"ルサルカ"

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水の精の物語

  • 今回はドヴォジャーク(ドヴォルザークのチェコ語読み)の『ルサルカ』を訳しました。一語一語辞書を引きながら訳しましたが、辞書に見当たらない単語も多かったので、その場合は英訳も参考にして翻訳しました。日本語として分かりやすい表現のために、可能な限り意訳していますが、明らかな誤訳や誤解もあるかも知れませんので、お気づきの点はぜひご指摘いただきたいと思います。
  • さて、このオペラのリブレットを書いたのは、チェコの劇作家ヤロスラフ・クヴァピル(1868-1950)です。彼は、この台本をアンデルセンの『人魚姫』や水の精をモティーフとするドイツの物語をベースとして作成しており、そのドイツの物語の中にはフーケの『ウンディーネ(水妖記)』も含まれています。したがって『ウンディーネ』や『人魚姫』との比較は、この作品の理解を助けるのではないかと思います。

『ウンディーネ』との比較

  • 水の妖精(ウンディーネ)が人間(騎士フルトブラント)と結婚する物語の大枠はもちろん同じですし、その後、騎士が別の女性に魅かれてしまい、女性どうしがライバル関係になるという展開も似ています。一番の共通点は、ラストシーンで水の世界に去ってしまったウンディーネが、騎士の所に戻って来て、キスをして彼を死なせてしまう点です。一方、最大の相違点は、ウンディーネは魔法の力を借りて人間になるのではなく、最後まで水の妖精のままだということです。口が利けますから当然ペラペラ(?)しゃべっています。

『人魚姫』との比較

  • アンデルセンの『人魚姫』との最大の共通点は、ヒロインは愛する王子のもとに行くために魔女の薬を飲んで人間になり、その代償として声を失ってしまうことです。また、王子をナイフで刺し殺すように言われて、それを拒否する点も共通しています。(『人魚姫』では魔女からではなく姉たちから言われるのですが。)
  • 一方で相違点も多く、『人魚姫』では魔女以外の登場人物はみな善意で振舞っています。王子はもともと人魚姫と結婚する気はありませんから彼女を裏切ったわけではありませんし、外国の王女も人魚姫を嫉妬の目で見たりはしません。童話らしく、みな「いい人」なのです。アンデルセンの物語でとりわけ涙を誘う点(そして理不尽さを感じる点)は、人魚姫は王子の命の恩人なのに、口が利けないので、それを伝えられないことです。この童話では、こうした「切なさ」とその裏返しの「愛の深さ」が良く表現されているように思えます。

『ルサルカ』のテーマ~白い花と赤いバラ

  • それでは、ルサルカのテーマはどこにあるのでしょうか。私が思うに、それは「人間の魂の不可思議さ」にあると思います。王子はルサルカに一目惚れしてしまいますが、冷たい水の中から生まれたルサルカには燃えるような情熱は欠けており、それに物足りなさを感じた王子は情熱的な外国の王女に魅かれてしまうという点が重要です。
  • これを表現するためのメタファーが第2幕には見られます。合唱が「白い花はしおれ、婚礼のベッドに咲くのは赤いバラ」と歌うのですが、これはルサルカを白い蓮の花に、王女を赤いバラに見立てて、ルサルカの悲しい運命を予告しています。この合唱に続いて「水のお父さん」が遠くから「(ルサルカは白い花なのだから)赤いバラなど咲くはずがない」と歌い、その直後ルサルカは「私は冷たい水の中で生まれたから、王女のような情熱など持ち合わせていない」と歌います。このメタファーの連鎖は、音楽と相まって、とても魅惑的な効果を出していると思います。

