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目次

第1幕

  • どことも知れない砂漠の真ん中でトラックがエンコして立往生します(Nr.1)。乗っていたのはお尋ね者三人組。まずは「帳簿係のでぶ」。ライプツィヒ初演やブレヒト最終稿では名前がウィリィに変えられています。スコアではFattyと言う英語名なのでファティのままでもよかったのかも知れませんが、あえて訳してみました。次に出て来るのは「三位一体のモーゼス」。初演などいくつかの公演で「ヴァージニアのモーゼス」に変えられているものがあります 。「三位一体」は本来、キリスト教の「父と子と精霊」を示す神聖な言葉ですが、ここではヤクザなどの二つ名のようなものらしいです。最後に登場するのが2人のボスである「レオカディア・ベクビク」。このオペラの主な登場人物は大抵、版の違いで名前が違っていたりしますが、ベクビクだけはどの版でも共通でこの名前です。レオカディア・ベクビクはブレヒトの旧作「男は男だ(Mann ist Mann)」の登場人物と同姓同名です。舞台が違うので、多分、同一人物ではないと思いますが…。
  • 先へ進めない3人は、その場に町を作って住人からお金をせびり取ろうと考えます。それが網の町「マハゴニィ」の誕生でした。町の中心となるホテルの名前は「zum reichen Manne(金持ち向け)」。三文オペラのポリーとマクヒィスの出会いの場の「Tintenfisch Hotel(いかホテル)」の時も思ったけど、ブレヒトのつけるホテル名って変わっていて、とても訳し辛いです…。翻訳リブレットでは考えた末、あえて英語にして「ホテル・リッチマン」にしました。ちゃんとホテルっぽい名前で、なおかつ原文にあるチープさも残せたのではないかと思います。オペラ作曲前の初稿やブリュックナー=リュッゲベルク版では「Hier-darfst-du-Schenke(ここでは何してもいい亭)」となっています。これも胡散臭いホテルの名前っぽく訳すなら「ホートー・ブライ亭(放蕩無頼亭)」とでも訳せばよいでしょうか…。ここで「歌芝居マハゴニィ」では最後に歌われた「Aber dieses ganze Mahagonny」が歌われます。
  • 次の場面(Nr.2)ではジェニィと6人の娘たちが現れて「歌芝居」でも使われた「Alabama Song」を歌います。テンポ指定が二分音符=69、Moderato assaiなので、おそらく「歌芝居」よりもゆったり目のテンポになるはずですが、ブリュックナー=リュッゲベルク版やザルツブルク音楽祭版では「歌芝居」と同様の速いテンポで演奏しています。スコアでは「歌芝居」の2番に当たる「next pretty boy」の歌詞はありませんが、ブリュックナー=リュッゲベルク版、クーニヒ版、ザルツブルク版ともに歌詞を補完しています。
  • でぶとモーゼスが都市の男たちをマハゴニィに勧誘する場面(Nr.3)に続き、ようやく物語の主人公たちが登場します(Nr.4)。ここで歌われる「Auf nach Mahagonny」は「歌芝居」では冒頭に歌われるナンバーで、オペラでは大きな改変は加えられていません。歌詞に出てくる「zivilis」は「Zivilisation(文明)」に「Syphilis(梅毒)」の響きをかけている言葉です。続く船着き場の場面(Nr.5)で、主人公たちがベクビクたちと挨拶する中で、名前が出て来る訳ですが、これが版によってまちまちとなっています。主人公はスコアや初稿ではジム(ジミィ)・マホニィですが、ライプツィヒ初演ではヨーハン・アッカーマンに変えられていました。前述のメドレー版の録音でもヨーハン・アッカーマンです。2007年と2010年のDVDではジミィ・マッキンタイアになっています。ブレヒトの最終稿ではパウル・アッカーマン。ベルリナーアンサンブル版はブレヒトに従っています。1つのオペラで主人公の名前が版によってここまでまちまちになる例は他にはないんじゃないでしょうか…。続いてジミィの友人たち。1人目はスコアではジャック・オブライエン。CDではヤーコプ・シュミット。2人目は直訳すると「預金通帳のビリィ(Sparbüchsenbilly)」ですが、「帳簿屋のでぶ(Fatty der Prokurist)」とかぶりそうなので、翻訳ではストレートに「けちんぼビリィ」にしました。初演とブレヒトの最終稿ではハインリヒです。最後に紹介されるのがアラスカの狼ジョー。ブレヒトの最終稿ではヨーゼフ・レットナー。
  • この場面ではジェニィによって「Havana-Lied」と呼ばれるソングが歌われます。初演時にはオペラ歌手向けのアリオーソ風のメロディがつけられていて、スコアではそちらが採用されています。1931年のベルリン初演時にジェニィをレーニャが演じることになった際に、オペラ歌手ではないレーニャにはアリオーソでは合わないと考えられ、歌詞は変えずに現在のソング風のメロディが作られたそうです。スコアでは巻末に付録の扱いで掲載されています。ジェニィは「Havana-Lied」では自分がハバナの生まれだと言っていますが、それに続くジミィに対する自己紹介では「オクラホマから来たジェニィ・ヒル」と名乗っています。これを誤記と考えてオクラホマをハバナに直したり、逆に「Havana-Lied」のハバナをオクラホマに直した版が存在しますが、ブレヒトの最終稿でもハバナとオクラホマが混在なので、今回の翻訳ではスコアのままとしました。また、この場面でジェニィの下の名前はヒルとなっていますが、後の場面ではスミスになっています…。
  • 断り書きは入れませんでしたが、この箇所で1つだけCDの歌詞カードから台詞を補完しました。CDには入っていて、岩渕訳のブレヒト全集では注釈までついている台詞だったので、スコアにはありませんがジェニィの「Kopf hoch, Jimmy.」と言う台詞を加えております。この後、トランクを持った人々がマハゴニィから逃げるように立ち去る場面や、それを見たジミィたちの会話に続くのですが、なぜかレーニャの出ているブリュックナー=リュッゲベルク版ではばっさりカットされています。
  • カップルとなったジミィとジェニィが語り合う場面(Nr.6)に続き、マハゴニィの危機におののくベクビクたち三人組の場(Nr.7)。続く場面(Nr.8)ではジミィがマハゴニィから出て行こうとします。ジミィは「Ich glaube, ich will meinen Hut aufess’n」と己の憤懣やるかたない気持ちを歌うのですが、3人の友人たちに引き戻されてしまうのでした。
  • 続く場面(Nr.9)では社会的に発展したマハゴニィの様子が描かれます。某有名ピアノ曲が過度に装飾された形で演奏されて、ジャックは夢見るように「Das ist ewige Kunst」とつぶやきます。ここでついにジミィの鬱憤が爆発し、ベクビクたちとの間に緊張が走るのでした。
  • そんな中で、マハゴニィに台風が近づいていることが告げられます(Nr.10)。いよいよ台風がやってこようと言う夜(Nr.11)、誰もが恐れ戦く中、ジミィだけは笑っています。近隣のペンサコラ(フロリダ北西の町、たびたびハリケーンの被害に見舞われているそうです)の壊滅の知らせを受け、ついにベクビクはジミィの言い分を認めます。ジミィはアナーキーな演説を行った上、皆で楽しい歌を歌うことを勧め、自ら「Denn wie man sich bettet」を歌います。「Denn wie man sich bettet, so liegt man」と言うのはドイツの古いことわざだそうで、だいたい直訳すれば「もし人が寝床に寝転んだら、そのままその人は横になっている」と言うことで、「やったことの責任は、その人がとらなければならない」「自業自得」の意味で使われていたそうです。ブレヒトはさらに「Es deckt einen keiner da zu」(そこに布団をかける人は全くそこにいない)と付け加えて、「何かやった時には責めを負うのは自分で、カバーしてくれる人はいない」と言うのを強調しています。そのまま訳すとなかなかいい感じに意味の通る文にならないので、今回の翻訳では慣用句的な表現を使って自業自得の意味を表現できる言葉を選んでみました。この詩の訳は先人たちも苦労されているみたいで、岩渕訳でも意訳されています。嵐の恐怖が迫る中、第1幕は終わります。

