※こんにちは、執筆者の宗龍と申します。
初めてお目にかかる方、前回から続けて眼を通して下さっている方、
当小説をお読み頂いている全ての方々に、心よりの謝辞を。
まず始めに、当小説に関しての補足・注意事項を述べさせて頂きます。
・この小説は、『バトル&シリアス』が中心です。
・シンオウ地方を題材としたオリジナルストーリーです。
・一部、萌えもん分布や進化・捕獲LV、技習得LV上の矛盾点が含まれます。
・多少、独自の設定も含みます。
・全10話+αを予定しております。
・〔重要〕この小説は、全体的に重度の鬱・残虐・猟奇描写を含みます。
(この第二話は、特にその傾向が顕著です)
・SS書きに関しては全くの素人な為、読みにくい点が多々あるかと思われます。
全力で改善してゆけるよう努める所存ですので、ご容赦の程、宜しくお願い申し上げます。
ご意見・ご感想等頂けるととても嬉しいです。
違和感、また残虐描写に強い抵抗を感じる方は、速やかに頁を閉じられることを推奨致します。
……それでは、どうぞ。
少しでも楽しんで頂けることを、切にお祈りしております。
宗龍 拝
※登場人物紹介
~アメジストチーム~
・アメジスト
人間のトレーナー。その天性の優しさと穏やかさで仲間達から慕われる存在。
・ユカリ〔ポッタイシ〕
アメジストとは最も付き合いの長い、冷静肌の姉御分。
・イズミ〔ザングース〕
臆病さと正義感を併せ持つ、元気一杯武闘派少女。
・シン〔???〕
種族不明の妖精型萌えもん。念話や姿消し等、エスパーの力を操る。
・ココロ〔ノズパス〕
雪山で保護したばかりののんびり少女。まだまだ幼い。
~十二神鏡~
・オキビ〔マグカルゴ〕『十二鏡』
溶炎を操る少女。人里を襲っているところを、アメジストたちに阻止される。
・アルマ〔アリアドス〕『???』
十二神鏡の一人。決して焼け落ちない特殊な糸を操る、大人びた女性。
「オキビ、無理はしないでね。約束よ」
たぶん一番やさしい姉が、激励と共に仄かに微笑む。
「ん~、子供は元気が一番! ガツンといっちゃえ♪」
たぶん一番陽気な姉が、そんな風に背中を押してくれる。
「失敗したらおしおき……ですわよ、うふふ」
たぶん一番おっとりした姉が、そんな風に冗談を言えば、
「――まあ、気を入れて臨むことじゃな」
たぶん一番きれいな姉が、訓戒と共に二の腕を組む。
「…………」
一番無口な姉は、何も言わずに見守ってくれて。
「……ご、ごん?」
一番食いしん坊な姉も、食事の手を止めてこちらを向いてくれる。
「ご加護がありますように… なの… ちりりんりん」
たぶん一番かわいい姉が、そう告げてふよふよと漂い。
「あ~あ、羨ましいもんだよ。アタシが代わって出たいくらいだ」
たぶん一番たくましい姉が、明朗快活に笑う。
「…………み?」
一番つかみどころのない姉は、どう思っているのか解らないけれど。
みんなみんな、あたしの大切なお姉さん。
こんな弱いあたしを大切に育て、見守ってきてくれた、かけがえのない家族。
少しでも、姉たちに近付きたいから。
少しでも、姉たちの役に立ちたいから。
あたしは、やれる。
やれるんだ。
二本の足が付いているだけの、脆弱な人間たちなんて――
「……いってきます、みんなぁ!」
――何十人だって、焼き殺してみせる。
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萌えっ娘もんすたぁ異伝・アメジストver.
第二話 『Ⅵの刃』
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――どこか遠くで、ぴちゃりと水滴が跳ねた。
微かな残響でしかないそれも、今この場、無風無音の洞穴内には充分すぎる調べとなり、集いし少女たちの耳朶を打つ。
反応したのは、ただ一人。
びくり、と弾かれたように殻を揺すり、強張った首を巡らせた溶炎の少女は――
それが本当に何の変哲もないただの自然現象であったことを悟り、僅かに胸を撫で下ろす。
……一度、安堵してしまえば。
己が周囲を取り巻く冷たい気配をより色濃く感じるは、必然。
せせら笑むような、好奇の眼。
まさしく無関心といわんばかりの、氷の瞳。
苦渋と悔恨に伏せられた、美麗なる眉。
それぞれに差異はあれど、いずれにせよ――ひどく好意には程遠いもの。
今の彼女は、もう糸によって拘束されてはいない。
故に、ほんの少し身動ぎをするだけで、見えてしまう。
それなりに開けた薄暗い洞穴内、己を遠巻きに囲むように点在する姉たちの姿。
幼き少女を縫いとめて離さない、冷酷なる意向。
その中には、先立って少女を捕らえた者――アルマの姿もある。
姉たちのうちで唯一、妹に対する憂いの色を醸していた彼女も、実際に縋る視線を受け止めてはくれず。
ふい、と顔を背け、いとも容易く少女を拒絶する。
その仕草が、どうしようもなく哀しくて。
マグカルゴの少女、オキビは――ただ、顔を伏せた。
「……あらあら」
そんな彼女に投げかけられたのは――透き通る、水晶の声。
「そんなにおろおろすることないですわ、オキビ」
慈愛に満ちた慰めのようでいてその実、どこか重みを感じられない空虚な呼びかけ。
のろのろと顔を上げた赤き少女の視界に、一人の美麗なる女性の姿が映る。
息を呑むほどに白い、露出した二の足。
太ももの半ばまでを覆う、濃淡織り交ぜた青のショートドレス。
海の花のように咲き誇る深蒼の髪に、アクセントとして足元まで垂れる二房の金。
「ミフリ、姉ぇ……」
名を呼ばれたナマズンの女性――ミフリは、覗き込むように薄く微笑んでみせた。
それが妹を安心させるためのものであるならば、どれほど幸いなことか。
「どうせなるようにしかならないんですもの――おとなしく、待ってなさい?」
そう告げ、麗しく長い髪を掻き上げる女性の瞳の色は明らかに、好奇。
ただ成り行きを眺め楽しもうという、そんな滲み出る薄情。
それが、どうしようもなく少女を苦しめる。
姉にとって、役立たずの自分がいかに無価値なものであるかを突きつけられているように感じて。
「……やめて下さい、ミフリ」
見かねた制止は――アルマ。
オキビを捕らえたその指先を蒼の女性へ向け、威嚇するように視線を送る。
「無意味に追い詰める必要なんて、どこにもないはずでしょう」
静かに紡がれたその言葉の裏にあるのは、確かな怒り。
しかしミフリは躊躇一つなく、軽く肩を竦めて見せる。ほんの余興だといわんばかりに。
「あらあら……わたくしは事実を言っているだけですのに。
この子の処遇なんて、あの方たちとヨツユの指先次第でどうとでもなるものでしてよ?」
――嘲るようなその台詞に、赤き少女の貌から目に見えて血の気が引く。
ミフリの言う通り――彼女は、ただ待つだけの存在だった。
つい先刻の出来事。人里を焼きに出向き、むざむざと妨害されて逃げ帰ってきた体たらく。
その贖いを決定付けるため、今、ヨツユという名の姉が席を外している。
彼女の帰還こそが、オキビにとっての裁定の時。
どんな罰が下されるのか――予想も付かないその瞬間を思うだけで、高温の身体が水を掛けられたかのように震え始める。
ぐっ、と己が体を抱きしめ、堪えるように蹲るその小さな躯を――
ただ見下ろす水色の瞳が、酷薄に歪む。
「……どう転ぼうとも、わたくしは構いませんけれど」
あまりといえば、あまりな発言に――
アルマが反論するよりも早く、差し挟まれる第三の声。
「……まあ、ミフリの言も間違ってはおらんの」
吐息が、流氷の如く大気を伝う。
ほんの少し気を向けるだけで、周囲の気配までたちどころに凍てつくような、それは圧迫。
みぞれ雪をまぶした純白の和装を血塗れた色の帯で留め、氷片傘の淵を擡げ。
無色のヴェール越しに覗く水晶の瞳は、どんな事象にも濁らぬほどに、昏い。
「ハスハ様……」
アルマに敬称込みで返された、そのユキメノコ、穢れなき雪の美姫は――
いかにもつまらないこととばかりに、小さく息を吐いた。
「妾らの役に立ちたいというその想い、心掛けは、得がたき美徳とは思うがの――」
ハスハというその名に相応しい、蓮葉氷の視線を赤の少女へと向けて。
放たれるは、どこまでも怜悧な理。
「それが主の本意ならば、逃げ帰りなどせぬ。邪魔立てとて、意に介さぬはずじゃろう?」
求められるは、結果のみ。
焼き尽くし、消し滅ぼす、それを怠った少女に突きつけられる容赦なき弾劾。
「ならば結局、主の心が偽りだったか――あるいは、こうなる運命だったということ」
「ハスハ様っ……!」
アルマが何事かを訴えようと口を開き、しかしすぐに言葉を詰まらせ、俯く。
彼女の中に、赤の少女を救いきるだけの弁は存在せず。
それが滑稽に映ったか――ハスハの冷えた唇が、微かな笑みを形作る。
「まあ、アルマよ。妾らが説うても仕方あるまい?
