※お初に御目文字仕ります。執筆者の宗龍と申します。どうかお見知りおきの程を。
この度は当小説をご覧頂き、誠に有難う御座います。
まず始めに、当小説に関しての補足・注意事項を述べさせて頂きます。
・この小説は、『バトル&シリアス』が中心です。
・シンオウ地方を題材としたオリジナルストーリーです。
・一部、萌えもん分布や進化・捕獲LV、技習得LV上の矛盾点が含まれます。
・多少、独自の設定も含みます。
・全10話+αを予定しております。
・(重要)この小説は、全体的に重度の鬱・残虐描写を含みます。
(この第一話に関しては、特に問題は無い……はずです)
・SS書きに関しては全くの素人な為、読みにくい点が多々あるかと思われます。
全力で改善してゆけるよう努める所存ですので、ご容赦の程、宜しくお願い申し上げます。
違和感、また残虐描写に強い抵抗を感じる方は、速やかに頁を閉じられることを推奨致します。
……それでは、どうぞ。
少しでも楽しんで頂けることを、切にお祈りしております。
宗龍 拝
――テンガン山。
シンオウを南北に貫く、瞭なる銀嶺。
そこに連綿と語り継がれる、似て非なる二つの伝承があった。
『槍の柱には、時神ディアルガの咆哮が谺している――』
『槍の柱は、空神パルキアの亜空により断絶している――』
街で、里で、まことしやかに囁かれながら、その真偽を識るものは誰もいない。
理由は簡単――彼の山があまりにも人の手に遠く、深奥だからだ。
一歩踏み入ればそこは猛雪、人の子の介入を許さぬ険しき大自然。
故に、野生の萌えもんたちにとっては理想郷。
そんな、人の理から外れたもう一つの世界で――
とある奇譚が、静かに幕を開ける。
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萌えっ娘もんすたぁ異伝・アメジストver.
第一話 『ⅩⅡの溶』
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「さー、むー、いー……」
左の紅と右の白、異なる彩りのサイドポニーがふるふると揺れる。
さく、さくと雪を踏む軽やかなステップは、片足を長く冷やさぬようにというせめてもの抵抗か。
動きやすく丈を調整された闘衣ごとその身を掻き抱き、少女は不満げに鼻を鳴らした。
「……休んでてもいいぞ? 風邪ひかれても困るし」
腰のボールを示しつつ応じるは、青年。
それなりの旅装束に身を窶し、大きな道具袋を背に負っている他は、取り立てて言うところもない。
ただ――その海のように深く優しい瞳に呑まれそうになる、それだけだ。
赤らんだ頬を隠すように少女は首を背け――替わった視界の先、実に涼しげに闊歩する己が姉貴分の姿を認め、眉を顰めた。
「いい。頑張る。いつ危ない萌えもんに出くわすか分かんないし……」
「――寒いと思うなら修行が足りない証拠よ、イズミ」
一蹴。
嘲りではなくあくまでからかい――そんな軽い調子を滲ませて、振り返った姉貴分・ユカリが笑う。
それは少女……イズミも分かっているのだろう。情けなく肩を落とし、漏れ出る声はぼやき程度だ。
「姉御は水モエでしょ? 寒さがへっちゃらで当然じゃんか~……」
「……私が何かに萌えているような言い方はやめてくれない?」
引きつった声のユカリ。確かに聴きようによっては『水に萌えている人』とも取れるだろう――そんな埒もないことを考え、忍び笑いを漏らす青年。
勿論イズミが言ったことは、『水属性の萌えもんだから~』の略に他ならない。
――ポッタイシの、ユカリ。青年にとって初めての仲間であり、最も信頼深い相棒。
水中戦担当として、そして一行のリーダーとして常に皆を気遣ってきてくれた、冷静肌の姉貴分。
その愛くるしいとも言える体毛に覆われた体なら、寒くないのは事実だろう――というより本来はもっと北国に住むべき種族だ。寒いと感じるはずもない。
青年がそんなことをぼんやりと考える間にも、二人の会話は途切れることなく続いていた。
「こう、ぱーっと日本晴れ~! みたいな萌えもん出てこないかな? 炎系のさ」
「間違いなく雪崩で埋まるからお止めなさい……」
お気楽なイズミにやれやれと突っ込むユカリ。こう見えて、それなりに息の合った二人だ。
ただ、確かにイズミにこの寒さは辛いのかもしれない――ぶるりと身を震わせる彼女を見て、つくづくそう思う。彼女の種族は本来、もっと南に住んでいるはずなのだから。
――ザングースの、イズミ。旅の最中に出会った、軽快なる格闘家。
元気で、真っ直ぐで、そして――ほんの少し臆病だった、繊細な少女。
機動戦担当として先陣を切ってくれる、頼もしい存在。
先刻よりちろちろと舞う粉雪のせいで、彼女の二色の衣は白一色へと染まりつつある。
凛然と輝く両眼の煌きこそ失われていないものの、もう少ししたら無理にでもボールに戻すべきか……などと思案しつつ、青年は別のボールを手に取った。
その中ですやすやと眠っているのは、つい先ほど保護したばかりの小さな少女。
青年の手持ちとしては、通算四人目となる――勝手に仲間に数えていいのかは甚だ疑問だが。
「まあ…雪崩やなんやの前に助けられて、よかったな」
その声に反応したイズミが、一瞬の間の後に満面の笑みを見せる。ユカリの表情もまた、呆れ混じりに明るい。
「だよねー、うん、よかったよかった!」
「本当に危ない所だったけれどね……全く、変な娘」
ユカリがそう言うのも無理はない。実際、かなり危険な状態だったのだから。
そもそも青年一行がここ、テンガン山を訪れたのは単なる気まぐれだ。
ただでさえ他よりも人の手が及びにくいシンオウ地方、その霊峰ともなればまさに秘境。
都会の人間がまるで知らない隠れ里や、野生の萌えもんが多数生息する、いわば穴場中の穴場なのだ。
故に、ただ道路を巡るよりかは面白い出来事が待ち受けていそう――という実に気楽な理由なのである。
……実際は、猛吹雪に見舞われただけだったのだが。
ともかくそんな折、青年は彼女に出会った。
――ノズパス。白磁吹き荒れる悪天候の中、岩棚に隠れもせず、ただじっと突っ立っていた女の子。
暢気なのか穏やかなのかは解らないが、もう少し自分の身を省みて欲しいと切に思う。
ただ立っていただけではなく、何かを後生大事に抱え込んでいたのだが――
「ただの硬い石……だもんなあ」
ただの、と言いきるのは少女に対して失礼だろうが、少なくとも青年にはそうとしか見えない。
もしかしたら噂に聞く『岩萌えもんの潜在能力を引き出す』という石なのかもしれないし、ノズパスと言うだけあって強力な磁石の一種なのかもしれない。
だがいずれにせよ――そんなものよりも、まず自分を大切にして欲しい。
ノズパス族のスカートは強力な磁石となっていて、常に北を指して翻ると言うが――そのせいで吹雪に対し露になった素足を護ろうともせず、ただ石だけを抱いて立ち竦む姿は――ひたすらに、異様。
普段乱獲を好まず、いわゆる運命の出会いというものに身を任せる主義の青年だったが、この光景には手を出さざるを得ず。
モンスターボール内の体調調整機能に望みをかけ、強引に連れてきた――という次第である。
どこかの集落に付き次第、温かいお湯で看病しなければと――件の石を抱え込むようにしてすやすやと眠るお嬢様を眼下に、青年は小さく息を付くしか出来なかった。
「お宝ってやつなんだろーね、きっと……」
ひょこっと顔を寄せ、青年に並んでボールを覗き込むイズミの表情は、優しい。
もしかしたら妹分が出来たと、密かに喜んでいるのかもしれない。彼女は自分の手持ちとしては、三人目だから。
けれど、この先連れて歩くかどうかは解らない――少なくともこの山の中でノズパスの群れを見かけたら、そこが彼女にとっての居場所だろうから。
青年が返す言葉に惑った、その一瞬に――
“……ただの石じゃ、ないかも”
思念が、響いた。
「シン姉?」
