風がある。
山を麓から頂まで駆け上がる初春の風だ。
草花や木々を撫で上げて、波の如く斜面を揺らしている。
そしてその山に、大きく開けた場所があった。
延々続く森が途切れ、一本の未舗装の道が新たな森の中へと伸びていた。
「ますたー、ますたー!」
「山道だってのに元気だな……少し休ませてくれよ」
その道に、二人分の姿が現れる。
帽子を深めにかぶったズバットと、それを追うようにトレーナーが。
森を抜けたことに気付いた彼らは一帯に広がる景色に圧倒された。
「うわぁ……綺麗ですねますたー」
「あぁ、こんなところが実際にあるんだなぁ」
左手、視界一杯を埋め尽くすように存在する二色は、麓からそれが続いているかのよう。
それは右手、緩やかな勾配を山頂付近まで覆っていた。
「でも……ちょっとおかしく見えないか、ズバット」
「……ボクも少しだけそう思いました」
揺られ動く二つの色はそれぞれ一種類の花だった。
タンポポの黄とバラの赤。
在り得るのかと思われるような花の共生。
それぞれは真っ二つに分断され、作為すらを感じさせる。
だが、その作為性が、群れる黄と赤の違和感を軽減しているようだ。
「――」
トレーナーに相槌を打って、立ち尽くしていたズバットが突如動き出す。
翼を広げ、ぱたぱたと花畑へと下り、ちょうど二種の境目に降り立った。
くるり、と振り返って、帽子のつばを上げる。
視線を彼へと、見上げるようにし、口を開いた。
真剣な面持ちで、
「ますたーは……ますたーはバラとタンポポ、どっちが好きですかっ」
「んー、派手なのよりは控えめで落ち着いた感じがいいから……タンポポかな」
「そ、そうですかっ!?」
「あぁ。んで、ズバット、お前はどうなんだ?」
「ボクは――」
ざぁ、と一際強い、疾風とも呼べる風が吹き抜けた。
山頂まで一気に突き抜ける風は、ズバットの帽子と黄色の花びらを奪っていく。
その言葉も同時に、だ。
そして、勢い良く舞い上がった帽子をズバットは見送った。
「よ――っと」
ズバットは思う。
ボクの言葉はいつもタイミングが悪い、と。
大事なことを伝えようとすると何かに邪魔される。
落雷であったり、汽笛であったり、それは様々だ。
溜息一つ。
「ほら、帽子。気に入ってるんだったらちゃんと大事にしてくれよな」
顔を下げた彼女にトレーナーは帽子を手渡した。
だが彼女は何も口にせず、手も出さない。
彼は困ったように一度だけ空を見上げる。
透き通るような青空の中、何かに追われるように雲が行く。
漂っているようにはどうしても見えなかった。
視線を戻し、
「ふぅ……落ち込んでるお前はあんまり見ていたくないんだけどな」
地面にしゃがみこむ。
彼はタンポポを一輪摘むと、帽子の脇に茎を刺した。
そうして立ち上がり、彼女の頭にかぶせる。
帽子が、彼女の手に取り戻された。
トレーナーはばた、と赤と黄の色に仰向けになって倒れる。
空を見ていたくなくて、目を閉じた。
そして一言。
「……タンポポ、好きなんだろ?」
その言葉にズバットの顔がば、と上がる。
「え? そ、それは……ますたー……」
違うのか? と彼は尋ねた。
その声色は疑問というよりは念押しのような雰囲気だった。
絶えず流れていた風がぴたりと止んだ。
耐え難いようで、どこか心地よい無音が辺りを支配する。
「いえ、ボクは――ボクもタンポポの方が好きですっ」
「そっか。なら良かった……」
バラの方が好きだったら恥ずかしかったよ、と彼は笑う。
その笑顔につられてズバットの顔にも笑みが浮かんだ。
「もう少しのんびりしようか、気持ちいいし。ほら、隣空けてやる」
「はい……有り難うございます」
「ん? 何か言ったか?」
「少しだけ。でもますたーなら分かってくれると思います」
「はは、無茶苦茶なこと言うなよ」
だって、とズバットは前置きする。
ますたーは帽子だけでなく、ボクの言葉も取り返してくれましたから。
ト「いたっ」
ズ「ますたー、どうしたんですか?」
ト「いや、ちょっとバラの棘が……」
ズ「見せてくださいっ」
ト「ほら、このあたり――ってズズズズズズバット!?」
ズ「ますたぁの血……(ちゅうちゅう」
ト「このオチで締めるのかっ!? ズバットはこのオチなのかっ!?」
ズ「おいしいです……」
最終更新:2008年01月12日 23:37