オキビの処遇を決める者なら――ほれ、帰ってきたようじゃしの」
その発言に、オキビが弾かれたように漆黒を見やる。
光源も届かぬ洞の奥、『槍の柱』へと通じるその先から――
這いずるような、音が聞こえた。
――ざり、ざり。
――こつ、こつ。
砂を噛み、鈍い音を立てる暗色の尾。
それに反するように、響く靴音はあくまで軽く。
相反する二音を纏わせて、彼女は闇より姿を現す。
陰影に溶けるような、黒のゴシックドレス。
さらりと切り揃えられた紫髪は、暗中の微かな光を受けて煌く夜露のように。
腰に添えられた二振りの鞘、尾の先端で剣呑に蠢く刃の輝きが、彼女を獰猛に彩る。
姉たちに囲まれるオキビの姿を認め、場にそぐわぬほど朗らかに笑んでみせるその女性は――
「ヨツユ、姉ぇ……」
ハブネークの娘――ヨツユ。
踊るような足捌きを妹の前で止め、にっこりと、曇りなき笑顔で見下ろす紫の少女。
「おまたせ、オキビ。ずいぶん待たせちゃったね~♪」
いっそ能天気ともいえるような明るさで笑いかけるヨツユの姿に、オキビの胸のしこりがほんの少し、流れて溶ける。
「ぅ、ううん……それでその、あの方はなんていってたのぉ……?」
「うーんと、ねぇ……」
勿体つけるように身をくねらせ、ぱちりと片目をつぶってみせる姉の姿に、悪意の類は欠片ほども見当たらず。
そんな様子が、オキビの緊張をほぐしたのもまた必然であり。
だから――とっさに呑み込むことは出来なかった。
いたずらのように囁かれた、その一言を。
「――――うん、死刑♪」
「……………………え?」
呆けたように吐息を漏らす、オキビ。
そんな妹の様子に業を煮やすポーズを取り、まるで天気についてでも話すかのような気安さで、ヨツユが反復する。
「もー、だから死刑だってば。うん、残念賞~♪」
「ぇ、な、なん……」
喋れない。舌が縺れて働かない。
眼前の姉は、言葉を実に楽しそうに転がして笑っているというのに――
目が、全てを裏切っている。
ぎらぎらと揺れる紫色の瞳が、オキビを締め付け離そうとしない。
気が付けば、周囲からも――
動揺一つ宿しはしない、ハスハの嘆息。
妹の窮地を薄笑いすらもって迎える、ミフリの眼。
固まってしまったオキビも含め、この場で反発の意思を浮かべられたのは、ただ一人。
「ちょ、ちょっと待って下さい、ヨツユ!」
――アルマ。
オキビを庇うように立ちはだかり、必死の形相で訴えかける。
「本当に、あの方が……そう仰ったのですか?」
「ん? いや、私の好きにしていいってことだったんだけどね」
さらりと流すように切り捨て、意地悪く笑む紫の乙女。
「とにかくもう要らない、って言われたからさ。ただ叩き出してもいいけど、変に逆恨みされても困るし……
うん、だったらさくっと殺しちゃおうってことで♪ リーダー権限~♪」
「な……」
絶句。二言を継げないアルマを尻目に、ヨツユがぺろりと舌なめずる。
その様は、まさしく蛇。獲物を視止めて逃さない、怨邪なる呪縛。
「だって、仕方ないじゃん? 本当言うと、村を焼けなかったのはどうでもいいらしいんだけどさ。
トレーナーに邪魔されて、負けて帰ってきた! これが良くないよ。
私たちは、そういう邪魔者を排除するために集められたんだから……ねえ?」
異論はあるか、とばかりに首を巡らせるヨツユ。
当然、あるはずもない。
赤の少女は、小刻みに身を震わせるだけで必死。
途切れそうになる自分という存在を、抱えるだけで精一杯なのだから。
更に、ヨツユを援護するように――
「……まあ、妥当ですわね」
ミフリまでが、そんなことを口にする。
「ミフリ、貴方――!」
アルマの制止を無視し、おっとりとオキビに語り掛けるミフリ。
その様だけを見れば、まるで聖女と見紛うばかりの清廉さで。
「ねえ、オキビ? あなたは『神』に逢いたくてわたくし達と共にいたのではないでしょう?」
「…………ぅ、ん…………」
返答、というにはいかにも弱い呻き。それを受け、ミフリは満足そうに眼を細める。
「なら――『神』に逢わずして生を終えるというのも、道理ではないかしら」
――それは、一見して明らかな暴論。
それでも断言は鏃のように鋭く、赤き少女に浸透する。
『神』いかんに関わらずとも――
姉たちに受け入れられぬ生に、意味などないのだから。
もはや一言も発しない小さな赤き彫像に満足したか、ゆっくりと腰に手を添えるヨツユ。
その掌に取り、引き抜いたものは――生々しくぬらぬらと揺れる、紅の刃。
毒でも糊塗してあるのか、まるで死そのものを貼り付けたように鈍く輝くその刀先が、真っ直ぐに――
オキビの喉元に、突きつけられる。
見かねたアルマが、とっさに割り込もうとするよりも早く。
「というわけで、さっくり殺っちゃうから~……
――――止めるなよ、アルマ」
皮を脱いだ、蛇が。
牙を剥いた、蛇が。
紫玉の瞳を狂気に染めて、顕現した。
『蛇睨み』――万物をも蛙と見做さんばかりのその視線に、臆しこそしなかったものの。
唇を噛み、ぐっと拳を握り締めて。
……アリアドスの女性は、退いた。
もはや、赤き少女を護るものは存在しない。
ハスハは、ヨツユが現れてからのやり取り、その全てが不興とでもいわんばかりに他所を向き。
ミフリは、あろうことかくすくすと忍び笑いを漏らし。
アルマは、もはや手の届かぬ事態に、ただ悔恨の色を見せるばかりで。
他の姉たちも暗がりから成り行きを見守っている筈なのに――誰一人、助け舟を寄越そうとはせず。
赤き少女は、一人きり。
集いし魔女の群れの中、印を失った元魔女は、ただ小さくしゃくりあげるのみ。
「と、いうことだから……覚悟してね、オキビ。
うーん、斬るの久しぶりだからすっごいワクワクするな~……首いこうかな、それとも腕からかな?
あ、希望があったら言っていいよ。なるべく添うようにしてあげるから♪」
冗談めかした物言いに、上向けられた紅瞳は。
己が運命すら認識しきれないのか、ただぼうっと濁るばかり。
「ん~……もうちょっと怯えてくれた方がやりがい有るんだけど。キャハ、私ってば鬼畜♪」
不満げに唇を尖らせたかと思えば、からからと高く笑い。
壊れかけた玩具のように、狂おしく身をくねらせて。
――翳される、紅刀。
オキビの身を、魂を、薙がんとする妖光が――
「……バイバイ」
あっけないほどの軽さ、疾さで、赤き少女の首筋へと――
――緑刃。
碧色の残像すら纏う、刹那の一閃が。
ヨツユの刀を、弾き返した。
「……ッ!!」
ヨツユもまた、一介の剣士。
とっさに手首を締め、愛刀を飛ばされることだけは回避する。
二、三歩と、下がるには邪魔でしかない黒尾をくねらせ、とにかく身を離すヨツユ。
その、ぽっかりと開いた狭間に。
碧色の剣士が、存在していた。
微かな顫動音と共に揺れる、四枚の薄羽。
緑一色に染め上げられた、引き締まった体躯。
二の腕が変化した鋭利な両手鎌を、鮮やかに振り切った姿勢のまま固定したその女性は――
「ナユタ……」
「ナユ、タ、姉ぇ……」
――ストライクの、ナユタ。
『十二神鏡』の一人、ヨツユの同胞にして――誰よりも沈黙を好む、無音の闘士。
その闖入に、さしものハスハやミフリすらも目を向け、驚愕のような感情を露にする。
そして、処刑の刃を逸らされた形となったヨツユは――
「……何の、つもりだ。ナユタ」
恫喝に、どす黒い感情を滲ませて。
その切っ先を女性へと向ける――オキビの鮮血を吸い損ねた、紅刃を。
触れただけで刻まれそうな殺意を叩きつけられ、しかしナユタの眼に変化はない。
油断も、慢心も、安堵も、思考すらも。
何一つ映し出すことのない薄い煌きの瞳だけが、ただ黙してヨツユを捉えている。
「殺すな、というのか? 私に異を唱えると?」
昏い、宵闇を塗したかのようなその問いかけに。
無言の女性の首が、微かに動く。
横に。
「……えっ……?」
庇われる形となっていた、溶炎の少女の戸惑う声。
恐らく夢想していたのだろう。身を挺して窮状を救ってくれた姉の温情を。
庇護、嘆命、それらを身を賭して為してくれているのだという、確信。
少女の心を擡げさせていたそれが今、僅かずつ綻びゆく。
他ならぬ、ナユタ自身の動作によって。
ヨツユはただ押し黙り、測るような視線を向けていたが、やがて――
「……は、あはっ! あははははは!」
――哄笑った。
高々と、狂ったように、殊更に刃先を突きつけながら。
「じゃあナユタ、なに? 止めに入ったんじゃないんなら……
もしかして、私にやらせたくなかっただけ? 自分で斬りたかったのかな?」
そんな、ある種ばかげた物言いに――
再度、ナユタの首が小さく動く。
縦に。
「――――っ!!」