いち早く反応したイズミが、きょろきょろと周囲を見回す。
けれどもその姿は無い。当然だ――彼女は姿を“消して”いる。
――シン。妖精のような外見をした可愛らしい萌えもん。種族は不明。
……図鑑が認識しなかったのだからしょうがない。おまけに本人も軽い記憶喪失らしく、尋ねてもまともな答えが返ってこない。
全くの新種なのか、何らかの亜種であるのか――気にはなるが、あまり追求しないことにしている。
故郷であるフタバを発ってすぐ、行き倒れているところを助けて以来の仲であるが――
知っていることと言えば、エスパー……『念』の力を得意とすること、念話や姿消しなどが可能なこと、そしてひどく気まぐれなこと、その位である。
一通りの信頼関係はあるので、その辺に関しては問題ないのだが。
とまれ、ふわふわと見えない姿で漂いつつも、しっかり耳を傾けていたらしい。
いや――或いは、ずっとノズパスの少女のことを心配していたのか。
三人の心に直接響いてきたその声は、そう感じさせる程度には張り詰めていた。
「ただの石じゃないって……実はひほーとか!?」
「何か特別な力を感じる……という事?」
イズミとユカリ、それぞれの反応に対し、漏れ届いた感情は……困惑。
“……わかんない、何となくだから……”
それきり念話が途絶え、沈黙、はらはらと舞い落ちる粉雪の存在を今更ながらに意識し始めた頃――
かちり。
しゅうん。
腰元から聞こえた耳馴れた音に、とっさに目を向ける。
カタカタと揺れる、空だったはずのボール。どうやらシンが透明な姿のまま、勝手に戻ったらしい。
“……おやすみ”
最後に届いた一言が、その場の三人の間になんとも言えない空気を生み出す。
「なんていうか、あの子らしいわね……」
ユカリの苦笑に、同じ表情で返す。まあシンには今日、宙に浮ける特性を頼りにさんざん周囲を警戒してもらった。疲れるのも無理はないだろう。
などと心の中で労っていると、もう思考を切り替えたらしいイズミがぐい、と身を寄せて来た。
「ねえねえ旦那っ、それでこの子の名前、どーするの?」
「な、名前?」
「そう! このノズパスちゃんの!」
実に活き活きと語るイズミ。やはり先ほどの懸念は当たっていたらしい。
とはいえ、水を差すにも忍びなく。
何より、ユカリやイズミ、シンに想われる彼女の存在を、より確かなものとしたくて。
少し考えた後、青年は唇に乗せる。その一言を。
「……ココロ」
「……心? うん、いい名前だね! ……でも何でまた?」
喜色の後、はて、と首を傾げたイズミ。その向こうから除くユカリの目は、ほんの僅かに冷たい。
「まさか……硬い石と意思を掛けて……ってことはないでしょうね」
――その瞬間、吹雪よりなお冷ややかな空間が展開したのであった。
無論、そこまでお気軽に付けた訳ではないのだが、何だかみんな楽しそうなのでよしとする。
「兄ちゃんに名付けてもらって良かったよ、ボク」と胸を撫で下ろすイズミ(彼女だけは始めから名前があった、おそらく肉親から付けられたのだろう)、
「私の場合も、『こうして知り合ったのも何かの縁だから』って理由だったしね……はあ……」と溜め息交じりのユカリ、
我関せず、ボールの中で息を潜めているシン(彼女の場合、出会ったのがシンジ湖という泉の近くだったからだ)。
……ネームセンスはともかくとして、彼女達が賑やかに過ごせる毎日がそこに在るなら。
自分はどんな自分にもなれる、どんなことでもしてあげられると、そう青年――アメジストは思うのだ。
これから数日に待ち受ける、冷酷で、凄惨で、苛烈な悪夢を知りもせずに。
――最初に気が付いたのは、ユカリだった。
足を止め、自らの肌で何を感じ取ったか、しきりに体毛を撫で付け始める。
「……どうした?」
釣られて振り返った二人――アメジストとイズミの瞳を真っ向から見据え、告げるユカリの声は低い。
「……気温が、さっきより上がっているわ」
「え、ホント?」
震える体を抑えていた二の腕を離し、体を左右に揺するイズミ。
舞い降りる粉雪にあえて顔を晒している。先ほどまでとの感触の違いを確かめるかのように。
「……わ、ホントだ! わーい、やったー!」
子供のようにはしゃぎ始めるイズミ。確かに、顔に触れた粉雪はすぐに形を失い、涙のように彼女の頬を伝っていった。気温が上がり、氷の世界が崩れ始めていることの証左だろう。
「もうじき里に付くはずだし、これでちょっと楽が出来るな……」
アメジストもまた、労苦に覆われていた喜色を吐露する。
手にした地図――山に登る前に地元の行商人から仕入れた、タウンマップにも乗っていない隠れ里の数々を記した古びた地図。いわば『テンガン山マップ』を握り締め、ほっと一息。
――そんな二人の安堵とは、対照的に。
天空を仰ぐユカリの表情は、ただただ、冷たい。
「……ユカリ?」
眉を顰めたアメジストの呼びかけに、浮かれるイズミも流石に我に返り、不安げな色を見せる。
そんな二人を省みる事もなく、ただ呟くユカリ。
「――空が、昏い」
はっ、と弾かれるように、全員の意識が遥か上空へと向く。
そこは、曇天。
鈍色に染まる綿から零れ落ちる礫は紛れもなく銀雪のそれであり、ぐずついた山の気候としてはなんらおかしくはない。
――周囲の気温が、今こうして目に見えて上がってさえいなければ。
「晴れてきたんじゃ、ないの……?」
零れるイズミの声には、張りがない。
それはそうだろう、空模様だけ見ればこれからもっと冷え込むのだとしてもおかしくないほどなのだから。
「……人里近いはずだから、それで、ってことかな……」
「……さあ。それで済めばいいでしょうけどね」
質疑応答の形を取りつつも、交わされる声に楽観の要素はない。
この微かな気温上昇の原因が何であれ――近くに尋常ではない熱源が存在する、それだけは確かなことなのだから。
――推測は、確信へと昇華する。
銀粉の幕が及ばなくなり、白の床が茶へと戻り、やや遠方で煙が立ち上るのを視認した、その頃には。
自然早まる三人の足。いつしか乾いた大地を全力で蹴り、煙の発生源へと駆ける。
白き弾丸と化したイズミを筆頭に。アメジスト、ユカリが横並びに。
滑り込む。
赤熱の帳が支配する、炎獄の里へと――。
あたしは、とても愚図な萌えもんだった。
何せ、ちゃんとした足がない。まともに動くことすら出来ず、ただ醜く這いずり回るだけ。
火の粉を起こすことだけはほんのちょっと得意だったけど、結局喧嘩になれば、何も出来ずに伸されてしまう。
でも――そんなのろまで役立たずなあたしを、皆が拾い、育ててくれた。
姉たちの一人一人が優しく、穏やかに、あたしを見守ってくれた。
一緒にいた時間こそ短いけれど、はっきりと分かる。
姉たちは――『絶対』なんだと。
その姉たちが言うんだから、間違いない。
あたしのしていることは、正しいことなんだ。
それに……ほら。
あたしがいくら火の粉を巻いても、オニスズメ一人追い払えなかったのに。
今ではこうして、ほんの少し、気を入れるだけで――
ぼん、と音がする。
樹がよじれ、家がひしゃげ、人が惑う。
あたしの炎一つで、どうしようもなく崩れてく。
気持ちいい。
すごく、気持ちいい。
今、あたしは生きてる――生きていていいんだ。
だから――
「――おまえっ! 何してるんだっ!」
……あたしを止めようとするこの女は、間違ってる。
アメジストがようやくにして踏み込んだ場――そこは断じて、人里などではなかった。
墨と化した家だったもの、根を残し無残にも消失した木々だったもの、火傷を押さえ這い回る人、だったもの。
それら全てを舐めとらんとする、炎、炎、炎。
ここは、人里ではない。
こんな自然の怒れる場に、脆弱な人間達が住めるはずなどない。
そうせしめたは、たった一人の少女。
土色の殻を背に負って、赤く爛れたその身をも厭わず、ただ邪魔者・イズミを睨め殺さんとする、整いし貌――
「マグ、カルゴ……?」
呆然と呟くしか出来ないアメジスト、そんな彼を庇うように、イズミがばっと腕を広げる。
