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訳文について
今回、管理人さんのおススメで、バッハ『マタイ受難曲』の動画対訳の訳文を作成しました。素人の分際で、全く恐れ多いことですが、動画対訳 はとても意味のあるプロジェクトだと思うので、浅学を顧みず訳しました。
訳文については何度か見直したのですが、それでも誤訳があるかも知れません。他の訳も参考にしたのですが、いつものように「読みやすさ」を重視しているせいか、かなりオリジナル色が強いものとなっているようです。しかし、少しでも良いところがあれば、それを評価していただければ幸いです。
今回の対訳にあたり、作品そのものの徹底的な解説書である礒山雅氏の『マタイ受難曲』(東京書籍) と、新日本聖書刊行会の『新約聖書』(いのちのことば社発行「新改訳文庫聖書」2003年10月3版) を参考にしました。しかし、もちろん訳文は私のオリジナルで、特にイエスの峻厳な口調などが独自な訳になっていると思います。
リブレットのドイツ語表現は一部「古形」な点が見られます。例えば、funden(findenの過去形fandenの古形)などです。カール・リヒターのディスク は、現代ドイツ語で歌っていますが、これは間違いではありません。
感動ポイントの変遷と作品のテーマ
ところで、私の「マタイ」体験を言うと、実はそんなに昔からのファンではなく、青年時代は「う~ん。長すぎてよく分からんぞ」と思っていました。この感想は、ワーグナーファンじゃない人がワーグナー作品に抱く感想と似ていますね。
しかし、最近、この作品の「世界観」の全てが、いちいち胸に沁みてきました。特に、この二三年ほど、ほぼすべての楽曲が、あり得ないぐらい素晴らしいと思えてきました。
この作品は、「人間の諸相」が描かれているという意味で、ある意味ですごく「演劇的」だと思います。しかし、その最大のテーマは、あえて言えば「罪を自らのものとして認め、自らのうちにイエスを迎え入れる」ということだと思います。その意味では世俗的オペラとは、やはり一線を画するものだと思います。
初級編~おすすめアリア集
特にこれから『マタイ』を聴いてみようという方のためのガイドです。動画対訳だと「頭出し」が容易なので、まずは「レチタティーヴォ付きアリア」を聴いてみるのが良いのではないかと思います。すべて「第2部」からの楽曲です。第59~60曲(アルトⅠ・レチタティーヴォと合唱付アリア)→ 1:14:57~ レチタティーヴォを伴奏する7度音程の反復も印象的ですが、アリアの伸びやかさと、合唱の「どこへ?」のコントラストが印象的です。
第38~39曲(ペトロの否認~アルトⅠ・アリア)→ 16:04~26:25 この曲は「マタイといえば、これだ」という名曲ではないでしょうか。アリアだけ単独で取り上げても素晴らしいのですが、やはりその前から聴くと理解が深まります。
第51~52曲(アルトⅡ・レチタティーヴォとアリア)→ 49:20~58:22 ほんとうに美しい曲です。レチタティーヴォの開始とともに始まる短い付点音符の「鞭打ち音型」が、受難のイエスをまざまざと想起させますが、アリアでは、この「鞭打ち音型」が長い付点音符に引き伸ばされます。
第64~65曲(バスⅠ・レチタティーヴォとアリア)→ 1:29:35~1:38:58 先ほどの「作品のテーマ」が、よく分かる一曲です。礒山氏『マタイ』の「私は自らを墓となしてイエスを葬るのだ」との理解は、ほんとうにこの作品の本質に触れていると思いますので、私も同じコンセプトで訳しています。
第41~42曲(ユダの自殺~バスⅡ・アリア)→ 28:49~32:47 この曲は、全体の中で「浮いている」とよく言われていて、実は私も、そんな気がしていたが、やはり礒山氏『マタイ』の記述に蒙を開かされ、その後とても好きになりました。「放蕩息子」の譬えは、福音書におけるイエスの説教の中でも、とりわけ印象的だと思います。ユダが大きな身振りで銀貨を投げつけ、それが神殿に当たって跳ね返るイメージを一度持ってしまうと、ヴァイオリンの音が「チリンチリンチリン」と聞こえ、ひどく心に残ります。
上級編~「心臓部」を通しで聴いてみる
第44曲の「受難コラール(3回目)」 (35:38) から第55曲の「受難コラール(4回目)」(1:02:38) までのちょうど27分間を通して聴いてみると、「福音史家のレチタティーヴォ」から「群衆の合唱」が始まり、「コラール」が割って入り、アリアがそれを受け継ぐという『マタイ』の構造がよく分かると同時に、この長大な曲の核心に触れることができると思います。この間には、きわめて美しい第48~49曲のソプラノのレチタティーヴォ・アリア (41:20~47:8) もあります。
ワーグナー作品との共通性
これは蛇足なので、関心の無い方は読み飛ばしていただいて結構なのですが、やはりワーグナーに触れないわけにはいきません。今回『マタイ』を訳してみて、とても印象的だったのは、ワーグナー作品の語句は、ここから来ているのではないか?と何度も思ったことです。「Erbarmen」 は、『パルジファル』の主人公やアンフォルタスの叫びを思わせますし、アリアの「Buss und Reu」は『タンホイザー』でも同じ言葉が出て来ます。
しかし、テーマとしては何と言っても『神々の黄昏』のジークフリートの死です。「罪なき者が殺される」とのテーマは、まさに『マタイ』の世界そのものです。また、作品の終結近くのブリュンヒルデの印象的な「Ruhe・・・Ruhe・・・」も、『マタイ』の最終合唱の「Ruhe」を、意識的か無意識的か引用しているようにも思えます。もちろん、異教の神であるヴォータンへの呼びかけなので、「換骨脱胎」と言うべきかも知れませんが。
いずれにせよ、『マタイ』の影響はワーグナー作品の随所に強く見られると思います。『黄昏』もそうですが、『パルジファル』に至っては、それは基本となる音調にまで及び、もはや「血肉と化している」ようにも思えます。
「言葉のオペラ」としての動画対訳
動画対訳は、いわば「言葉」を主人公とするオペラです。DVDは、字幕が「切り替え方式」なので、「日本語」を選択すると日本語しか見られないという難点を補うものだと思います。また、もう一つのメリットは、反復される語句を何度も字幕にしていることです。これは、様々な場面で、とても印象的な効果を発揮していると思います。ぜひ「動画対訳」という試みをお楽しみいただきたいと思います。
最終更新:2024年03月29日 19:59