連中か迷惑な連中しか好かない上に、場所によっちゃ害悪扱い。
お前あれだよな、本当に色々とおめでとう?


……ところで、何の話をしてたんだっけ?」


「……」
 背中が熱い。
 焼きついた鉄の棒を無理矢理脊髄に押し込まれているような、ぐちぐちと体の中が煮えるような感覚。
 唇はふやけてものを喋ることが出来ない。
「そうそう、言う事は聞きたくない、だっけ」
 さっきまでは答えられたことすら。


「なら、離れればいいんだよ。まー警察に頼んで野生に戻してもらうなり、或いは親切なトレーナーの仲間になるって手もあるんじゃないか?
きっとみんなお前を歓迎するぞ? いや、マジで。
ほら、あそこを歩いてる親切そうな少年とかいいんじゃないか。思わずいじめられてる女の子を助けざるを得ないような」

 通りの向こう側。
 微笑むもえもん達と、同じように優しく微笑む少年がいる。
 それは確かに綺麗だ、綺麗だ、綺麗な、はずだったのだけれど。
 たった今まで新鮮だったはずの世界が気が狂うほど色褪せていた。

「それなら」
「ん」
「それなら、何で私を捕まえたんですか?」

 純粋な疑問。
 自分が逃げたいのかどうなのかすら解らずに、熱に侵されたままそれだけ尋ねた。

「そろそろ旅でも始めようかと思って、戦力補充しにきただけ? でも、まーいーや? 結構楽しんだし。
ちぃちゃんがいれば、まあとりあえずはどうとでもなるしな?
というわけで竜一号、君は無血解放ってこった。後は好きにしろ、今までいた場所に戻るなり、どっか行くなり」

 そこまで言って。
 彼は呆然と立っている彼女に捕獲したボールを握らせて、あっさりと踵を返した。
「行くぞ、ちぃちゃん」
「イエス、マスター」
 彼らは最後まで彼らのまま。
 巨大な異物感を残したまま、だけれど違和感は驚くほどなく、そのまま何処かへと立ち去っていった。



 目の前が、ぐらりと揺れる。
 揺れるのは視界ではない、視界に映る全てが揺れる。
 毒々しいそれはまるで呪いのように残って、ひどく歪んだ世界に見えてしまったのは気のせいではないのだろうか。

 好き勝手に捕まえて、毒々しく濁した挙句、わけがわからないまま立ち去っていってしまった。
 刻印は刻まれた。




  ◇ ◇ ◇



「……よくまあ、分かったな? あれか、女の勘?」
「いいえ、街の人に聞きました。珍しいもえもんは目立つものですよ?」
「ああ、なるほど。今度から変装でもさせておこう。出来ればだけどな」

 街の近く、ほんの少しだけ離れた林の中の開けた場所。
 幽霊と彼に近づくと、白竜は手に持っていたボールを投げて寄越した。

「いやまあ、正直、戻ってくるとは思わなかったんだ。意外とM気質?」
「ありません」

 きっぱりと言い張る。

「私はただ、人間の社会をもう少し見てみたくなっただけです。だから野生に戻る気はなくなりました」
「あぁ、そう? グロいよ? 割と。ミートスパゲッティくらいには」
「望むところです。それに、……やはり約束を反故にするのは、良くない」
「……別に忠誠を誓えなんていう約束はしてないんだが、まあいいや」
「別に忠誠を誓うつもりもありません。お互いに好きなようにするだけです。多少の命令は聞きますけど」
「ツンデレ?」
「違います」
「……うわー、つまんね」

 かあーっ、と上を向いて、思い切り息を吐く。
 それは誰に対してのものか、葉が擦りあう音が応えるかのようにかき鳴らされていた。

「まあ、いいか」






「それはそれとして、ええ乳してんなあ。揉ませろや」
「嫌ですッ……!」


「ひょっとしてこれは生殺しフラグか? そうなのか?」
「だから、知りません!」
ツールボックス

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