≪monochrome≫

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今日は仕事も無え。かと言って、祈りに行くほど俺は敬虔な人間じゃ無え。 んじゃ、どうやって時間を潰すか?そりゃあ勿論、酒に決まってるさ。 この前の仕事で十分に金は入った。ダチと騒ぎながら飲むのも悪か無えよな。 ―――おう、ちょっと飲んでくる 「もう、またなのお父さん?今日は早く帰ってきてね」 ―――またとは何だ、またとは。最近は酒は控えてるじゃねえか 「それはそうだけど。今日はお父さんの誕生日でしょ?自分の誕生日くらい覚えてなよ」 ―――ああ、そうだったな 忘れてた訳じゃねえさ。だが、わざわざ祝うほどの事でも無え。そうだろ? そんな事をするくらいなら、パーッと飲むか、レイラの学費の足しにでもするかの方が良い。 まあ、最近は仕事も軌道に乗ってきた。学費の心配はしなくても良いだろうさ。 どれ、久しぶりに飲みに行くか。薄っぺらな扉を開けて外に出た。 が・・・どうもおかしいな。真っ昼間にしちゃあ人気が少ない気がする。 まさか町中、退屈な説教を聞くために教会に閉じこもってるんじゃあ無えだろうに? ん?向こうから走ってくる、骸骨が服を着たような痩せ方の男は・・・ 「おいロブ!てめえどこに居やがった!?」 ―――何だマシュー、ご挨拶だな。俺は今日は休日だぜ?お前と一杯やろうと・・・ 「今はそれどころじゃねえ!お前、銃は持ち歩いてるか!?」 ―――ああ。この通り、ホルスターにお行儀よく収まってるぜ 「なら手伝え!化け物が出やがったんだよ!」 ―――化け物? この街の周りに、人間に害を及ぼすような生き物なんざ殆ど居ねえ筈だ。 せいぜいが野犬か、森に行けば猪がいる程度。街に入り込んでくるなんて考えられねえ。 おまけにこのマシューの慌て用は何だ?肩に担いでるご自慢の猟銃が有れば、熊と戦っても勝てると豪語する男だぜ? こいつは口先だけじゃねえぜ、実際にやってのけたんだ。証人は俺だ、間違いねえ。 ―――とにかく、一度状況を説明しろ。俺には何が何だかさっぱり分からねえ。化け物ってのは・・・ 「分からねえ、誰も姿は見ちゃあいねえ!だが、何人か殺られた!」 ―――殺られた・・・? ≪monochrome≫ マシューの奴がパニクった蟹みてえに泡を吹きながら話したところによると、こういう事だった。 路地裏にいたどこかの誰かさんがまず襲われた。理由は知らねえがな。 悲鳴を聞きつけて駆け付けた男二人が、銃を乱射、ついでに人を呼び集めた。 所がだ、駆けつけてみれば男二人は血の海の底、そいつらを襲った犯人は行方不明と来た訳だ。 ああ、偶然近くにいた通行人からの又聞きだそうだがな。 ―――路地裏だろう?んな狭い所で見失うってか? 「普通ならあり得ねえ。ゴミ箱の中まで探したが出て来やがらねえ」 ―――手品師か何かか?その化け物とやらはよ 「茶化すな、まだ話は続くぜ」 三人の死体全てに共通してることだが、刀傷や銃創、打撲の跡なんかは無えそうだ。 当然爆薬で吹っ飛ばした訳でもなきゃ、毒殺された訳でも無え。じゃあ、どうやって殺されたか? 気分が良くねえ事だが・・・喉が喰いちぎられていた上に、体の一部が『喰われて』いたらしい。 つまり、連中は『喰い殺された』って事だ。がっぷり噛みつかれ、ブツリと引きちぎられて、な。 ―――堪ったもんじゃあ無えな、畜生が 「良いか?この街にゃあ、結構な数の旅人が来る。分かってんだろ? 宿も酒場も食い物屋も、そういう連中の落とす金で成り立ってんだ」 ―――化け物がいる、ってのは困るな 「困るなんてもんじゃ無えだろう!誰も立ち寄らねえ宿場街、こんなもん話にもならねえ 俺もお前も、飯を食わせなきゃねえ奴がいるだろうが」 ―――そうだな 特に名所が有る訳でも無え街だが、立地条件が良かったんだろうな。 毎日かなりの数の旅人がやってきて、宿を求めていく。 人間、飯も食いたくなるし酒を飲みたくもなる、女も抱きたくなるってもんだ。 だから、この街は潤っている。分かるよな、この街は外の人間の財布が頼りって訳だ。 化け物にのさばられてちゃ堪らねえ、ここは俺達のねぐらだからな。 街の腕自慢だのごろつきだの、碌でも無い連中をかき集める。 路地裏に倉庫、潰れた店と、隠れ場所には詳しい連中だ。もちろん、喧嘩の方も専門。 かといって、街中で銃撃戦をやらかすわけにもいかねえってのが困りもんだ。 ―――おいマシュー、この装備でどうしろってんだ? 「仕方が無えだろうが。『お客様方』に、化け物が出たってのを宣伝する訳にもいかねえ 『あの銃撃の音は私どもからのサービスです』とでも言えってのか?」 ―――そりゃあそうだが・・・ 俺は拳銃を持ってるからまだいいとして、他の連中が持っている装備と言ったら・・・ 鎌?鍬?斧?弓矢?何時の時代の戦争だこいつは? ああ、静かで良い事だ。これなら『お客様方』もゆっくりお眠りになられるだろうよ。 ―――正体不明の化け物が相手なんだろう?これで良いのか? 「これだけの人数だ、袋叩きにしてやればどうにでもなるだろうよ おら、行くぞ!俺たちは向こうを探しに行く」 猟銃引っ提げたマシューの後ろに、歯の欠けた間抜け面やら傷だらけの強面やらが付いて行く。 狙われてるのが俺だったら怖えんだがな。 ―――俺達も行くぜ、あいつ等とは逆から、街を虱潰しに漁る 残り半分を俺が連れて、探索を開始した。 そう広い街でもねえ、日が暮れるまでには探索は終わる筈だ。 ああ、間違いねえ。