絶句。
救いの手を差し伸べたは天使ではなく、死神。
その事実にようやくにして思い至り、驚愕に眼を見開く赤き少女。
ただ否定をだけを求め、緑の姉に揺れる視線を向け――
理解、してしまう。
無言の内に宿った、酷薄。
無感情に思えたその瞳の奥に息付く――殺戮の意思を。
「ナユタ、姉ぇ……」
もはや、まともに体を支えることすら出来ず、崩折れる赤き少女。
殻が地を叩く重い音が響き、流動体のその身も、どうにか人の形を保つのが精一杯という有様で。
無音のままにオキビの前に立った緑の影――惨虐なる処刑人を、ヨツユの高笑いのみが後押しする。
「あははっ! やだな、ちゃんと口にしてくんなきゃわからないってば♪
――いいよ、譲ってあげる。完膚なきまでに殺せ」
……そうして、執行の鐘は打ち鳴らされた。
ゆっくりと翳される銀光に眼を奪われながら――少女は想う。
自分は、死ななければならない存在だったのだろうか。
結局、生まれてくる価値すらなかったのだろうか。
その答えは、誰にも教えてもらえそうにないけれど。
ただ一つ、はっきりとしていること。
こうして全てを否定され、その命すら奪われかけている、今なお――
過去は、色褪せず。
それこそただのナメクジのように、這い回っていた自分を。
カタツムリのように、閉じ篭るばかりだった自分を。
連れ出してくれたのは、姉たち。
手を引いて、家族として慈しんでくれた時間も、また嘘ではなく。
だから。
この今わの際に伝えたい言葉は、ただ一つだけ。
「あり……が、とぉ……――――」
――無慈悲の一閃が、少女の頸に迅った。
すっと横に刻まれる、溶炎の身よりもなお暗き赫。
そこから散った数滴の紅が、碧の身体に彩りを齎し。
少女の頭部が、ずり落ちるより早く。
頭上から振り下ろされた、いと目映き瞬刃が。
脳を。
首を。
胸を。
臍を。
まともな移動器官とも呼べぬ、這い回るだけの腹足までを。
――背に負った殻ごと、裂き割っていた。
それは、華が咲くように。
燃え盛る鮮血が、体液が、内臓が――我先にと、中空に泳ぐ。
艶やかに。
二目と見ることの叶わない、緋色の芸術。
見事なまでに左右対称にかち割られた殻が、それに付随する二つの肉塊を引きずり倒すようにして、洞穴を鳴らす。
柔く崩折れた、二つの胴の断面。
右半分と、左半分から。
びくりびくりと、漏れ出でる死。
数千度を誇る体躯の中身が、常温であるはずもなく――
周囲の土砂を溶かし焦がし、なお広がりゆくどろりとした液体。
その飛沫を浴びるべき者、処刑を為した碧の麗人は、すでに巻き込まれぬようにと飛び退っていて。
誰一人寄るところのない惨めな残骸を、半分だけになった可愛らしい貌が――見つめている。
紅玉の涙を、片側しかない柔らかな頬に垂れ流して。
少女は、死んだ。
ただ一人、退避することも出来ず。
呆然と妹の死を眺めやっていた女性――アルマの足先で、溶炎の一片が跳ねて音を立てる。
爪先の熱にほんの僅か首を動かし、眼を見開いた彼女の顔が、瞬く間にひしゃげ――
涙と、嘔吐を抑えるように。
そのどちらを零す資格も、己にはないといわんばかりに。
口元を中心に巻き付けられる、艶めいた糸。
ただ涙を堪え、蹲る女性の耳に――じゃり、と砂を噛む足音が届く。
「……熱い、ですわね」
ミフリ。
全てを嘲るような麗しい美貌のままに、妹の屍骸、そのぎりぎり火傷をしない範囲にまで歩を進める。
「流石ナユタ――と褒めたいところですけれど、こうも熱くてはたまりませんわ」
そう口にし、眼前の生き物だった液体に向けてにっこりと笑んでみせるナマズンの女性。
そこにおよそ心の温かみなどといったものは、露ほども存在せず。
「……ねえ、オキビ。あなたも仮にはわたくしたちの妹だったのだから、こうして骸を晒すには忍びありませんの。
――弔って差し上げますわ。感謝なさい」
言いざま、遠い闇の中に向けて声を張り上げるミフリ。
「――クライ、クライ! おいでなさいな!」
ことの顛末を、闇に乗じて閲覧していた幾人かの気配。そのうちの一人に、ミフリの呼びかけが届く。
かくして、夜の闇にも匹敵する帳の向こうから――
まず、振動。
ずしん、ずしんと、そのものが歩むたびに忙しく揺れる洞穴内。
或いはそのまま崩れ落ちるのではないか、と思わせるほどの激しい地鳴りの後、ぬっと突き出された巨体が醜く蠢く。
「……ご、ごん……?」
――――カビゴン。
萌えもんにして最鈍、そう考えたくなるほどのふくよかな肉付き。
何かを食している最中だったのか、口周りとその熊のような掌はべっとりと汚れている。
桁外れの巨漢、それに対しミフリはにんまりとした笑みを形作り――
「――ご馳走ですわよ。さあ、お食べ」
そう、告げた。
「!!」
その意図を速やかに察し、烈火の激情を帯びて向けられるアルマの糾弾。
それを極めて涼しい顔で流し、薄笑うミフリの前で――
謝肉祭が、始まる。
伸ばされる、無骨な巨腕。
岩をも溶かす高温をものともせず。
絶たれた少女の肉塊を、滴る臓腑を摘みあげ。
しばし眺めやった後に舌なめずり、口に含み吸い上げ租借し噛み砕き擂り潰し呑み下し――
妹を喰らう、姉。
そんなあまりの背徳に、もはや前後なく膝を突くアルマを無視し、ミフリは再度口を開く。
「……さて、こちらはこれでいいとして。ヨツユ、件のトレーナーとやら、邪魔じゃありませんこと?」
――押し黙り、妹の処罰を眺めていたハブネークの女性。
ミフリの言を受けて岸壁から身を離し、やや不機嫌そうに応じてみせる。
「だよね~、ただでさえあと一匹とっとと見つけなくちゃなんないってのにさ」
裡に秘めた暗黒面を晒け出していないだけ落ち着いてはいるらしいが、その表情は決して芳しくない。
折角の機会に己が刃を振るい損ねたことを、未だ尾引いているのか。
その帰結は当然として――割って入った邪魔者に向けられる。
「……ナユタ。あんたちょっとひとっ飛びしてぶっ殺してきてくんない?
あんただったらさくっと首獲ってこれるだろうし……第一、物足りないでしょ~?」
そんな、言うなれば理不尽じみたリーダーの強要に。
……碧の女性が、小さく首を傾けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――梢の中で、誰かがボクを見据えていた。
両肩から掛けられた毛皮のコートが、そのいかつい肉体を申し訳程度に覆っている。
露出した胸筋、丸太のような二の腕には、見るも痛々しい無数の刃痕が疾っていて。
ミルタンクをも握りつぶせそうな無骨な指が、幼いボクの手を取る。
壊れ物を扱うように、その所作は――優しい。
『……イズミの爪は、綺麗だな』
穏やかに、けれどどこか哀しそうに、そんなことを呟く男性。
幼子でしかないボクはその意図を掴めず、ただ小首を傾げるのみ。
そんなボクを諭すように、男性が膝立ちになり、目線を合わせてくる。
慈愛と――悲哀を込めて、ボクの頭を撫で付ける。
幾度も、幾度も。
決して洗い流せぬほどの血に濡れた、真っ赤な爪で。
『けど、いつかお前も――』
菩薩のような静けさでボクを憂う、その男性の瞳。
左眼を貫く、上下に刻まれし太刀傷。
その奥の、今は光を失った虚ろなる眼窩が――
ただひたすら、ボクを責めるように――
「――――――――ッ!!」
喉の奥に詰まった悲鳴に導かれるようにして、イズミは跳ね起きた。
はっ、はっ、はっ、はっ。
呼吸は荒く、視界は定まらず。乱れた毛布をかき抱くようにして縮こまるイズミ。
――ふと、冷たい感触に気付き。
這わせる。己が両頬に、華奢な指先を伸ばす。
そこは、微かに湿り、濡れていた。
指を伝って手首にまで滴りゆく、一筋の雫。
(あれ――ボク、泣いてた…………?)
夢を、見ていたのか。
内容はすでに靄の海へと埋もれ、はっきりとは見出せない。
怖い夢だった気も、切ない夢だった気もする。
無意識のうちに左目、燦然と輝く金の瞳孔へと爪先を伸ばし――危うく突き刺しそうになってしまって、慌てて手を引き戻す。
己が腕を罰するようにぎゅっと胸元に抑え、呼吸が落ち着くまで蹲ることしばし。
――ようやく、心地めいたものが還ってくる。
それまで認識していなかった、周囲の様子と共に。
耳朶を揺らす、食器の触れ合う音。
鼻孔を擽る、とろりとした甘い匂い。
――ああ、そういえば野宿してたんだっけ、とぼんやり思う。
恐らく自分の背の後ろで、いつもと同じようにみんなが朝食作りに勤しんでいて、いつもの通り、ボクがちょっとお寝坊さんで――
そこまで考えて。
はた、と背筋が薄ら寒くなる。
(……って、ボクが泣いてんの旦那たちにバレてるって事じゃん!)
