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 そういえば父母だって当たり前に人間なんだと、おもわず咽喉の粘膜が痒くなる再確認に頷ける程度に頭は麻痺しながらも完膚なきまで、二人は華も供えられてはいない殺風景な楽器と土埃の棺の底で大人しく死んでた。眠るよう。そういうのがぴったりだとおもってしまった俺を拒絶するよう睫毛の一片も動かさないで二対の硝子珠がきろりとみつめている。


 屍体みたいだと当時の俺を指しながらどこか退屈そうな口調で皮肉った声音こそまさに屍体が喋るかの如く温度がなくて、興味も無いと言うようにすぐに逸らされた視線の冷たさは道端に捨てられた野良犬の屍を其処に重ねていたらしい。嘲笑う月すら凍て付かせる寒々とした瞳は伏せられて紫の革表紙の本を黙々と読んでいたが、ふと緩やかに持ち上げられた視線が俺を頭から爪先まで一度見詰めて呟いた。お前は早く思い出すべきだ。感情の内海が何故だか馬鹿みたいに至極平らかで、じぶんが何を考えているか、それさえ幽玄の彼方で模糊としてわからないような幼い俺に其の問い掛けは難しすぎた。薄い唇は繰り返す。ならお前はなにが足りない?

 「おはよう。自分が誰だか分かるな」
 少し間を置いてから始めて意識的に此方へと投げ掛けられた最初の対話は懐郷的な響の音楽のような、落着いたくせ温度のない抑揚の挨拶だった。俺を覗きこむ鋼玉的な金の瞳孔は二粒一対では無く、右側に清潔な包帯がすっきりした鼻梁の筋道に沿うよう髪の下を潜らせる形で巻きつけられ真っ白なシュプールの繭に眼窩の片方を密閉していた。クーデターで怪我でもしたのだろうか。俺は人物が誰なのか確認するより先を急ぐよう患部に指先を差しのばした。其の手にまもなく頬を包みとるまで数秒程も無かったけれども其の空白の間隙に初対面の筈の人物は表情を新しくみせる。それは軽度の驚嘆。
 「なにを」
 「眼。だいじょ、ぶか?」
 「……他人よりも自分の心配をするんだな。餓鬼め」
 不快そうに細められた瞳だけで俺を卑下してみせたコイツは、現在と殆ど変わらない容姿をしていたが今よりも表情は無くて剃刀の酷薄で剣呑な雰囲気を痩躯から微かに放っていた。幼心にそれは酷く沁みるような寒さで、しかし何故か恐怖だけはまったく感じなかったのを覚えている。
 ふと、彼とも彼女ともつかない誰かは悼むように沈黙した。適当なソファに寝かされているのだと認識した俺は、ここで漸く現状を把握して同じく黙祷のようにするしかなかった。大きな窓の外では硝子屑によく似た亜透性の蒼い鉱砂が地平を遠く彼方まで覆う。波打たぬ湖の絵か永久凍土かという憂愁の情景の其の上で嘗て無類の栄華を極め、王宮直属騎士団と宝石により爛熟せしめた母国の賛歌的事典も、華を散らすよう白い頁が庭で侘しく舞っていた。不意に宙空でともされた煙草の炎が紅い泥の水底のようべったりと過質量の光に暮れなずんでゆく昨日の街並と同じ彩を燻らせながら三日だと呟く。三日間。お前は寝たきりだったと。

 「……ぇ」
 「グランドピアノの中で寝てたのを見付けた。死んでいると思った。どちらが幸せだったのかは、俺は知らない」
 どちらというのは生死のことだろうか。単調に紡いでみせる言葉に色はなく、無色透明な闇が俺の足許に蟠っているのが見えた気がした。三日。その間に何があってこの国はどうなって―――父母は、死んだ?
 言葉よりも瞳が如実に語っていたのか退屈そうだった雰囲気が霧散して、更に傍へ傍へと寄ってくる貌は破綻の欠片も無い無機質染みたものだった。それが俺の肩まで接近し、耳元でちぃさく。
 「餓鬼が」
 嘲笑った。
 今思えばこれが正解だった。十代で大人ぶりたい年頃の、正しく餓鬼だった俺の心の罅にその言葉は微温湯の如く沁みて、そこから麻痺した感情を緩やかにと溶かしていく。父母が死んでこの国は殆ど崩壊して、俺は悲しくて辛くて痛くて苦しくて怖かった。それでも、嗚呼そうだ。アイツは最初から最後まで優しくなんてなかった。俺を抱き締めてくれることすらせずにただ沈黙して嗚咽を記憶してゆく機械みたいな眼。しかしそれだけが唯一の救いだった。皮肉な話だ。

 俺の初恋は、そんな傍若無人で愉快犯な優しくない痩躯の人外だった。


[ end. ]