忠誠と慕情

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「いや……いやだよ先生……いやああああああああああああ!!」 「先生、起きてよ先生!死なないで!先生、ブラッドレイ先生!!」 「ひっ……うぐ……置いていかないで……一人にしないでよ……」 「────お母さん……」 ◆ あれから五年。 “塔”の技術は今や世界中に浸透し、文明を遥かに高度なものへと発展させた。 科学や医療の進歩は人々の生活を豊かにしていたが、それも必ずしも良い事ばかりとは言えない。 テロリズム。 イタリアの経済格差に伴い、北部と中部の一部を独立させようとする、極右集団の存在。 彼らによる爆破テロ、要人の誘拐・暗殺は、イタリアの政権や経済に致命的な打撃を与えている。 後悔していた。 私は“塔”のデータや未公開技術を、過去に特許として売却している。 あの時、“トランス”に入って“塔”の関係者達を……先生を殺してしまった事への、せめてもの贖罪のつもりだった。 もし私があの事件を起こさず、研究のための道具として一生を終えていたなら。 先生の研究が実を結んでいたなら、世界はもっと違っていたのではないか。 そんな尊い可能性を摘んでしまった贖罪として、“塔”の技術を少しでも世に役立てようとしたはずだったのに。 私の軽率な行動が、結果的には現状に繋がる原因の一つを作ってしまった。 とても赦される事ではない。 短かった高校生活も、残す事あと数ヶ月。 何時までもいじめられっ子のままではいられない。 その時にはもう、私のやるべき事は決まっていた。 イタリア国家憲兵隊、カラビニエリ。 イタリアに於いては陸軍、海軍、空軍に次ぐ第四の軍隊として認知されており、軍警察とも呼ばれる。 平時には国家警察と同様の活動を行うが、有事の際には憲兵及び戦闘部隊として機能する組織である。 テロに侵される国家のため、傷つき倒れていく国民のため、そして自らが犯した罪を償うため。 私は高校卒業後、すぐさまカラビニエリに志願した。 女という事で過小評価されていた私は、教育課程で「体力馬鹿」の烙印を押され、 部隊に配属されるや否や、すぐに人員の足りないボスニア・ヘルツェゴビナに飛ばされた。 つまりは呈の良い生贄という事だったのだろうが、私はボスニアで徐々にその能力を開花させていく。 平地での私は、正直なところ無能な一般兵でしかなかった。 この獣じみた身体能力も、相手が銃を持っているというだけで殆ど意味を成さなくなる。 しかし市街地や屋内、山岳地帯等に於いて、私に追随出来る人間は皆無だった。 やがて経験を積み、平地でも対銃火器を問題としなくなった頃に、ボスニア紛争は終結。 私はイタリアに帰国し────フランチェスコ・マキャヴェリ少佐と出会った。 武勲を認められた私は、弱冠18歳にして准尉にまで昇格。 帰国してすぐに第一パラシュート連隊に配属されるという、異例の扱いを受けた。 入隊して一年にも満たない小娘が部下を持ち、エリート部隊の所属となるのだ。 当然、それ相応の軋轢は生じたし、気持ちの良いものでもなかったが、いじめには慣れている。 先生とその祖国であるイタリアに忠を尽くす事以外、私にとってはどうでも良い事だった。 いずれは対テロリズムに携わり、テロを撲滅する事で、自ら犯した罪への贖いとする。 そのためなら多少の苦痛は問題にならなかったし、何よりもカラビニエリ隊員である事に誇りを持っていた。 第一パラシュート連隊に配属されて一年、私はもうすぐ20歳を迎えようとしていた。 空挺の若きエリートと将来を期待されていた私に、ある日GISから選抜の声がかかる。 カラビニエリ特殊介入部隊、通称GIS。 対テロを目的とした特殊部隊で、精鋭中の精鋭のみが所属出来る部隊。 通常は30歳以上しか選抜されない部隊、そこに特例で小娘の私が入れるというのだ。 私の実力が国に認められ、また必要とされている何よりの証拠だった。 予想よりも遥かに早く訪れた、自らの罪を払拭する事の出来る機会。 私は歓喜のあまり小躍りし、二つ返事でその声に応えた。 そして私は当時のGIS指揮官、フランチェスコ・マキャヴェリ少佐と出会う事になる。 「これでお前の命は私のものというわけだ。身も心も私のために捧げろ、いいな」 私が正式にGISの所属となった時、制服に身を包んだ初老の男性。 フランチェスコ・マキャヴェリ少佐は、私にそう仰られた。 彼の事は、出会う前から良く知っていた。 少佐は元々イタリア陸軍の人間で、ソマリア内戦にも参加した事のある猛者だ。 銃剣のついた二丁拳銃を手に、敵陣のど真ん中を駆け抜けるという、聞いただけで分かる屈強な歴戦の兵士。 地雷を踏んで足を悪くされてからは軍を退役し、現在はGIS指揮官の席に就かれている伝説的な人物である。 “彼が戦う事が国の利益”、そんな英雄と共に戦う事が出来るなんて、まさに夢のような話だ。 そして何よりも、私をGISに推薦してくださったのは、他ならぬ少佐だった。 「はっ!マリア・ブラッドレイ准尉、全身全霊で少佐に尽くさせていだたきます!」 私は少佐の片腕として、必死になって働いた。 GISの最先鋒としてテロリストの施設を破壊し、反政府活動を妨害し、幹部を暗殺した。 忠義というものを始めて知った。 今まで忠義だと思っていたものは、忠義ではなかった。 