慌てふためきながらどうにか顔面を拭い、せめてもの抵抗で跳ねた髪を掻き梳いて、恐る恐る首を巡らせてみれば――
「……よ。おはよう」
苦笑いと共に向けられた、青年――アメジストの顔。
イズミの顔が、かあっと朱に染まった。
その後、シンの“さっさと来なさいよ、ごはん食べらんないでしょ”との促しに応じ
(余程のことがない限り、一緒にご飯を食べるのがアメジストチームのマナー。無論、今は余程の時ではない)、
這うようにして輪の中へと加わるイズミ。
上目使いに視線を送ってみれば――アメジストも、ユカリも、シンも、ココロも。
いくらか気にしてはくれているようだが、取り立てて追求してくるそぶりは見せない。
だから――イズミは自分から、口を開いた。
「あ、あのさ、旦那……」
伺うようなその声の調子ですぐに察したのか、ぽりぽりと頬を掻きつつ応じるアメジスト。
「あー、うん、イズミ。……その、大丈夫か?」
「え……?」
「なんか随分、魘されてたみたいだったけど」
「――ああ。やっぱりうなされてたんだ」
驚くほど他人事のように、そんな感想が口から漏れた。
当の夢の内容をさっぱり覚えていないことも手伝っているのかもしれない。
向けられる種々の視線を意識しつつ、誤魔化すように殊更明るくイズミは切り返した。
「いやね、なんだか夢を見てた……と思うんだけど。よく覚えてないんだ。
なんだかやな夢だったような気はするんだけど」
「そっか……ココロとか随分心配してたぞ。お姉ちゃんが苦しそうー、って」
「え?」
指摘され、思い出す。そういえば昨夜は、ココロの小さい体を抱き枕代わりにして眠ったのだ。
夜中に吹雪いたら体に毒だから、とかなんとかいいつつその実、新しい妹が出来た喜びをかみ締めたいという素朴な理由で。
そんな相手が夜中にうんうん唸っていたら――それはもう、さぞかし寝にくかったことだろう。
「ご、ごめんココロ! ぜんぜん気付かなくて!」
慌てて頭を下げると、ふるふると首を横に振って見せるココロ。
言葉にせずとも、『気にしないで下さい』と伝えたいのが見て取れる。
そんな微笑ましい光景に笑みを浮かべつつ、舵を取るアメジスト。
木製の器に鍋の中身――とろりと赤みがかったスープを移し、そっとイズミに差し出す。
「ほれ、さっさと喰おうぜ。冷めちゃうぞ」
「あ、ありがと……」
なおも頬を紅潮させたまま器を受け取るイズミ――その鼻先が、ぴくりと可愛らしく動く。
「あれ、これって……」
付属のスプーンで掬い、そっと一口含む。瞬く間に歓喜へと染まる少女の顔。
「……おお! おおおお!」
ちょっと気味悪い感嘆を上げ、夢中でスプーンを動かし始めるイズミ。どうやらかなりお気に召したらしい。
まあ、そのためにユカリに作ってもらったのだから当然ではあるが。
「これは……これはまさしく! 『マゴとカイスの特製とろみスープ・エンジュ風』だね!?」
「なぜ急に料理番組風の解説!? いや、間違ってはないけどさ……」
マゴとカイスと言えば、いずれもその頬が落ちるほどの甘さで定評のある木の実。
それら二つをベースに調味料を加えて長時間煮込み、とろみを際立たせた赤色のスープ。
それこそがこの、『マゴとカイス(略』というわけだ。
ちなみにユカリの料理センスを生かし、西の地方の郷土料理風にアレンジしてあったりする。なのでエンジュ風。
甘いものが三度の飯より好きなイズミにとっては、堪えられない一品といえるだろう。
現に思いきり琴線に触れたようで、さっそく鍋からおかわりをよそって嬉々としてかき回している。……傍から見ていてちょっと怖い。
「ほんとに甘いの好きだな、お前は……」
「んふ~♪ スイーツはこの世の宝だよ、旦那!」
呆れ混じりのアメジストの声にも動じず、ひょいひょいと甘汁を口に運ぶイズミの表情は明るい。
それだけでも、ユカリに頼んだ甲斐はあったというものだ。
(……サンキュな、ユカリ)
目配せで告げると、彼女も薄く笑んで返してくれた。
――実は。ユカリ自身は逆に、甘いものが好きではなかったりする。
性格だけでなく味覚も大人びているというべきか、割と渋味のものを好み、甘味は苦手。
なので普段、付け合わせとして用意されることはあっても、メインとして甘いものが上がることはあまりない。
そこを圧して、イズミを元気付けるために腕を振るってくれたのは――やはり、姉としての優しさか。
……そのあたりは、勿論イズミもよく理解していて。
「ありがとね、姉御」
ぽつりともたらされたその感謝に――空気が、緩む。
穏やかな食卓。
アメジストが求めて止まなかったそれは――理想の、団欒。
「しかしあれだな、イズミももう少し得意にならなきゃな? 辛いのとか」
冗談めかしたアメジストの諫めに、イズミもポーズで口を尖らせてみせる。
「むー、いいでしょ。ボクネコイタチだよ? 猫舌なんだし、辛いの苦手で当然じゃん」
「俺の記憶が正しければ、猫舌と辛さに因果関係はなかったと思うんだが……」
「ふふ~ん、おーいしーい♪」
さらりとスルーし、至福をかみ締めるようにうっとりとした表情を見せるイズミ。
まあいいか、とアメジストもまた己が器に手を伸ばす。
ふと見ると、シンは話題にも加わらず一心不乱にスープを掻き込んでいて――よほど腹が減っていたのだろう――
ココロはココロで、えっちらおっちらと食を進めている。
それらを見守るユカリの表情は、まるで聖母のように穏やかで。
――誰にとっても楽しい朝食の時は、こうして過ぎてゆくのだった。
かくして、雪山にそぐわぬ春の日差しのような一時を過ごした後。
せっせと洗い物に精を出したり、即席の野営具を片付けたり、ごろごろしたりぼーっとしたりしている全員に集合をかけたアメジスト。
昨日の一件から夜も明けて、考え直さねばならないことは山ほどある。
その最たるもの――『十二神鏡』の名を口にした瞬間、円陣を組んで腰掛けていた皆の顔が一瞬にして強張った。
やはり多かれ少なかれ、あの赤い少女のことはそれぞれの心の中に影を落としていたらしい。
「あんな連中がいたんじゃ、物騒にもほどがあるよね……」
難しい顔で腕を組むイズミに頷き、アメジストが切り出す。
「差しあたって決めなきゃいけないのはこれだよな。――このまま、この山の探索を続けるかどうか」
「……私は、すぐにでも降りるべきだと思うわ」
いち早く応じたのは、ユカリ。
形の良い眉を懸念に歪め、慎重に言葉を選んで口を開く。
「――昨日の件で、私達が敵と認識されているかもしれない。留まるにはあまりにも危険よ」
「……でもさ。ボクたちが逃げちゃえば、あいつらを止められる人なんていなくなるんだよね……?」
その言葉を紡がせたのは、正義感か。
伺うようにしながらも確かな意思を込めて、イズミが反駁する。
「また、いろんな人や萌えもんに被害が出ちゃうかも――」
「イズミ。彼女達は『十二神鏡』……おそらく昨日の彼女よりも強い敵が、あと十一人はいるはずなのよ。
襲われて――多分、凌ぎきることは出来ないわ」
分析と、取捨。情に流される事なく下される裁定に、さしものイズミも矛を収めざるを得ず。
そんな彼女への助け舟ではないが――アメジストが、提言する。
「……決を採ろう。降りるか、もう少し様子を見るか」
そうして始まった多数決。まず降りるべきという方を支持したのは、いうまでもなくユカリと――
シン。
“なんだか悪い予感がするのよ。あいつらのことだけじゃなく、この山全体にさ。……勘だけど”
直感――しかし念の力を有するシンがそれを口にすれば、たちどころに信憑性を帯びて全員の肩に圧し掛かり。
そんな空気を払うかのように提唱される案のもう一つ、残留を支持したのは意外にも――ココロ。
尤も聞いてみれば『十二神鏡』はともかくとして、生まれ故郷のテンガン山をもう少し探検してみたい、というのが主な理由のようで。
この山のノズパス族は強力な磁力線の付近に好んで密集し、あまり生活圏を広げないらしい。
長く住みながら、一度も足を踏み入れたことのない多くの場所――その眼で確かめてみたいと思うのは、至極当然の好奇心だ。
考えてみれば、ここは南北に長い山脈。
いくらなんでも『十二神鏡』の行動範囲がその全域に及ぶとは考えにくいし、彼女たちをスルーするよう動けば万事平穏ともいえる。
それはとりもなおさず、彼女たちによる蛮行に眼を瞑るという意味に他ならないが――
そんな逃避を良しとせず、逗留への意思を見せるのが……イズミだ。
「……ボクさ、一人旅してる時に色々と聞いたんだ。
ロケット団とかいう悪い人たちの集団が、たった数人のトレーナーの活躍で壊滅した、とか」
――それは、いわゆる英雄譚。
何も本気で、その役をアメジストにやらせようとは少女も思っていないだろう。
ただ、傷つく多くの命への憂いだけを込めて……イズミは嘆息する。
「ボクたちで、少しでもなんとかできるならしたいって……そう思うのは、やっぱり傲慢なのかな」
小さく肩を落とし、無力さに顔を伏せて。
――とまれ、意志は出揃った。
2対2。行く末はただ一人、アメジストの決断に委ねられる。
四種の瞳に、心根の奥底までを貫かれ――
悩ましく組んだ腕を解き、アメジストは口にした。
その、決定的な一言を。
「――降りよう」
青年の宣言に、ユカリとシンが深く頷き、イズミがほんの少し表情を暗くする。
そこに青年を責める意図はない――ただ、己の無力さだけを呪って。
そんな彼女に、気の利いた慰めも持たず……結局、正直に告げるしかない。
「……ごめん、イズミ。俺はそんな大それた奴にはなれない」
「うん……」
「この山に住む人のこと、萌えもんのこと、どうでも良くなんてないけど――お前たちが傷つく可能性があることの方が、ずっと嫌だ」
それは、偽りなき本心。
もし『十二神鏡』と全面的に争い、誰かが斃れる結果となったら――発狂、しかねない。
アメジスト自身の精神が、耐えきれない。
そんな、ひどく利己的で真っ直ぐな心遣いに。
イズミは、笑んだ。
萎れた花が、再度花開くように。
アメジストの心という、温かな水を注がれて。
「うん――ありがと、旦那。心配してくれて」
その芽吹きをあまりも眩しく感じ、気恥ずかしくなってそっぽを向いてしまうアメジスト。
誤魔化すように――それでも忘れずに、練り合わせた今後の方針だけは口にする。
「ま、まあ……最低限、下山の道筋にある里には寄っていこうと思うんだ。
危ない連中がいるから警戒は怠るなって……最悪、里を捨ててでも逃げろって」
「……そうね。このまま降りるだけじゃ寝覚めが悪いし、いい判断だと思うわ」
ユカリもまた、その意見には賛同してくれる。
本心からこの山の現状を見過ごしていい、と考える者はこの中にはいない。
それが痛いほどに伝わってくるからこそ、イズミも力強く頷き返せる。
「うん、そうしよう! ……あ、じゃあ、昨日の村にも寄っていくの……?」
昨日の村、と耳にした瞬間、アメジストの表情に僅かな翳りが差したが――
それでもなお、選んだ心に変わりはない。
「ああ、行こう。歓迎はされないだろうけど――」
力及ばぬなら、出来得る限りの最善を。
受け入れられずとも、後悔しないだけの最良を。
それが、どんな茨道であろうとも。
仲間が傍で支えてくれるなら――歩みだせる。
「……で、だな。さっき決めた方針に従うにあたって、一つばかり巨大な問題が」
「?」
「いや、昨日さ、里から出てかなり適当に歩いたもんだから……つまるところその、現在地が――」
『お・ば・か――――――っ!!』
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
……結局のところ、地図上における現在地の特定までに至ったのは、
ひとえにユカリの観察眼とココロのコンパス性能、ここら辺のおかげだったりする。
袖振り合うもなんとやらとはよく出来た諺だなあ、などと暢気に思っていられるほど、常と変わらぬ珍道中。
シンはいつもの通り、姿を消してのんびり漂っていて。
イズミがボケて、ユカリが合いの手を入れて、そこにおろおろするココロまでが加わって。
多少、困難が聳えようと。
多少、道なき道であろうとも。
この愛すべき仲間達と一緒ならどうにでも歩いていけると、そう愚直なまでに――
“――――アメジストッ、危な――――!!”
