「いいか? お前は今進化の準備期間なんだから、家から出ちゃダメだぞ。出て行けば、鳥の奴らに見つかって餌にされる」
いつもと変わらない姉さんの言葉。
その言葉――ここ数週間、ずっと一字一句変わらない定型文――に、頷き返すわたし。
それを見て満足気に頷き、食事を始める一家。
小さな木のうろの中に築かれてきた、いつもと変わらない様子。
だからきっと――わたしは明日も、いつもと同じように姉さんの言いつけを破ることだろう。
朝が来た。今日は一段と冷え込み、葉の間にはうっすらと霜が降りてすらいる。
すでに姉さんは狩りへと出かけていて、ビードルは友達の子と一緒に遊びに行ってしまった。
残されたわたしは部屋の中でおとなしくしているかというと――そうでもない。
手には、小さい包み。周りには、霜の降りた長いはっぱたち。その合間を縫うように歩く。
家の中じゃない、外の世界――わたしは、姉さんの言いつけを破ってここに居る。
家から程ない場所に立って、周りを見渡す。
……うん。大丈夫。ここいらにはご近所さんは居ないし、今日は寒いからほかのもえもんも出歩こうとしないし。
それをしっかりと確認した後、わたしは上を向いて控えめに呼ぶ。
「大丈夫……誰もいないよ」
――がさ……
頭上の木の葉が控えめに揺れた。程なくして、目の前にポッポが着地する。
普通のポッポは怖いけど……このポッポは、わたしのお友達。怖くない。
わたしは着地したポッポに近づいて話しかける。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううんそんなことないよ!」
元気よく翼を振って笑うポッポ。その様子にわたしもくす、と笑いをこぼす。
わたしたちはいつもこうやって待ち合わせをして、一緒に遊んでいる。幼い頃からずっと、殆ど一日も欠かさず。
遊ぶ内容はいろいろ。草を一緒に食べたり、虫を一緒に捕まえたり、いい感じの秘密基地を探したり、ただしゃべっていたりとか。
「それじゃいこうか!」
「うん!」
寒くて誰もいない森の中。わたしたちは特に何をするということでもなく、わたしたちは小さな虫を捕まえるとかして遊んだ。
やがて日が傾き始め、ビードルが帰ってきそうな頃に分かれた。
帰り道、少し身震いする。冬至も過ぎたというのに、まだまだ寒くなり続ける世界。
早めに入ってお布団に包まって、あったかくなろう。わたしは気持ち歩く足を早めた。
わたしとポッポの、本来ならありえないような付き合いが始まったのは、わたしがビードルの頃。
まだ幼いわたしは人付き合いが上手くなくて、いつも一人でそこらへんの草をかじったり、石のうらとかにいる昆虫を捕まえたりして遊んでいた。
その帰り道。
――どさり。
「……ん?」
それは、棲家としている木のうろに程ないところだった。
大きめの虫を捕まえて上機嫌だったわたしは、重さを持ったなにかが地面に落ちる音を聞いた。
冷静に考えていれば、そこに待ち受けているものは百害あって一利もないはずだったんだけど。
わたしはそれがどうしても気になって――戦利品である昆虫を捕まえたままそこへ行ったのだった。
がさがさ。
高く伸びる草の合間を掻き分けて進む。進む。
その先、少し木々が開けていて、昼間はよくおひさまを浴びに来る場所。
そこには先客が居た。
「あっ」
その姿を見たわたしは小さく声をあげて――しまった、と思いながら草に身を隠した。
視線の先に居るのは、わたしより大きいポッポ。危ないから近づくな、と姉さんに言われていた。
でも、何か様子が変だった。あまりにぐったりして、遠目だけど顔色も悪い。まるで、今にも死んでしまいそうだった。
だからか、気付かれないようにして来た道を戻る、という選択肢はまるで浮かばずに、わたしは息を潜めてその様子を見ていた。
すると、
「……う」
なんと、殆ど虫の息だったポッポが身じろぎをしたのだ!
