誰もいない楽園


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 私を覚えている人が誰もいないというのは怖いことですが。
 私を覚えている人が死んでいくというのも怖いことです。
 どちらがいいかと言われれば、私は前者を選ぶことでしょう。
 なぜなら、後者は一度掴んだ光をまた手放すことなのですから。


 * * * * *

「くっ……!」

 こんなことなら、金をケチらずに護衛を雇っておけばよかった。
 荒廃した砂地を駆けながら、俺は思った。
 国から国への移動は危険も伴うと、今までの経験で分かっていたはずだ。
 その中途半端な経験が災いして今危機に見舞われている。
 高をくくっていた──どうせ大型モンスターなど現れないと。
 現れたところで──逃げてしまえばいいと。そう思っていた。

「────ギ……ギャゴォオオオ──ッッ!」

 ズジャ、と後ろの砂が急速に盛り上がり。雄叫びがびりびりと乾いた空気を振るわせた。
 ──サンドワーム。
 砂地を泳ぐように移動する、この地域では比較的よく目にするモンスター。
 攻撃的な性格ではあるが、縄張りを侵さない限りは何もしてこない……ある意味対策の取り易いワームだ。
 その性質を利用して、この地域ではサンドワームの縄張りを避けるかのように砂の上にも道があった。
 だが、どうやらモンスター側の縄張り事情というものに変化があったらしく。
 地図通りに進んでいたのにも関わらず今こうやって襲われてしまっているというわけだ。
 色も、大きさも。通常のサンドワームとは明らかに違う──個体数の少ない亜種なのだろう。
 ギルドに報告書を出せば、宿代にはなるか。
 ふとそんな考えが過ぎるも、まずはこの場をどうにかして切り抜けなければ──……。
 そう思った瞬間だった。

「う、わっ──!?」

 ずる、と。きめ細かな砂に足を取られての転倒。
 気づいた時にはもう遅かった。
 態勢を立て直す暇もなく、巨大な影が差す。
 ぞわりとした、死の予感。
 相手に視線を向けるまでもなく、サンドワームの視線が俺を見ているのはひしひしと伝わってきた。
 無意識に、笑みが零れた。
 もう希望もなにも、残っていない。乾いた、笑みが。

 ずん、と。
 重い重い音が、響く。


 * * * * *

 視界が、暗い。
 目を閉じているせいだと気づいたのは、数秒経ってからだった。
 うっすらと、目を開ける。
 ここは死後の世界というやつだろうか。それにしては、感覚がはっきりしている。
 痛みもなければ、苦しみもない。むしろ、生前と全く同じような──……。

「あ……れ……?」

 思わずそんな声が漏れた。
 驚愕を通り越して唖然である。
 何故なら──俺は死んだにも関わらず、先ほどと同じ場所で、同じようにして倒れていたからだ。
 唯一違うとすれば、サンドワームの亜種がいないこと……いない?
 ばっ、と後ろを振り返る。
 最初は、ただの岩の塊かと思った。
 それが生き物であり、サンドワームの亜種であると気づいたのは、それが時折苦しむように蠢いていたからだ。

「どういう……?」

 何が起きているのかさっぱり分からず。答えを捜し求めるかのように周囲を見渡す。
 今の内に逃げるとか、そんな考えは不思議と浮かばなかった。
 ──答えは、直ぐに見つかった。
 数m先。いかにもといった風情の、顔をフードで覆い隠してボロいローブに身を包む人物がこっちを見ていた。
 よく見ればそいつはごついライフルのようなものを抱えていて──。

「──×××××」

 ずん、と。
 再び重い音が響き、ローブ野郎の持っているライフルが大きく跳ねる。
 それと同時。

「ギ────……」

 サンドワームがうめき声をあげてひくひくと痙攣し──それきり、動かなくなった。
 ものの数分にも満たないうちの、出来事だった。
 未だに状況が出来ていない俺を見かねてだろうか。ローブの人物がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
 もしかしたら、そいつがライフルを持っているのは目の錯覚だったのかもしれない。
 だってそのローブの人物は、もうごついライフルなんて持っていなかったのだから。