…………何が起こったのか、すぐには解らなかった。
雷のように何かが裂き崩れる音がして、ふっと影がさしたと感じた時には――
驚くほど柔らかく華奢な肉体に引き倒され、覆い被さられ――抱かれていた。
初雪を思わせる純白の闘衣。強靭なはずなのに、握れば折れそうなほどに細い二の腕。
青年の鼻先で、可愛らしい球状の髪飾りに導かれた紅と白、二色のサイドポニーが春草の如く揺れる。
「イズ……ミ?」
呟きもつかの間、現在の体勢に思い至り、沸騰する血流。
すぐ間近、絡みつくように存在する純白の体躯。
廻された腕は何があっても離すまいと頑なに青年を締め、年頃の少女らしい息を呑むほどの柔らかさ、
清楚な赤のリボンに隠された控えめな胸の膨らみまでが、服越しに感じられて――
刹那の、男としての昂揚。
――そんな浮ついた感情は、がばっと身を起こしたイズミの必死の形相によって、脆くも霧散する。
「旦那っ! 大丈夫!? どこも痛くない!?」
半ば潤んだ瞳が、一心にアメジストの身だけを案じて揺れる。
真っ直ぐに下ろされる心情、そこに透明な雫が混じり落ちるのすら幻視して――
押されるように、紡がれるアメジストの声。
「イズミ……何が……」
「樹だよっ! でっかい樹が崖の上から落っこちて……ああもうっ、ほんとに怪我ないよね!?」
「――樹?」
ようやくにして、行き着く認識。
濛々と巻き上がる砂塵、視界の片隅に移る木片。
倒木――崖上から飛来したそれにとっさに反応したイズミが、身を挺して庇ってくれたのだと。
その身に纏う衣を噴き上がる粉塵に晒し、己が危険をも顧みず。
「って……イズミこそ大丈夫なのか!?」
「ボクは平気……旦那を護れれば、それで……」
綻ぶように零れた笑顔は安慮の一色に染められていて、少なくとも苦痛に耐え忍ぶそれではない。
本当に、下敷きにならずに済んだのだろう。自分も、イズミも。
肺の奥底から零れた心よりの安堵、溜め息が、期せずして互いの顔上をなぞり――
「あっ……」
赤面。
ようやくイズミも己が体勢に思い至ったらしい。瞬く間に頬を熟れさせ、誤魔化すように視線を躍らせ、舌を縺れさせる。
その様は身を挺してくれた命の恩人の前に、やはり一人の女の子。
こんな時だというのに、忍び笑いも漏れようというものだ。
「あ、あーあーうー……その、……」
普段の気安さとはまた異なる、恥じらいを持て余すように背けられたイズミの視線の先――
「あ、危なかったよねっ、やっぱ大自然ってのは油断……なら……」
――言葉が、凍る。
訝り、同じようにそちらに意識を向けるアメジスト。
二人の身を脅かした倒木、身の丈にして青年らの何倍もあるであろうそれが――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――ささくれ一つ存在しない鏡のような鋭利な断面を向けて、横たわっていた。
「――――ッ!?」
それは――自然の行いではありえない。
たまたま腐り落ちたのでも、雪に薙がれて倒れたのでもなく。
明らかな、一閃。
そもそも、どんな鋭利な刃を用いれば。
ここまで鮮やかに物を断てるというのだろうか?
息を呑み、二言目を発せない二人の耳に――
「――降りてきなさいっ!」
響く、ユカリの鋭詰。
険しい目で崖上を見据えるユカリ、支えあうように身を起こした二人の視界の中に。
彼女が、舞い降りた。
その挙措は、一言でいえば黙示。
薄羽をはためかせ宙を下ったはずなのに、物が擦れ合う音一つ立てず。
けれど決して目を離せないだけの存在感だけを持って、滞空してみせる彼女。
甲冑然とした、碧色の戦装束。
若草色の短髪が、土粉に揉まれてはたはたと翻る。
両腕が変化した双鎌、その切っ先をアメジストたちに向けて威圧する、美麗なる女性は――
「ストライク……?」
ユカリが、訝しげに呟く。
――ストライク。低き領空を我が物とし、逃し損なわず獲物を狩るという生粋の戦闘民族。
その鋭利かつ流麗なフォルムはトレーナーの間でも人気が高いが、
逆にめったなことでは主を認めぬとも知られる、極めて誇り高き者たち。
それらの情報全てが、眼前の女性を畏怖するに足る理由ではあるが――
少なくとも環境的に見て、このような標高を好む種族ではない。
そんな存在が、今この場にいる事実。それは即ち。
「おまえ……」
ゆらりと、イズミが一歩を踏み出す。
「おまえが今、旦那を殺そうとしたのか……?」
憤怒。敬愛する存在を汚そうとした、緑の蟷螂への確かな殺意をその胸に灯して。
「――答えろっ! おまえ、『十二神鏡』なのかっ!?」
イズミの糾問に、女性は――
眉一つ、動かさない。
ただ無表情の中に、槍のような鋭さだけを秘めて、少女たちに相対するのみ。
数秒か、十数秒か。倒木に誘われた土煙がどす黒い雪となって周囲に振り始めた頃。
「……ム、ツ」
唇が、動いた。
最初は誰の耳にも届かず、しかし二言三言と紡がれる言の葉が、次第に意味を成して一つを示す。
女性の、存在を。
「……『ムツ、カガミ』……ナユタ」
淡々と投げ出された、彼女の言葉に。
まず応じたのは、冷静の仮面を崩さないユカリ。
「『六鏡』……結構な大物が出て来たようね。ナユタさん……でいいのかしら」
「…………」
「狙いは私達? あの赤い子の報復……なんでしょうね」
重ねられる、ユカリの問いに。
女性はもう口を開こうともしない。鎌を突き出した姿勢のまま微動だにせず、ただ黙って推移を伺っている。
そんな彼女に対し、ユカリは一つ息を付き――
「貴女がどういうつもりなのかは、知らないけれど――
仲間に危害を加えられそうになって黙っていられないのは、私も同じなの」
……睨み据えた。絶海の氷河の如き目で。
たちどころに引き締まる気配。交じり合う両雄の目線。
ユカリの胸元が、ナユタの肩口がぴくりと震える。
それぞれの技、必勝の一撃を放つために。
ほんの些細な刺激で、容易く崩れかねない均衡を押しとどめたのは――
「待って、姉御!」
白の、少女だった。
「イズミ……?」
敵から視線を背けず、しかし注意の一部を背後へと向けるユカリ。
そんな彼女の傍らに素早く躍り出たイズミが、ばっと腕をふるってユカリを押し止める。
「ボクがやるよ。姉御は旦那を護ってて」
「イズミ、でも――」
「多分、あいつの相手はボクの方が向いてるから。ね?」
――イズミのいう事は、決して間違ってはいない。
機動力をさほど重視しない、足を止めての撃ち合いに関してなら、間違いなく最強はユカリであるが。
見るからにほんの一呼吸で間合いを詰めてきそうな相手に対しては、どうしても不利は否めない。
そもそもが水の力はその多くが射撃――必然、接近戦には向かず。
その不利を補佐しうるだけの体術も、ユカリには備わっていない。
アメジストの仲間内で唯一、近距離での鬩ぎ合いに特化しているのは――
「言ってくれたよね、旦那。機動戦はボクに任せる、って……」
それは、遥か昔の約束。
仲間という絆で結ばれてすぐに交わした、人と萌えもんとしての契約。
そんな感傷を盾に、イズミは立とうとする。
仲間のために。己が本分を全うするために。
その覚悟を――青年に否定する術は、なく。
「……気を、つけろよ」
そんな、薬にもならない呻きに――
イズミは、微笑んで見せた。
にこやかに。
死線に赴くとも思えぬほどの、ゆるやかな面持ちで。
「ん、任せて。それと――」
最後の一言は、敵の女性に気取られぬほどの小声で。
口付けのように、耳元で交わされる囁き。
――ココロとシン姉は、戻してあげて。
戦地に赴く白き少女の背を見ながら、姿を消しているシンが呆然と呟く。
“……なによ、戻ってろって! 私が頼れないとでもいうつもり!?”