「気をつけて旦那……こいつ多分、強い」
ようようアメジストに思考めいたものが還って来たのは、イズミに護られ、そしてユカリにくい、と袖を引かれてからだった。
「ジスト……まずいわ。里の半分くらいにはもう火が回ってる」
その目は真っ直ぐにアメジストの深奥を見据えている。私が今すぐ火消しに回るか――聡明な瞳が、口にするよりも如実に語りかけている。
その求めが――アメジストに、トレーナーとしての正常な判断を呼び起こさせた。
「いや、駄目だ――いくらユカリでも、これだけの火を消すには時間が掛かる。それにユカリには、あいつを止める側に立ってもらいたい……」
それはどちらも事実だった。いかに効率よく『水の波動』を繰り出そうとも、出火箇所、規模を考えればまさに焼け石に水でしかない。
何より――岩と炎の体を持つマグカルゴを止めるのに、ユカリの水の力は必須と言えた。
「じゃあ、ボクかシン姉が行く? 大したことは出来ないだろうけど」
怪我した人を助けるくらいなら何とか――そう告げつつも、イズミの眼はマグカルゴを見据えたまま微動だしない。単に警戒を怠らない、よりも剣呑な意思が、そこには宿っていた。
瞬時の思案、それを遮るは……腰に微かに流れた振動。
結わえられたボールが二つ、何かを訴えるかのように震えている。
慌てて手に取り、凝視。ボール上部、透明なカプセル越しに、アメジストを仰ぎ見る二対の瞳があった。
そのうちの一人は勿論――シン。何でさっさと私を出さないのよ、と言わんばかりに激しく身を捩じらせている。
そして、もう一人は――
「ココロ……」
岩の体を持つ小さな少女は、もう眠ってはいない。
周囲の異常を鋭敏に感じ取っているのだろう、その華奢な体をいっそ哀れともいえるくらいに震わせて、縮こまらせて、
――それでもその瞳は、濁ってはいなかった。
それが、その確かな意思が、アメジストの腕を振り上げさせた。
「――シン、ココロッ!」
投げ放ったボールは二つ。
飛び慣れたシンはともかく、突如として中空に放り出された形のココロは驚き手足をばたつかせ、スカートの裾を軽くはためかせ、例の石だけは落とすまいと強く身を強張らせ――
シンの『念力』によって体を固定され、事なきを得る。
「シン、ココロと里の人たちを頼むッ!」
口にするのはそれだけで充分、具体的な手順はシンの方で勝手に読み取ってくれる。
小さく頷いた赤き妖精はココロを念導力で引っ張りつつ、遥か上空へと消えた。
そんな光景を、黙って見据えていたマグカルゴが――少なくともアメジストの知る限りでは初めて、口を開いた。
「……さっきから何なのよぅ、あんたらぁ」
思ったよりも透き通った、しかしやや舌ったらずな声。
語尾に特徴のある独特な訛りには、凶行とは程遠い素朴さ、幼さが感じられる。
だがそれは関係ないことだ。現に里を焼いているのは彼女であり――そして彼女は、怒っている。
子供らしさ、ともすれば説得が通じるやもという純粋さが及ばぬほどのレベルで――猛っている。
「なんであたしの邪魔するのよぅ。酷いじゃないのよぅ」
「ひどいのはおまえだ、悪党ッ!」
負けじと叫ぶイズミを制し、なるべく穏やかに冷静に、言葉を選んで語りかけるアメジスト。
交渉に焦りはいらない。焦るのは全てが破れてからでも遅くはないのだ。
少なくとも話している間だけは、これ以上直接的な被害は広がらなくなる。そしてシンに託したあの策が功を奏するまでの時間を、稼ぐことが出来るのだから。
「キミ……君はどうしてこんなことを? 君は野生の萌えもんなのか……?」
「……んーん、ただの野生とはちょっと違うのよぅ」
小馬鹿にするような微笑を浮かべ、得意げに首を振ってみせるマグカルゴの少女。炎景をバックにしたその所作は、小悪魔などという生易しい概念で済まされるものではない。
「あたしたちはぁ、泣く子も黙る萌えもん集団・『ジュウニシンキョウ』っていうのよぅ。聞いたことない?」
「十二……?」
急に持ち出された小難しい単語に、思わず眉を顰めるアメジスト。その間を継ぐように、すかさずユカリが口を開く。
「――このテンガン山を専門に荒らし回る、萌えもん山賊団……で、間違ってないかしら」
「そーなのよぅ」
えっへん、と胸を張って応えるマグカルゴの少女。そのやり取りの合間に、アメジストもはっきりと思い出していた。
この山に登る前、行商人のおじさんに買い物ついでに聞いた、物騒な話を。
――なんでもここ最近、野生の萌えもんが集って人里を襲うことがあるらしいぜ。ほら、あいつらってば頭良いからさ……。
確かに一般的に、『萌えもん』はその前身と伝えられる『ポケモン』たちより高水準の知性を有しているとされる。それこそ、文明の民である人間にも匹敵するほどに。
そして――その持てる力に関しては、言わずもがな。
こんな存在が本気で人間に牙を向けばどうなるか――それは各界の裏でまことしやかに囁かれる、一番の懸念でもあった。
ましてここはテンガン山、元より人の手の及ばぬ場所。『神』の存在すら伝わるほどの、萌えもんたちにとっての聖域。
そこで今、人間たちにとって最も恐れられる萌えもん集団の名――それこそが、『十二神鏡』だ。
すっかり失念していた。というより『鏡』などと付いている分、ひょっとしてドーミラー十二人の集団かな、という見積もりで動いていたりもしたのだ。
これほどまでに直接的な脅威とは――はたして一介の旅人に、どこまで予測しうることか。
心なしか青褪めた表情のアメジストに気を良くしたか、マグカルゴの少女は更に得意げに、その薄い胸を張ってみせる。
「ふふ、驚いた? そう! このあたしこそ、『ジュウニシンキョウ』の『ジュウニカガミ』なんだよぅ!」
「――は?」
また訳の解らないことを、というのが率直な感想だ。
何を言いたいのかさっぱり掴めない。問いかけたいが、悦に入っている状態の彼女では説明してくれそうもない。
尤も、混乱は眼前のイズミにしても同じだったようで。
「……な、なんなんだよさっきから! 十二十二って、もおー!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいイズミ」
気が立って今にも飛び掛りそうなイズミを宥め、陣前に立つユカリ。この状況で最も頼れるのは、やはり彼女を置いて他にはいない。
……その彼女ですらも、流石に困惑の色は隠せないようだが。
「か、確認させてもらうわね。貴女達は『十二神鏡』。萌えもん山賊団」
「そーなのよぅ」
「さっき言った始めの方がその、……貴女達のグループ名なのよね?」
「そーなのよぅ」
「じゃあ、次に言った方は、……役職とか階級とか、そういった類のものかしら?」
「そーなのよぅっ! あたしこそ十二姉妹が一人、『ジュウニカガミ』なんだってばぁ!」
「十二人のうちの、『十二鏡』?」
「そ~うなのよぅっ!!」
「……つまり貴女、一番下っ端?」
――嫌な風が吹いた。
妖しい風だとか吹き飛ばしだとか、そんなものとは比較にならぬほどの圧倒的冷気。
平たく言えば――あまりにも状況に似つかわしくない、白けムード。
「う、ううう、うるさいってばぁ――!!」
キレた。当然のように、そして文字通りに、噴火した。
彼女の地団駄に呼応して巻き上がった炎球が、地に新たな焦痕を穿ってゆく。
「あたしは、あたしはっ! 要らない娘じゃないんだってばぁ――――!!」
激昂は違わず炎となり、燃料は尽きることを知らず。
再度、里全体に舞い降りんとする烈火の舞――『噴煙』。
「あら……挑発に乗ると攻めの技しか出せなくなるとは聞いていたけど、本当みたいね」
「じゃなくてっ!!」
ユカリさん、どうして貴女は冷静なくせに肝心なところで天然なんですかっ! と思わず丁寧語で突っ込みたくなるのをぐっと堪え、必死に頭を回転させる。
もはや説得は不可能、シンによる一手も残念ながら間に合わず。ならば策は一つ――実力行使!
