ふかふか――そう比喩するには何かが足りない、黄色のソファに、
背筋をピンと張って、座る。
「そ……そんなにかしこまらなくても。もっとリラックスして大丈夫ですよ」
そんな俺の様子を見て、ゴーストは苦笑した。
彼女の両手は、トレイを――トレイに乗った二つの湯飲みを支えている。
彼女にそう言われても、俺の緊張はなかなか解れなかった。
「いや、人の家にお邪魔するのって久しぶりだからさ……つい、ね」
「大人だってのに何言ってるんですかっ」
また笑われた。
「他人同士じゃないんですから……気軽に接してくださいよ。
こっちがどうしたらいいか分からなくなるじゃないですか、もう」
湯飲みを俺と、俺の隣に座っているジュペッタに渡しながら俺を諌めるゴースト。
外見は少女だが、これでも何百年と生きている。言動にはどこか説得力があった。
「……そうだな」
小さく息をついて、湯飲みに注がれた茶に映る自分を見つめた。
濃い緑色の水面に映る、強張った自分の顔。
数秒睨み合って、湯飲みを口へ運んだ。
「……」
渋味が味覚を刺激する。
程よい暖かさが、俺の頬を緩ませた。
「あ、あの」
先程の説教口調とは打って変わって、おずおずとゴーストが俺に尋ねてくる。
「ん?」
湯飲みをテーブルの上へ置いて、彼女の方を見た。
「お茶……渋くなかったでしょうか?」
「ああ、大丈夫だよ。むしろこのくらいがちょうどいい」
「そうですか、よかった……お口に合わなかったらどうしようって」
よほどお茶の味が心配だったのか、ゴーストは安堵の表情を浮かべ、ほっと胸を撫で下ろした。
「……ゴーストこそ、他人じゃないんだから、何もそこまで気を遣わなくてもいいんじゃないか?」
俺にそう指摘されて彼女は、あわてて己の安堵の理由を否定した。
「きゃ、客人に最高のもてなしをするのが私の役目ですから」
頬を赤らめて視線をそらすあたり、ゴーストも結構緊張していたんじゃないか。
これをいいことに更にたたみかけてやろうか、と悪戯心が生まれたが、
調子に乗ると昨日のようにサイコキネシスで宙吊り状態、なんてことになりかねないので、
湧き上がった感情をぐっと堪え――
さっきからずっと黙りこくっている――いや、基本的に黙っているのだが、さっきからやけに大人しい――ジュペッタの方へ顔を向けた。
凝視。
湯飲みただ一点を彼女は見ていた。
「……ジュペッタ?」
名前を呼んだ途端、よほど神経を集中させていたのか、驚いてジュペッタは肩をビクッと震わせた。
「お茶……もしかして苦手だった?」
再びゴーストの表情が陰る。
慌ててジュペッタは首を振って、湯飲みをようやく手に持ったが、なかなか飲もうとしない。
じっと、湯飲みの中の茶を見つめて、飲むことを躊躇しているような。
「……渋いものが苦手とか」
そう俺が冗談で言った瞬間、キッと俺の方を睨みつけるジュペッタ。
そんなことはない、と瞳が訴えている。
が。
「……そんな強がらなくてもいいぞ?」
俺にはそれが彼女の強がりだということが容易に判断できた。
本心を見透かされて、ジュペッタは頬を赤らめつつもまだ俺を睨みつける。
悪いけど、ゴーストに薄めの茶を頼んで、それは俺が飲んでおこうか――そう思ってジュペッタの湯飲みに手をかけようとした、そのときだった。
俺が湯飲みを取ろうとしているのを察知したのか、ジュペッタは俺が湯飲みに手をかけるよりも前に、
湯飲みを口へ近づけ――飲み干してしまった。
「!?」
突然の行動に目を丸くする俺とゴースト。
一方のジュペッタは強引に湯飲みをテーブルへ置いて、どうだ、と言わんばかりに俺の方を見た。
「……わ、悪かったな。なんだか馬鹿にして」
俺の台詞はほぼ棒読みに近かったのだが、満足したらしく、ジュペッタは胸を張って、意気揚々と俺の分の湯飲みも洗い場の方へ持っていった。
「……」
俺とゴーストは顔を見合わせた。
ゴーストの表情からして、彼女も気づいていたんだろう。
茶を飲み終えたジュペッタの瞳が、微かに潤んでいたことを。
……やはり、あのお茶はジュペッタにとっては渋すぎたんだろう。
- episode 6-c third day ~約束~ -
「こんな広い家に二人で住んでるのか?」
「はい。昔は人に育てられたものの、捨てられて行き場を失った萌えもん達の為にフジ老人が建てた家でした。
今は別のところに新しい施設が出来たので、空き家、ということになったんですよ。
そもそもここはフジ老人が自分の家を増築したものですし。
……もっとも、最近は新しい施設の方で大変らしいので、フジ老人がここに戻ってくることはなかなかないんですけどね。
昨日も、あなたが帰って行った後で、トキワシティのほうへ向かったんですよ。
そろそろ若い世代に任せておいて、あそこまで頑張らなくてもいいんじゃないかって思うんですけど……」
「それだけ萌えもん達を助けてあげたい、ってことじゃないのか?」
「そうですけど……少しは体の心配もして欲しいですよ」
口直しにとゴーストから貰ったアイスココアを飲んでご満悦なジュペッタをよそに、
会話を交わす俺とゴースト。
最初は好きな食べ物だとか、趣味だとか、オードソックスな質問を繰り返し、笑い声もあったものの、
次第に話は段々物悲しくなり、ゴーストの声の調子も段々下がっていった。
「フジ老人は私に決して逃れることの出来ない運命に正面から立ち向かう勇気をくれた……
常に私の支えとなってくれて、ほんとうに大切な存在なんです。
もしフジ老人の身に何かあったら、私……
……す、すみません。なんだか感情的になって長々と……」
しばしの沈黙の後にゴーストは頭を下げた。
「いいって、そんなに深々と頭を下げなくてもさ。
……確かにフジ老人も……その……歳だとは俺も思うけどな。
やっぱりあそこまで頑張っているのは、お前が頑張っている姿を見ているからじゃないのか?
