黒白灰色、三原色と程遠い無色透明。
それでいて、チューリップ畑のように立ち並ぶそれらはどこまでも執拗な陰鬱さと纏わり付く不快感、そして決別。
手の届かないものを忘れないように、そして捕われないようにと、それらは造られる。
どこまでも無数の色彩を失くした色が土の下に眠る塔。
その塔に今、罰当たりとも言うべき場所を弁えない闖入者達が存在していた。
……あるいは珍入者というべきか。
黒ずくめの服に真っ赤なRのロゴが刻まれたその姿が、墓の立ち並ぶたった一つの通路で階段を睨んで目を細くしながら、今か今かと時を待っていた。
それはある意味で悲壮な決意ではあったけれど。
彼は階段の奥の塗込められた灰色を見据えながら、たった十分前のやりとりを思い出していた。
――いいか兄弟、我々は五人が連続で戦う戦法で敵に臨む。
――クロバットを持つイサキが大将、副将と中堅を地道な戦闘力を持つ二人で固める。
――お前は次峰である私の前に立つ。
――お前の役目が一番牽制として大切だ。
――覚悟して戦え。
「どう見ても捨て駒です本当にありがとうございました」
事実上の敗北決定。
組織のネームバリューを使って首尾よくフジ老人を半ば監禁する事に成功したのも束の間。
謎の少年がべらぼうな強さで階下の幽霊達や幽霊に操られたトレーナーを撃破して、その現場へと刻一刻と近づいていた。
そもそも下っ端である彼らにそれほどの戦闘力があるわけでもなく。
どうやら状況は芳しくない。
彼らにとっては、老人から早目早目に全てを引き出せなかった時点で既に終わっていたのかもしれない。
「別に泣かんでも」
ふあ、と大きく欠伸をしてから、彼の傍に佇んでいたそれが、気だるげに声を掛けた。
罰当たりにも墓石に座り込んで、二本の小さな足をこつこつと、刻み付けられたその人間の呼称にあてこする。
髪の毛も服も全身が毒々しい紫、ドクロマークまで付けられたその服の端々からは、今も腐臭を撒き散らしながら得体の知れない空気が零れ出ている。
「うっせえよ、泣いてねえよ! ちょっと目から汗が流れただけだよ!」
「はいはい、わかりましたわかりました」
ドガースがそっぽを向きながら、彼自身のそれを押し留めるように両手のひらをその場で上下させる。
彼が黙って目尻を拭くと何かをすするような音は消えたが、代わりに小さく低い唸り声が出てくることになった。
楽な仕事だったはずなのにと。
半ば階下から向かってくるはずの少年に対して、理不尽にも苛立ちながら。
その矛先を、近くに向けた。
「大体、お前が強ければ問題ないんだよ。ちょっとは働けよお前!」
「えーちょっとぉ、人のせいにしないでよマスター。戦闘中に裏目指示ばっかり出すくせにさぁ」
もう毒になってるのに毒ガスとか、相性を無視したり、そもそも相性自体知らなかったり。
咎めるように彼女が文句を言うと、彼も続けようとした言葉を飲み込まざるを得なくなった。
その様子を見て嘆息しながら、彼女は右手で髪をかき上げる。
「大体あたし、戦いなんて好きじゃないしー」
「この前は、にたにた笑いながらやたら楽しそうに戦ってなかったか……?」
確かに彼女はつい一週間ほど前、その様子をコラッタ相手にでも披露したところだった。
そのやる気が無い顔を、何かに陶酔するように捻じ曲げながら。
もっともその時は、彼女の持ち手である彼自身も似たような顔をしているわけだったが。
しかし彼女はそう尋ねる彼に対して、両手を水平に持ち上げながら、一つため息をついて肩を竦める。
「弱いものイジメは好きなの」
そして、一切の遠慮も呵責もなくそう言ってみせた。
「……それって、どーよ? お前ひねくれものだっけ?」
「何よぉ、マスター達だって同じじゃない。あたしはただ、素直なだけー」
ぶすっ、と彼女が開いた口から、紫煙が吐き出される。
トレーナーではない彼等にとっては公平公正な戦いなどというものはもっての外で、自分の優位性が確かめられさえすればいい。
公正公平を求めるのは、それ自身が自分の正当化になる場合のみ。
へらと笑いながら呟くその言葉は、だからこそ彼らを逆撫でするものだったけれど。
「そういうところがひねくれてるってんだよ、全く」
苛立つような言葉を受け流して、ドガースは両手を腰の横である墓の上に戻した。
それでもなお収まらずに、彼女の主は天井を仰ぐ。
「あーもう……何でもっと素直で強いもえもんじゃなかったんだろ」
手の届かない天井に向かって、手を伸ばす。
それは墓石に立って跳びでもすれば、簡単に手が届くものであったけど。
彼がそれに気付くことは、恐らくずっとないのだろう。
