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"ワルキューレ"


名セリフで読み解く「指輪」~ヴァルキューレ


  • 『ヴァルキューレ』では、『ラインの黄金』で愛を諦め切れなかったヴォータンの心を映し出すかのように、男女(ジークムントとジークリンデ)、父と息子(ヴォータンとジークムント)、父と娘(ヴォータンとブリュンヒルデ)と、次々と愛の諸相が描かれますが、やがてブリュンヒルデが友情という形の愛をジークムントとジークリンデに感じた時、それは物語の流れを決定的に転換する出来事となります。
  • この作品のタイトル『ディー・ヴァルキューレ』が示しているのは、9人のヴァルキューレ姉妹のことではなく、ヴァルキューレ達の長女であるブリュンヒルデのことです。したがって、本当は『ヴァルキューレの女』(?)とでも訳すのが適当なのでしょうが、イマイチ日本語にハマらないので、おそらく永遠に『ヴァルキューレ』のままなのかな、と考えてしまいます。
  • 本稿では、この作品の「タイトルロール」であるブリュンヒルデの心情に比重を置いてコメントしようと思います。

第1幕第1場 ジークリンデ

Nicht bringst du Unheil dahin, wo Unheil im Hause wohnt!
不幸を持ちこむことなどできません。もともと不幸が居ついているこの家に!

  • ジークムントを引き止めるこのセリフに見られるように、第1幕ではジークリンデが終始イニシアティブを取り、自らが置かれた「不幸」な境遇から脱出しようとします。

第1幕第2場 ジークムント

Was Rechtes je ich riet, andern dünkte es arg, was schlimm immer mir schien, andre gaben ihm Gunst.
私が正しいと考えたことが、人には悪いことに思え、よくないと思えたことが、人には好ましいことだったのです。

  • 世間からつまはじきにされる境遇を語るジークムント。その彼を理解できるのは、双子の妹であるジークリンデだけですが、その共感が、この後の二人の行為をある意味で正当化します。

第1幕第3場 ジークムント

Zu seiner Schwester schwang er sich her; die Liebe lockte den Lenz: in unsrem Busen barg sie sich tief; nun lacht sie selig dem Licht.
春は、その妹である愛のもとに舞い込みましたが、愛こそが、春を誘ったのです…ぼくたちの心の奥深くにあったものが、いまはじめて光を浴びて微笑んでいるのです。

  • ここでジークムントは春(Der Lenz)と愛(Die Liebe)を比喩的に兄と妹の間柄にたとえ、自分たちの姿と重ね合わせます。そのため、最初の文章では、「その妹である愛」と言葉を補って分かりやすくしてみました。これは、ジークムントが無意識のうちに、自分がジークリンデの兄であることを感じ取っていることを示すセリフでもあります。

第2幕第1場 ヴォータン

Stets Gewohntes nur magst du verstehn: doch was noch nie sich traf, danach trachtet mein Sinn.
お前は、世にありふれたことしか理解できないが、今まで世に起こったためしのないことを、私の心は求めてやまないのだ。

  • ヴォータンが、妻のフリッカから「近親相姦(ジークムントとジークリンデの兄妹結婚)を容認するのか?」と追及されて答えるセリフです。ヴォータン一流の逃げ口上のようにも聞こえますが、神々の長たるヴォータン本来の前向きで冒険的な性格を表しているようにも思えます。

第2幕第3場 ジークムント

Kein andrer als ich soll die Reine lebend berühren: verfiel ich dem Tod, die Betäubte töt' ich zuvor!
生きている限りは、私以外の誰一人、この清らかな女性には触れさせません。私が死ぬ定めだというのなら、私は、この気絶しているひとを先に殺します!

  • ブリュンヒルデがジークムントに死の告知をした時、ジークリンデが自分無しでは生きられないことを悟ったジークムントは、生き別れになるよりは彼女と心中しようと意を決します。二人の愛情の絆に心を打たれたブリュンヒルデが、父ヴォータンの命令に背く決意をした瞬間、それまではいわば「心を持たない戦闘美少女」であったブリュンヒルデの中に、人間の持つ「愛」に対する憧れのような感情が生まれます。
  • この「戦闘美少女が愛に憧れる」というプロットをワーグナーがどこから思いついたのかを考えてみたところ、直接の元ネタではないかも知れませんが、ハインリヒ・フォン・クライストの戯曲『ペンテジレーア』のプロットが似ていることに気づきました。この戯曲では、女性だけから構成される戦闘集団アマゾネスの一員として育てられたペンテジレーアが、ギリシャの勇将アキレスに恋をしますが、束の間の愛の幸福の後、彼女は彼に裏切られたと勘違いし、残虐な復讐をするというストーリーが展開されます。
  • 裏切られた愛に対する復讐という点も、『指輪』におけるブリュンヒルデのストーリーと良く似ているように思うのですが、現代的観点から見ると、より萌えキャラ度(?)が高いのは、ファザコン気味かつツンデレ気味なブリュンヒルデかと思います。

第3幕第2場 ブリュンヒルデ

Lache, ob Not, ob Leiden dich nagt! Denn eines wiss' und wahr' es immer:
笑うのよ!どんな逆境や苦しみにあっても、笑うの!でも、今から私が言うことだけは思い出して、それを心の支えにして!