引き続き様子を見ていると、何か口をぱくぱくと動かし始めた。
何をしているのだろう、と思って、何かつぶやいているのだ、と分かって、聞き耳を立てた。
「……おなか……すいた……」
それは殆どうわごとに近い状態だった。
どうやら狩りに失敗して、殆ど何も口にしていない状態らしい。
よくよくみれば、そのやせ具合が半端ないことが分かる。
その後もぽつぽつと何かをつぶやいていたが、突如、泣き出した。
てっきりおなかがすいているから泣いているのか――そう思っていたわたしだったが、それは違った。
「おかあ……さん………ごめん…な…さい……」
ごはん、もってかえれなくて、ごめんなさい、そうポッポは泣いていた。
それを聞いて、わたしは居てもたってもいられなくて、草の影から飛び出した。
泣いていたポッポははじめは驚いた目でこちらを見ていたが、もう動く気力もないのだろう。羽を少し動かしただけで、すぐ動くのを止めてしまった。
わたしは大急ぎでポッポの口の前に行くと、手に持っていた今日の収穫を乱暴に詰め込んだ。
食べれるか、なんて考えてなかった。食べさせなければいけない、と思った。
その後、驚いたポッポが行動を起こす前に、日ごろひみつきちとして使っていた、近くの木の根っこの隙間に引っ張り込んだ。
ここならあったかいから、寒さで力尽きてしまうこともない。
一仕事終えた気分で、わたしは家に帰ろうとした。
「……まってっ」
しかし、少し回復したポッポに呼び止められてしまう。
思わず驚いたので別の根の間に隠れて、そこから顔を出してたずねた。
「なぁに?」
「なんで?」
質問に質問で返され、意味を掴みかねるわたしに、続けて言った。
「なんでたすけてくれたの?」
昆虫の類は格好の餌だけど、ビードルは毒針を持つので、油断してはならない。
迂闊に気を抜けばすぐさま殺されてしまうから――そう、母親から教わったと彼女は言った。
それを聞いて、わたしはおでこのハリを撫でる。
確かに、殺そうと思えば殺せたかもしれない。でも、そんなことはまったく想像も出来なかった。
「ねぇ、なんで?」
「……だって」
ちょっとだけ、影から体を出して、答えた。
「おなかがすいてたら、かなしいよね。わたしも、おなかすいたら、かなしいから」
だから持っていた昆虫を無理やりに押し込んだのだ、と答えた。
その回答に、なぜか驚いたようなポッポだったが――突然、涙を流して泣き始めた。
あわててわたしは、根の影から飛び出して近寄った。
「だいじょうぶ? まだおなかすいてるの?」
「う、ううん……ひっく、ちがうの……あり、がとう……」
まだ幼いわたしは、なぜ自分が感謝されているのか分からなかった。
だからその理由を聞こうと、彼女が泣き止むまでそっと体を寄せてあげていた。
彼女は、母親とどこかの木の上で暮らしていたらしい。
いままで母親が小さな昆虫やまだ若いキャタピー、ビードルなどを捕まえて取ってきて、それを与えてくれていたという。
だけど、少し前に母親は木の枝に翼を引っ掛けたのか、怪我をしてしまったため、まともな狩りが出来なくなったそうだ。
それで経験も積んでいない彼女が狩りに出かけることになったのだが――もちろん、結果は芳しくなかった。
日に3,4匹小さな虫が取れればいいくらいで、ビードルやキャタピーなんて反撃されてあやうく怪我をするところだったそうな。
それでも、彼女はその少ない成果を母親に与えて、自らは何も食べずに飛び続けて狩りをしていたらしい。
だが、まだ幼い体にそれほどの無茶を強いる結果は目に見えていて。
つい先ほどのように力尽きて落ちてしまった、とのことだった。
話をしているとき、何度も何度もちら、と空を見上げることをしていたため、母親ことが心配なのだろう。
その様子を見ていたわたしは――妙案を思いついた。
指でつんつん、と羽をつついて話しかける。
「ねぇねぇ」
「…なぁに?」
「わたしが、いっしょにごはんあつめてあげる!」
石の裏とか、小さなうろの奥だとか、そうした場所は虫がよく集まる。
その虫たちを集めてあげれば、きっとポッポも、ポッポの母親も元気になると幼心に思ったのだ。
彼女もその申し出を喜んで聞いて、どの虫が美味しいとか、どこらへんに集まるとか……そういう話をしていると、いつの間にか夜は更けていった。
「あ、もうこんなに」
言われて空を見上げると、見たこともないような星空がいっぱい広がっていた。
しばらくの間見とれていて――そこで、ようやく大変なことに気付いた。
「もうかえらなきゃ!」
いつもは夕暮れにはもう家に帰っていたから、それと比べると非常に遅い時間だ。
ひょっとしたら姉さんが心配して探しに来ているかもしれない。
でも、目の前のポッポを置いて帰ることは出来ない。
おたおたしていると、ポッポは笑って言った。
「かえりなよ」
「でも!」
「だいじょうぶ、またあした、ね?」
そういって、彼女は小指をわたしの小指に絡ませると、ゆびきりげんまんをした。
彼女によると、これは『やくそくのおまじない』だそうだ。
――ゆーびきーりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます……ゆびきったっ。
言われるままに指を離すと、なんだか安心感が沸いてきた。
ぜったい、明日また会える、そんな安心感。
「……それじゃ、またあしたね! ぜったいだよー!」
後ろを向いて手を振りながら、元来た道を走って駆けていく。
ポッポは見えなくなるまで両手をぶんぶんと振っていた。
わたしはきっと姉さんに怒られることを覚悟しながらも、思いはもう明日のコトへと馳せていた。
そうして、わたしとポッポは友達になって。
ポッポとの約束は、わたしの中で第一の優先事項となったのだった。
このことは姉さんとは内緒。
いつかは教えられたらいいなと思ってるけど、多分無理かな。
その後、ポッポのお母さんは無事回復して復帰したらしい。
わたしのことを話すと――少し無用心だろう、と思ってしまったが――わたしの大好きな花のはっぱを数枚ポッポに持たせて渡してくれた。
あの時食べたはっぱの美味しさは、すっごくおいしかったのを覚えている。
「ただいまー、帰ったぞー」
「あ、スピアーおねえちゃん!」
おかえりー、といいながらビードルが姉さんに飛びついている。
両手には包みを二つ提げていた。どうやら狩りが順調に行ったのか、大量のようである。
それでも――姉さんが何か浮かない表情をしているのはわたしの気のせいだろうか?