フジ老人も、お前がきちんと自分の運命ってのを正面から見て、苦痛に耐えて、
弱音吐かずに魂を送り続けている……そんな姿を見て勇気を貰ってるんだと思うな」
「そうでしょうか……?」
「きっとそうだって」
ゴーストは俺を見詰めた。
透き通った瞳と、不安に満ちた表情。
元々見詰められるのが大の苦手な俺は、説得する立場だというのに視線を逸らしてしまった。
「だから、大丈夫だ。……きっと大丈夫」
人の目を見て話さぬ説得に、もはや力など存在しない。
念を押して言った言葉も、結局はなんの根拠も持たない。
フォローのつもりで言ったが、状況を悪化させてしまったか――俺ってつくづく人と接するのが苦手だな……
心にズシリとのしかかる罪悪感と共に、俺は恐る恐るゴーストの方へ向き直ろうとした。
――ぺタッ。
「―――――ッ!?」
突如、頬に冷たい感触が走り、思わず声を上げる。
そこには空になった冷たいコップを俺に押し当てて笑うジュペッタの姿があった。
「な、なんだよいきなり……ビックリするだろ」
俺がそう言ってもジュペッタは笑顔を見せたままで、
今度はゴーストにそのコップを差し出した。
「もう一杯、欲しいの?」
ゴーストの問いに、大きく頷くジュペッタ。
そんな彼女の仕草にゴーストは微笑を浮かべ、コップを持ってキッチンへと向かった。
「……お前な、人の家なんだからもう少し遠慮というものを」
そう諌めたところで、意味がないということは明白だった。
好きなものや興味を引かれるものを見つけるとコイツは聞く耳を持たないから。
それで何度苦労したことか……
俺がジュペッタとの記憶を回顧している内に、ゴーストが新しい氷を入れたアイスココアを持って戻ってきた。
「はい、どうぞ。氷も入れ替えたからね」
差し出されたコップを受け取って、一口。
減るのが勿体無いのか、ちょっとずつ、ちょっとずつ飲む。
ジュペッタはどうやら相当アイスココアが気に入ったらしい。
ゴーストがソファに座る。
沈黙。
……やはり謝らないといけないか。
そう決心して、数十秒後、俺は重く閉じた口を開いた。
それとほぼ同時に、時折俺の表情を伺いながら俯いていたゴーストもまた、口を開く。
『あの』
同じ言葉が重なる。
「……」
互いに顔を見合わせる。
「さ……先、いいですよ?」
ゴーストにそう催促され、俺は一度咳払いをして再び口を開いた。
「……ごめんな、さっきは。なんだか変なこと」
「あ……いえ、大丈夫です。気にしていませんから。
むしろ嬉しかったです。そう言われて」
俯き加減だった俺はその言葉に顔を上げ、ゴーストの方を見た。
彼女はさっきジュペッタに向けた微笑を浮かべ、俺を真っ直ぐと見据えた。
「ずっと悩んでたんです。こうやってフジ老人の下に身を置いて。
料理を作るとはまた違ったなにか――自分はフジ老人の役に立っているのだろうか? って。
私の思いを真剣に受け止めてくれる人なんて、今まで誰もいませんでした。
私がフジ老人に勇気を与えているとしても、そうでなくとも。
あなたがそういってくれたことはとても嬉しかったです。なんだか、肩の荷が降りたような感じで……」
ゴーストから出た言葉は、俺の意に反し、感謝の言葉だった。
予想外の彼女の返答に俺は一瞬言葉を失ってしまう。
「あ……ああ、そうなのか」
代わりに出たのは情けない返事だった。
その俺の返事にゴーストはくすくすと笑って、
「そうやって慌てふためくとこ……可愛いですよ」
「な!?」
突然放たれた彼女の言葉に今度は呆然とし、
その真意を俺が彼女に問う暇も無く、ゴーストはキッチンへと向かっていった。
ジュペッタも三杯目のアイスココアを貰うべく、空のコップを持ってゴーストの後をついていった。
一方の俺は、
先程のゴーストの言葉が頭で反復されており、
頭の回転がおぼつかない状態となっていた。
ほんのり頬が熱いのは、赤くなっているせいだろうか?