それまでには、俺とあいつのどっちかが化け物とご対面って訳だ 影が随分伸びて来た。結論から言えば、俺の予想は大当たりだった。 路地裏に佇む俺の目の前に有るのは、首が今にも取れそうなマシューの死体。 ご自慢の猟銃を構えたまま、泣きそうな表情を顔に張り付かせてやがる。 俺の後ろに並んでるのは、マシューが連れて行った連中だ。 化け物は?俺は会わなかった。残念な事に?それとも、幸運な事に? 傷を負ったかどうかも分からねえ、路地裏は血の海だからな。 ああ、ついでに駆けつけて来た神父様がゲーゲーやらかしたのも追加しとこうか。 掃除の手間がちょっとばかし増えただけ、だが。 ―――畜生 言いたくもなるだろうよ、こんな状況じゃあな。誰一人残ってないんだぜ?化け物を見た奴が。 あれだけの人数皆殺しにして、自分は見事逃げ遂せてるんだ。 死体の殆どは喉元をやられている。食いちぎったか、切り裂いたか。 大型の肉食動物って所か?恐ろしく凶暴で残忍で、恐ろしく俊敏な、な。 ―――不味いな 後ろの連中、血の気が多い奴らだ。半分はビビリ出してるが・・・ もう半分だ。沸騰して、鍋のふたも弾き飛ばそうって程に熱くなってやがる。 俺の話も聞かねえで走りだす馬鹿もいるな。何をしようってんだ? ・・・ライフル?ショットガン?ああ、いい考えだ。最初からそうすればよかったかもな。 マシューの野郎も、そうしてれば良かったんだ。畜生が。 変わり果てたマシューの手を取る。 と、ここで俺が忘れていた事が有った。何だ?こいつらが死んだ時間さ。 化け物がここにいたのはどれだけ前か?それが分からねえと、ちょいと困る。 さて、何で今、思い出したんだと思う?単純な答えだ。 マシューの手はまだ『温かかった』。 路地裏の出口から上がる悲鳴、振り向けば、崩れ落ちる大男。 でけえ図体に見合う獲物、樵の使うような斧をぶん回し、勢い余って一度回転し。 指から力が抜けて斧を落とすと、がらんがらんと路地裏に音が響く。 喉から噴水のように血を噴き出し、何も無い空間を掴むように手を伸ばし――― ―――逃がすな! 何を?さあな、俺も知らねえよ。そいつはどう見ても一人だったんだからな。 そいつの前に立っていた野郎すら、今振り返ってそいつを睨んでいる所だ。 そいつだった物、と表現した方が近い、とまあこれは余計な話だ。一々適用すりゃあ限が無え。 兎に角・・・・・・兎に角、だ。 周りに誰もいない、何もいない。化け物なんてどこにも居ない。 大男一人を瞬時に絶命させうるだけの力、それだけの大きさは有る筈なんだぜ?それがどこにも居ねえんだ。 歯の根が鳴るなんてのを経験したのは・・・生まれて初めてかもな。 全員の息が鞴のように荒くなり、足は枷を掛けられたかの様に止まる。自然と何人かは背中合わせの体勢になる。 これで不意打ちは怖くない、そう思いたい。思わせてくれよ、十字架とお友達の三十路男よ。 路地裏は静かだ、人が来ないから。いや、俺たちはここにいるんだがな。 誰も口を利きやしない。誰も口を動かせやしない。誰も動こうとしない。誰も動けやしない。 そうだ、何が出来るはずも無い。見えないものには何も出来ねえ。 ガタリ、張り巡らされた聴覚の網に懸かる音。丸まりかけていた背筋が伸び上がる。 音のした方に全員が顔を向ける。何だ?何だ?何なんだ? 張り詰めた空気の中・・・にゃー、とネコの鳴き声がした。 胸を撫でおろす。自分の臆病を嗤いたくなる。猫一匹に何人掛かりで行くところだよ全く? そして、動機を鎮めるために深く息を吐く。一旦落ち着こうと思って顔を空に向けた。 視界が動き、視覚情報が遮られる寸刻。俺の頭は嫌ーな事を見つけてきやがる。 ・・・鳴き声がした。いや、違うんだ。鳴き声「しか」認識できなかった。 日が沈んでいる事に、気が付いた。 ガタリ、二回目の音。今度は、皆慌てることも無え。 ドサリ、重い物が倒れ込む音。ビシャッ、液体が地面に降り注ぐ音。 タッ、地面を蹴る軽い音、ブツリ、肉が千切れる音、悲鳴、怒声、金属が地面に打ちつけられ――― ―――糞っ、糞っ、糞がっ! 反応が遅すぎた。一回目の空振りが、俺達の頭を鈍らせた。 何秒動くのが遅れただろう?それは、化け物には十分すぎる時間だったらしいな。 背筋を這い上がる恐怖を吹き飛ばすために腹から叫び、ホルスターから拳銃を抜く。 目は夜の闇に慣れて来たが、それでも化け物の姿は捉えられねえ。 路地裏には灯り一つ無く、月も出ていない。完全な闇を人の目が見通せる訳が無え。 時折鈍い打撲音が聞こえ、聞きなれた唸り声。馬鹿野郎、同士討ちしてやがるな? ・・・・・・やがて、争う音は静まってくる。消えたか?そう思った。思いたかった。 今回は、何秒、平和な空想に浸れたっけな?多分五秒くらいじゃあねえかと思う。 次の悲鳴も、また俺の背後。最初と180度向きを変えた、俺の背後。 早い話が、「半分」の更にまた「半分」。そこから、悲鳴が上がった。 振り向いて、倒れた奴の方へ銃口を向けると、その隣の奴まで倒れ。先程と全く同じ状況が、もう一つ作られていく。 俺の図太い神経も、もう限界だった、音のする所へ、滅多矢鱈に銃弾をぶっ放した。 弾奏が回る。薬莢を捨て、次の弾丸。当たったのか?外したのか?それも分からねえ。 突然、足もとから聞こえる小さな音。後ろに飛びのきながら引き金を引く。 銃弾はネコに直撃、そして、全ての音が消えた。 俺の呼吸音と心音だけが聞こえる。そして、伸ばした手がぎりぎり見える。 血の臭いで鼻はもうイカレてやがる。第六感?あんなもん経験則の一種だ。 俺は何も知ることを許されないってか?