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"ラインの黄金"

名セリフで読み解く「指輪」~ラインの黄金


  • 《ニーベルングの指輪》の訳了を機に、私の独断と偏見で選んだ「名セリフ」に、
    「訳者コメント」代わりにコメントを加える企画です。
    まずは、序夜《ラインの黄金》です。

第4場 ラインの娘たち

Traulich und treu ist's nur in der Tiefe: falsch und feig ist, was dort oben sich freut!
信頼と真心があるのは、ただこの水底ばかりで、上のほうでは、虚偽と卑劣が我が世の栄華を誇っている!

  • 「ラインの黄金」全体を締めくくるこのセリフのメロディーを、ワーグナーは1883年2月13日の死の前夜、自らピアノで弾いて、「あのころもう私がこういうことをはっきり知っていたとは・・・」と妻コージマに語ったといいます。そこには、物質的繁栄のみを追い求めていたように見える当時のドイツ帝国や社会風潮への批判があると同時に、「低い深みのなかにある、従属されたもの、このあこがれを持つもの」としてのラインの娘たちへの共感があり、彼がまさにドイツロマン派の申し子であったことが感じられます。
  • なお、前段のesは、das Gold(黄金)と解するのが穏当なので、「水底でのみ、黄金は信用できるし、忠実である」と訳すのが直訳ですが、後段と対比するため、あえてこのように意訳しています。
  • いずれにせよ、これは「指輪」の中でも、屈指の名セリフと言って過言ではないでしょう。

第2場 ローゲ

In der Welten Ring nichts ist so reich, als Ersatz zu muten dem Mann für Weibes Wonne und Wert!
この世界の円環のうちには、女のもたらす喜びと価値ほどに豊かなものは、男にとっては存在しないということです!

  • ローゲは、褒めているのか貶めているのか分からない独特の話芸(?)を持つキャラであり、この発言も、いささか明け透けな物言いです。しかし、その言葉は鋭く真実をえぐっており、この言葉を前に神々は当惑します。ローゲは、これに続く物語(世界めぐりの歌)で、男女間の愛こそが万物の生みの親であり、愛を否定する者なぞ誰もいない、と歌います。
  • しかし、その唯一の例外であるアルベリヒは、愛の断念を代償として、ラインの黄金を指輪に作り替え、その力で世界を支配しようとします。ここに、愛と権力の対立という『指輪』全体を貫くテーマが明瞭に姿を現します。

第1場 ヴェルグンデ

Denn was nur lebt, will lieben,meiden will keiner die Minne.
だって、生きる者は、愛そうとする。誰も愛することをやめようとは思わない。

  • ラインの三姉妹の一人ヴェルグンデは、先のローゲのセリフと同様の趣旨を前もって歌っています。だからこそ彼女たちは無警戒なのですが、なんとアルベリヒは、相手にされなかった恨みのあまり、すべての愛を断念し、黄金強奪という予想外の行動に出ます。

第1場 アルベリヒ

Erzwäng' ich nicht Liebe,doch listig erzwäng' ich mir Lust?
愛を意のままにできなくとも、頭さえうまく使えば、快楽ぐらいは手に入るのではないか?

  • このセリフこそ、アルベリヒのキャラを最も良く表すセリフでしょう。原語Lustは、例えば『トリスタンとイゾルデ』では「歓び」として良い意味で使われていますが、ここでは明らかに「快楽」「欲望」という悪い意味で使われています。
  • アルベリヒは、第3場でも、「俺の求婚をすげなく断った綺麗な女たちも、小びとのこの俺が、快楽の道具にしてやるのだ」と歌い、ヴォータンを怒らせます。アルベリヒは、悪の確信犯であり、その意味で彼と比肩しうるのは、ワーグナー作品ではオルトルート(『ローエングリン』)とクリングゾル(『パルジファル』)ぐらいでしょう。

第2場 ファゾルト

ein Weib zu gewinnen, das wonnig und mild bei uns Armen wohne;
やさしくたおやかに、貧しいわしらとでも、ともに暮らしてくれる女性を得るために