不意に、わたしと目線が合う。
「コクーン、もう準備してくれ」
「うん」
いつものようにそういうと、わたしとビードルはいつものように食卓の準備を始めた。
表情もどうやらわたしの杞憂だったようで。姉さんはいつものように隣で今日のごはんを選定している。
やっぱりいつもどおり。
だから、きっと明日もわたしは姉さんの言いつけを破るのだろう、そう思っていた。
「明日は家に残る。狩りには出ない。」
しかし、そのいつもが崩れるのは存外に早かった。
きっかけは食事前の姉さんの宣言。いつもわたしに言い聞かせるような定型文ではなかった。
もちろん、わたしとビードルは不思議そうな顔をした。
ビードルは「なんでなんでー?」と尋ねているが、答える様子はない。姉さんの表情には、やはり見間違いではなかった浮かない色が見える。
わたしもビードルと同じようにどうしたの、と聞こうとしたとき、姉さんの方から口を開いた。
「コクーン。理由は分かってるよな」
――理由?
突然話題を振られ、思わず思考が停止した。ビードルも訴えかける手を止めてこちらを見ている。
だがそうは言われても、わたしには何の理由も思い浮かばない。明日狩りに出かけない理由なんて一言も聞いていないし。
何か居なければいけない事情でもあるのだろうか?
例えば、嵐が来る、とかで狩りには行けないだとか。
例えば、家に居なければいけない理由……誰かを見張っていないといけないとか――。
姉さんが深いため息をついた。
「……ただの友達なら見過ごそうとも思ったが……よりによって鳥野郎とは」
明らかな悪意と敵意が、その言葉には秘められていた。開いた目には憎しみが宿っている。
その発言を聞いてようやく理解したわたし。あせって弁解をしだす。
「ま、待って姉さん! 彼女は、ポッポは違うの! ポッポはわたしの友達で、そういうのじゃなくて――」
しかし、弁解は届かない。むしろ目のギラつきが増したかのように見えた。
「友達? 友達だと? 鳥と虫が友達になれるわけないだろう!!」
声を荒げて否定する姉さん。その言葉にわたしもカッとなって反論する。
「なれるわ! だって、ポッポは今まで一緒に遊んだ中で、わたしを食べようとはしなかった!」
「そんなもん騙されてるだけだ! 一緒に遊んでいたとしてもやがて手の平を返す! あいつもお前を食おうとしてるだけなんだよ!」
「騙されてなんかないっ!! ポッポを……わたしの友達を悪く言わないで!」
――ダンッ!!!