「イズミ、『電光石火』っ!」
「! うんっ!」
反射は、半瞬。
一、二と軽快に踏まれたステップは、三の踏み込みへの布石。
ぐ、と地を押し込んでの鮮烈な加速が、彼女を誘う。前へ、前へ――敵を裂け、と。
けれど、赤き少女もさるもの。
あちこちから鳴り渡る倒壊音の中、ほんの幽かに地を触る音に鋭敏に反応。ぐるりと身を捩りがてら、殻より漏れ出でる火種をそのままに拡散させる。
『火の粉』――炎系の技としては初歩中の初歩、しかしその数は二十を凌ぐ!
「……ッ!」
息を呑み、しかし躊躇わない。無数の灯による壁に綻びが生まれることを、疑いもしていないから。
信頼は、水の矢を模って飛来する――火の粉の幾粒かを巻き込み、瞬く間に蒸発させる、数発に及ぶ『水鉄砲』。
ユカリによる、イズミの猛追を妨げない角度での、最上にして最良の援護。
道が、拓けた。
一つ、二つ、大きく左右に揺れて炎の壁の間隙を縫い、三歩目で跳躍。赤き少女へと伸びる、勝機への一踏。
流石に予想外だったのだろう、紅蓮の帳から抜け出し襲い来る白き獣の姿に、少女の表情が目に見えて引き攣る。
その機を逃すイズミではない。呆然と立ち尽くす少女の胴、その溶岩を思わせる身体へと左腕を突き出し――
――柔らかな赤き体躯が、殻の中へと呑み込まれた。
「えっ!?」
驚愕は刹那。イズミの鋭爪――彼女の外見上で唯一人間と異なる、紛れなき萌えもんと知らしめる部位――が、乾いた音を立てて甲殻に弾き返される。
殻に吸い込まれたマグカルゴの少女は今や、一個の堅牢な要塞と化してイズミの眼前に鎮座していた。
それが、染まる。土色から紅へと、漏れ出でる火も高らかに――
直感、本能が、イズミの体を引き戻した。
後転、そしてバックステップ。未だ熾火燻る地帯を強引に抜け、アメジストたちの前にその身を投げ出すようにして止まる。
荒い息――それが彼女の緊張を、切に物語っていた。
それは、赤の少女とて同じこと。
イズミが感じた反撃、追撃の予兆――それを実際には行わず、おっかなびっくりといった風情でその身を這い出させる少女の顔色は、焦燥そのもの。
「は、疾すぎよぅ……」
それに応じるように、イズミもまた呟く。
「硬っ……それに、攻撃範囲広すぎるよ……」
奇矯にも互いを称え合う形となり、再度対峙する二雄。それを押しとどめたのは――つい先ほど援護の手を差し伸べた、水の女性であった。
「――下がって、イズミ。貴女では不利だわ」
イズミの攻撃の間に、体内の水気を練っていたのだろう。はっきりと知覚できるほどの清廉な気を纏わせて、矢面に立つ蒼の海鳥。
その動作は――他でもない、彼女の主に当たる青年によって、阻まれた。
「待った、ユカリ。撃ち合いになったら多分、里の被害がヤバイことになる……」
「それは、そうだけれど……」
狙い済ましたユカリの一撃はともかく、赤の少女が無差別に溶炎を撒き散らせば、確実に取り返しの付かない事態となる――それが分かるからこそ、彼女も口を噤まざるを得ない。
難しい顔で考え込むユカリに、慌てて付け足すアメジスト。
「いや、戦うなって言ってるんじゃなくて。むしろ一撃で決めて欲しいんだ、出来れば」
「一撃で……?」
真意を確かめようと顔を上げたユカリに対し、アメジストもまた真摯に頷く。
「下手に傷つけて、逆上させて、暴れ出されたら――例え彼女を止められても俺たちの負けだ。そうならないよう、一発で気絶させて欲しい」
「……なるほど。一度の攻撃に全てを賭ける、って事ね」
「ああ、で、そのために――」
「――ボクが、隙を作ればいいんだよね」
言葉を継ぐイズミの瞳は、前方、焦土に立ち尽くす娘を見据えて揺らぎもしない。
かちゃ、かちゃと左右の爪を摺り鳴らし、昂揚した意志だけをひたすらに保っている。
「そうなるが……イズミ、大丈夫か? 手、火傷してないか」
「え……」
問われ、初めて己が掌を見やる。――同族も見惚れるほどの輝く爪、そして少女らしき艶やかな指先がほんの少し、焦げていた。
興奮したマグカルゴの体温は、数千℃を遥かに凌ぐという。
そんな相手に、徒手で挑んだ愚。
一歩間違えれば――焼け落ちて喪っていたかもしれない、二の腕。
イズミの背に悪寒が走る。怖れという名の、冷たい水が。
「――手、貸しなさい」
そんな彼女を支えたのは、心より信頼する姉貴分。
触り心地の良いふわふわとした手でイズミの腕を取り、おまじないのように指先を擦り――淡い水球が、イズミの掌を包み込んだ。
『泡』。ユカリの母性がそのまま形となったかのような仄かな煌きが、イズミの指先を、畏怖に染まりそうになった精神を、癒しゆく。
「あ、ありがと……」
「――無茶をしたら、許さないわよ」
咎める声は真剣で、だからこそ心地よく。
イズミはごく自然に頷く。零れ落ちるような仄かな微笑に、決意を乗せて。
「うん。……ボク、行ってくるよ」
――苛々する。
見据える前方、互いを支え合う邪魔者たち。
あたしに牙を向いた白の女が、水色の女性の治癒を受けて、はにかんでいる。
見せ付けられる、絆。
なぜだろう。
あたしにも、誇れる姉たちがいるのに。
慈しみ、気に掛けてくれる仲間がいるはずなのに。
――どうしてこんなに、じくじくと胸が痛むんだろう。
溜まった澱みはあまりにも気持ち悪くて、腹立たしくて、
だからあたしは、それを思うままに吐き捨てる。
……不純物は、盛り狂う火球の姿をしていた。
再度こちらに向かって駆けてくる女、その四肢を髄まで嬲り尽くさんと迫るあたしの炎。
けれど、女はこちらが見惚れるくらいの華麗な挙措でそれらを見切り、捌ききってみせる。
(――あの一度の交錯で、あたしの炎を見切ったっていうのぉっ……!?)