嗚呼、まだ死にたくねえ。 まだ死んでたまるか、俺は死ぬわけにはいかねえんだ、畜生が! 気付いた時にゃあ、脚が全力で回転していた。 暗闇の路地裏から転がる様に抜け出し、安息の我が家に向かって走りだす。 ああ、もう御免だ。化け物なんて知ったことか。見えない化け物なんて知った事か。 帰ろう。早く帰って家中の鍵を掛けよう。化け物がいなくなるまで閉じこもろう。 タン、タン、タ、タ、タタ、タ Holy Shit! 俺の見解は上等の砂糖菓子並みに甘かった。奴は、化け物は、俺を逃がしてくれる気は無かったようだ。 俺が、殺しの現場を見たから?人間らしい考えで中々結構。俺を喰いたいから?獣としちゃあ妥当だな。 理由は何か?俺に聞くな、人間に聞くな。化け物の頭の中を、人間が覗けるわけねえだろうが。 背後から聞こえる、警戒な足音。当然ながら、靴は履いてねえな。 音の重さからすりゃあ、対してでかくは無いようにも思えるが・・・・・・と、冷静に考えて見た所で、だ。 ガタガタ震えて歯の音打ち鳴らし、冷や汗ダラダラで、んな事を理解して。さあ、何の役に立つ? 振り向き、音の方向に銃口を。キングコブラの口を向ける。 ―――見えねえ。 一発、二発、三発、四発。撃つ。撃ち続ける。当たったのか?外したのか?さあ、な。知ったことじゃねえ。 六発撃ったら弾込めだ。そうしてまた、一発、二発・・・・・・そんな事を続けていれば? ウエストポーチに入れた指が、ポーチの底の布地に触れる。 終わり。弾丸が、尽きた。 その後は、逃げるだけ。只管走った。追ってくる音から逃げるために。路地裏の死体の仲間入りをしない為に。 石畳を叩く足音は近づいてくる。粗い呼吸音が近づいてくる。俺の後ろに、俺のすぐ背後に。 視界の端に映る影。右腕で喉元を庇いながら、左手の方へと飛ぶように逃げ。 そして、見た。 そこにいたモノを、俺は見た。闇に慣れた目に街灯の光は少し強すぎたが、それでも。 死の音を、死の臭いを引き連れた、死の光景の元凶を。暗闇に映し出されたその姿を、見た。 脚。欠ける事無く四本。下手な馬のそれよりも、しぶとそうで頑強そうで。 牙。白刃と形容したら分かるだろ?そいつが、口の周囲と合わせて、血の赤に染まってやがる。 体毛。灰色の、ともすれば鋼の色にも見える、密度の高い体毛。 瞳。俺を睨みつける・・・見据える・・・・・・どれも、違う。ただ、見る、金色の瞳。 一頭の、巨大な狼。 体のあちらこちらから血を流しその体毛を赤く染め、俺に金色の瞳を向けた。 背から胸から腹から、ダラダラと血を流している。血の滴の零れる音が、聞こえた気がする。 脚が竦んだ。左手が、無いと分かってる弾丸を探した。 右手が、拳銃を狼に向ける。 その動作の過程で、つまりは一秒未満のほんの僅かな時間で、気づく。 狼は、脚を止めようとしなかった。 ―――逃げる?逃げるのか? ああ、逃げるんだよなあ。いや、帰るのか?もう腹いっぱいなんだろう? じゃあさっさと帰れ帰りやがれ帰ってくれよ。 先に家に帰り始めたのは俺の方。 叫んでたかも知れねえし、ただ走ってただけかも知れねえ。 そんな事知ったこっちゃあねえし、この先誰に聞いても分からねえよ。 見えてくるのは我が家の明かり。飯と風呂とベッドの有る我が家の明かり。 おお、偉大なるかな我らが主よ。安っぽいランプの明かりに安心出来るよう人間を作ってくださった事を感謝致します。 玄関口から家に飛び込み、台所。誰もいねえ。 じゃあ、寝室か?短い廊下を走って、ベッドの膨らみの無さを確認。 風呂場にゃあ明かりもついてねえ。便所も同様。 いねえ、どこだ?まさかまだ帰って無えんじゃ・・・ 可能性は、有る。学校が遠い、レイラは勉強熱心、そしてバスはしょっちゅう遅れる。 それにこの化け物騒動、可能性は有る、が。 バス停から此処まで、歩き以外の交通手段はねえんだ。 ―――レイラ! 居ねえ事は分かってても、その名前は呼んじまう。 萎えかけた脚に力が戻る。俺は、父親だ。レイラの父親だ。 僅かばかりの廊下を駆け抜け、玄関のドアを靴の裏で蹴り飛ばし。 ―――レイ・・・ 「お父さん、大変。この子襲われて怪我してるの!」 丁度帰ってきた、最愛の娘とご対面。 俺が名前を最後まで呼ぶより速く、レイラが血相変えて叫ぶ。 この子?どの子・・・・・・と、考えるだけの時間も無く、レイラの肩から伝う血に目が行く。 血の、流れ出している場所は?大怪我じゃねえだろうな?いや、この子? ぐるぐるぐるぐる、頭が揺れる。回ってくれるなら有りがたいが。 ドサリと音がして、その思考を現実に引き戻される。 床に横たえられたのは、レイラと然程体格に差の無い、一人のガキ。 シャツの腹だの胸だのに結構な量の血を滲ませ、白い顔をしてぐったりと。 腕を伝う血は、まだ床を濡らし。俺の靴とレイラのスカートを、赤く染めて行く。 ヤバい。もしかしたら?もしかしなくても、十分に不味い状況だ。 襲われた、レイラはそう言った。なら、考え付くのは現状一つだけ。 生きているのは、運が良い。どうにか出来ない事もねえ。 俺はそのガキを抱えて風呂場へと運び、レイラに救急箱を取ってこさせる。 嗚呼、運が良い。本当に運が良い。 最低の一日の最後に、幸運をちょっとくれえは残しておいてくれたらしいな。 レイラは、かすり傷もねえ。服が汚れたのと、荷物運んで腕が疲れただけだ。 なら、やらなきゃねえのは目の前のガキの処置だけになる。 襤褸切れ状態のシャツを剥ぎ取る。どうせもう着られねえだろうから、な。 傷口を確認する。鈍ら刃で切られたような、引き攣れた傷。