拳を強く叩きつける音で、勢いを殺がれる。
たたきつけたのは姉さんで、たたきつけた先は壁。ぱらり、と天井から埃が舞う。
姉さんは自らを落ち着かせるためだろうか、深くゆっくりと息を吐くと、改めて向き合って言った。
「……コクーン。たとえあれが友達だとしてもだ。鳥と虫の関係はひとつしかない。
いずれあれはお前に牙を剥くかもしれない。お前を捕食しようとするかもしれない。そうなったとき、お前はむざむざ食われるのか?」
「…………」
わたしは答えない。だって、ポッポがわたしを襲うなんて想像も出来なかったからだ。
「……明日はあたしが居る。一歩も外には出させない。もし、それでも勝手に出てったら……」
「…………」
「どんな状況になろうと――助けは来ないと思え」
「っ……!」
冷徹な一瞥。
その視線の冷ややかさに、自らの意見を信じてもらえなかった苛立ちに居たたまれなくなって――わたしは席を立つ。
そのまま、振り返らずに一直線に部屋に戻っていく。
「こ、コクーンおねえちゃん……」
「ビードル、食べるぞ。ほっとけ」
「でもっ……」
背後に、残された二人がやり取りする言葉が聞こえてきたが、気にしていなかった。
わたしの頭の中は、明日どうやって姉さんの監視の目をかいくぐるか――それしか考えていなかったのだから。
翌朝。わたしはいつもよりとても早く起床した。
眠気はない。昨日かなり早く寝たのと、夕飯を抜いたのが功を奏したのだろうか。
その代わりにすさまじい空腹感に襲われているけれど、我慢できないレベルではないし、一匹くらい朝食の前につまみ食いすれば大丈夫だろう。
横をちらりと見やると、ビードルも姉さんもぐっすり寝ている最中。当たり前だ。まだ外に日は昇っていない。
なるべく音を立てないように慎重に、こっそりと部屋を出る。
自分の部屋に入って身震いひとつ。今日は一段と冷えこむ。いつもポッポに会うときに持っていく包みを取った。
台所に着くと、壁にかけてあるお気に入りの葉っぱいれ袋の中から一枚葉っぱを取り出して食べた。
少しだけ、いつもよりほろ苦かった。ちょっと風化しすぎたかな。
「…………」
全ての準備を済ませ、戸口に立つ。
少しだけ躊躇した後――わたしは日よけをめくり、外へと出た。
「わぁ――」
思わず我を忘れて声を上げてしまう。寒いはずだ、雪だ。かすかだけど、ちらほら雪が舞っている。
それに、本当にうっすらとだが積もってもいる。この地方に雪が降るとはずいぶんと珍しいことだ。
見慣れぬ白に目を取られながら、足まで取られないように慎重に進んでいく。
寒さが身を切るけれど、我慢する。家に戻るという選択肢は全くなかった。
頭の中はポッポに会わなくてはいけないという使命感でいっぱいだったから。
あたりはまだ薄暗かったが、歩くうちに日が出てきたので迷わずにたどり着けた。
「よいしょっと……」
比較的暖かそうな木の根の隙間に身をよせて……そういえばいつかもこの場所にポッポを運んだな、と思い出して笑う。
さて、これで後はこの場所でポッポが来るのを待つだけである。いつもの時間よりずいぶん早いが、待てばいいことなので問題ない。
問題があるとすれば、わたしがおとなしく寝ていないことに気づいた姉さんが探しに出て、見つかって連れ戻されること。
だがこの隠れ場所は苦心してようやく探し出したものであり、意図的に探そうとしなければ見つかりっこないから大丈夫。
わたしは早く来過ぎたくせして、早くも「早く来ないかな」と思いながら、身震いしてポッポを待ち始めた。
(……寒い)
何時間経っただろうか。もう空には太陽が昇っている。日も出てきているから、少しは寒さも和らいでいいはずなのにとんでもなく寒い。
今思うと、雪というものを今まで見たことも触ったこともなかったため何の対処もしてこなかったのが原因なのか。
寒さで回転が鈍っている頭で、ぼんやりと考える。
(…………今頃、みんな起きてる、かな)
きっと姉さんはもうとっくに起きて、ねぼすけなビードルをたたき起こしていることだろう。
わたしがいないことに気づいているかな。探してくれてるだろうかな。心配してくれてるだろうか。
……いや、きっとそんなことはないはず。昨日口げんかしてしまって、愛想をつかされてしまったはずだから。
(それに……しても……ねむい…なぁ……)
なんだか、凄く眠い。このままではポッポが来てくれる前に眠りこけてしまいそうだ。
ポッポがきたらきっと揺り起こしてくれるだろうから、別に眠ってしまっても大丈夫なんだけど。
少し寝ようか……。
「…………」
目を閉じようとしたとき、どこかから叫び声が聞こえた。