情熱の移ろいやすさ

  • この「情熱」(原語vášeň。この「ヴァーシェニュ」という響きは「パッション」と似ています)という単語こそ、この作品を解くカギだと思います。第3幕では、王子の殺害を唆しながら魔女はこう歌います。「だがね。人間というのは他人の血に手を染めてこそ初めて人間なんだ。流血の情熱に浸りながら、他人の血に酔いしれる時にね。」(私はこの台詞は非常に重要だと思いますが、カット上演されるケースが多いのは残念です。)
  • これは旧約聖書(カインの弟殺し)を想起させる含蓄のある一言ですが、ルサルカは拒否します。終幕のぎりぎりになって王子が会いに来てくれますが、彼女にできることは王子に死の口づけを与えることだけです。ルサルカが王子にキスすると、オケはあたかもハッピーエンドのような美しい音楽を奏でます。(この音楽は「新世界交響曲」のラストを思わせます)
  • ところが再び「水のお父さん」が登場し「どんな犠牲も無駄なのだ」と暗い歌を歌うと、オペラの序曲の旋律(この主要ライトモティーフは曲の中で何度も登場します)が戻って来て、ルサルカはこう歌います。「あなたの愛・・・あなたの美しさ・・・移ろいやすい人間の情熱・・・でも、私はそうした全てに命を賭けたの!神様・・・人間の魂をお憐れみください!」この歌詞が表現する内容は「愛による救済」とは思えません。「移ろいやすい情熱」を持つ「人間の魂」を否定も肯定もせずに、このオペラは不思議な余韻を残したまま終わります。(なお「命を賭けたの!」は私の意訳で、直訳だと「それによって私の運命が呪われた全てのものにかけて」です。今回の訳は、日本語として分かりやすくするために、こうした意訳を多用しています。)

人間の魂

  • もともとルサルカが人間になりたいと思う理由の一つは、人間の魂への憧れです。「妖精は死んだらそれっきりだが、人間の魂は死後も生き続ける」という設定は、実は『人魚姫』にも『ウンディーネ』にも共通しています。しかし、『ルサルカ』ではもう一つひねって、「魂」こそ人間固有の得体の知れないものであることを強調し、その点に悲劇性を発見しています。ここに、この作品のオリジナリティーがあるように思います。

水のお父さん

  • オリジナリティーということでもう一点触れておきたいのは、ルサルカの父親の存在です。通常これは「水の精」と訳されていますが、「妖精」では何となく女性を連想して誤解しやすいので、私はあえて「水のお父さん」と訳してみました。一方、『人魚姫』では父親の存在が希薄(その代わり「おばあさん」がいます)ですし、『ウンディーネ』でも同じです。(こちらも代わりに「伯父」がいます。)
  • このお父さんは森の妖精達と遊んでいたかと思うと、第2幕以降ではルサルカを心配して見守り続けるなど、この作品独特のユニークなキャラです。前述のように全曲の幕切れで「ルサルカの手に抱かれて死んでも無駄なのだ」と言い放つのは、「自然界代表」として人間の生き方を否定する役割を与えられているからだと思います。

ドヴォジャークの音楽

  • ドヴォジャークの音楽は、いかにも彼らしく抒情性と民俗性を見事に結び付けたものだと思います。ダンスの音楽や合唱などが美しい上に、「月に寄せる歌」や第2幕の「水のお父さん」の嘆きの歌など美しいアリアがいくつもあります。また、こうしたナンバーアリアに加えて、楽劇風のライトモティーフも使用されているので、繰り返し聴くと新たな発見があります。あえて難点をあげるとすれば、レチタティーヴォ部分で若干緊張感が途切れがちな点かも知れませんが、オペラ全体がコンパクトにまとまっているので、それほど気にはなりません。
  • また、主人公のルサルカはもちろん、水のお父さん、外国の王女、魔女などそれぞれの歌手にバランス良く見せ場があります。特筆すべきは王子で、いかにもテノール向きの美しい歌がいくつかあるので、これをどう聴かせるかも公演の質を左右すると思います。

演出について

  • 最後に、全くの私見として一言すると、この作品の登場人物は生身の存在感を強調するよりは、ファンタジー風に「象徴レベル」を描いたほうが映えるような気がします。例えば、王子は単なる浮気者ではなく、人間の心の移ろいやすさの象徴として描かないと、何故こんな人物にヒロインが熱くなるの?という感じで、物語が皮相なものになってしまう恐れがあるように思えます。
  • このオペラは海外ではけっこう頻繁に上演されているのですが、日本では滅多に上演されないので、今年(2011年)11月の新国立劇場の公演を楽しみにしたいと思います。
  • なお、今回のYoutubeリンクは、ルチア・ポップさんの「月に寄せる歌」です。これは彼女の持ち歌なので他にも録音があるのですが、ライブの良さが出ていて、私にはこれが絶唱のように思えます。(動画は音楽と後で同期させているようなので若干口パク気味ですが・・・)声はもちろんのことですが、チェコ語の発音が実に綺麗だと思います。私のブログでは、この動画とあわせて「月に寄せる歌」の逐語解説もしていますので、原語に興味のある方はこちらもご参照ください。


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@wagnerianchan


最終更新:2017年11月03日 09:19