ぶん殴られたような痣。 何処とは言わねえ、体全体に傷が有る。深さや大きさはバラバラ、一人にやられたもんじゃあねえ。それから、銃創もいくつか。 賊の類か。大した武器も持たねえ、山賊と盗人の中間程度の連中の。 この程度の年齢のガキでも、見境なく襲うのは・・・・・・よっぽど、餓えてるのか? 荷物の一つも持ってねえのも、そういう理由なら納得がいく。 血を清潔な布で拭きとり、傷口を薬品で消毒する。大きな傷は縫い合わせ、包帯を巻きつける。 銃創を見てみたが、銃弾は貫通しているらしい。嗚呼、今夜は本当に運が良いな。 呼吸は、落ち着いた筈。ガキも、レイラも、もちろん俺も。 出来る限り動かさねえようにして、俺のベッドに運ぶ。 今夜一晩床で眠るくれえ、どうって事ねえだろうしな。 幾らか頭が落ち着いた所で、ガキとその傷を改めて観察する。 ガキの面ってのは、男か女かはっきり決めづらい。どちらかで聞かれりゃ女と答えるくらいの顔だな。 肌は、巻かれた包帯といい勝負で真白、雪のようなとでも言えば良いのか?まあ、誇張が入ってるのは気にするな やたらと細い。飯を食って無いわけじゃあ無さそうだから、こりゃ骨格の問題か。 細い脚に合わせたジーンズは黒。ショートの髪は、まるで上質の絹のようだ そのどれにも、赤がべったり張り付いてたのが、まだ目に残ってやがる。 目を背けても目に付くのは、異常なまでの古傷の数。 割と大きめの刃物でざっくりとやられたような傷跡がいくつか。小さなものは数えるのが面倒だ。 刺し傷も有り、そのうち一つは背中側にまで突き抜けている。 俺は、喧嘩続きの生き方をしてる。ナイフでザクっとやられた経験もある。 だが、これだけでかい傷は一つもねえし、傷の総数だってこのガキには負けている。 刺し傷も有り、そのうち一つは背中側にまで突き抜けている。 レイラと然程年齢は変わらないように見えるが・・・何が有ったんだか。 考えられる事は、そう多くもねえよな。 ガキの悲痛な傷口を見て、何も持たないそのザマを見て。俺は、なぜか安心する。 娘を、レイラを抱き寄せ、人形の様な美しい金髪に手を通す。 お前は、無事だったな。誰にも襲われず、怪我一つなく。 赤ん坊のころから風呂に入れるたびに見てきた肌には、まだ傷の一つも入ってねえ。 おかしな連中が金をせびりに来れば、俺が叩きのめす。学校では友人が沢山だ。 俺の顔が赤い瞳に映ってる。安心して、泣いて、笑って。くしゃくしゃ、というよりゃぐしゃぐしゃか? 兎に角。無事だったんだ。俺の娘は、無事だったんだ。 そして、俺は娘をこうして抱いてられるんだ。 ―――レイラ、このガキどうしたんだ? 「帰ってくる途中で倒れてたの。助けてって言ってたから・・・撃たれたんだって」 ―――撃たれた? ああ、この銃創は・・・ そうだ、この形には見覚えが有るじゃねえか。 俺が打ち殺した野郎の死体に必ず残ってるじゃねえか。 俺の銃弾だ、畜生。 ―――レイラ、逃げろっ! 叫ぶと同時に銃をガキに向け、引き金を引く。 ガチン、撃鉄の音だけが響く。ああ、弾切れしたままだったな。 ガキが目を開け、体が跳ね上がり、俺の喉に何かが突き刺さる。 ナイフ?さあ、何だろうな。鋭い刃物だとは思うが。声が出ない、血が流れ、体が動かない。 灰色の髪のガキは、その髪と同じ色の目で俺を見ている。 ガキが手を引く、俺の喉から血が噴き出す・・・爪か、人の爪じゃねえ、長大な獣の爪。 レイラ何をしてる?俺の事は良いからとっとと逃げろ。 その包丁でどうするつもりだ?ほら、そのガキもお前は狙ってない。 レイラが包丁を突き出しガキがそれをかわしレイラが体勢を崩しガキが牙を剥き ああ神様お願いです俺は死んでも良いどうかレイラだけは俺の娘だけはたった一人の娘だけは 狭くなっていく視界にガキの姿が移る。化物が泣きそうな顔をしてやがる。 おい、何でだよ。泣きたいのは俺の方だ。俺達の方だ。 俺達は普通に暮したかっただけじゃないか。何でお前はここにいるんだ。 ああそうだ、俺達は生きたかった。だからお前を殺そうとした。何が悪い? お前が後から入って来たんだ、俺達の世界に。何でだ?何でそんな事をした化け物? お前も俺たちの世界に混ざりたかったってのか? 俺の目にもう一度映ったのは、ガキの体に刻まれた大量の傷痕。 白、黒、灰色、モノクロ世界に飛び込む赤。ゴトン、誰かの倒れる音。 近づいてくる、振り下ろされる爪、そして――― 俺の意識は完全に闇に溶け込んだ。 written  2010/5/3  6:00 2010/5/15  6:01 未だに文章推敲途中
今日は仕事も無え。かと言って、祈りに行くほど俺は敬虔な人間じゃ無え。 んじゃ、どうやって時間を潰すか?そりゃあ勿論、酒に決まってるさ。 この前の仕事で十分に金は入った。ダチと騒ぎながら飲むのも悪か無えよな。 ―――おう、ちょっと飲んでくる 「もう、またなのお父さん?今日は早く帰ってきてね」 ―――またとは何だ、またとは。最近は酒は控えてるじゃねえか 「それはそうだけど。今日はお父さんの誕生日でしょ?自分の誕生日くらい覚えてなよ」 ―――ああ、そうだったな 忘れてた訳じゃねえさ。だが、わざわざ祝うほどの事でも無え。そうだろ? そんな事をするくらいなら、パーッと飲むか、レイラの学費の足しにでもするかの方が良い。 まあ、最近は仕事も軌道に乗ってきた。学費の心配はしなくても良いだろうさ。 どれ、久しぶりに飲みに行くか。薄っぺらな扉を開けて外に出た。 が・・・どうもおかしいな。真っ昼間にしちゃあ人気が少ない気がする。 