誰かを呼ぶような声。ポッポかと思ったけど、違った。
どこか必死な、すごくあせっている。あせって、哀しんでいる。その声を聞くと、何だか胸が凄く痛んだ。
その声をシャットアウトするように、意識を闇に落とそうとする。
だけど、誰かが呼ぶ声が邪魔して完全に眠ることが出来ない。
その声は姉さんの声にまるで瓜二つで――ああ、既に夢を見ているのだろうか。
だって姉さんは家から出たら助けになんか来ないぞ、って怖い目をして言っていた。
そんな人が、今にも泣き出しそうな声でわたしの名前を呼んでいるわけがない――。
それに、この場所はとっておきの場所。ここを探そうと思って来なければ早々見つかるはずはないんだ。
だからきっと誰も来ない――
「――コクーンッ!!!」
直後、痛いほどの叫び声が間近で放たれ、わたしは眠りから覚めるのを余儀なくされた。
いったい何事かと見ようとして――視界がぼやけて、うまく見えない。
でもこの声ははっきりと分かる。
「……ねえ、さん」
想像以上に声が出ないことに驚いていると、ようやく視界がはっきりしてきた。
姉さんはわたしの目の前で、見たこともないくらい顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「お前っ……馬鹿っ!!」
急いでわたしに近寄ると、気づかないうちに厚く覆いかぶさっていた雪を払いのける。
「こんな天気なのに……こんなになるまで……何やってたんだよ!」
「……だって……ポッポと…あわないと……」
「本当に馬鹿かお前! このままだと死んじまうぞ!?」
雪が全て払われると、ふわりとした感触の暖かい布がかけられる。
燃えるような熱さを感じて、自分の体がひどく冷え切ってしまっていることに気づかされた。
姉さんはわたしを抱え上げて根の隙間の、もっと奥まったところへ移動させると、雪を積み上げ障壁を作る。
「待ってろ、今火を起こすから」
「……うん」
姉さんは目の前の地面の雪を払いのけ、まだ雪の浸食を受けていない乾いた木の葉や枝を集めて火を起こした。
小さな焚き火だったけど、冷え切った体にはまるで業火のようにも感じられた。
――音もなく降り積もる雪。
小さくはぜる音を奏でる火。
焚き火が小さく燃える。その横で姉さんが小さな木の枝で火の番をしている。
わたしは布に包まれながら、その光景をじっと見ていた。
積み上げた雪の間から落ちてくる新しい雪が見える。まだ、雪はやまない。
……どれだけの時間が経っただろう? 唐突に、姉さんが小さなくしゃみをした。
「くしっ!」
「姉さん……大丈夫?」
「……ん、ああ。何、少し冷えただけだ……っと」
小枝をひとつ、焚き火の中に放り込んで障壁の隙間に目をやる。
降り止まぬ雪。朝よりも若干だけど、量が増しているようにも見えた。
「降り止む気配がないな……早めに此処を出ないと……」
姉さんが振り返る。わたしを、正確にはわたしの足を見る。
今わたしの足は冷えすぎたのがいけないのか、全く言うことを聞いてくれない。
毛布を巻いたり、さすったりして暖めていたけれどまだ動かせる状態ではなかった。
「……もう少し、様子を見るか」
木の根に針を突き刺して、根っこの皮を剥ぐ。燃料にするためだ。
淡々と作業をこなしているけれど、その表情には若干の焦りが浮かんでいた。
……たぶん、家に残してきたビードルのことが気になるんだろう。
ビードルはわたしと違って姉さんの言うことをしっかりと聞くから、勝手に出歩く可能性は低いけれど――
火は与えられる餌が足りないからか。少しずつ元気を失っていく。
わたしは足をさすりながら思う。勝手に飛び出していなかったら、きっと今頃はみんなで昼ごはんを食べている最中で……。
窓の外を見ながら話したり、三人で一緒に外に出て、雪合戦したり……
もしこのまま雪が吹雪になってしまったらどうなるだろう。恐らくわたしと姉さんは家に戻れず――凍死する。
わたしだけならまだしも、姉さんまで死んでしまう。それも、わたしのわがままのせいで。
「……ねぇ、姉さん」
「どうした?」
「姉さんだけなら家まで飛んでいけるよね」
姉さんの目を見据えて言う。
わたしだけが死ぬのなら自業自得だって言えるけど、姉さんまで死んでしまうのは割に合わない。
「わたしを置いて家に戻って」
姉さんは木の枝で火をつついている。こちらを向く様子はない。
「バカ言うんじゃないよ。そんなことできるもんか」
「このまま天気が戻らなかったら、二人とも多分……そうしたら、残されたビードルはどうなるの?」
「…………」
「わたしは自業自得だから、自分のわがままでこうなったんだから……姉さんは関係ないから」
