とある昼前、マリア・ブラッドレイは大いに凹む

結構しんどい用事が片付いたばかりで、気が緩んでいたのだろうか。
朝に起きるつもりが、目を覚ますと昼近くになっていた。
ぼんやりした意識の中で、
「そういえば今日は生ゴミの回収日だったな」
と、くだらない事を思い出す。
前回も出しそびれたゴミは、キッチンの片隅で山積みになっている。
そのうち私の部屋がゴミ屋敷になってしまいそうな恐怖を感じた。
ホテル住まいなのだから、従業員に片付けさせれば良いと思うかもしれない。
だが、たとえ従業員であっても、私は自分の部屋に赤の他人を入れたくはないのだ。
そのために、わざわざ高級ホテルのスイートルームを購入したんだし。

もう少しぼんやりとベッドの中で過ごしたかったが、私は昨日の昼から何も胃袋に入れていない。
新陳代謝が異様に高いせいで、たった一日の断食が死活問題になる体質が恨めしい。
そろそろ空腹が耐えかねるレベルに達していたので、仕方無く何か簡単な朝食を用意する事にした。
ホテル住まいなのだから、ルームサービスを頼めば良いと思うかもしれない。
だが、料理が趣味の私にとって、自分で料理を作れる時くらいは自分で作りたいのだ。
そのために、わざわざ部屋に広いシステムキッチンを増築させたんだし。

パンの買い置きは底を尽いていた。
パンに乗せるためのチーズとバターが、悲しそうに冷蔵庫で寄り添っている。
私の大好きな生ハムも無いし、サラダになりそうな生野菜も見当たらない。
炊飯器を覗いてみても、当然の如く炊き立てのご飯は無い。
昨夜、朝のために米を研がなかった自分を呪い殺してやりたくなる。
冷凍庫の中の冷凍食品にも、軽く腹を満たしてくれるようなものは無かった。
こんな事になるくらいなら、美味くもない冷凍ピザでも買っておけば良かったと後悔する。

私は途方に暮れた。
目を覚ました直後から肉や魚を食べられるほど、私の体は高血圧には出来ていない。
コンビ二まで買い物に行くなど、ホームラン級に論外である。
朝食のためにコンビニに行くなんて、愚かな人間のする行為だ。
とりあえず、水を飲んでみた。
この飢え切った体は、水道水如きで満足してはくれない。
猫じゃらしで構ってやった猫のように、貪欲に満足を求めてくる。
少しの刺激を得たために、さらに大きな刺激を求めてくる。
ますます不味い状況だ。

ふと乾き物を収納しているスペースに目をやると、マカロニとかに混じってパスタが見える。
それを見つけた瞬間、私の頭上に神の啓が下った。
「こいつさえ物になれば、この局面を打開出来る」
私は早速、鍋に水を張って火をかけた。
私の胃袋が破綻するのが先か、それともパスタの完成が先か。
上手い具合にレトルトのスープパスタが転がっていた。
私がこんな女々しいものを買うはずはないから、多分ヤクザからぶんどった物資の一つだろう。
目を覚ましてから、初めて私の表情に笑みが宿った。
料理は芸術品だと思う。
たとえそれがレトルト食品であっても。

完成したパスタを食べようとした時、常時つけっぱなしのパソコンを見て思い出す。
そういえば昨日、運動生理学に関する興味深い資料を見つけた記憶がある。
一人暮らしの身では、テーブルで朝食を食べなければならないという決まりは無い。
部屋の好きな場所で食べれるというのは、独り身の女に与えられた最高の贅沢だ。
カラビニエリで働いていた頃からは、とても考えられない。
小さな幸福を噛み締めつつ、私はパソコンの前に座って朝食をとる事にした。
資料を書いたのは有名な大学教授だったはずだから、素晴らしい内容に違いない。
素敵な資料でほど良い頭脳労働をしながら、美味しい朝食を食べる。
今日は最高の一日になりそうだ。

キーボードの横にパスタの皿を置こうとした時、パスタがキーボードに流れ落ちていくのを見た。
オリーブオイルが絡められたパスタは、ほんの少しの角度で重力の力を借りる事が出来る。
アサリとスープとパスタ塗れになったキーボードが、何故か誇らしげに見えて腹が立つ。
しかもキーボードから零れ落ちたパスタは、その下にあったパソコン本体にも多大な被害を与えていた。
さようなら、私の楽しい朝食。

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最終更新:2010年09月27日 16:42