対訳
登場人物
- ハイタン(ソプラノ):貧しい庭師の娘
- ミセス・チャン(アルト):ハイタンの母
- マー(バス):金持ちの高級役人
- チャオ(バリトン):裁判所の書記官
- ひとりの娘(ソプラノ):茶屋の娘
- パオ(テノール):皇子
- トン(テノール):茶屋の持ち主
- チャン・リン(バリトン):ハイタンの兄
- マー夫人 ユー・ペイ(ソプラノ):マーの第一夫人
- 産婆 リエン夫人(アルト)
- ひとりの兵士(バリトン)
- 二人の苦力(クーリー)(テノール)
- チュウチュウ(台詞役):首席判事
あらすじ
第1幕
- トンの経営する茶屋に、ある日、母親が娘を売りに来る。貧しい庭師の父が、高級役人マーの厳しい税金の取り立てのせいで、マーの家の前で首を吊り、兄は生活力がなく、母親のチャンは娘のハイタンを売るしかなかった。
- ハイタンはその茶屋で、彼女に恋する皇子パオと知り合う。その時、ハイタンの父を死に追いやった高級役人マーが現われ、ハイタンをトンから買い取って、妾にしようとする。パオはそれを妨げようとするが、マーの金の力に諦めなければならない。
第2幕
- ハイタンはマーに息子を産み、そのことで子供のいない第一夫人ユー・ペイの怒りを招く。ユー・ペイは裁判所の書記官のチャオと通じていて、彼は彼女に、もしマーが亡くなると、今や彼女にではなくハイタンと子供に相続権があると伝える。一方、マーはハイタンの優しさに心動かされて、ハイタンのために第一夫人を離縁しようと、書記官のチャオに相談する。チャオはそのことを第一夫人ユー・ペイに伝える。
- ハイタンの兄は白蓮教団に入り、マーを殺す役目を担っていた。が、ハイタンはそれを引き延ばす。第一夫人は夫を毒殺し、ハイタンに罪を押しつける。同時に第一夫人は、子供は自分のものだと言い立て、ハイタンは子供誘拐と殺害の罪で、拘束される。
第3幕
- 第一夫人は裁判官チュウチュウと、証人としての産婆と二人の苦力(クーリー)を買収し、証人たちは、子供は第一夫人の子だと証言する。また第一夫人ユー・ペイは、この子の母親でない者がマー氏を殺害したと宣誓し、ハイタンは死刑の判決を受ける。
- そこに北京から急使が来て、老皇帝の死を告げ、新しい若き皇帝は全ての死刑を見合わせ、裁判に関わった者全員、北京に来るように命じたと伝える。その時ハイタンの兄チャン・リンは、新しい皇帝が前の皇帝よりいいということはないと発言して、皇帝侮辱罪で拘束される。
- 幕間劇
- 吹雪の中で、北京に護送されるハイタンと兄のチャン・リンは出会う。
- ハイタンと兄は皇帝の前に連れ出される。皇帝は兄チャン・リンを許す。
- 二人の母親の主張に対して、皇帝は白墨の輪の真ん中に子供を置き、二人が両方から子供の手を引っ張って決めさせようとする。が、ハイタンから、本当の母は子供をどのように扱うかを聞いて、皇帝は真実を知る。
- ハイタンはパオとの最初の出会いを思い出し、マーの家での最初の日に見た夢について語る。彼女はひとりぼっちで、絶望していた。そこに一人の若い男がやって来て、夢の中で彼女を抱いたと言う。皇帝パオは、それは夢でなく実際にあったことで、自分がその男であり、子供は自分の子だと告白する。そして彼はハイタンを妻にすると宣言する。
訳者より
- 『白墨の輪』というと、ベルトルト・ブレヒトの『コーカサスの白墨の輪』(1944)が有名ですが、『白墨の輪』はブレヒトより前の作品です。『白墨の輪』を書いたのは、クラブント(本名アルフレート・ヘンシュケ1890~1928)という詩人で、リヒャルト・デーメル、ヘルマン・ヘッセ、ゴットフリート・ベンら当時の作家・詩人たちと親交があり、ある知人から『白墨の輪』という中国の劇の翻案を書かないかと提案されて引き受けました。
- そのもとになっているのは元の李行甫(李行道)の雑劇『灰闌記』(かいらんき)で、19世紀にフランス語に翻訳されて西洋に広まっていました。クラブントの『白墨の輪』はそれを翻案したもので、1924年に初演され、その後1925年にマックス・ラインハルトの演出によりベルリンで上演されて大評判となりました。
- ツェムリンスキーは1927年からベルリンのクロルオペラで指揮していて、その時に見たのではないかと言われています。が、クラブントは以前から患っていた肺結核が悪化して1928年に亡くなり、ツェムリンスキーから直接、オペラ化の申し出を受けることはなかったようです。
- 『白墨の輪』は、ツェムリンスキーにとっては7つ目であり最後の完成したオペラで、もともとは5幕の劇を3幕のオペラにして、1933年にベルリン、フランクフルト、ケルン、ニュルンベルクで同時に行われることになっていました。が、横槍が入って上演が中止となり、1933年にチューリヒで初演されました。その翌年、ベルリンで上演されて大成功をおさめますが、ツェムリンスキーがユダヤ系であったために上演禁止となりました。ツェムリンスキー自身はウィーンに行き、1938年にアメリカに亡命して1942年にアメリカで亡くなっています。
- その後『白墨の輪』が上演されたのは1976年で、ナチの時代に頽廃芸術として上演が禁止されたユダヤ系の作曲家たちの作品が、見直され始めた時です。
- 『白墨の輪』は、中国風の旋律やジャズの影響を受けて現代風な感じがします。その一方で、裁判長チュウチュウが台詞役だったり、その他の役も台詞が多く、『魔笛』(モーツァルト)や『フィデリオ』(ベートーヴェン)のようなジンクシュピール(歌芝居)に似た感じもします。
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白墨の輪とは
- 白墨の輪の86%は歌で出来ています。
- 白墨の輪の13%は白い何かで出来ています。
- 白墨の輪の1%は覚悟で出来ています。
最終更新:2024年04月05日 18:51