勝手なわたしのわがままのせいで死なないで。
姉さんはまだたくさんやることがあるんだから、待ってる人がいるんだから、こんなところで終わってしまわないで。
そう思った一言は、予想外の受け取り方をされた。
「関係ない、って?」
――ベキン。
持っていた木の枝がへし折られて、少し火の粉が舞う。きつい目線でわたしをにらんだ姉さんは、喋る。
「関係ないってどういうこと?」
「それは……」
わたしが何か言う前に、姉さんは多いかぶせるように話し出す。
「関係ないって何?! お前、ふざけるんじゃないよ!」
「ふ、ふざけてなんか……」
「いいやふざけてるね! 関係ないって何様のつもり?! 自分だけ死ねばいいのか?! そんなに死にたいのか!」
「――死にたくなんかないよ!」
その一言にカチンと来た。
いつの間にかわたしも姉さんも立ち上がり、口論の構えを取る。
「死にたくなんかない! でも姉さんが死ぬ方がもっと嫌よ!」
「だからってそんなこと言うなよ!! 自分だけ、死のうとするな!」
「今回のはわたしの自業自得でしょ?! 姉さんには関係ない……」
「――関係あるっ!!」
大声で叫ぶ姉さん。その声量に、わたしは一瞬勢いを殺がれる。
そして再び、ハッとした。
姉さんの目に浮かぶ涙に気が付いたからだ。
「関係ないわけ、ないじゃないかっ!!」
気づけば姉さんは、大粒の涙をぼろぼろこぼしながら涙声で叫んでいた。
「――だって、あたしたちは家族じゃないか!!」
気づけばわたしも、同じように涙を流していた。
「関係ないわけ、ないじゃないっ……!」
「姉、さん……」
わたしたちは、互いに泣きながら向き合う。
零れ落ちていく涙の粒を拭おうともせず、続けた。
「お前が、あたしが死ぬのを怖がるように……あたしだって、お前が死ぬとこなんて考えたくもないよ……!」
「…………っ」
「お前を探し当てられたとき……本当に、本当にほっとしたんだ」
わたしは、姉さんにぎゅっと抱きしめられた。大切なものを抱くように優しく、手放さないように確かに。
「だからもう……一人だけ助かれなんて、そんな酷いこと言わないでくれ……」
「……ねえ、さん」
回された腕にそっと応えながら。
寒さのせいで声が上手く出せないけど、力を振り絞って声を出す。
「……ごめん……」
「ああ」
「ごめんっ……なさい……」
「……ああ」
「ごめんなさい……言いつけ、まもら、なくて、勝手に、っく、……こんなことして」
「ああ」
「ごめんなさいっ……」
一生懸命がんばったけど、これ以上はか細くなって言葉にならなかった。
それでも姉さんはずっと抱きしめていてくれた。
わたしはそれにすがり付きながら、声を押し殺して泣いていた。
姉さんの体は、小さな焚き火よりもずっとずっと、わたしの心を暖めてくれた。
「そういえばお前、立ってたじゃないか」
「あ」
あぐらをかいて火をつきながら姉さんが言った。
そこでようやく、わたしは先ほどの口論の時に自分から立ち上がったことに気づいた。
軽く足を立てて見る。多少の違和感は残っているけど、歩くのにはこまらなそうだ。
「ホントだ! 歩けるよ姉さん!」
「お前本当に気づいてなかったのか……」
ガクッと気の抜けたかのような動作をする姉さん。
でも、思いをぶつけ合ったからだろうか。もうその表情に焦りとかは全くない。
「痛みはないか?」
「大丈夫。ほんの少し変な感じはするけど……歩くのには十分だと思うよ」
「そうか。それじゃ……こんな狭いところとはさっさとおさらばするか」
先に立ち上がった姉さんが、手を差し伸べてくれる。
もう自分で立ち上がれるから手助けはいらないんだけど――わたしは素直にその手を取った。
はにかみあう二人。
さて、外へ出るには入るときに雪を積み上げて作った障壁を壊していかなければならない。
でも、障壁の前に立つと――突然、姉さんの気配が変わる。
「どうしたの?」
そんなわたしの質問を手でさえぎり、空いたもう片方の手の親指で外を指し示す。
「……何か外に居る」
「……こんな雪の日に?」
姉さんはぴったりと壁に張り付き、気配を殺して外の様子を探ろうとしている。
わたしも同じようにして、そっと聞き耳を立ててみた。ぱちぱち、という火の音のほかには何も聞こえないような……。
――そう思っているとサクッという雪を踏み固める音が確かに聞こえた。
「……何だ? やたら忙しなく動いて……」
つぶやく姉さん。確かにその足音は動き回っているように絶え間なくサク、サク、サクと聞こえる。
よく集中すると、話し声も聞こえてきた。どうやら手分けして何かを探しているようだ。落し物?