まさか町中、退屈な説教を聞くために教会に閉じこもってるんじゃあ無えだろうに? ん?向こうから走ってくる、骸骨が服を着たような痩せ方の男は・・・ 「おいロブ!てめえどこに居やがった!?」 ―――何だマシュー、ご挨拶だな。俺は今日は休日だぜ?お前と一杯やろうと・・・ 「今はそれどころじゃねえ!お前、銃は持ち歩いてるか!?」 ―――ああ。この通り、ホルスターにお行儀よく収まってるぜ 「なら手伝え!化け物が出やがったんだよ!」 ―――化け物? この街の周りに、人間に害を及ぼすような生き物なんざ殆ど居ねえ筈だ。 せいぜいが野犬か、森に行けば猪がいる程度。街に入り込んでくるなんて考えられねえ。 おまけにこのマシューの慌て用は何だ?肩に担いでるご自慢の猟銃が有れば、熊と戦っても勝てると豪語する男だぜ? こいつは口先だけじゃねえぜ、実際にやってのけたんだ。証人は俺だ、間違いねえ。 ―――とにかく、一度状況を説明しろ。俺には何が何だかさっぱり分からねえ。化け物ってのは・・・ 「分からねえ、誰も姿は見ちゃあいねえ!だが、何人か殺られた!」 ―――殺られた・・・? ≪monochrome≫ マシューの奴がパニクった蟹みてえに泡を吹きながら話したところによると、こういう事だった。 路地裏にいたどこかの誰かさんがまず襲われた。理由は知らねえがな。 悲鳴を聞きつけて駆け付けた男二人が、銃を乱射、ついでに人を呼び集めた。 所がだ、駆けつけてみれば男二人は血の海の底、そいつらを襲った犯人は行方不明と来た訳だ。 ああ、偶然近くにいた通行人からの又聞きだそうだがな。 ―――路地裏だろう?んな狭い所で見失うってか? 「普通ならあり得ねえ。ゴミ箱の中まで探したが出て来やがらねえ」 ―――手品師か何かか?その化け物とやらはよ 「茶化すな、まだ話は続くぜ」 三人の死体全てに共通してることだが、刀傷や銃創、打撲の跡なんかは無えそうだ。 当然爆薬で吹っ飛ばした訳でもなきゃ、毒殺された訳でも無え。じゃあ、どうやって殺されたか? 気分が良くねえ事だが・・・喉が喰いちぎられていた上に、体の一部が『喰われて』いたらしい。 つまり、連中は『喰い殺された』って事だ。がっぷり噛みつかれ、ブツリと引きちぎられて、な。 ―――堪ったもんじゃあ無えな、畜生が 「良いか?この街にゃあ、結構な数の旅人が来る。分かってんだろ? 宿も酒場も食い物屋も、そういう連中の落とす金で成り立ってんだ」 ―――化け物がいる、ってのは困るな 「困るなんてもんじゃ無えだろう!誰も立ち寄らねえ宿場街、こんなもん話にもならねえ 俺もお前も、飯を食わせなきゃねえ奴がいるだろうが」 ―――そうだな 特に名所が有る訳でも無え街だが、立地条件が良かったんだろうな。 毎日かなりの数の旅人がやってきて、宿を求めていく。 人間、飯も食いたくなるし酒を飲みたくもなる、女も抱きたくなるってもんだ。 だから、この街は潤っている。分かるよな、この街は外の人間の財布が頼りって訳だ。 化け物にのさばられてちゃ堪らねえ、ここは俺達のねぐらだからな。 街の腕自慢だのごろつきだの、碌でも無い連中をかき集める。 路地裏に倉庫、潰れた店と、隠れ場所には詳しい連中だ。もちろん、喧嘩の方も専門。 かといって、街中で銃撃戦をやらかすわけにもいかねえってのが困りもんだ。 ―――おいマシュー、この装備でどうしろってんだ? 「仕方が無えだろうが。『お客様方』に、化け物が出たってのを宣伝する訳にもいかねえ 『あの銃撃の音は私どもからのサービスです』とでも言えってのか?」 ―――そりゃあそうだが・・・ 俺は拳銃を持ってるからまだいいとして、他の連中が持っている装備と言ったら・・・ 鎌?鍬?斧?弓矢?何時の時代の戦争だこいつは? ああ、静かで良い事だ。これなら『お客様方』もゆっくりお眠りになられるだろうよ。 ―――正体不明の化け物が相手なんだろう?これで良いのか? 「これだけの人数だ、袋叩きにしてやればどうにでもなるだろうよ おら、行くぞ!俺たちは向こうを探しに行く」 猟銃引っ提げたマシューの後ろに、歯の欠けた間抜け面やら傷だらけの強面やらが付いて行く。 狙われてるのが俺だったら怖えんだがな。 ―――俺達も行くぜ、あいつ等とは逆から、街を虱潰しに漁る 残り半分を俺が連れて、探索を開始した。 そう広い街でもねえ、日が暮れるまでには探索は終わる筈だ。 ああ、間違いねえ。それまでには、俺とあいつのどっちかが化け物とご対面って訳だ 影が随分伸びて来た。結論から言えば、俺の予想は大当たりだった。 路地裏に佇む俺の目の前に有るのは、首が今にも取れそうなマシューの死体。 ご自慢の猟銃を構えたまま、泣きそうな表情を顔に張り付かせてやがる。 俺の後ろに並んでるのは、マシューが連れて行った連中だ。 化け物は?俺は会わなかった。残念な事に?それとも、幸運な事に? 傷を負ったかどうかも分からねえ、路地裏は血の海だからな。 ああ、ついでに駆けつけて来た神父様がゲーゲーやらかしたのも追加しとこうか。 掃除の手間がちょっとばかし増えただけ、だが。 ―――畜生 言いたくもなるだろうよ、こんな状況じゃあな。誰一人残ってないんだぜ?化け物を見た奴が。 あれだけの人数皆殺しにして、自分は見事逃げ遂せてるんだ。 死体の殆どは喉元をやられている。食いちぎったか、切り裂いたか。 大型の肉食動物って所か?恐ろしく凶暴で残忍で、恐ろしく俊敏な、な。 ―――不味いな 後ろの連中、血の気が多い奴らだ。半分はビビリ出してるが・・・ もう半分だ。