  • ジークリンデを励ますこのブリュンヒルデのセリフは、ジークフリートを産み落とした後に間もなくジークリンデが死んでしまうことを考えると、きわめて切ないものがあります。
  • 必死にジークリンデをかばおうとするブリュンヒルデの心を支えているのは、ジークリンデとジークムントに対する友情であると同時に、若者らしい純粋な正義感でもあります。
  • この場面のブリュンヒルデは、レオノーレ(ベートーヴェン『フィデリオ』のヒロイン)のような啓蒙主義的人物像を彷彿とさせます。18世紀の啓蒙思想が夢見た「個人的な愛と社会的正義の一致」が一瞬ここでビジョン(幻視)として現れると言ってもいいでしょう。
  • しかし、ブリュンヒルデの抱いた青春の理想は、この後『ジークフリート』の幕切れでいったん結実した後、『神々の黄昏』におけるハーゲンの策略によってズタズタに引き裂かれ、彼女は復讐の鬼と化してしまうという展開は、実にドイツロマン主義的だと思います。

第3幕第2場 ジークリンデ

O hehrstes Wunder! Herrlichste Maid! Dir Treuen dank' ich heiligen Trost!
ああ…なんて神聖な奇蹟!なんて素敵な女性!あなたの誠実さに、私はほんとうに慰められ、救われました!

  • 『指輪』のその後の展開が示すように、愛と正義が両立しないのであれば、ブリュンヒルデが人間になろうとした苦闘は、すべて無益だったのでしょうか?
  • しかし、このセリフの中で、ジークリンデがブリュンヒルデを称えて歌う「ああ…なんて神聖な奇蹟!」につけられたモチーフは、『神々の黄昏』フィナーレで『指輪』全曲を締めくくるモチーフ(愛の救済のモチーフ)でもあります。
  • おそらく、そのアイディアが意味するところは、この時ジークリンデがブリュンヒルデの友情に感じ取った「奇蹟」だけが、『ラインの黄金』末尾で歌われた「卑劣と欺瞞に満ちた世界」の中で、一条の希望となるということです。したがって、この箇所こそは『指輪』四部作の最大のクライマックスではないかと思います。

第3幕第3場 ブリュンヒルデ

Freiester Liebe furchtbares Leid, traurigsten Mutes mächtigster Trotz! Meinem Ohr erscholl, mein Aug' erschaute, was tief im Busen das Herz zu heilgem Beben mir traf. Scheu und staunend stand ich in Scham.
ああ…最も自由な恋愛が直面した恐ろしい苦悩…最も悲痛な心情が企てた力強き反抗!そのとき、耳に残り、目に焼き付いたもの…それは深く心に突き刺さり、存在の底の底から、私を揺さぶったのです。恥ずかしさのあまり呆然として、私は立ち尽くしました。

  • 「自由」と「恋愛」は、いずれもドイツロマン主義にとって重要なタームであるため、このセリフは、登場人物の口を借りて語られた作者自身による時代批評とも言えるでしょう。また、そうした観点から見ると、舞台上の出来事を次のように歴史的に解釈することも可能かと思います。
  • ブリュンヒルデは、ヴォータンとエルダという由緒正しい二人の神々の愛娘として、プライドも高き「王女」なのですが、ジークムント達「自由主義者」が信奉する自由な価値観に触れて、自らの存在を恥ずかしく感じてしまいます。こうして彼女は、庶民に身を落としても、自らの決断で自由を選び取るのですが、その決断は彼女に愛の歓びを与える一方、悲劇をもたらす原因ともなってしまいます。

第3幕第3場 ヴォータン

Wo grässliche Not den Grimm mir schuf, einer Welt zuliebe der Liebe Quell im gequälten Herzen zu hemmen?
つらい苦しみが打ち続くあまり、憎悪ばかりが膨れ上がって、苦しみ病める心で 世界が「愛」へと向かうことを妨げている私は…。

  • 『ラインの黄金』のヴォータンは、良くも悪しくも権力者然としていて、その態度は憎たらしいほどなのですが、『ヴァルキューレ』においては苦悩するシーンが目立ちます。
  • 彼は、本当は愛という原理で世界を作り直したいのに、自らが蒔いた様々なしがらみのために、それができないでいます。あるいはその姿は、過去を引きずりながら現在を生きている人々の心に共感を呼び起こすかも知れません。
  • セリフ中の Der Liebe Quell(「愛の源泉」)という語句は重要で、『パルジファル』において、アンフォルタスやパルジファルが求めるのも、この「愛の源泉」です。しかし、この箇所では、そのまま訳すとかえって分かりにくくなる気がしたので、私はあえてQuellを訳さず、カッコ付きにして「愛」という単語を強調してみました。

第3幕第3場 ブリュンヒルデ

Wie mein eigner Rat nur das eine mir riet: zu lieben, was du geliebt. –
でも、私が学んだことが、たった一つだけあります。それは「愛すること」です…あなたが愛したものを…。

  • ここでブリュンヒルデは、ジークムントに寄せるヴォータンの愛を、自らが受け継ぐと宣言しています。これが、『ジークフリート』第3幕第3場で、目覚めたブリュンヒルデが真っ先にジークフリートに語る「私は昔からずっとあなたを愛していた」ということの意味です。

第3幕第3場 ヴォータン

Wer meines Speeres Spitze fürchtet, durchschreite das Feuer nie!
我が槍の穂先を怖れる者よ!絶対に…この火を越えてはならないぞ!

  • 『指輪』四部作において、各作品の末尾のセリフは、常に「キメゼリフ」です。若者に女性を手に入れることを禁止する父親のイメージは、驚くほどフロイトのエディプスコンプレックスの理論を先取りしているように思えます。
  • 歌のメロディーがジークフリートのライトモチーフであるのも面白いですが、「シュペーレス・シュピッツェ」と、語頭のSpを繰り返すのは効果的で、これによりセリフ全体が記憶に残りやすくなっているように思います。
  • 最後のnie!の歌い納めは、いかにも強い禁止という感じがしますので、ここでは、その感じを「絶対に」という日本語で表してみました。(今思うと、「この火を越えてはならないぞ…絶対に!」と倒置文でも良かったかも知れないです。)


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@ wagnerianchan



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