「今からアイスココア持ってきますから、ちょっと待ってくださいねー」
……俺はただ、頷くしかなかった。
――まだ日は高い。
冷房のないヤマブキ駅は人口の多さも相まって蒸しかえるような暑さだった。
「……暑い」
先程から俺は背中にほんのり汗を浮かばせ、形容詞を連呼していた。
「今日当たりは列車等が混みあうって言ってましたからね……仕方ないですよ」
幽霊だから暑さは感じないのか……一滴の汗も滲ませずに俺の右隣を歩くゴーストと、
人間観察でもしてるのか、とにかくさっきから俺の背に乗ってキョロキョロ辺りを見回すジュペッタ。
右手はゴーストの左手で塞がって、左手は荷物で塞がった。
「……やっぱ人が多いのは嫌いだ」
「列車に入れば多少は楽になれますから、我慢してくださいよ」
「はいはい、我慢しますよ……っと」
そう互いに会話を交わし。
いつしか、改札の前までたどり着く。
ここまで来るのに、ほんの僅かな時間の流れしか感じなかった。
ほんの、二、三十分。
全てを話すには物足りなさすぎる時間。
発車まで、あと五分。
なのに俺はゴーストに別れを言えなかった。
何故だか胸が締め付けられて。
僅かな時間の間で、俺にとってゴーストの存在は大きなものとなっていた。
そうやって別れを躊躇していた俺を突き放すかのように、
するり、と、
ゴーストの左手が俺の右手からすり抜けていった。
「……列車、乗り遅れますよ?」
ゴーストは一歩、二歩……三歩下がって、俺を見て笑った。
「ああ……なんだか色々と世話になったな。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ……短い間でしたが、楽しかったですよ」
発車まで、あと三分。
ゴーストに手を振って、彼女に背を向けて、俺は改札を通った。
目先にはすぐホームがあり、既に列車には大半の乗客が乗り込んでいる。
急がなければ――焦燥感に足を速めるも、次第にその足は遅くなって……止まった。
後を、振り返りたくなった。
けどやめた。
止めたらまたさっきみたいに立ち止まってしまう。
別れたくない――そんな気持ちを押し殺して歩を進める。
ただ――立ち止まる代わりに、叫んだ。
「ゴースト――また、絶対、会いに来るからな」
俺の声がゴーストに届いたかなど、確認する暇も無かった。
発車のアナウンス――俺は駆け出した。
俺が列車の中に入ったとほぼ同時に、列車のドアが閉まる。
「……ジュペッタ?」
微かに乱れた息を整えて、ジュペッタの名を呼んだ。
俺の背中から飛び降りて、ジュペッタはグッと親指をつき立て笑みを浮かべた。
「ゴーストにちゃんと届いたよ……ってか?」
俺をねぎらっているのか、それとも慰めているのか。
そっとジュペッタは手を俺の頭に乗せて、ポンポン、と俺の頭をそっと叩いた。
「馬鹿、別に寂しくなんかないっての」
そう強がった俺の目にも、ジュペッタの瞳にも、微かに涙が浮かんでいた。
俺はギュッとジュペッタを抱きしめて、暫くドアの前に座り込む。
押し寄せてきた悲しみに身を委ね、泣いた。
――そのとき。
微かに彼女の声が聞こえた。
ような、気がした――――
「……五月病にかかったんだろうか」
翌日。
倦怠感に見舞われながら、会社までの道を歩く。
まるであの三日間が無かったかのような……ホントに澄み渡った空だった。
でも……今ポケットに入っている真珠のネックレスとか、
旅先で出逢った少女と老人との記憶や約束は確かに存在しているわけで。
「夢じゃ、ないんだよな」
そう口走って、時計を見ると。
「……やばいっ、遅れる!」
倦怠感など吹き飛ばして、俺はコンクリートの大地を蹴りだした。
また、平凡な一日が始まろうとしている。
――――――――
第四回終了。それと共に第六話、長編旅行話、完結です。
なんだか六話書くのに三ヶ月かかっちゃったみたいです。
第三回、第四回共にゴーストを中心に書いてみました。
彼女はこれ以降も登場予定……きっと。
正直見通し無いので、どうなるかはサッパリ。でも出したいですね、フジ老人も。
ラストは締め方が思いつかn(殴
最終更新:2008年06月24日 21:53