沸騰して、鍋のふたも弾き飛ばそうって程に熱くなってやがる。 俺の話も聞かねえで走りだす馬鹿もいるな。何をしようってんだ? ・・・ライフル?ショットガン?ああ、いい考えだ。最初からそうすればよかったかもな。 マシューの野郎も、そうしてれば良かったんだ。畜生が。 変わり果てたマシューの手を取る。 と、ここで俺が忘れていた事が有った。何だ?こいつらが死んだ時間さ。 化け物がここにいたのはどれだけ前か?それが分からねえと、ちょいと困る。 さて、何で今、思い出したんだと思う?単純な答えだ。 マシューの手はまだ『温かかった』。 路地裏の出口から上がる悲鳴、振り向けば、崩れ落ちる大男。 でけえ図体に見合う獲物、樵の使うような斧をぶん回し、勢い余って一度回転し。 指から力が抜けて斧を落とすと、がらんがらんと路地裏に音が響く。 喉から噴水のように血を噴き出し、何も無い空間を掴むように手を伸ばし――― ―――逃がすな! 何を?さあな、俺も知らねえよ。そいつはどう見ても一人だったんだからな。 そいつの前に立っていた野郎すら、今振り返ってそいつを睨んでいる所だ。 そいつだった物、と表現した方が近い、とまあこれは余計な話だ。一々適用すりゃあ限が無え。 兎に角・・・・・・兎に角、だ。 周りに誰もいない、何もいない。化け物なんてどこにも居ない。 大男一人を瞬時に絶命させうるだけの力、それだけの大きさは有る筈なんだぜ?それがどこにも居ねえんだ。 歯の根が鳴るなんてのを経験したのは・・・生まれて初めてかもな。 全員の息が鞴のように荒くなり、足は枷を掛けられたかの様に止まる。自然と何人かは背中合わせの体勢になる。 これで不意打ちは怖くない、そう思いたい。思わせてくれよ、十字架とお友達の三十路男よ。 路地裏は静かだ、人が来ないから。いや、俺たちはここにいるんだがな。 誰も口を利きやしない。誰も口を動かせやしない。誰も動こうとしない。誰も動けやしない。 そうだ、何が出来るはずも無い。見えないものには何も出来ねえ。 ガタリ、張り巡らされた聴覚の網に懸かる音。丸まりかけていた背筋が伸び上がる。 音のした方に全員が顔を向ける。何だ?何だ?何なんだ? 張り詰めた空気の中・・・にゃー、とネコの鳴き声がした。 胸を撫でおろす。自分の臆病を嗤いたくなる。猫一匹に何人掛かりで行くところだよ全く? そして、動機を鎮めるために深く息を吐く。一旦落ち着こうと思って顔を空に向けた。 視界が動き、視覚情報が遮られる寸刻。俺の頭は嫌ーな事を見つけてきやがる。 ・・・鳴き声がした。いや、違うんだ。鳴き声「しか」認識できなかった。 日が沈んでいる事に、気が付いた。 ガタリ、二回目の音。今度は、皆慌てることも無え。 ドサリ、重い物が倒れ込む音。ビシャッ、液体が地面に降り注ぐ音。 タッ、地面を蹴る軽い音、ブツリ、肉が千切れる音、悲鳴、怒声、金属が地面に打ちつけられ――― ―――糞っ、糞っ、糞がっ! 反応が遅すぎた。一回目の空振りが、俺達の頭を鈍らせた。 何秒動くのが遅れただろう?それは、化け物には十分すぎる時間だったらしいな。 背筋を這い上がる恐怖を吹き飛ばすために腹から叫び、ホルスターから拳銃を抜く。 目は夜の闇に慣れて来たが、それでも化け物の姿は捉えられねえ。 路地裏には灯り一つ無く、月も出ていない。完全な闇を人の目が見通せる訳が無え。 時折鈍い打撲音が聞こえ、聞きなれた唸り声。馬鹿野郎、同士討ちしてやがるな? ・・・・・・やがて、争う音は静まってくる。消えたか?そう思った。思いたかった。 今回は、何秒、平和な空想に浸れたっけな?多分五秒くらいじゃあねえかと思う。 次の悲鳴も、また俺の背後。最初と180度向きを変えた、俺の背後。 早い話が、「半分」の更にまた「半分」。そこから、悲鳴が上がった。 振り向いて、倒れた奴の方へ銃口を向けると、その隣の奴まで倒れ。先程と全く同じ状況が、もう一つ作られていく。 俺の図太い神経も、もう限界だった、音のする所へ、滅多矢鱈に銃弾をぶっ放した。 弾奏が回る。薬莢を捨て、次の弾丸。当たったのか?外したのか?それも分からねえ。 突然、足もとから聞こえる小さな音。後ろに飛びのきながら引き金を引く。 銃弾はネコに直撃、そして、全ての音が消えた。 俺の呼吸音と心音だけが聞こえる。そして、伸ばした手がぎりぎり見える。 血の臭いで鼻はもうイカレてやがる。第六感?あんなもん経験則の一種だ。 俺は何も知ることを許されないってか?嗚呼、まだ死にたくねえ。 まだ死んでたまるか、俺は死ぬわけにはいかねえんだ、畜生が! 気付いた時にゃあ、脚が全力で回転していた。 暗闇の路地裏から転がる様に抜け出し、安息の我が家に向かって走りだす。 ああ、もう御免だ。化け物なんて知ったことか。見えない化け物なんて知った事か。 帰ろう。早く帰って家中の鍵を掛けよう。化け物がいなくなるまで閉じこもろう。 タン、タン、タ、タ、タタ、タ Holy Shit! 俺の見解は上等の砂糖菓子並みに甘かった。奴は、化け物は、俺を逃がしてくれる気は無かったようだ。 俺が、殺しの現場を見たから?人間らしい考えで中々結構。俺を喰いたいから?獣としちゃあ妥当だな。 理由は何か?俺に聞くな、人間に聞くな。化け物の頭の中を、人間が覗けるわけねえだろうが。 背後から聞こえる、警戒な足音。当然ながら、靴は履いてねえな。 音の重さからすりゃあ、対してでかくは無いようにも思えるが・・・・・・と、冷静に考えて見た所で、だ。 ガタガタ震えて歯の音打ち鳴らし、冷や汗ダラダラで、んな事を理解して。さあ、何の役に立つ? 