 * * * * *

 俺の危機に颯爽と現れた謎のローブ野郎。
 俺を追う謎の組織の男だとか、隠された秘密遺跡の住人だとか。
 ここで恩を押し売りして後で莫大な金額を請求してくるといった新手の詐欺だとか。
 実はこいつは密猟者で、犯罪行為を見られたからという理由でこの後俺を殺すつもりなのかとか。
 そんな厨二的思想だったり被害妄想染みた発想が次々と浮かぶ中、さくさくと砂を踏んで着実にそいつは俺の方に近づいてきて。

「……。」

 ぴたりと、俺の目の前で立ち止まった。
 ──随分と背が低いな。
 まず思ったのは、そんなことだった。
 更によく観察してみれば、フードの隙間から見える顎のラインが綺麗な事が分かる。
 こんな砂地で凶暴なサンドワームを1人で倒すやつだからどんな荒くれ者かと思ったが、見た目だけならそうではないらしい。
 その後も俺は相手についての考察をあれやこれやしようとしていたが、無言のままの相手を見てまず先にやるべき事があるのに気づく。

「あ、あの……助けてくれて、ありがとう……ございました」

 ややどもりながらではあるが、なんとか礼を告げると──相手の口元が、僅かに笑みを浮かべたのが見えた。
 そんなに口ごもったのがおかしいかよ。
 相手の反応にむっとしながらも、何か反応を返してくれないものかと僅かに期待した俺は次の瞬間。自分の耳を疑った。

「お怪我はございませんこと?」

 乾いた気候と心に響く、優しげな声。
 ──女?
 ぽかんと思わず口を開ける俺を見てだろうか。
 くすくすと相手は涼しげに笑い、日焼けのしていない白い手でフードを脱ぎ去る。
 そこにいたのは──透き通るようなプラチナブロンドの長髪を風にたなびかせる、蒼い蒼い瞳の少女だった。


 * * * * *

「折角出来たご縁ですわ。近くの街までお送りいたしましょう」

 月夜に咲く花を思わせる控えめな笑みを浮かべて彼女はそう言い、プライベートビーチを歩くような足取りでこの荒廃した地を進んで行く。
 エルネスティーネ。
 儚げな容姿によく似合った響きを持つそれが、少女の名前だった。
 一度だけ「エルネスティーネさん」と呼びかけようとしたのだが、彼女の名前の半分を紡ぎ出す前ににっこりと微笑みかけられ 

「長いので、よろしければエルとお呼びくださいませ、旅のお方」

 と言われてしまって以来俺は彼女の事をエルと呼んでいる。
 一応俺も礼儀だと思って名前は名乗ったのだが、何故か彼女は俺の事をずっと「旅のお方」と呼び続けている。
 ほんの少しだけそのことが気になったものの、人の呼び方なんてその人次第だと自分に言い聞かせて納得することにした。
 そうでもしないと、フラグなんてものを期待した俺が馬鹿みたいだから、な。

 そして街までの道中。情報交換も兼ねて俺たちはいろんな話をした。
 故郷の事。両親の事。旅に出た理由。
 今でも思い出に残っている光景や、興味深い文化のこと。
 世界情勢や今流行の歌の話なんかもした気がする。
 最も──「俺たちは」だなんて表記はしたものの、実際話していたのはほとんど俺。
 エルは小さな微笑みを浮かべたまま相槌を打ち、時折俺に質問を投げかけるといった具合だった。
 そうこうしているうちに時間は過ぎて日は沈み。夕暮れからしばらくたって漸く俺たちは街へと到着した。
 どうやらエルも今夜はこの街に泊まるらしく、折角だからと同じ宿に止まる事になった。もちろん部屋は別々だ。
 俺からの熱烈な申し出により、夕食も彼女と取る事になった。フラグを諦め切れない俺、かっこ悪い。


 * * * * *

「そういえばさっきはエル、自分のことあんまり話さなかったよな」
「エルの話もいろいろと聞きたいな。例えば、故郷の事とか、友達の事とか」

 遅い夕食を終え、俺は何とはなしにそんな事を彼女へ尋ねてみた。単純な好奇心から出た問いかけだった。
 それを聞いてエルはふと寂しそうに目を伏せ

「故郷と呼べる場所も、友人と呼べる方も──もう私には、ありませんわ。」

 静かに、そう言った。

「……それって、どういう──?」

 後になってから、俺は自分の勘の悪さを後悔する事になる。
 だがこの時の俺は目の前の不思議な彼女への興味が強すぎて、空気を読むだとか遠慮をするだとかいう選択肢すらなかったのだ。
 話の続きを促す俺の言葉を暫くエルは拒んでいたが──やがて、諦めたのだろう。
 先ほどと変わらぬ静かな口調で、胸に下げているチェーン付の古びたコインを軽く握り締めた後、淡々と自分のことを話し始めた。