こうして積極的に詰め寄ってくる相手には、あたしもただ無為に炎を巻くわけにはいかない。
ある程度、小回りの利く紅――必然、それは小規模なものとなる。
そんなところを見透かすかのように、リズミカルなステップで安置を渡り継ぎ、迫る白の女。
けれど相手が慣れたように、今回はこちらにも余裕がある。
怯えに任せて殻に閉じこもるのではなく、むしろ殻を盾のように使い、女の一撃を凌いでみせよう。
先ほど殻越しに受けた感触は――それが充分に可能であると、あたしに直感させた。
背殻であの爪を弾き、バランスを崩した女に、至近距離からの炎弾。
惚れ惚れするような純白の身体に相応しい……白骨に、してみせる。
そうすることで、あたしは生きることを許されるのだから!
決意と共に、あたしは繰り出された女の爪に、むしろ叩きつけるように殻をぶち当てて――
ぐらり、と傾いだのは、あたしの身体だった。
「……あああああぁああああっ!!」
激突。
爪に伝わる負荷、殻越しに滲んでくる仄かな熱気に押されながら、イズミは吼える。
信じている仲間のために。
信じてくれた仲間のために。
「……さっきの一撃は、手加減してたよな」
ユカリの治療を受けているイズミに対し、ぽつりとアメジストが漏らしたのはそんな一言だった。
「ごめん、なさい……ボク、やっぱり、どうしても」
どことなく責められているように感じてしまい、静かに項垂れるイズミ。
アメジストの指摘は……全く以て正当だった。
身体を動かすこと、競い合うこと自体は好ましく思っていても、致命傷を与える――殺してしまうことだけはどうしても出来ない、臆病者。
それがイズミの思う、己の姿。
宿敵・ハブネーク族と常に競い、傷つけ合い、ただ無為に死にゆく……そんな未来がどうしようもなく怖ろしくて、目を背けたくて。
そして群れを追われた、救いようのない自分。
故郷への未練をせめて断ち切るようにと、ジョウト、カントーへ渡り……そして、シンオウへ。
その間、ずっと一人だった。
体質的にも慣れぬ雪国にまで至り、もうこのまま一人で朽ち果てていくのだと、覚悟も決めていた。
……そんな折だった。その青年と出会ったのは。
アメジスト。見慣れぬ二人の萌えもんを連れた、心優しきトレーナー。
彼自身が競技としての萌えもんバトルはともかく、野生の萌えもんを相手に乱暴するような性格でなかったこともあり、驚くほど簡単に打ち解けて。
呆れるくらい弱い自分を、うちの機動戦担当になってくれないか、とまで誘ってくれて。
……彼のおかげで、それなりに備わっていたらしい持ち前の身体能力は再び花開くこととなった。
彼が見守る中では闘いへの嫌悪も忘れ、純粋に力を発揮することが出来た。
それなりに、役に立てていたとも思う。
――けれど、いくら場数を踏もうとも、染み付いた本性がそう簡単に拭えるはずもなく。
いかに分かりやすい悪事、暴挙への憤怒で誤魔化そうとしても――致命的な一打だけは、放てない。
競技ならともかく、このように命まで賭けねばならない局面では、邪魔でしかない甘さ。
アメジストが窘めるのは、当然だ。
――しかし、だというのにこの青年は、本気で咎める気など露ほどもなかったようで。
「いや、違くて! 無理をして欲しいわけじゃないから!」
そう言って、手を振って見せるのだ。
「え……?」
「そのままでいいから。イズミは、そのままで」
――そんな言葉に、どれほど救われてきただろう。
ユカリといいアメジストといい、自分の周りの人達は、優し過ぎる。
零れそうになった涙を何とか抑え込んで、イズミは耳を傾ける。青年の真意、トレーナーとしての指示に。
「ただ、次の一撃だけは全力で叩き込んで欲しいんだ。勿論、あの娘の身体にじゃなくて――」
殻に。臆面もなく言い切ったアメジストの顔を、イズミは驚愕を以て見詰める。
ついさっき、いとも容易く弾かれる様を目の当たりにしているというのに。
どうしてこんな自分を、信じられるというのだろう――
「マグカルゴの殻ってさ、確かに硬いけど、意外と衝撃には脆いはずなんだ。高温の皮膚が冷えて固まって出来ただけだから」
ユカリが水の力ならば、アメジストは知識。トレーナーとしての判断が、イズミを全力で後押しする。
「信じてる。イズミなら、やれるって」
そうまで言い切られてしまっては――
ただひたすらに、爪を突き出し続けるしかない。
『殻が壊れればその一瞬、必ず彼女のバランスが崩れる』アメジストはそう指摘した。
確かに、赤き少女はその重い殻を背負った状態が常――負荷があること前提で重心を取っているに違いない。
ならばその片側だけでも、砕けてしまえばどうなるか。
耳に届く、軽い破砕音。
不協和音に導かれるように、次第にめり込みゆく銀の煌き。
歯を食いしばり、イズミはただ突き出す。
己が忌み嫌う破壊の力。
青年が認めてくれた、破壊の爪。
「『ブレイク……クロォ―――――ッ』!!」
――帳が、割れた。
崩壊は連なり、殻の片面だけを縦横無尽に罅き砕く。
ぐらり、と、少女が揺れた。
無事な片側の重みに引きずられるように――身体が、傾ぐ。
壊れた甲殻、その裡に秘められた溶炎に手を焼かれるよりも速く。
白き獣は飛び退り、そして。
「今だよ、姉御――――っ!」
間髪入れずに叩き込まれた蒼き奔流、荒ぶる水の輝きが――
赤き少女ごと、焦土を呑み込んでいった。
炎と水が打ち消し合い、嫌な音を立てて燻る大地に、力なく横たわる少女。
打ち砕かれた殻の狭間から、まるで鮮血のように溢れ出る溶流は、しかしすぐに冷えて光沢を失ってゆく。
それはまるで、彼女の命そのものが零れだし、掻き消えてゆく様のよう。
「………………あぅ……さむい…………さむい、よぅ……」
聞き取るのも困難なほどの、か細い声。既に彼女には、戦いを続ける気力も体力も存在しない。
『ハイドロポンプ』――ユカリによる至高の一撃は、少女の魂までも湿らせるに事足りていた。
力なく伸ばされる、淀んだ少女の腕。その手を取ってやれるものも、ここにはいない。
ただ――
「……大丈夫、か?」
それでもアメジストは、顧みずにはいられない。
アメジストだけではない、ユカリも、イズミも――確実に哀れみ以外の何かを宿して、少女の傍らに存在していた。
そんな風に見下ろされる己の姿を、どう取ったか――
横たわったままの姿勢で、少女は薄く、自嘲った。
「…………あたし……負けたのねぇ」
「……ああ、そうだな」
否定はしない。したところで彼女の心は、安らぎはしないだろうから。
少女の瞳が、ふい、と遠くを映す。
葉の替わりに、炎を宿して踊る大木。舞いあがる火粉。染まる大空。
油臭く、ゆったりと漂いくる、炎熱の風。
「でも……勝ったのよぉ」
強がりでもなく、皮肉でもなく。
貴くすら見える少女の微笑みを、しかし青年は否定する。
布石は既に、為ったから。
「……もう、いいんだ」
アメジストの呟きに、赤の少女の視線が再び戻り、そして薄い視界の中、初めて気付く。
青年の、いや、ユカリやイズミにまで及ぶ、薄い光の膜。
空気を固めて服としているような、なんとも不可思議な光景。
「――それ、」
何なの、と問うよりも先に。
…………ぱら、ぱら。
不意に、上空から舞い降り始める――小さな、土くれ。
始めはごく僅かに、しかし次第にそれは数を増し、すぐに雨のように連なり始める。
砂嵐――否、土嵐。
「な……!」
苦痛に喘ぎつつも、驚きの声を上げる少女――自力では舞い散る礫から身を護れそうにない彼女を庇いがてら、アメジストが耳元で呟く。
「広範囲の火を消すなら、水よりも砂――さ」
アメジストの言葉を、証明するかのように。
あれほど熾烈に盛っていた炎災が、砂の舞踏に巻き込まれ、いたるところで掻き消えゆく。あたかも、魔法を解かれた飴細工の如く。
もはや赤の少女は、驚嘆を隠しもしない。
己の存在意義、生そのものと言えた赤が蹂躙されゆく様を、ただじっと眼に映すだけ。
やがて、里の大勢が決した頃――
“ごめん、ちょっと手間取ったわ!”