振り向き、音の方向に銃口を。キングコブラの口を向ける。 ―――見えねえ。 一発、二発、三発、四発。撃つ。撃ち続ける。当たったのか?外したのか?さあ、な。知ったことじゃねえ。 六発撃ったら弾込めだ。そうしてまた、一発、二発・・・・・・そんな事を続けていれば? ウエストポーチに入れた指が、ポーチの底の布地に触れる。 終わり。弾丸が、尽きた。 その後は、逃げるだけ。只管走った。追ってくる音から逃げるために。路地裏の死体の仲間入りをしない為に。 石畳を叩く足音は近づいてくる。粗い呼吸音が近づいてくる。俺の後ろに、俺のすぐ背後に。 視界の端に映る影。右腕で喉元を庇いながら、左手の方へと飛ぶように逃げ。 そして、見た。 そこにいたモノを、俺は見た。闇に慣れた目に街灯の光は少し強すぎたが、それでも。 死の音を、死の臭いを引き連れた、死の光景の元凶を。暗闇に映し出されたその姿を、見た。 脚。欠ける事無く四本。下手な馬のそれよりも、しぶとそうで頑強そうで。 牙。白刃と形容したら分かるだろ?そいつが、口の周囲と合わせて、血の赤に染まってやがる。 体毛。灰色の、ともすれば鋼の色にも見える、密度の高い体毛。 瞳。俺を睨みつける・・・見据える・・・・・・どれも、違う。ただ、見る、金色の瞳。 一頭の、巨大な狼。 体のあちらこちらから血を流しその体毛を赤く染め、俺に金色の瞳を向けた。 背から胸から腹から、ダラダラと血を流している。血の滴の零れる音が、聞こえた気がする。 脚が竦んだ。左手が、無いと分かってる弾丸を探した。 右手が、拳銃を狼に向ける。 その動作の過程で、つまりは一秒未満のほんの僅かな時間で、気づく。 狼は、脚を止めようとしなかった。 ―――逃げる?逃げるのか? ああ、逃げるんだよなあ。いや、帰るのか?もう腹いっぱいなんだろう? じゃあさっさと帰れ帰りやがれ帰ってくれよ。 先に家に帰り始めたのは俺の方。 叫んでたかも知れねえし、ただ走ってただけかも知れねえ。 そんな事知ったこっちゃあねえし、この先誰に聞いても分からねえよ。 見えてくるのは我が家の明かり。飯と風呂とベッドの有る我が家の明かり。 おお、偉大なるかな我らが主よ。安っぽいランプの明かりに安心出来るよう人間を作ってくださった事を感謝致します。 玄関口から家に飛び込み、台所。誰もいねえ。 じゃあ、寝室か?短い廊下を走って、ベッドの膨らみの無さを確認。 風呂場にゃあ明かりもついてねえ。便所も同様。 いねえ、どこだ?まさかまだ帰って無えんじゃ・・・ 可能性は、有る。学校が遠い、レイラは勉強熱心、そしてバスはしょっちゅう遅れる。 それにこの化け物騒動、可能性は有る、が。 バス停から此処まで、歩き以外の交通手段はねえんだ。 ―――レイラ! 居ねえ事は分かってても、その名前は呼んじまう。 萎えかけた脚に力が戻る。俺は、父親だ。レイラの父親だ。 僅かばかりの廊下を駆け抜け、玄関のドアを靴の裏で蹴り飛ばし。 ―――レイ・・・ 「お父さん、大変。この子襲われて怪我してるの!」 丁度帰ってきた、最愛の娘とご対面。 俺が名前を最後まで呼ぶより速く、レイラが血相変えて叫ぶ。 この子?どの子・・・・・・と、考えるだけの時間も無く、レイラの肩から伝う血に目が行く。 血の、流れ出している場所は?大怪我じゃねえだろうな?いや、この子? ぐるぐるぐるぐる、頭が揺れる。回ってくれるなら有りがたいが。 ドサリと音がして、その思考を現実に引き戻される。 床に横たえられたのは、レイラと然程体格に差の無い、一人のガキ。 シャツの腹だの胸だのに結構な量の血を滲ませ、白い顔をしてぐったりと。 腕を伝う血は、まだ床を濡らし。俺の靴とレイラのスカートを、赤く染めて行く。 ヤバい。もしかしたら?もしかしなくても、十分に不味い状況だ。 襲われた、レイラはそう言った。なら、考え付くのは現状一つだけ。 生きているのは、運が良い。どうにか出来ない事もねえ。 俺はそのガキを抱えて風呂場へと運び、レイラに救急箱を取ってこさせる。 嗚呼、運が良い。本当に運が良い。 最低の一日の最後に、幸運をちょっとくれえは残しておいてくれたらしいな。 レイラは、かすり傷もねえ。服が汚れたのと、荷物運んで腕が疲れただけだ。 なら、やらなきゃねえのは目の前のガキの処置だけになる。 襤褸切れ状態のシャツを剥ぎ取る。どうせもう着られねえだろうから、な。 傷口を確認する。鈍ら刃で切られたような、引き攣れた傷。ぶん殴られたような痣。 何処とは言わねえ、体全体に傷が有る。深さや大きさはバラバラ、一人にやられたもんじゃあねえ。それから、銃創もいくつか。 賊の類か。大した武器も持たねえ、山賊と盗人の中間程度の連中の。 この程度の年齢のガキでも、見境なく襲うのは・・・・・・よっぽど、餓えてるのか? 荷物の一つも持ってねえのも、そういう理由なら納得がいく。 血を清潔な布で拭きとり、傷口を薬品で消毒する。大きな傷は縫い合わせ、包帯を巻きつける。 銃創を見てみたが、銃弾は貫通しているらしい。嗚呼、今夜は本当に運が良いな。 呼吸は、落ち着いた筈。ガキも、レイラも、もちろん俺も。 出来る限り動かさねえようにして、俺のベッドに運ぶ。 今夜一晩床で眠るくれえ、どうって事ねえだろうしな。 幾らか頭が落ち着いた所で、ガキとその傷を改めて観察する。 ガキの面ってのは、男か女かはっきり決めづらい。どちらかで聞かれりゃ女と答えるくらいの顔だな。 肌は、巻かれた包帯といい勝負で真白、雪のようなとでも言えば良いのか?まあ、誇張が入ってるのは気にするな やたらと細い。