 彼女が人間ではないこと。
 永遠に朽ち果てる事のない、機械の身体であること。
 数え切れぬほどの昼と夜を過ごしてきたこと。
 国から国へあてもなく旅を続け、時折金銭を代償に人々を助けていること。
 自分と親しくなる人間を──もう二度と作りたくないこと。

 彼女はそっと、語り続けた。

「親しかった方々は──もう、この世界にはおりません」
「みんなみんな……亡くなられてしまいました」

 優しかった父も。憧れた彼も。共に戦った彼女たちも。みんな、みんな。
 風の心地よかった公園は更地になり。
 彼と一緒に暮らしたアパートは取り壊され。

 知っている場所は全て見知らぬ場所に成り果てた。
 時の流れ──それにどんな意味があるのかを考える暇など、なかった。
 彼女は、彼女を創り出した人間たちから、彼女の過去を、否定された。

「──ふふ、申し訳ありませんわ。初対面の方にお話する事ではありませんでしたわね」

 ふわりと髪を揺らして彼女は小さく笑う。
 どこかつらそうな、寂しそうな痛々しい笑顔が、酷く印象的だった。
 彼女がそんな笑みを浮かべるというそのことが──俺には、つらかった。

「さぁ、もう夜も更けてまいりましたわ旅のお方」

 きっと彼女は何年も何十年も、同じ事を繰り返してきたのだろう。
 相手の名前を聞いても、覚えないようにして。思い出に残らないようにして。
 そうすることで、新たな「別れ」を記憶しないようにして。
 ただ──そうやって。星の夜を友の鎮魂に当て。ひっそりと、静かに。
 永遠に変わらぬ子供の姿のままで、彼女はこれからも同じ事を繰り返し続けるのだろう。

「今宵限りの縁となるでしょう。朝日と共に私はここを去ります」

 子供の声で、子供の顔で。大人の口調と、大人の表情で。
 肉体的成長を許される事のなかった大人の少女は、静かに立ち上がり。

「どうかお元気で、旅のお方──もう会わないことを、切に願っております」

 貴族の令嬢がするかのような優美なお辞儀をして──その後は、俺の方を振り返ることなく、自分の部屋へと戻っていった。


 * * * * *

 それから彼女がどうなったのか、俺は知らない。
 次の日の朝、目覚めてすぐに彼女の部屋を尋ねたときは既に彼女は去った後だった。
 宿屋の親父に彼女の行方を聞いたが、彼女は行き先も告げずに宿を出ていったらしい。
 街の人間にも尋ねてみたが、明け方に街を出ていき、北の方角へ歩き去っていったことくらいしか分からなかった。

 俺はこの世界に生きる、ただの人間だ。
 彼女と違って永遠を生きることなど出来ないし、特別な力など何も持っていない。
 それでも、彼女の傍にいてあげたかった。彼女を、孤独から救ってあげたかった。
 何が出来るのか、具体的なことは何ひとつ分からないけれど。それでも。

 きっと、自分を覚えている人間が死んでいくのはつらいことだろう。
 でも俺にとっては、自分を覚えている人間がいないことの方が何十倍もつらいように思えた。
 前者は光を掴めている時期があるけれど、後者にはそれすらないのだから。

 父さん。母さん。俺は旅に出るよ。
 あてのない、生きる目的を探す旅なんて物じゃなくて、一人の女の子を、助ける旅に。
 進路は北。終わりの見えない旅になるかもしれないけど──それでも、俺は構わない。

 彼女に、エルネスティーネに手を差し伸べる。
 たったそれだけの理由が、今の俺には歩き続ける全ての理由にもなっていた。


 * * * * *

 こうして、少年と少女の旅は幕を開けた。
 彼らが今後どのように再び出会い、どのような言葉を交わすのかは、また別のお話。

 その話を語り終えると、語り部の少女はひっそりと口を閉ざし。
 それから私が立ち去るまで──もう、なんの言葉も発する事は無かった。


 いつかの時代。どこかの場所。
 違う世界の、誰かの物語──……。



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