「ちょっとー、勝手なことばっかり言わないでよね。あたしだって現状に不満ぐらいあるんだからさー」
「俺が不満だってのか。じゃあ、どんなヤツがいいってんだよ?」
かつかつと爪先が床を踏む音が塔の中で響き出す。
「マスターと同じき・ぼ・う」
彼女はわざわざ語句を強調すると、ようやくその石の上から腰を上げた。
不規則な足音を響かせながら、彼の視界の横を通り過ぎて階段側へと向かう。
「……生意気なヤツ」
自然と視線を切られることになった彼は、彼女を追うようにして階段へと視線を移した。
塔の中には、先ほどから音が響き止まない。
複数の大小様々な足音が、刻々と迫る彼らへの宣告を示すように、階下から大きくなりながら近づいてくる。
「どーでもいいよー。それより来るよ、どーすんの?」
「……このままで終わってたまるか。俺にも意地がある」
帽子のつばを掴んで、ぐっと目深に被り直す。
吹けば飛ぶような意地で、どちらかといえば悪あがきに近い見苦しいものだったが意地は意地。
「えー、面倒だな。適当にやればいいじゃん、適当にさぁ」
両手を組みながら階段の向こうをぼうっと見つめる彼女の、気だるげな声は直らない。
それに気を使うこともなく、彼はほぼ一方的な憎しみを、来るべき階段の向こうへとぶつけていた。
「いや、絶対にやる。せめて主力の一匹でも毒にしてやらなきゃ気が済まない」
「ちっさいねぇ」
「うっせ、お前もちゃんとやれよ! 戦うのはお前なんだからな!」
やれやれ、と彼女は今日何回目かの溜息をついた。
そもそも普段からしていい加減なのだから、偶然やる気を出した時にそれに人を巻き込まないで欲しいと。
そんな事は口に出さずに組んだ両手を解いた彼女をどう見たか。
同時に階下から現れる影を捉えると、彼は吼えた。
そして――
「周囲のもえもんにモテモテで幸せしてるようなヤツなんかに、負けてたまるかァ!!」
「別に泣かんでも」
「泣いてねぇっつってんだろ!」
「はいはい、わかりましたわかりました」
――突撃する。
◇ ◇ ◇
戦いは決した。
そこは(わりと一方的に)死力を尽くした戦いが行われた跡とは思えないほど、ただ静かに変わらずに。
通路をうつ伏せの状態で這いつくばって、がんがんと拳で床を打ち付ける人間が一人。
「ううっ、ちくしょー……」
無数の靴跡と足型が収まった背中が、色々な意味で痛々しい。
今生のあらゆる彼を体現するものを踏み潰された格好で、何にあたればいいかもわからないまま、とりあえず床に八つ当たりした。
「いやー、攻撃の暇もなかったねえ」
くぐもった声は、また遠くから。
通路の横の壁に、絵画か何かのように磔にされているのはその毒紫。
ぴくぴくと手足を僅かに動かしながら、けぷりと口から煙を吹いた。
「フーディンって何だよっ……?! サイコキネシスってお前ッ!」
「いや、マスター。あれ念力」
「っせえよ!」
どちらにしても、手も足も出なかったことには違いがなく。
障害どころか、まるで軽い段差でも踏み越えるかのような気軽さで軽く踏み潰されてしまった。
「おまけに、何だッ……?! 『弱いヤツは群れる』って何だ! 知ったような口利きやがって!」
「いや、マスターに関しちゃそれ事実だし」
うー頭ががんがんする、と彼女はその場で頭を左右に振りながら、床に八つ当たりする彼の姿を見つめた。
煤けた負け犬。
「っせえよ!」
「別に泣かんでも」
「泣いてねえっつってんだろ! ちょっと踏みまくられて痛かっただけだ!」
「はいはい、わかりましたわかりました」
けぷ、と紫煙を吐き出して、彼女はそれきり目を背けて黙り込んだ。
てっきり自分への罵倒が来ると思っていたから、彼女自身としては少々拍子抜けですらある。
「ちくしょー……覚えてろ……絶対に見返してやる、何か絶対にやってやるっ!」
「……目標が明確じゃない辺りが泣けるねー」
いつまでもちぐはぐな関係の中、彼は八つ当たりの方向を違うものに定めていた。
少し考えて出来もしないこと、大きな事はそれだけで人を惹きつける。
例えそれが出来なかったとしても、魅力的な事には変わりない。
出来なかったとしても、それを責められることもない――もちろん、自分に。
(どーせ出来ないのに、やめよーよ。そーゆーのさぁ)
けぷり、と煙を吐き出した。
数年後、彼らはやる事は小さくて弱々しい上にそれほど大きくもない犯罪をするくせに、、危険な場数を数え切れないほど踏みながら、
何故か追い立てる警察にも捕らえられずにしぶとく生き残り続けている変わった犯罪者としてその方面で多少、名が知れる事になるのだが。
それはまた、別のお話。
最終更新:2008年01月15日 21:44