飯を食って無いわけじゃあ無さそうだから、こりゃ骨格の問題か。 細い脚に合わせたジーンズは黒。ショートの髪は、まるで上質の絹のようだ そのどれにも、赤がべったり張り付いてたのが、まだ目に残ってやがる。 目を背けても目に付くのは、異常なまでの古傷の数。 割と大きめの刃物でざっくりとやられたような傷跡がいくつか。小さなものは数えるのが面倒だ。 刺し傷も有り、そのうち一つは背中側にまで突き抜けている。 俺は、喧嘩続きの生き方をしてる。ナイフでザクっとやられた経験もある。 だが、これだけでかい傷は一つもねえし、傷の総数だってこのガキには負けている。 刺し傷も有り、そのうち一つは背中側にまで突き抜けている。 レイラと然程年齢は変わらないように見えるが・・・何が有ったんだか。 考えられる事は、そう多くもねえよな。 ガキの悲痛な傷口を見て、何も持たないそのザマを見て。俺は、なぜか安心する。 娘を、レイラを抱き寄せ、人形の様な美しい金髪に手を通す。 お前は、無事だったな。誰にも襲われず、怪我一つなく。 赤ん坊のころから風呂に入れるたびに見てきた肌には、まだ傷の一つも入ってねえ。 おかしな連中が金をせびりに来れば、俺が叩きのめす。学校では友人が沢山だ。 俺の顔が赤い瞳に映ってる。安心して、泣いて、笑って。くしゃくしゃ、というよりゃぐしゃぐしゃか? 兎に角。無事だったんだ。俺の娘は、無事だったんだ。 そして、俺は娘をこうして抱いてられるんだ。 ―――どうだった、学校? 「今日は学校はお休みよ、お父さん。みんなで図書館に行ってきたのよ」 ―――ああ、そうだったな 何の変哲もない、平和な会話。毎晩毎晩、大した違いも無く繰り返される会話。 此処は、俺の家。俺と娘の二人の家。 ―――どんな事を勉強してきたんだ? 「聖書の勉強、かな・・・・・・神様を信じてる人は、死んでも天国へ行けるって」 ―――じゃあ、俺なんか結構危ねえじゃねえか 軽口叩いて、娘に頭ひっぱたかれて。 そして、顔を見合わせてもう一度笑う。 ―――今日は疲れたろう?俺も疲れた 「うん、やっぱり、ね・・・・・・ちょっと、じゃなくすっごく驚いたし」 人間一人抱えてくれば・・・・・・そういう次元の話じゃあねえ。 十二の子供が、同世代の血塗れのガキを拾って、それを運んできたんだ。 自分がそのガキを襲った誰かに襲われるかも知れない恐怖。誰もいない夜道の暗さ。 濃厚な鉄の臭いと生温かさ、背に肩にかかる重量。 ―――レイラ、このガキどうしたんだ? 「帰ってくる途中で倒れてたの。助けてって言ってたから・・・撃たれたんだって」 ―――撃たれた・・・・・・ 酷え話だ。そう思うだろ? こんなガキが、これだけ撃たれて死にかける。あれだけ斬られて死にかける。 それがこの世界。今さら確認するまでもねえが、な。 心臓や頭を撃たれなかったから、どうにかなった。だが、それが? 銃を向けられ、撃たれた。それが肝心だ。 そう、撃たれ――― ―――撃たれた? ガキの銃創を、見る。その形状を、目に焼き付ける。 レイラを抱く手を解き、ホルスターに帰還したキングコブラと再会する。 手の中で一度回して、もう一度ガキの銃創を。 この形は・・・・・・どこかで見たな。 そうだ、この形には見覚えが有るじゃねえか。 なんだ?.357マグナム弾って奴のだ。結構見慣れてるからよーく分かる。 ああ、こりゃあ間違ねえ。首にリボン添えて賭けても良いぜ。 で、だ。なんで俺がそこまで自信を持って断言できるのか? 俺の拳銃は、コルト・キングコブラ。装弾数6発、回転式拳銃。 使用弾薬は、.357マグナム弾。 ああ、見覚えが有るわけだ、この銃創。 俺が仕留めた獣に必ず残ってるじゃねえか。 俺が打ち殺した野郎の死体に必ず残ってるじゃねえか。 俺の銃弾だ、畜生が。 ―――レイラ、逃げろっ! 叫ぶと同時に銃をガキに向け、引き金を引く。 ガチン、撃鉄の音だけが響く。ああ、弾切れしたままだったな。 ガキが目を開け、体が跳ね上がり、俺の喉に何かが突き刺さる。 ナイフ?さあ、何だろうな。鋭い刃物だとは思うが。声が出ない、血が流れ、体が動かない。 灰色の髪のガキは、その髪と同じ色の目で俺を見ている。 ガキが手を引く、俺の喉から血が噴き出す・・・爪か、人の爪じゃねえ、長大な獣の爪。 レイラ何をしてる?俺の事は良いからとっとと逃げろ。 その包丁でどうするつもりだ?ほら、そのガキもお前は狙ってない。 レイラが包丁を突き出しガキがそれをかわしレイラが体勢を崩しガキが牙を剥き ああ神様お願いです俺は死んでも良いどうかレイラだけは俺の娘だけはたった一人の娘だけは 狭くなっていく視界にガキの姿が移る。化物が泣きそうな顔をしてやがる。 おい、何でだよ。泣きたいのは俺の方だ。俺達の方だ。 俺達は普通に暮したかっただけじゃないか。何でお前はここにいるんだ。 ああそうだ、俺達は生きたかった。だからお前を殺そうとした。何が悪い? お前が後から入って来たんだ、俺達の世界に。何でだ?何でそんな事をした化け物? お前も俺たちの世界に混ざりたかったってのか? 俺の目にもう一度映ったのは、ガキの体に刻まれた大量の傷痕。 白、黒、灰色、モノクロ世界に飛び込む赤。ゴトン、誰かの倒れる音。 近づいてくる、振り下ろされる爪、そして――― 俺の意識は完全に闇に溶け込んだ。 written  2010/5/3  6:00 2010/5/15  6:24 未だに文章推敲途中

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