彼のために尽くし、捧げ、犠牲となる事が、彼の糧となり剣となる事が、私にとって無上の喜び。 その時の私は、そう信じていた。 それは少佐にとっても同じ事だったのだろう。 少佐には最愛の奥様と、娘さんが一人いらっしゃった。 私が抱いているのは絶対の忠誠、彼の盾となって死ぬ事こそ本懐。 少佐が御家族に抱く愛情とは、全く別の異なる感情だ。 必死にそう信じようとしている自分に、私はまだ気が付いていなかった。 私が22の時、中尉になって少し経った頃、テロリストによる立て篭もり事件が起きた。 テロリストによる人質全員の射殺、そして拳銃自殺という、あまりに凄惨な結末。 その被害者の中には、少佐の奥様と娘さんが含まれていた。 呆然とする私の目に飛び込んだのは、御家族の屍にすがり泣き叫ぶ少佐の姿。 娘さんの亡骸を抱きしめ、既に冷たくなった奥様の唇に、何度も接吻を繰り返していた。 かつての私と全く同じ姿。少佐の心を引き裂く哀しみは痛いほど理解出来るはずなのに。 その光景を見て急速に冷めていく自分の心に、私は戸惑う事しか出来なかった。 程なくして、また私に昇格の声がかかる。 今まで通り少佐の下で、部隊長としてGISを率いてほしいとの事だった。 ────あの時私は、自分のグロテスクな感情に気付いてしまった。 泣き叫ぶ少佐の姿を目の当たりにして、あろう事か私は考えてしまったのだ。 「なんだ、そういう事か。少佐は最初から、御家族のものだったんだ」 そんな当たり前の事、とうの昔に知っていたはずだった。 それを知って尚、少佐に忠誠を尽くしてきたつもりだった。 なんという事は無い。 私はつまり、少佐を自分のものにしたかっただけなのだ。 拠り所を求めて、少佐やテロリストを利用していただけだったのだ。 「いつか私が軍服を脱ぐ時は……。その時は、GISを……イタリアを、頼む」 その言葉を少佐から聞いたのも、丁度この頃だったように思う。 御家族が亡くなられてから、少佐は目に見えて落ち着きを失っていた。 少佐がいずれカラビニエリを抜けるような事を口にするなど、未だかつて無い事だった。 なのにその時の私は、少佐の明白な動揺と不安を読み取る事すら出来なかった。 私はあの時に、心の何処かで思ってしまったのかも知れないのだ。 ────少佐の御家族が亡くなられて、やっと少佐を自分のものに出来る。 ◆ 大きく沈むソファ、私の上に覆い被さる少佐。 制服の上から私の体をまさぐる、少佐の武骨で大きな手。 布が擦れる音と、ギシギシと音を立てるソファのスプリング。 首筋にかかる少佐の熱い呼吸を感じながら、ぼんやりと考える。 少佐に押し倒されたのか、私は。 待ち望んでいたはずの瞬間。 だというのに、なんだかもう、どうでも良かった。 「……中尉、何故抵抗しない。私は、失望されたのではなかったのか?」 「お抱きになられないのですか?」 「質問に答えたまえ!」 何も感じないのだ。 悦びも嫌悪も、何も。 頭に浮かぶ事と言えば、外気に晒された胸が寒いなとか、そんな事ばかりだ。 「嫌ではありませんから。むしろ、こうなる事を望んですらいました」 私のズボンに入り込み、太腿を撫で回していた少佐の指が、私の中心に突き立てられる。 鋭い痛みが走り、意識とは無関係に表情が歪む。 「嘘が下手だな、中尉。全く濡れていないじゃないか」 「……さあ。そういう事は、あまり詳しくないので」 少佐は私から顔を背けると、立ち上がって制服の乱れを直しながら、服を着ろと呟く。 そして少佐は、私に背中を向けたまま、更に小さな声で詫びた。 「上に報告して構わん。自分の娘ほどの君に暴行を働いたのだ。弁明の余地は無い」 「まだ何もされていませんし、嫌ではないとも言いました」 「……君に散々戦いを強いてきた私が言えた事ではないが……自分の体をもっと大事にしたまえ」 こういうのは、強姦と言うんだ。 治安維持組織特殊部隊の長が取る行動ではないな、と少佐は吐き捨てる。 その背中をぼんやりと見つめたまま、私は言わなければならなかった事を口にした。 「少佐にお別れを言わねばなりません。私は、貴方の下に仕える資格を失いました」 その言葉に少佐が驚いて振り返り、そして即座に目を逸らす。 罪悪感に塗れた表情。何故そのようなお顔をなさるのか分からない。 「……服を着ろと言ったはずだ。それと……本当に、済まなかった」 その言葉で、私は自分が泣いている事に気が付いた。 涙を流すなど、一体何時以来だろう……長い事、忘れていたような気もする。 「……もっと、早く抱いてくだされば良かったのに」 「卑怯だな、お互い」 乱暴に涙を拭い、半ば脱がされた制服を着直すと、私はソファを立ち上がる。 そして少佐に背を向けると、蚊の鳴くような声で呟いた。 「……忠誠を偽り続けた事を、どうかお許しください」 「なに、謝るのはこちらの方だ。元気でな。地獄でまた会おう」 「ええ。いずれ、また」 私はその日の内にカラビニエリを去り、その日の内にこちらからCIAのリクルーターに接触。 彼は気遣っているのか、呆れているのか、引いているのか分からない表情で、何故戦うのか、と問う。 「まだ殺されていないから、でしょうか」 小さな声で、クレイジーと聞こえた。 大きな御世話だ。

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