「ちょ、落ち着けってシン……!」
それは当然の如く念話であり、いくら叫ぼうとも敵に聞かれることはない。
それだけにダイレクトに響いてくる感情を、アメジストは必死に宥めた。
イズミの懸念――それを理解するだけのトレーナーとしての知識は、アメジストの中にも備わっていたから。
虫族が独自に帯びる、不可思議な生命力。
それは練りに練られた思念の糸すら、容易く断ち切ってみせるという。
そんな特殊な力を帯びた斬撃を、念の塊ともいえるシンが喰らってしまったら――
いかに姿を消してフォローに回らせるとしても、絶対に捉えられないという保障はなく。
はっきりいって装甲もなきに等しいシンの小さな体など、容易く両断されかねない。
そんな目に見えたリスクをシンに科すわけには、いかない。
そして……ココロ。
実は単純な相性だけで言えば、最も向いているのは彼女だろう。
虫の神秘も風の翼も、岩の身体を砕くには及ばない。
――ココロの力量が、それに見合うものでさえあれば。
木々をあれだけ鋭利に斬り倒せる存在が、岩を断てぬとは間違っても言い切れず。
今、こうして怯えて裾に縋りついてくる少女を戦わせることは、自殺行為。
「……ココロ、少しこの中に戻ってて。すぐに済むから」
形ばかりの慰めに、しかし自分が足手纏いという事も重々承知しているのだろう――躊躇いがちに頷く少女。
瞬きのうちに、その小さな体が赤き玉に呑まれて消える。
それを確認して、アメジストは別のボールを手に取った。
幸い、シンはこの情景の頭からずっと姿を消している。敵に気付かれずに戻すことは充分に可能だ。
「さ、シンも――」
“イヤよ”
一言で切って捨て、険しく戦場を見据える赤き妖精。
今にも競り合おうという状況の妹の背をただじっと見据える瞳は、熱い。
“あの子がやられそうになったら、格好良く助けてやんなきゃなんないのに。ボールの中になんて籠ってられないでしょうが!”
――気紛れで強情な、このお姫様は。
身の丈に合わぬ闘志を押さえつけるのに、必死のようだった。
「……待っててくれるなんて、意外と紳士なんだね。……ナユタさん?」
進み出ながら気を落ち着けたのか、若干口調を改めて構えるイズミ。
尤も少しの敬意を見せたところで、返答がないのには変わりなかったが。
「――行くよ」
それ以上の会話を諦め、すっと息を吸うイズミ。
間断なく視線を固定したまま、ほんの少し片足を浮かせる。
それは、イズミにとって慣れ親しんだ動き。
『電光石火』――迅速の奇襲を引き出すための、軽快なるステップ。
一つ。右足で地を、
二つ。左足で地を、
三歩目に体重を乗せ――眼前に、緑の女性の顔が在った。
「ッ!!」
とっさに前に向かうはずの推力をバックステップへと変換、転がるようにして身を引いたまさにその刹那。
イズミの立っていた位置を、銀光が擦過する。
残像の自分の首を容易く刎ねた右の刃に、危うく目を奪われかけ――
次いで振り下ろされた左の刃に、浅く裂かれる腕の皮。
「……このっ!」
舌打ちと同時、振り下ろされたばかりのその刃めがけ突き出された破壊の爪、『ブレイククロー』は――
ほんの一呼吸の間に退いた女性の残り香のみを捕らえ、貫く。
僅か一度の交錯で、再度舞い踊る土埃。
とにかく一度体勢を立て直すべく、二、三と踏まれたステップを乱すように。
緑の女性の第二波が、イズミに殺到した。
腕。首。廻って腰からの斬り上げ。
躱す、躱す。読みきれぬ一斬がイズミの脇腹を掠め、白の闘衣を舞い散らせる。
じくりと――脳髄が痛んだ。
刹那の圧迫を無視するように、体勢を落としての下段。
腕を視点に身を廻し、両の足が鞭の如く撓る。
『二度蹴り』――足払いじみたそれを、女性は軽く舞い上がることで回避。
それこそが、狙い。
振り切った足の裏を素早く地に押し付け、跳躍。
宙に浮いた女性への渾身の『追い討ち』――
それが、届くよりも早く。
ぎらりと、斬跡が奔った。
「ッ!!」
足場のない中空で必死に身を捩らせる。
紙一重――左腕の肉、そのごく薄い部分まで入り込んだ刃が、一抹の朱を飛沫かせて。
高々と、舞い上がる。
薄い鮮血と、解れた衣の切れ端と、
――露になった断面も生々しい、イズミの左腕が。
「――――ぁああああああっ!?」
断叫。
着地と共に左腕を千切れんばかりの強さで押さえ、ただ吼えるイズミ。
それを見やる緑の女性の眼は、何の感情も映し出してはおらず。
イズミはぐるぐると自問する。
そんなはずはないのに、と。
左腕は――確かにここにある。
きちんと付いている。
動く。
斬り飛ばされたと感じたのは、単なるイメージ。
実際こうして、どうにか『見切り』きってみせたというのに――
なぜ、そんな気がしないのだろう。
つい先ほどもそうだった。
第二の交錯。脇腹を浅く裂かれた刹那に奔った脳髄の痛み。
ほんの微か、おぼろげに脳裏に映し出された光景は――
腰から肩までを斬り上げられ、擦れる臓腑の音も艶かしく滑り落ちる、己が上半身。
それは、戦士としての直感。
現実がどうあれ、自分の精神はもう二回、断末魔の悲鳴を放っていて。
それが意味することは、つまり――
イズミが、答えらしき答えに行き着くよりも早く。
ナユタが――疾駆した。
肩を。首を。腹を。腰を。腕を。足を。脳を。心臓を。
あらゆる部位を隙あらば刎ね飛ばさんと迫る両手鎌、その斬撃はまさに那由他の如く、途切れることを知らず。
掠め取られる。微かに朱に染まった白の飛片と共に、精神もまた。
頬に、二の腕に、幾筋もの血の跡を滲ませて。
イズミは、ただ、振り踊る。
一時でも足を止めれば直ちに喉元を掻き斬られる、そんな死の演舞――『剣の舞』。
顔面に迫る一閃を髪の毛数本と引き換えに凌ぎ、次いで下ろされた一刀を鎌の腹を弾くことで回避し――
推測は、確信へと変わる。
振り放たれる刃の雨、その合間に向けられる女性の視線が時折、外れるのだ。
見据える先は遥か向こう、距離を置いて固唾を呑んで見守っている――
(旦那……!)
ぐっ、と奥歯を噛み、地を踏みしめる。
押されていた反動そのままに突き出されたイズミの爪に、ずっと攻勢に回っていた分の不意を付かれたか、女性の反応が僅かに鈍った。
とはいえ、それはその腕を斬り飛ばせなかった、というだけの話であり。
爪が抉った先には、緑の影すらも存在しない。
期せずして開いた距離、心持ち肩を落としながら呼吸を整え――イズミが、きっと女性を睨んだ。
その視線に何を感じたか、ナユタも僅かに鎌先を下げ、攻撃の気配を薄れさせる。
それは、闘いの中に生まれたほんの一時の空白。
暴虐が全てを支配する時の中で、ただ唯一、論理の成立しうる場所。
「……あなた、手加減、してるでしょ」
荒い息の中、イズミはそう口にした。
肯定も否定もなく、女性はただ黙ってイズミの発言を待っている。
襲い掛かってこない――イズミの確信を裏付けるに、女性の態度は充分すぎた。
「ボクなんかには負けっこないって……ボクなんかいつでも殺せるって、そう思ってるんだっ!」
――闘いの最中、幾度も感じた感覚のぶれ。
殺されたと認識する心、無事に凌いでみせる身体。
それの意味する所は、気付いてみれば単純な話。
躱していたのではない、躱させてもらっていたのだ、と。
常にイズミが反応しうるぎりぎりの速度で――紙一重で見切れる範囲でしか繰り出されない死の刃――否、生の刃。
彼女が本気で鎌を振るっていれば、恐らく始めの一瞬で全てが終わっていた。
虚ろに涙を流す生首として生を終えていたのだとも……今なら確信出来る。
本来死ぬべきタイミングで命を長らえ続けていれば、それは心が違和感を覚えて当然なのだ。
けれど何故、敵である彼女がそんな真似をするのか――
それについても、半ば解っている。
彼女の無感情の視線、それの行き着く先が如実に語ってくれた。
恐らく――彼女が本当に斬りたい相手は、アメジストのみ。
どういう理由かまでは解らないが、トレーナーであるアメジストを殺し、
手駒であるところのイズミたちには可能な限り傷を負わせずに終わらせる――そんな心根を、感じる。
今思えばあの倒木、真っ直ぐにアメジストめがけて降り注いだ巨木も、そういった意図によるものだったのだろう。
そのためにわざわざ手を緩め――いわば『自分なりのルール』に従って彼女が戦っているのだとすれば――
そこに、たった一つの勝機がある。
「絶対にボクに勝てるって、そう思ってるんなら……凌いでみせてよ。ボクの必殺技をっ!」
――イズミの浅はかな申し出を嘲るように、乾いた風が戦場を過ぎった。
誘い。
ある種あからさまな挑発に、女性はほんの少し眉根を寄せ――
頷いたように、見えた。
少なくとも刃先はだらりと下を向き、不意を討とうという気配は感じられない。
賭けは、成った。
じりじりと踵を下げ、後退するイズミ。ナユタはただ黙って、その動きを見守っている。
適度に距離が開いたところで、肩幅ほどに足を開き、身体の正面を晒して立つ。
すう、と静かに息を吸い、吐く。幾度とないその繰り返し。
気を鎮め、練る。たった一度の機会を最高の力で利用するために。
イズミの発言は――決して、ブラフなどではない。
必殺技、といえるだけの大技。イズミにとって唯一の遠隔攻撃。
これまで使わなかったのには当然、訳がある。
一つは――その技が極めて殺傷力の高いものであるという事。
相手の受け次第では、殺害はおろかその身を細かい肉片にまで変えてしまう――そんな酸鼻極まる奥義。
殺しを良しとしないイズミにとっては、それこそ生涯でも封じておきたかった呪い。
けれど、今はそんなことに拘泥できるはずもなく。
撃たなければ、死ぬ。
自分一人が殺されるならともかく、後ろで支えてくれる温かい存在――アメジストまでが、沈む。
毒々しく吹き出る赤の間欠泉の中に、横たわる骸と化す。
認められない。
そんな未来は、絶対に。
「はあぁ……ぁあああ……!」
気を増幅させ、風を呼ぶ。
とぐろを巻き、イズミに擦り寄る見えない獣たち。
――これまで放たなかった、もう一つの理由は。
言ってみればとても単純。撃つまでに少しの時間と集中が必要な事。
いかに手加減されているとはいえ、常に刃の渦に踊らされている状況で、心穏やかに念じられるはずもなく。
けれど、彼女の理念――その手加減を逆手に取り、ハンデという形で気を溜めるだけの時間を確保できれば――
完成する。
死臭香る、悪夢の風が。
「いくよ、ナユタさん……!」
自身の血に眠る、鼬の魂を拠り所として。
束ね、放つ。無数の実態なき悪魔たちを。
「……ぁあああああっ! 『鎌鼬』――――っ!」
――風が、吼えた。
胸の前で交差するように振るわれたイズミの二の腕、その命に忠実に従い。
迅速を超えて躍動する無数の真空が、牙を向いてナユタに迫る。
それはまさしく、受けようのない白刃。
先ほどまでナユタが繰り出していた斬撃そのもの。
……イズミにとって、彼女の技は防御不能に他ならなかった。
例え爪で受けようとしても、恐らくそれごと腕を縦に割られるのが関の山。
だからこそ弾く時は、鎌の腹を狙って打ち払う位しか叶わなかったのだが――
この嵐は、それすらも許しはしない。
実態なき剃刀。対象の命を一息に奪う、優しき死神。
まるで接吻を為すように、見えない邪悪がナユタの身に触れ――
――始めは、鮮血が散ったのだと思った。
真空の刃が触れた箇所、そこが瞬く間に赤色に染まる。
けれど、それだけ。
都合、三十合ほど放たれた死の鎌は、
それと同じ数だけの赤色の痣をナユタの身に刻み、
撲たれ、
弾かれ、
連なる甲高い絶叫を響かせて、
消えた。
「――――え?」
魂の籠らぬ顔で、イズミが眼を見開く。
その締まらぬ口内に突き込まれようとする鎌先――瞬時に飛来したナユタの攻撃を無意識の反射だけで避け、
まろぶように引き退る白の少女。
その瞳は、終末を目にしたかのように歪み、
その足は、骨を失ったかのように揺らぎ、
その心は、絶望に巣食われて動かない。
先刻の光景がまるで嘘だったといわんばかりに、傷一つない緑の全身を見せ付けて雄々しく立つ女性。
その瞳が、ほんの少しだけ失望に狭められ――
斬首の鎌が、ゆっくりと擡げられた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「イズミ……!」
切り札中の切り札、『鎌鼬』を用いてすら傷一つないストライクの女性。
半ば尻餅を付くように、小刻みに震えるばかりの白き娘。
もはや――誰の眼にも明らかだ。
イズミは……敗ける。
敗けて、死ぬ。
「イズミっ!!」
“もう出るわよアメジスト、いいわねっ!?”
