冬が去り、陽気が戻ってきた春の昼下がり、私は村の外れを一人ぶらついていた。
落ち込んだときはいつだってこうすることにしている。
そうすればいつの間にか気分が晴れているのだ。
特に何をするのでもされるのでもないけれど、心が落ち着くのだ。
悩みとは自分自身のこと。
己の持つ特殊な能力についての――
「うわぁっ」
至近からの悲鳴に、私は視線を空から正面へと。
そしてそこにはバランスを崩した少年が一人。
私は咄嗟に彼の懐に潜って、支えてあげた。
すると彼は一度不思議そうな顔をしてから、にこりと笑顔を見せて、
「誰だか知らないけど、ありがとう」
「大したことではないから、気にしないで」
転んだ人を助けるくらい本当に些細なことだ。
いくらかの擦り傷を負わずに済ませた程度なのだから。
それなのに彼は首を振り、再び礼を言って、屈みこんだ。
何をしているのだろう?
わさわさと手を動かして、何かを探しているようだが……。
私は視線の先に杖を発見する。
かがんで拾い、彼に手渡した。
「探し物は、これ?」
「あ……うん。ありがとう」
彼の笑顔に何故か気恥ずかしさを感じて、私は目を逸らす。
「別に礼を言われるためにやっているのではないわ」
「それでも、ありがとう」
再びの笑顔。
なんだかちょっとだけ嬉しそうな色を湛えた笑みだ。
気恥ずかしさが、形を変え、私の心を大きく揺さぶる。
……う。
何か違うことを話さないと。
上を向き、
「そ、その……空が綺麗……よね?」
「空は……どんな色なのかな?」
「……?」
質問の意図が汲み取れなかった。
どういうことだろうか。
空を見上げた彼、その目は閉ざされたままだ。
「みんな綺麗っていうんだからとっても綺麗な色なんだろうね」
理解する。
彼はきっと目が見えないのだろう。
杖を探す時もほとんど目の前にあったようなものを見つけることが出来ていなかったのだから。
「綺麗よ……とっても澄んでいて、気持ちよさそうな色」
「そうかぁ……そんな色なんだね」
彼の目にはどんな空が浮かんでいるのだろうか。
もしかすると、私が見ている空よりもずっとずっと綺麗なのかもしれない。
穏やかな風と共に、のんびりとした時間が過ぎる。
「あ」
そんな中、彼が声を上げた。
「どうしたの?」
「のんびりしてる暇はなかったんだ。それじゃ――」
彼は歩みだそうとして、しかし足を止め首を傾げる。
杖で周りの地面をこつこつと叩き、ぶつぶつと何かを呟く。
「貴方……目的地はどこ?」
自然と声が出ていた。
彼は私へと振り向き、
「この先の村の病院だけど……どっちがどっちだか忘れちゃった……」
「それなら私が案内してあげるわ」
「え、いいの?」
「当然よ」
私は彼の手を握ろうとして、このままでは身長差が大きすぎることに気付く。
イメージ。
彼と同じくらいの背丈の、人を。
記憶にあるものでは随分曖昧なものになってしまうが、この際細かいところは必要ない。
頭の天辺から足の先までがぐにゃぐにゃと歪み、新しい形を成してゆく。
数秒もすればそれは人の形となり、十秒も経てばイメージしたままの姿へと変化した。
そうした後に、彼の手を握る。
「えと……?」
彼は困惑した表情を浮かべた。
目が見えないだけあって、手を握るだけでも私がさっきとは別の形であることに気付いたのだろう。
「私よ」
「……?」
「私はメタモン。さっきまでは萌えもんの形だったけど、今は人間の形になってるわ」
彼の顔に理解の色が広がっていく。
こくりこくりと頷き、
「そっか……ありがとう」
「だ、だからっ」
彼の笑顔がいちいち私の心の奥底を刺激する。
こんなのは初めてだ。
紅くなっている顔を見られたくて俯くが、目の見えない彼に対し、その行動に意味がないことを数秒で悟る。
悟って、さらに自分の行動が恥ずかしくなる。
「い、行くわよっ」
照れ隠しに、私はぐいぐいと引っ張るようにして彼の手を引いていった。
「それでは、さようなら」
彼を病院まで送り届け、私は握った手を離した。
だが、彼は離さない。
「病院に着いたのよ?」
「うん……でもさよならはしないよ」
「どういうこと?」
彼は杖を壁に傾け、空いた手で私の頬を撫でた。
「また、会おうね」
「――っ」
彼にしてみれば普通のコミュニケーションの手段だったのかもしれないが、私にはとても恥ずかしいかった。
握られていた手を強引に振りほどき、ふい、と彼に背を向け、元来た道を歩き出す。
「ま、またね」
「うんっ」
振り返ればそこには、空のような笑顔がずっと私の方を見つめていた。
最終更新:2008年04月11日 21:19