不意の嵐、それを生み出せし存在が、アメジストたちの元へと帰還する。
シンと、ココロ。
相変わらずの念話から伝わる彼女の思念は、酷く疲労に塗れている。里全体に影響を及ぼすような力を行使してもらったのだから当然だが。
ココロは――初めての空中旅行がよほど恐ろしかったのか、それともこちらも力の使いすぎか、ぐったりと項垂れて動かない。
「いや――助かったよ。お疲れさま、二人とも」
アメジストに続き、ユカリやイズミも影の功労者達を称え、一件落着の空気が流れ始める。それに付いて行けない者が、ただ一人。
「なにが……どうなってるのぉ……」
必死に首を擡げながら、何とか身を起こそうと喘ぐ赤き少女。その動作をやんわりと制しつつ、アメジストは穏やかに答えを返す。
「ココロ――このノズパスだけど、彼女に岩を作ってもらって、砕いて撒いたんだ。シンの『念力』でね」
そう、火災に対処するためにアメジストが考え付いた策――それこそがこの、簡易砂嵐。
砂の風を用いて、火をもみ消すという荒業。
ココロがもう少し自在に岩を操れれば話は別だったのだが、流石に捕獲したてで、そこまでの力は見込めなかった。
そこで、シンの出番というわけだ。
上空にて『岩落とし』用の岩を現出させ、それを『念力』で細かく砕く。
後は頃合を見計らい、用意した多量の土砂を降らせるだけ。それで十中八九、火は消える。
無論そのまま降らせたのでは、怪我人や、木材の下敷きになっている人の呼吸までも塞いでしまうことになる。
それを防ぐのが、この光の膜。これもまたシンの力によるものだ。
おそらく実際に土を降らせるまで間があったのは、優先的に保護すべき里人を吟味していたためだろう。アメジストとしてもつくづく頭が下がる思いである。
とまれ、紐解いてみればいかにも単純、原始的な手段。
破られた側の少女としては、何を思うのだろうか。
“さんざん苦労させられたんだから、あんた、反省しなさいよね!”
と念話で毒づくシンの姿に、みんなの間から緊張が抜けたことも手伝った朗らかな笑いが起こる。
この時――アメジストは、忘れていた。
今回の被害者が自分たちではなく、彼らであったことを。
「旅のお方……」
突如投げかけられたしわがれた声に、ぐったりとしたココロを除く全員が一斉に振り返った。
果たしてそこに居たのは、老爺。この里の長老だろうか、煤汚れた衣服を身に纏い、杖に縋りつきつつ、それでもその二の足で確かに立っている。
見たところ、火傷に苛まれている様子もない。対処か運、そのどちらかに恵まれたのだろう。
「村を救っていただき、感謝の言葉もない……」
深々と下げられる白髪。何倍も年を連ねている人物にそんな態度を取られては、アメジストにしても却って恐縮してしまう。
「いえ、そんな! 偶然なんとかできただけです、本当に」
謙遜ではない。少なくともアメジスト自身はそう思っている。自分の力などなきに等しい、里を救えたのは仲間達の覚悟と力があってこそだと。
事実、この中の誰が欠けていても、被害をここまで抑えることは出来なかっただろう。
そんなアメジストの態度を好ましく思ったか、老爺が穏やかに白髭を撫でる。その瞳が微かに――開いた。
「後ほど村人総出で、ご恩に報いさせていただきましょうぞ。さあ……そこな娘を、こちらに」
「――この子を、ですか?」
とっさに、赤き少女を庇うように身を動かしてしまったのは――何故なのだろうか。
淡々とした老爺の口調は変わらない。しかし確かにその場の空気が変じつつあることを、誰もが感じ取っていた。
「あ、あの、この子……どうするん、ですか?」
おそるおそる、伺いを立てるように口を開くイズミ。その傍らのユカリは既に何かを予測しているのか、険しい顔のまま口を開こうともしない。
イズミの確認に、老爺はなんら気負うこともなく応えた。ごく自然に。
「殺すことに、なりましょうな」
「――殺、す?」
びくり、とイズミの体が固まった。半ば予想していたのだろうその答えを、うまく呑み込むことが出来ずに息を詰まらせる。
縋った視線の先――ユカリは、静かに首を振るのみ。
絶句するイズミ、そしてアメジストの前で、老爺は静かに、本当に静かに息を付いた。
「……お嬢さん、わしらは弱き存在じゃ。この里も、野生萌えもんの生活範囲の隙間を縫って開かれた場所。いざという時、ここを護れるだけのトレーナーもおらん」
遠い目で語る老爺の姿は、決して感情的なそれではない。だからこそ逆に、底冷えする寒々しさを抱かせる。
「……その娘のもたらした災いで、多くのものが沈んだ。先に関わる傷を負った者、命を落とした者も、決して少なくはない」
ちらり、と横目でシンを見やる。彼女の表情もまた、確かな苦渋に歪んでいた。
念の力で里人達を保護していた彼女だ。被害状況に関しては、仲間内の誰よりも詳しい。ならば……事実、なのだろう。
赤き少女に科せられた、確かな罪悪。
「その娘の首なしに、心許せぬ者もいる、ということ……お解りいただけたならば、さあ」
そして、求め。引くことも、立ちはだかることも叶わず、イズミは今にも泣き出しそうな力なき視線をアメジストへと向ける。
いや――イズミだけではない。
ユカリ。心の奥底まで見通すような澄んだ瞳で。
シン。理屈と感情の狭間、苦りきった思案の瞳で。
ココロ。完全に空気に呑まれ、怯えきった子羊の瞳で。
それぞれがそれぞれの意思を以て――アメジストを促している。
青年は――
ただ、惑う。
彼女は、人を殺した。焼き殺した。幾つもの命と未来を消した。
それは、罪だ。
なら彼女が殺されれば、その罪は消えるのだろうか?
そも――何が、罪と言えるのか。
萌えもんが、人を害したから?
人は、平気で萌えもんを利用するというのに。
娯楽のためだけに、互いに傷つけ合わせる生き物だというのに。
あるいは、責められるべきは彼女の短慮だとか、そういった部分なのか。
それすらも、何らかの事情はあるかもしれないのに。
それら全てに答えを出す権利が、自分はおろか――彼女自身や里人たちにすら、あるのだろうか?