決死の形相で叫び、返事を待たず飛び出すユカリとシン。
その背に従い、縺れそうになる足を必死に動かしながら――漏れ出すのは、自責。
なにが、トレーナーだ。
なにが、主人だ。
こうして、イズミが死地に身を晒しているというのに。
ろくにその闘いを補佐することも出来ず、いざとなればこうして慌てふためくだけ。
脳裏を巡る、可憐な少女の姿――
ユカリ手製のスープを、天にも昇るような表情でごくごくと飲み干すイズミ。
少しでも手の届くものを救いたいと、真摯に訴えかけるイズミ。
倒木の折、ただ青年の命あることを純粋に喜んでくれた、花のようなイズミ。
――ぴしゃりと、駆けながら頬を叩いた。
まだ悲嘆には早い。悔いるのは、本当に考えが及ばなくなってからでも遅くはない。
思考しろ。
仮にもトレーナーを名乗るのなら。
今までに見たもの、情報、全てを重ね合わせて引き剥がす。あのストライクを覆う暗幕。勝利への道を塞ぐ、絶望を。
――何故、鎌鼬の斬撃がまるで通用しなかったのか。
――あの殺傷力から身を護る術は。
――イズミレベルの速さがないとそもそも攻撃が当たらない相手を、どう制すれば。
思考は幾重にも連なって淀み、ただただ光の到来を拒絶する。
引っ掛かりが、掴めない。
もし、これがトレーナー戦であれば。
主人の性格、意向、癖。そういったものも判断材料の一部として読み取り、戦略に組み込むことが出来る。
けれど、こうして自発的に動き回る野生の萌えもん相手では、根本的な情報量が――
・・
――野生。
「ああっ……!」
漏れ出した声に、ユカリが一瞬足を止めて振り返った。
それすらも認識せず、アメジストの内側を高速で巡る光明。
――なんでもここ最近、野生の萌えもんが集って人里を……
――んーん、ただの野生とはちょっと違うのよぅ……
これまで耳にした種々の噂が、残響を伴ってアメジストを貫く。
導き出された一手は、まさしく絶対。
トレーナーとの戦いにおいてはなんら効力なく、野性の萌えもんに対してのみ必勝の兵器と化す、悪魔的奇手。
どうして、今までそれに思い至らなかったのか。
……決まっている。これまでただの一度たりとも、為したことがないからだ。
ユカリも、イズミも、シンも、ココロも。
誰一人として、力で屈服させた関係ではない。
策を為すための、材料こそあれど。
経験不足――アメジストの温厚さが仇となった技量の未習熟のみが、行く手を遮る大河として立ち塞がる。
もし、渡れなければ。尻込んで、溺れてしまえば。
イズミの笑顔は、光を喪い。
虚しく断ち切られたただの二つの肉塊として、死河に漂うだろう。
そんな未来を、望みはしないから。
成功させなければならない。共に舟を漕いでくれる、仲間達と共に。
――整理する。必要なものは何か。
まず、攻撃。足止め役。
そして、投擲役。
それに、何より欠かせないのは――
己が腰に結わえられた、二つのボール。
倒木の折に手放し投げ出された道具袋の中ではなく、相手に気付かれぬ範囲で用意できる、二種の命綱。
蒼と黒の、無人の珠。
ユカリたちが普段仮住まいとして使っているのでもない、いわば買い求めたばかりの純潔の希望――
“っなに固まってんのよ、アメジス……!”
無心でがなりたてるシンを、掌で制し。
「待ってくれ、二人とも。突っ込むんじゃない、タイミングだ……!」
“馬鹿ッ、待てるわけが――!”
「……何か、策があるのね?」
向けられるユカリの聡明な瞳に、力強く頷き返し。
唇に乗せる。
ほんの僅か、雷光が降り落ちるほどの刹那に構築された、細くあやふやな『理』を。
今まさに首筋を薙がれんとする、白き少女の耳にまで届くように。
「イズミ――――――――ッ!!」
それまで黙り通していた、無害の青年の絶叫に。
緑の女性の処刑刀が、ほんの僅か、軋む。
・・・・・・・ ・・・・・・
「あと三十秒だけ、持ち堪えろぉ――――――ッ!!」
ほんの数分前まで忌憚なく耳にしていたはずの、ひどく懐かしい声。
――それがイズミの足を、魂を灼いた。
違わず首を刎ね飛ばすはずの一閃、それを皮一枚――それこそ頚動脈を掠るほどの紙一重で回避。
地を踊るように廻り離れ、ばっと身を起こして相対。
闘争心を再燃させた荒き瞳孔を緑の女性へと光らせ、ただ心は刻む。
――――三、四……!
三十秒。
託された、信頼の数字。
いとも容易く息を吹き返した白き獣の姿に、無表情ながらも猜疑を滲ませて。
女性が、口を開く。
先達ての名乗りを別にすれば、初めて。
「…………どう、して」
短く区切られた吐息のような問いの意味を、ほぼ正確に読み取って。
イズミが、口の端を上げる。
それは、確信。
「だって、旦那の言葉だもん」
これまでただの一度も通用しなかった白銀の爪を研ぎ合わせ、イズミは応じる。
あと三十秒、アメジストが死ぬなと求めるのなら。
遂行するだけだ。この命は疾うに、あの心優しき青年の元に預けてあるのだから。
「旦那の考えが、間違ってたことなんてないんだから――あと三十……二十秒くらいかな?
――あなたの、負けだよ」
その、いっそ妄信とすら思える魂の煌きに。
応えるのは、二筋の刃。
左と右、双方から袈裟懸けに奔る十字――『シザークロス』の刃に対し、迷わず後逸。
胸元のリボンと白の生地を、浅く裂かれようとも。
――――十七……
カウントは、止まらない。
忠義にも似たその心を表すかのように、刻まれる楔。
それを遮らんと荒れ狂う、緑の暴風に――
ごく最小の動きで、半ば銀閃に身を晒すようにしながらも、致命的な部位だけは斬らせない。
緋色の袖口が、左右に纏めた髪の一端が舞おうとも。
――――二十三……
それすらも、闇霧に映える望みと代えて。
見切る。
見切る。
散り飛沫く薄い朱と引き換えに捧げられる、指先ほどの時間。
――――二十六、二十七……!