「……でも、この声どこかで……」
「知ってるのか?」
「分からない……ちょっと、待って」
振り向いた姉さんに聞かれて、再び集中する。
「……………」
(もう少し近くに来れば……)
「……ー……ちゃ……」
願いが通じたのか、だんだんとその声の主は近づいてくる。
サク、サク、サクと雪を踏み固めながら、バサバサとせわしなく翼を動かして。
「……翼?」
思わず呟いた。つまり外に居る何かは鳥族って事になる。
鳥で、わたしが聞いたことのある声って言ったら、それは。
だんだんと近づいてくる音。というか隠そうともしない気配。
……やっぱり、これは間違いなく。
「コクーンちゃーん、どこー?!」
想像通り、ポッポだった。
「……な、何でポッポが此処に居るの……?!」
思わずうろたえるわたしに、
「今日、会う約束してたんじゃなかったか……?」
冷静に入る姉さんのツッコミ。
そ、そうだった。元々そのために此処に来たのに。色々あったせいかすっかり記憶から抜け落ちてしまっていた。
「と、とりあえずどうしよう姉さん……?」
「なんであたしに聞くんだよ?!」
「だ、だって!」
自分で言うのも何だけど、わたし、かなり狼狽してる。
あわあわするわたしを置いて、姉さんはまだ外の様子を探っていた。
「この足音がお前の親友だって言うならいいけど……もう片方は何だ?」
「え? もう片方?」
「さっき、何か話してただろ。その相手は誰だって聞いてるんだが……」
そういえば、さっきポッポは誰かと話していたかもしれない。
たぶん、わたしを手分けして探してるんだろうけど。わたしはもう一匹の誰かの声を聞いていない。
それにポッポと一緒に行動するような人も心当たりは特に……
「あ」
いや、一人居た。
「ひょっとして……もう一匹は、ポッポのお母さんじゃないかな……」
「お母さん? ということはピジョットか?」
「ううん。ポッポはピジョンだって言ってた」
「そうか……ということは近くに居るのか……?」
そっと障壁の一部を崩して、外の様子を覗く姉さん。
わたしも追従して一緒に覗く。
すると――目の前にポッポが立っていた。
「うわぁっ!」
「きゃっ!!」
思わずわたしと姉さんは飛びずさったが、その衝撃で雪の壁が崩れてしまう。
隠すものもなくぽけーっとしているポッポの目の前に姿をさらしてしまう。
こちらが何を話してよいかわからず硬直していると、ポッポはくしゃりと顔をゆがめると、
「コクーンちゃぁぁあんっ!」
泣きながらわたしに抱きついてくる。大きさ的にはポッポの方が若干大きいので、支えきれずに倒れてしまう。
あいたっ! 頭ぶつけたっ!
「ちょ、ちょっとポッポちゃん?!」
体を起こそうとするけれど、ポッポはどいてくれる気配が全くなく、それどころか顔を胸に押し付けてくるため、失敗に終わる。
ポッポはわんわんと泣いてぐしゅぐしゅになってしゃくりあげながら話す。
「よかったよぉ……コクーンちゃんが凍ってしんじゃうかもしれないって思ったら……うえぇ」
「ポッポ……」
その言葉を聞いて、思わず何かがこみ上げてきて抱きしめてあげたくなったけど――そこはぐっと我慢。
やんわりと肩を掴んで、引き離す。
「ふぇ?」
「気持ちは嬉しいけど……人目、あるから」
特に横に。
その人目はさっきから何だか複雑そうな顔をしているけれど……。
「人目……? あっ、そうだ!」
ガバッと起き上がって、外に飛び出していくポッポ。さっきの泣き顔はどこへやら。本当、忙しいなぁ。
と、外で立ち止まると両手を顔の前にやって叫ぶ構えを取って、
「おかあさーん! コクーンちゃん見つかったよー!」
雪降り止まぬ空へと叫んだ。
「えっ?」
――ゴォォォ……
遠くから、風を切る力強い音が地鳴りのように聞こえてくる。
雪の白を黒で塗りつぶして滑空してくるひとつの影。
雪の上でもすべることなく、大きな影ががっしりとポッポの前に着地する。――この森ではめったに見るコトのないピジョンだ。
ポッポから優しいお母さんだって話は聞いていたけど、いざ目の前にしてみると結構怖い。
ピジョンがくるりと振り返ったので思わず身構えると――とたんににっこりと笑った。
「あら、貴方がポッポの言ってたコクーンさんかしら? 病気の時は本当にありがとうねぇ、助かったわぁー」
喋りながら歩いてきて、無理やり握手されるとぶんぶんと大きく手を振られる。