解らない。
彼女を引き渡すのが正しいのか。
彼女を助けようとするのが正しいのか。
泥の中に沈んで、浮かび上がらぬ答え。
けれど、それでも。
「俺は――」
「……い」
落とされたのは、吹けば飛びそうなほどのか細い声。
けれど張り詰めた空気の中、それを聞き逃す者がいるはずもなく――視線が、集う。
砕けし殻を負った、溶炎の少女。
身を捩り、ただ起き上がる、そのためだけに全ての力を注ぎ込む。
震える両の腕を、懸命に叱咤して。
ぽろぽろと、とめどなく紅玉の雫を零しながら。
それは、命。
生きるということ。
「あたしは……死なないぃーーーーーっ!!」
あまりの気迫に、声を掛けることすらままならないアメジストの目の前で。
小さな炸裂音と共に……闇が、膨れた。
「な、なに!」
老人が叫ぶ。不意に冬の夜闇に落とされたかのような、それは濃黒。
「え? え?」
ただただ困惑するイズミの気配。すぐ傍にいるはずなのに、その輪郭を捉えることすら出来ない。
「『煙幕』……いや違うわ、これは……」
あくまで冷静に思考を巡らせるユカリ、その傍らを抜けるようにごうん、ごうんと鈍い音が鳴り響き、やがてそれもすぐに消え――
唐突に、闇は晴れた。
赤き少女のいた場所で、冷えた溶岩が小さく跳ねる。
彼女は何処へ――少なくとも方向だけなら判った。地に刻まれた薄らとした轍。彼女の実在を、無言で示し続ける跡。
「転がって、逃げたのか……?」
あのバランスの取れぬ殻で『転がる』など、どれだけ難しいのかは考えも及ばない。
あまりにも分の悪い賭け、しかし彼女はそれに勝った。
ほんのつかの間の漆黒、それに己が命を託し、凌いだのだ。
「煙玉……みたいね、使ったのは」
地面に目立たなく散った残骸を拾い上げ、ユカリが静かに呟く。
『煙玉』――主にトレーナーに飼われた萌えもんが用いる補助具。強烈な闇煙を生み、何者にも見通せぬ空間を作り出す。
使い方次第でいかなる凶悪な萌えもんからでも逃げ遂せるという、中々に侮れない逸品。
このようなものを備えていたあたり、見かけよりも用意周到、という事だろうか。
いずれにせよ、彼女と共に懸念も過ぎた。本人がいないのに、ここで罪の是非を問うても意味はない。
視界の片隅、イズミやココロが明らかにほっとした色を浮かべているのは、見なかったことにしておく。
――否。見なかったことには、されなかった。
険しく歪む老爺の眼。少女らの安堵を貫く、それは嫌悪。
「……随分と、喜ばれるのですな」
声に、縛られる二人。気まずそうに顔を伏せ、老人と視線を合わせぬよう俯く。
いや、それは意味がないのかもしれない。彼女らを貫く目線は、老人のものだけではないのだから。
不意に訪れた漆黒を訝しんだのだろう、村衆の中でも被害の少なかった屈強な若者たちが遠巻きにアメジストたちを眺めている。
恐らくは、正確に現状を把握した上で。
その行き場のない圧倒的な怒りを、視線に乗せていた。
「分かってくだされ。わしらはただ、この小さな暮らしを護りたいだけ」
老人が代表して語る。彼は偽りなく、里の代弁者。正誤に関わらず、存在せざるを得ない彼らの理由。
「萌えもんたちに絆があるように、わしらにも絆がありますのじゃ。……お引取り、下され」
その、切なる懇願に。
従わないわけには、いかなかった。
静かに一礼し、一番ショックを受けて固まっていると思わしき娘――ココロの背をそっと押してやり、踵を返す。
おどおどと、村人とアメジストの方を交互に見やりながらも、結局は主に添うようにして歩き出すココロ。
そのすぐ後に、決まり悪そうな表情を隠しきれないイズミが続く。
シンがぐるりと一度、中空を大きく旋廻し、何も言わぬままにその姿を晦ませる。村人達には、突如として消えたようにしか見えないだろう。
最後に――ユカリが物言わぬ冷涼な貌を最後まで崩さぬまま、小さく一礼。
五人の姿が完全に見えなくなるまで――村人達もまた、誰一人として動きはしなかった。
どれだけの間、黙って歩き続けただろう。一時間か、それとも二時間か。
「……ごめん、みんな」
宵の息吹が満ち、白い蛍雪が再び舞い降り始めた頃。
ぽつりと投げ出されたアメジストの声に、全員の足が揃って止まった。
向けられる視線の大部分は当惑、不安。いずれにせよ負に属するもの。
そのプレッシャーを肌身に染みこませながら――青年は、告げた。
「なんだか今夜も、野宿になっちゃいそうで。折角あたたかい寝床に包まれるチャンスだったのに」
「は……?」
文字通り、あっけに取られたイズミの声。
あまりに場違いすぎたその内容が引き出したものは……心からの、暖笑。
「……は、あはははっ! 気にしないでよ旦那、そんなのいつものことだよ♪」
“野宿ならこの辺でいいんじゃないの? あんまり進むとまた吹雪かれるわよ”
シンもまた、明るく切り替えしてくれる。本当に――感謝してもし足りない仲間たち。
「よし、じゃあまずは休憩! 今夜はここで休むとしようや」
ことさらに明るく振舞い、どさっと荷物袋を下ろす。幸い周囲に木々は少なく、根雪も殆どないとあって、絶好の野営ポイントといえた。
「ユカリ、飯なににしようか?」
「ん? そうね……」
炊事に関しては材料も含めてユカリに任せきりなため、意見を仰ぐ。食料袋の木の実を確認するユカリを尻目に、とりあえず火でも起こそうかと腰を上げ――
くいくい、と裾を引く小さな手。ココロがもう片手を己が胸に当て、何故だか自信ありげに微笑んでいた。
そういえば、寝顔と困り顔以外の表情を初めて見たような気がする――とアメジストが思う間に、そっと目を閉じて祈るような姿勢をとるココロ。
その眼前に、大小様々な石礫が具現化されたと思いきや――
「おおおおお!?」
がいん、がいんと喧しい音を立てて飛来し組み合わさる岩々。瞬く間にそれは型を成し、アメジストの視界を占領してゆく。
「え、これ石かまど? こっちは岩風呂の枠? うおっ、風除け!? す、すごいなココロ。賢いもんだ」
里の一件ですっかりと岩使いに慣れたのか、見事なコントロールで手製の野営具を形成してみせるココロ。
考えてみれば、里の火災の大部分をせき止めるだけの土砂を生み出したのは彼女なのだ。幼く見えて、実は大した潜在能力の持ち主なのかもしれない。
とにかく優しく頭を撫でて労ってやると、実に嬉しそうに目を細めて擦り寄ってくる。無口で穏やかだが、特別に引っ込み思案という訳でもなさそうだ。
――と、ここまでなら単なる美談で済むのだが。
この光景を見て、対抗心を燃え上がらせるタイプの者が若干居るのが問題で。
「だ、旦那、ボクちょっと木の実探してくるよ! ロメとかゴスとか美味しいのの新鮮なやつ!」
「え、いや、こんな雪山にそんなもん生ってるわけが――」
“ふ、ふふ……この私のサイキック料理が火を噴く時が来たようね……”
「なんだサイキック料理って!? 火噴くのか!? いいから飯は大人しくユカリに任せて――」
「ジスト、水はいくらでもあるからね。水だけで満腹になってもいいのよ、ふふふ……」
「お前もかああ!!!!」
――夜陰。
暗雲に狭められた静謐なる世界、仲間達が安らかな寝息を立てるその空間で、アメジストはただ物思いに耽っていた。
眼前には、熾火。
少女たちの眠りを見守る仄かな焚き火の橙が、ゆらゆらと思わしげに揺れる。
イズミは――結局なし崩し的に同行することとなった小さな少女を抱き枕代わりとし、毛布に包まれてくすぐったそうに蠢いている。