焦りが、生じたのかもしれない。
白き娘の臓腑を掻き出さんと、腹部めがけて繰り出された刺突――その際、僅かに迫りすぎた緑の痩身。
千載一遇の好機、しかし爪で応じるだけの余力はなく。
ステップを、換える。
下がる爪先を踏みしめて、前へと向かう意志を燃やし、ただその身を投げ出すように――
最も原始的な手段、咄嗟の『体当たり』に虚を突かれたか。
弾かれる、碧身。
四枚羽を顫動させ、無表情のままに間合いを離したその女性の体が――
「三十ッ!!」
……撓んだ大気に、打ち据えられた。
『サイコキネシス』――時空を絞り、捏ね、叩きつける念の荒業。
見えない姉による絶妙の援護、奇襲に、緑の疾風の動きが初めて固定される。
垣間、追撃に移ろうと屈み込んだ白き身体を――
背後からの風切り音が、動かした。
横へ。
側転交じりに開いた空白――それまでイズミの立っていた場所、その背後から踊りかかった蒼き玉。
スーパーボール。
萌えもんを捕獲し律するための、非力なる人類の叡智。
予想だにしなかった一撃、シンの念導力に強かに痛めつけられて体勢を崩した緑の肉体を掴み取らんと、一直線に飛来するそれが――
斬。
断ち切られる。
無理な体勢からそれでも振るわれた、誇り高き虫の一閃に。
上方の白、下方の蒼を分離させて割れ落ちる蒼玉。
その、向こうから。
「――――!」
ユカリが放った、一縷の水流。
その先端に乗せて打ち出された鈍く輝く黒き珠、ハイパーボールが。
イズミに弾かれ、シンに撃たれ、無理やり蒼き玉を切り払ったばかりの無防備な女性の胸元に触れ。
――吸い込んだ。
がた、がた……と。
黒く震える小さな珠を、悄然と見やる傷身のイズミ。
やや深い腕の傷をもう一方の掌で抑えながらも、外れることのない当惑の視線。
ストライクの女性、その卓越した肉体を冗談のように取り込んだ小さな珠が。
――まるで、命を喪ったように。
ことんと、一つ音を立て、
……止まった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「…………やった…………?」
それは、誰の呟きであったのか。
一流れの風が吹き荒び、ざざ、と砂の流れる音が響きだした頃。
膨れ上がる歓喜は、雄叫びとなって。
「…………やったあああああああっ!」
――それは紛れなき、凱歌。
闘いの終わりを告げる、勝利の咆哮。
捕獲というイレギュラーな手段によって導き出された、唐突な幕引き。
気を落とし、安堵のあまり倒れ込みそうになったイズミの華奢な身体を――
抱きとめる、力強き腕。
「――しっかりしろ、イズミっ!」
アメジスト。
少女が命を賭して護り抜いた、青年の姿。
「……旦那、ボク頑張ったよ――」
支える腕は、視界が潤み出しそうなほどに温かくて。
今にも意識を飛ばしてしまいかねない急速な弛緩の中、イズミは笑う。
ふと視線を巡らせれば、あの緑の女性を押し込めた黒珠は未だ地に転がったまま。
何よりも先に自分を――あちこちから溢れだす血潮に汚れるのも厭わず抱きかかえてくれる、その真心が。
どうしようもなく、愛しい。
「えへへ、あったかいや……」
飼い主の膝の上で丸くなる猫のように、そっとその身を預けると。
青年は何も言わずに、緩やかに頭を撫でてくれる。
その温水のような、心地よい感触だけで。
癒される。
戻せる。
ささくれだった死地に投げ捨てていた心を――いつも通りの、平穏の郷へと。
ふと、青年の顔を見上げる。それは優しくありながら、どこか泣き出しそうな色すら湛えていた。
吸いつく視線。己が首筋から滴り零れる、一筋の紅。
彼の目前に晒すのすら躊躇われる、あちこち裂けた白の闘衣と……肌。
青年の心の奥に、罪悪感めいた渦を感じ取り――否定するように、打ち消すようにイズミは呟く。
「……あは、一張羅がダメになっちゃったよ」
冗談めかした、そんな物言いに――
青年もまた、眉尻を下げながら息を吐く。
「……すぐに縫ってやるよ、元通りにしてやる。任せとけって」
「可愛いアップリケとか、付けてくれる?」
「その服には合わないだろ、流石に……」
そんな、なんでもない会話が。
……今のイズミには、かけがえのない至福だった。
しばし、少女の呼吸が落ち着くまで時を費やし。
どうにか一人で立てるまでになったイズミを離して、アメジストは地に落ちたボールの元へと向かう。
――碧の殺し屋と呼ぶに相応しい、ストライクの女性。
後をひょこひょこと付いてくるイズミが、感心したように呟く。
「よく捕まえるなんて思いついたね? ボク、絶対勝たなきゃいけないものだとばっか思ってた」
「――全くだな。なんで今まで気が付かなかったのやら」
もしもっと早くに思い至っていれば、あの赤き少女との邂逅も違う結果となっていたかもしれない。
今更述べたところで、詮無きことであるが。
「ありがとね、シン姉。ナイスタイミングだったよ」
“ええ、高らかに感謝しなさいな。この私のパーフェクト偉業をっ!”
また訳のわからない造語を振りまきつつ、小さな胸を張ってみせるシン。
昂揚の裏に秘められた、妹分への心配と安堵が――滲み出るように周囲を染めつくしている。
事実、シンの働きは大きかった。
捕獲とは、そもそも対象が五体満足な段階では上手く成立しない。
弾かれるかもしれないし、例えどうにかボールを当てて中に閉じ込めたとしても、すぐに内側から破られてしまう。
珠を当てるために、ほんの僅かでも隙を作り出すこと。
内側で抵抗しきれないよう、体力を削り落としておくこと。
この二つを為せるのは――姿を消して不意を討てる、シンをおいて他にはいない。
ストライクに対し絶対的に相性が悪いとはいえ、最初の一撃だけなら気取られずに全力でぶち当てることが出来る。
その存在を隠していたが故に決められた、神速すら討ち果たす念の壁。
そして――もう一人。
「ユカリもお疲れさま。ナイスシューティングだぜ!」
「あんな心臓に悪いこと、もうしばらくはやりたくないけどね……」
苦笑いと共に返してくれる、ユカリ。
この捕獲作戦における、最後の砦。
そもそもの問題点として、アメジストには確信が無かった。
仮にシンの技がクリーンヒットし、一瞬完全に動きを止められたとしても、その女性に対しボールをぶつけるだけの自負が。
捕獲経験のなさ――それは即ち、そのまま投擲経験のなさにも繋がる。
万が一、外してしまったら。この最初で最後とも言える機会を逃してしまったら。
イズミの命を双肩に負うからこそ、腕の揺らぎもまた生じる。
到底持ち得ない保障――ならば、命中率に長けた人物に託せばいい。
冷静で、強心臓。あくせくと動き回る敵にならばともかく、
一瞬でも完全に静止している的に対してはまず外れることのない、ユカリの水流。
そこに、より捕獲率の高いハイパーボールを乗せ、撃ち出す。
青年の投げたスーパーボールは、あくまで囮。
躱されてしまう可能性も有るにはあったが、己が刃を頼りとするならばきっと斬り払ってくれるだろうと踏んで――
決定的な隙、痛んだ身体で振るわれた斬撃後の僅かな硬直に、高速で打ち出された黒の珠を叩き込む。
――結果は、見ての通り。
緑の猛威は黒の珠の内で沈黙し、嘘のように押し黙るのみ。
イズミが抑え、シンが放ち、ユカリが捕える。
三位一体でもぎ取った、場外乱闘にも等しい勝利。
「――ああっ!」
唐突に、イズミが叫ぶ。
何事かと集った種々の視線を物ともせず、あんぐりと口をあける白き少女。
「ええとつまりひょっとして、そのお姉さんが仲間になるってこと!?」
「ん……まあ、そうなるんじゃないか」
鈍く呟くアメジスト。やはり自分を殺しかけた相手と共にいるのは嫌なのか、と懸念してみるも。
「うう、喜ぶべきかもしれないけど、何だかボクの立場が全くなくなる気がするっ……!」
――イズミを悩ませているのは、もっと別の事案らしい。
確かに戦闘タイプとしては極めて酷似しているし、全体的な力量も緑の女性の方が上、とは思えるが。
そんなものは、関係ない。
イズミは、イズミ。かけがえのない仲間なのだから。
「大丈夫だって、んな心配しなくても!」
「そうよ、イズミ。これからも貴女に頼ることは山ほどあるわ。それに……」
イズミをフォローしがてら、ちらりと大地のボールに目を向けるユカリ。
「――彼女には、『十二神鏡』について教えてもらうのが先決だものね。無口みたいだし、答えてくれるか解らないけど」
その台詞はあくまで冷静に、ただ今後のみを見据えて紡がれる。
『十二神鏡』――重く投げ出されたその単語に、誰もが表情を引き締めざるを得ない。
「そう、か……そうだよな。まずはそれが先だ」
地に転がる黒き珠、それを手に取りながらぼやくアメジスト。
彼女がどういったつもりで襲ってきたのかは解らないが、今後の行く末を占うためにも聞ける話を聞くに越した事はない。
向こうにしてみても仲間を裏切る形になってしまうのだろうし、相棒として共に歩けるかどうかは、あくまでその後――
そんな風に考えながら、何気なくボール越し、上部の透明なシェルを仰ぎ見て内部の様子を伺う。
捕獲した萌えもんの昂揚を鎮めるために設計された、安寧のひずみの中で。
矛を収めた筈の女性の瞳が、ぎらりと瞬いたような気がした。
「――――え?」
変容。 ・・・・・・
アメジストの目の前で、ボールの上部がいびつに歪み――否、斬り裂かれて。
身から飛び出す骨の如く、鎌首を擡げた刃が。
真っ直ぐに。
斬り上げられる。
アメジストの首筋、そこに脈打つ鮮血を求めて。
刃先を追うように、腕の上部、肩口。
半壊したボールから抜け出した、気味の悪いほどに整った端麗な顔、緑瞳が、一心にアメジストを捉え――
「――――危ない、旦那ぁっ!!!!」
――――なにが起こったのか、すぐには解らなかった。
解りたくも、なかった。
ただ感じるのは、あの倒木の時と同じ、柔らかく凭れ掛かる感触。
どっぷりと血臭を纏わせた、華奢な少女の躯。
ぱた、と一粒。
赤くてどろりとしたものが、アメジストの頬を濁し汚す。
振り切られた真紅の鎌先は、勇ましく天を差し誇り。
押し倒され、地に伏した青年の身に、その紅を思わせる外傷はなく。
ちょうど馬乗りになる形で、アメジストを庇った一人の少女――
「……イ、ズ……ミ?」
返事の、代わりに。
どぶり、と噴出した紅が雨のように舞い広がり、アメジストを、その場の全てを緋色に染める。
「イズミ―――――――――ッ!!!!」
――ストライクの女性が放った、抜き身の一閃は。
何の躊躇も、慈悲もなく。
とっさに青年を突き倒し、庇い立てした白き少女の。
顔面を。
一息に、断ち割っていた――。
~~second episode completed.
Next story is 〝Ⅶの食〟
to be continued...
最終更新:2008年01月30日 20:45