"カルメン"

対訳【朝比奈隆 訳】

花の歌(動画対訳)





編集者より

  • 朝比奈隆は1949年に関西オペラグループ(現関西歌劇団)を結成し、その年の第1回公演「椿姫」の次に翌1950年に上演したのが第2回公演「カルメン」です。その後1953年の第6回公演でも上演しています。
  • まず参考にしたのは、大フィルに保管されている、ボーカルスコアです。SCHIRMER OPERA SCORE EDITIONS“Carmen”(出版年不明)に全訳が書き込まれています。そこでWEBでダウンロードしたイタリア語のテキストと朝比奈訳をできるだけ楽譜に合わせて並べました。
  • 次に参考にしたのは、1953年1月28日~29日に関西オペラ協会 第6回公演として宝塚大劇場で上演された時のパンフレットです。このパンフレットには、「朝比奈隆 訳詞」と明記されて、このオペラの全訳が掲載されています。 朝比奈隆はト書きも訳しており、これでオペラのストーリーが理解できます。
  • 朝比奈隆は上演の度ごとに訳詞に手を入れていたとオペラ歌手の方々からは聞いています。実際、このSCHIRMER版に書かれている訳詞は、八割方はパンフレットに掲載されたものと同じですが、2割くらいは書き直されていたり、訳詞が2種類あったりします。
  • そこで、パンフレットに掲載されたものが楽譜の訳詞と違う箇所は(別訳:)という形で併記しました。またト書きで、朝比奈訳には載っていないが、あるほうがいいと思われるものは、追記しました。歌や場面の番号は、楽譜によって多少異なっていますが、このパンフレットの朝比奈隆 訳の番号に合わせてあります。
  • 朝比奈隆は基本的にはフランス語のテキストに忠実に訳しています。ただ、音楽に合わせるためや、観客に分かりやすくするために変えているところも多少あります。
  • 例えば第4幕の冒頭の合唱 "A deux cuartos, a deux cuartos" (二クアルト、二クアルト)は「安いよ、安いよ」「百円だ、百円だ」と語調よく訳し、また闘牛場の場面で売られているプログラムは番付と訳されています。(今でも文楽劇場ではプログラムのことを番付と言っています。)
  • ジプシーという言葉は今は使いませんが、以前は使われていましたので、そのままにしてあります。
  • ところで1953年に宝塚大劇場で上演された時のパンフレットには、オペラの対訳だけでなく「指揮台より」と題された前書きに、自ら台本を訳す経緯についても触れられています。少し長いですが、この前書きを紹介しておきます。

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@ Aiko Oshio

指揮台より

  • 私たちのさゝやかな、しかし真剣なオペラ運動も今年で五年目の春を迎える。言葉通りの茨の道ではあったが、又一方に温かい援助の手や深く結ばれた同志の力強い協力もあった。年若く意欲的で能動的な歌手たちは日を追って私たちの陣営に投じ、困難で酬いられることの少いこの仕事に情熱を傾けてきた。
  • 又この仕事を始めるに当って私にとって何よりも重大で、そして根本的な要件は、演劇と美術と音楽との望ましい均衡の協同の体制を先ず確保することであった。それは演出に中西、美術に田中の両同志を得ることによって最初から成就された。
  • こうして私たちの遍歴にも似た歩みは踏み出されたのである。その行路の第一歩は、私たちの条件の一つ、すべてその国の民族の言語で理解され得るように歌われることを要求するのは民衆の権利であると共にその国でオペラが健全に発展するための要件であることに基いて、邦語台本を作る仕事であった。
  • 私の貧しい語学力と修辞とで却ってこの至難な課題を担当したのも、現在の時機では音楽者の側で受持つ方が無難であると信じたからであったが、幸にして各方面の批判と援助とによって既に椿姫、ボエーム以下四編の台本を試作したが、今までのところでは、この「カルメン」台本が幾分なりと私たちの念願する語法演劇的進行、歌唱との適合等の諸目標に近附き得たようである。
  • 「歌劇において美術も音楽もすべては演劇に奉仕しなければならぬ」という言葉は大作曲家のワグナーにして始めていい得ることではあろうが、オペラにおける演劇的真実の追求を目的とする私たちの意図を或る意味で端的に表現したものである。
  • しかしながらわが国の現状と特殊性はこの目的の実現を幾らかの点で非常に困難にしていることは認めなければならない。演技力の弱さ、訓練の不足、上演資本の貧困、因じてくるところは多かろう。しかし私たちの情熱のみはいさゝかも弱められることはなかったし、又これからもそうであろう。この度始めての大劇場舞台での上演も私たちに又新しい問題を投げるであろう。私たちは敢然とそれを受け、進んでゆく。

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© Asahina Takashi

管理人より

  • 指揮者の朝比奈隆(1908年7月9日 - 2001年12月29日)が翻訳した「歌える日本語訳」を使用しています。日本語訳は左のイタリア語の意味とは必ずしも一致しません。
  • 朝比奈のテキストは遺族の許可をいただいて掲載しています。複製・転載・転用は固くお断りいたします。

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最終更新:2022年08月05日 20:04