そして姉さんの方へ向きなおすと、こちらもまた握手。
手を握られて、振られるがままの姉さん。ちょっとあっけに取られている。
「でも良かった、見つかって。この子ったら絶対に探しに行くー、見つかるまで帰らないーって聞かなくって、いなかったらどうしようかと」
「お、おかあさん!」
母親の後を歩いてきたポッポが顔を真っ赤にして怒ってる。なんというか強いお母さんだなぁ……
でも、とピジョンは再び切り出す。
「何度も言うけど、本当に見つかってよかったです……なんせこの雪でしょう? これから吹雪きますし」
「えっ、何で吹雪くって分かるんですか?」
「鳥族ですから、多少なら風も読めるんですよ。ちょっとした自慢です」
にっこりと笑ってガッツポーズを取る。すごいなぁ、天気が分かるなんて。
「さて、本格的に吹雪く前に早く此処を出ないと。宜しければお家の近くまでお送りしますけどどうしますか?」
「いいんですか?」
「もちろん。 私たちの恩人ですもの、遠慮なく言ってください」
朗らかに話すピジョン。後ろのポッポも一緒に帰りたいと思ってるのだろう、何だかソワソワしてる。
でも……わたしは隣の姉さんに視線をやる。
姉さんはアレだけ鳥嫌いなんだから、急にこんなことを言われたとしても困るだけだと思う。
多分、今も凄くイライラしてるか、困惑してるかどっちかかもしれない。
だからわたしは話を断ろうと声を――
「――いや」
出す前に、姉さんが答えた。
でも、それは否定の言葉ではなく。
「コクーンは足がまだ本調子じゃない。家の前まで頼む」
「姉さん……?」
思わず驚いた。アレだけ鳥嫌いだった姉さんが、こうも態度を変えるとは。
ピジョンは相変わらず柔らかい笑顔のまま言う。
「あら、いいんですか? 容易に巣を教えてしまって、私が鳥の仲間に教えてしまうかもしれませんよ?」
だからさっき、『家の近くまで』ってわざわざ言ったんだ。家の位置を教えるのは色々と良くないだろうから、って。
しかしそれを聞いてもなお、姉さんは調子を崩さない。
「アンタは悪者には見えないし、本当にそうなったらあたしがいくらでも戦うさ。それに……」
姉さんはピジョンの後ろのポッポをちらり、と見て。
「友達なら家の場所くらい知っておいたほうが都合が良いだろう」
「姉さん……」
ビックリした。アレだけ言っても聞いてくれなかった姉さんが、ポッポを友達と認めるなんて!
一瞬自分の耳を疑ってしまった。
「驚きました。てっきりもっと反発なさられるかと思ってましたよ」
「正直、少し前のあたしだったら反発してただろうな、鳥野郎なんかに、って具合に」
でも、と言葉を打ち切ると目を細めてピジョンの後ろにいるポッポを見る。
「さっきそこのポッポがコクーンに泣きついた時、分かったんだよ……考えてることは同じだって」
「ふぇ?」
「そうしたら、鳥野郎鳥野郎言ってたのが馬鹿らしくなっちまった。そんだけ」
姉さんが肩をすくめると、ピジョンは。何だか打ち解けているみたい。
わたしとポッポは話についていけなくて、互いに顔を見合わせキョトンとしていた。
「よっし、それじゃ帰るか! あたしが先導して案内するから、アンタはコクーンを乗せてついてきてくれ」
「分かりましたスピアーさん。コクーンさん、私の背中にしがみついてくださいなー。ポッポも一緒にね」
「え? あっ、はい」「はーい」
言われるがまま、ピジョンの背中の羽をポッポと一緒に掴んでしがみつく。程なくして、体が宙に浮く感覚がした。
大きな肩越しに前を覗き見れば、姉さんも自慢の羽を使って浮いていた。
「こうしてみると、雪景色も良いもんだな……」
「ええ……」
姉さんたちがゆっくり飛行しながら辺りを見渡す。わたしとポッポも二人に倣う。
木の根に隠れていた時とは想像も付かないほど、雪化粧を施された森はいつもとは違って神秘的な雰囲気をかもし出していた。
――音もなく降り積もる雪。
二人分の羽ばたきと、四人分の息の音。
「綺麗だね……」
誰も否定せず、肯定せず、静かに積もる雪。
夢のように美しい世界の中で、分かり合えた嬉しさが相まって。
わたしは親友と共に、ゆらりゆられて夢に落ちる。
目が覚めたらきっと明日。
明日からは、言いつけを破る必要のない日常が待っている……
最終更新:2008年03月08日 20:59