岩の肉体を持つココロの抱き心地がいいのかは疑問だが、少なくとも寝入る少女らに、あたたかなまどろみ以外の不穏な何かを感じ取ることはない。
シンは――寒いからといってさっさとボールの中に入ってしまったはずだが、案外姿を消してその辺に寝転がっているのかもしれない。或いは、夜の散歩か。
いずれにせよ次の朝には、誰よりも早く目覚めて空腹を訴えてくることだろう。
そして、ユカリは――
岩の椅子に腰掛けて、黙したまま、ただアメジストと同じところを見やっている。
ぱち、と軽い音を立てて爆ぜる薪。揺らぐ炎は確かに熱を帯びているのに、どこか虚ろを彷彿とさせる。
そこには、命の煌きが足りない。
あの赤き少女のような、執着じみた情念が、足りない。
「――訊いて、いいかしら」
唐突に、ユカリが口を開いた。
弾ける火種、二度三度と続くその末路が、微かに周囲を染め……すぐに闇へと還る。
「なにを……?」
「……あの時、村の人になんて答えるつもりだったのか」
――あの、迫られた決断の時。
赤き少女自身が逃げる道を選んだ故に有耶無耶となった、アメジストの言葉。
青年は息を付く。小さく、誰の耳にも届かぬほどに。
「……ユカリだったら、なんて答えてた?」
「そうね……」
そのまま返された質問に、目を伏せて俯くユカリ。
先刻、戸惑いざわめく仲間内でただ一人、揺ぎない怜悧な瞳を保ち続けていた彼女。
その胸の内が、夜風に紛れて静かに零れゆく。
「私達がどう思おうと、結局のところ決定権はない。そう思って、聞いてね」
「ああ」
「……正直、あの人たちの望みも意思も、解らなくはない。私だって、ジストやイズミが傷付いたら、傷付けられたら……多分、憎む」
「…………」
「でも、殺すのだけは……少し待って欲しかった。だって、そうやって事を終わらせるなんて……簡単すぎるもの」
それは少女にとってか、人間にとってか。
はっきりと言の葉には乗せず、ユカリはただ重い息のみを残す。
「萌えもんの私が言える立場じゃ、ないかもしれないけどね――」
「いや……解る。何となく」
それは、特別長い付き合いだからか。
流れる水のような平静の奥に隠された、彼女の感情。
「多分……俺も同じようなものだから」
「……そう」
それ以上の会話は、必要ない。
正答なき問いは模糊とした漆黒のしじまに塗れ、消えゆくだけ。
けれど、それでも――
微かに触れ合うその心だけを求めて、誰も彼もが、息付いている。
――負けた。
あたしは、やっぱり役立たずだった。
ほとんど言う事を聞かない体を無理に引っ張って――というより醜く這いずるようにして、僅かずつ進みゆく。
無残にも砕かれた自慢の甲殻は――正直、大したことはない。
マグカルゴ族の殻は元々皮膚の一部。破砕されてしまっても、時間を掛ければ新たに生み出すことが出来る。
今回の損傷なら、もって三日ほど大人しくしていれば、硬度はともかくとして塞がってくれるだろう。
どちらかといえば、全身を余さず犯した激流によるダメージの方が深刻だったが――
そんなものよりも、遥かにこの身を苛むもの。
――期待に、応えられなかった。
姉たちの想いを、裏切ってしまった。
長く迷惑をかけた上で、ようやくにして迎えた進化の時。
マグカルゴとしての炎術に目覚めたあたしを、我が事のように祝ってくれたみんな。
進化の記念に、一人で人里一つ潰してみて、と望まれて。
……結局、こうして惨めに逃げ帰るだけ。
なんて、使えない子なんだろう、あたしは。
挙句、勝者となった人間たちにまで哀れまれ、見下されて――
――そういえば。
靄がかった思考の中、思い出す。
糾弾を受けるあたしを、なぜか庇うようにして立った人間の青年。
あたしが、人を殺したとはっきり知れた時――
どうしてあの人は、あんなに哀しそうな眼をしたのだろう?
解らない。
馬鹿なあたしに、解るはずもない。
そんな風に、思考の檻に囚われ続けていたから――気付けなかった。
つい、と漂う甘い香りに誘われるようにして、あたしは情けない顔を億劫に上げる。
……女性が、そこにいた。
ひときわ眼を引く、純白の一本角。
金と紫に彩られた、肩まで伸びる艶やかな髪。左右二対に編まれたフォーテールが、しんなりと伸びて腰まで映える。
穏やかな橙色のワンピースを黒色のベルトで留め、どこか清楚な雰囲気を宿して佇むその女性は――
「アルマ、姉ぇ……」
――アリアドスの、アルマ。
あたしと同じ『十二神鏡』の一人にして……多分、十一人の姉の中で、一番やさしい人。
けれど、いつもあたしを柔和な笑みで迎えてくれていた貌は何故だか伏せられていて、今どんな表情を浮かべているのか伺い知ることすら出来ない。
怒って、いるのかもしれない。
――怒ってる。
怒ってるんだ。
怖くなった。眼の奥がかっと熱くなった。どうしていいのかも解らぬまま、あたしはただ声を絞り出す。
「ごめん……なさい、アルマ姉ぇ……」
……顔を、上げてくれない。
いつもあたしが馬鹿をやった時のように、少し困惑しながら微笑んでもくれない。
苦しい。
いやだ。
膨れ上がる感情を少しでも逃すために、あたしはひたすらに頭を下げる。
「ごめ……なさ……、あたし、役立たずで、言われたこともちゃんとできなくてぇ……っ!」
自分でも、愚かしく思えるほどの独白。そんな煩わしく揺れる、あたしの声に。
「……虫の知らせを、感じたの」
――初めて、姉が、口を開いた。
違和感に、あたしの言葉が凝固する。
どうして――
「駄目、だったのね。失敗……してしまったのね」
どうして姉の姿が、あの人間の若者と被るのだろう。
どうしてそんな哀しそうな目で、あたしのことを見据えるのだろう。
「……御免、なさい。オキビ」
最後に、あたしの名前を小さく呼んで――
そのたおやかな両の指先から放たれた艶めいた糸が、あたしの頭から爪先までを、瞬時に絡め獲った。
「――――っ!?」
悲鳴は、ない。肺も唇も、ほんの一息の間に締められてしまったから。
ごく僅か、酸素を吸うのがやっと――瞬く間にそんな状態にまでされて、あたしは抵抗も出来ず地に転がされる。
反動で、漏れる。殻の狭間から。冷めたとはいえ溶炎と謳われる、あたしの体液が。
それは――巻きついた糸を毛ほども焦がすことなく、地に零れて固まっていった。
ありきたりの糸ならばともかく。
あたしは知っている。姉の紡ぎだす糸は、火でも電気でも決して焼き切れはしない、と。
どうして、こんなことになってしまったのか――
それを知る前に、度重なる疲弊に揉まれたあたしの心は容易く陥ち、呑まれ、夜の骸手の中に……消えた。
~~first episode completed.
Next story is 〝Ⅵの刃〟
to be continued...
◆おまけ・パーティー紹介(アメジストチーム)
ユカリ/ポッタイシLV38
タイプ/みず
性格/冷静
特性/激流
持ち物/神秘の雫
〔水中・遠隔戦担当〕
シン/???LV42
タイプ/エスパー
性格/気紛れ
特性/浮遊
持ち物/特になし
〔空中・特殊戦担当〕
イズミ/ザングースLV37
タイプ/ノーマル
性格/臆病
特性/免疫
持ち物/特になし
〔機動・接近戦担当〕
ココロ/ノズパスLV12
タイプ/いわ
性格/穏やか
特性/頑丈
持ち物/硬い石
〔???????〕
最終更新:2008年01月26日 20:44