  • アルベリヒとは対照的に、ファゾルトは善良かつひたむきに愛を信じており、『ラインの黄金』で唯一の「いい人キャラ」です。しかし、その思いはフライアには全く伝わらず、そのナイーブさゆえに、最後には弟ファフナーに殺されてしまいます。
  • 『指輪』では、愛を信じるキャラは、このファゾルトを皮切りに、ジークムント、ジークフリートと次々と殺されていくので、ある意味救いようのない鬱展開です。
  • その代わりというか、このファゾルトに付いている音楽は、素直に美しいものが多いと思います。

第3場 アルベリヒ

Überall weilt er nun, euch zu bewachen; Ruh' und Rast ist euch zerronnen;
俺は今や至る所にいて、お前達を監視しているぞ。休む時間はもうなくなったぞ。

  • これはとても面白いセリフです。アルベリヒは隠れ頭巾で姿を隠すことによって、ニーベルング族にとっては、逆に「どこにでもいる」存在となります。
  • このセリフは、近代社会の権力が、王権や教会といった「見える権力」から「見えない権力」へと移行したことをワーグナー自身が感じながら書かれたセリフのようにも思えます。そこまでは読み込みすぎかも知れませんが、人々の「良心」に訴えかけることによって、キリスト教がまさにそのような機能を果たしていることを示唆したニーチェをも思い起こさせます。

第4場 アルベリヒ

Frevelte ich, so frevelt' ich frei an mir: doch an allem, was war, ist und wird, frevelst,
俺は悪事を行ったが、それは俺の勝手だ。だが、お前は・・・かつてあったもの、今あるもの、これからあるもの全てに、悪事を働くことになるのだぞ。

  • 一見、アルベリヒは勝手な自己弁護の屁理屈を言っているように見えるのですが、このセリフから分かるのは、アルベリヒはヴォータンには神として相応の敬意を払っているということです。
  • 「ヴォータンには、いわばノーブレスオブリージュのようなものがあるはずだろう。それなのに、その責任を放棄している」と言うことでしょうか。これは一面、真実を突いています。だからと言って、自分がそれをしていいわけではないでしょうが。

第4場 エルダ

Alles was ist, endet. Ein düst'rer Tag dämmert den Göttern:
今あるものは、全て終わる。神々の黄昏の暗黒の日が始まろうとしている

  • エルダの陰鬱な予言に、ヴォータンは心をかきむしられ、不安でたまらなくなります。直訳では、ここは「暗黒の日が明けていく」でしょうが、dämmertという単語が「神々の黄昏Götterdämmerung」を思わせるので、こんな訳にしてみました。(なお、dämmertは、「暮れゆく」と「明けゆく」のどちらにも使いますから、この場合は「明けゆく」です。)
  • ちなみに、ドイツ語のGötterdämmerung(神々の黄昏)とは、北欧神話の「ラグナロク」(神々の「運命」ぐらいの意味)がドイツ語に翻訳された時に誤訳され、なぜか「たそがれ」というムーディーな言葉になってしまった面白い例です。

第4場 ローゲ

Ihrem Ende eilen sie zu,
あいつらは、終末に向かってまっしぐら

  • ローゲの言う「あいつら」とは、ヴォータンを含む神々のことです。ここでとうとう半神ローゲは本心を語り始め、神々とは袂を分かとうとします。はしっこいローゲには、エルダがほのめかした希望なき「終末」das Endeがはっきりと見えたということでしょう。しかし、そのことに気づいているのは、ヴォータンを除けばローゲだけで、他の神々はまるで頓着していません。考えてみると、ヴォータンにとっては相談相手となり得るのはローゲだけで、そこにヴォータンとローゲが腐れ縁(?)となる理由があるように思えます。
  • ローゲとしてみれば、こんな先見性のない神々と行動を共にしていては、自らも巻き添えになると感じ、その「出奔」は、『ラインの黄金』と『ヴァルキューレ』の間に実行に移されます。


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@ wagnerianchan



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