第2幕

  • 不気味な弦楽奏をバックにハリケーンの進行がアナウンスされます(Nr.12)。Azena(Atsena Otie Key、フロリダの地名、やはりハリケーンの被害をたびたび受けている)の壊滅が知らされ、マハゴニィの人々も恐怖に教われます。だが、ハリケーンはマハゴニィを回避して去っていきます。
  • 続く場面(Nr.13)からはハリケーンの去ったマハゴニィの繁栄する様子が描かれます。ここからは場面の転換の度に男たちが現れてマハゴニィで生きていくための掟の歌「Erstens, vergeßt nicht, kommt das Fressen」が歌われます。この歌には2行目と4行目が異なるバージョンがあって、スコアではNr.19でだけ別バージョンの歌詞になっていますが、CDではどちらかの形で統一されています。ここからはマハゴニィの掟に従って、マハゴニィに来た4人の男の破滅も描かれます。最初が大食漢になったジャック。食べ過ぎで死にます…。
  • 続く場面(Nr.14)は「愛」と言うことで、マハゴニィの売春宿の様子が描かれます。ここで男たちが歌う「Mandelay Song」は1929年のブレヒト/ヴァイルの作品「Happy End」に登場したソングをアレンジしたものです。スコアではベクビクのソロ→男たちのコーラス→モーゼスのシュプレッヒェゲザンゲの様なソロを繰り返すのですが、なぜかブリュックナー=リュッゲベルク版ではモーゼスのパートがカットされて器楽奏になっています。Nr.8のジミィの歌の歌詞にも出てくるマンダレーはミャンマー(旧ビルマ)の地名です。ブリュックナー=リュッゲベルク版やザルツブルク音楽祭のDVDでは、この愛の場面に続いて、スコアではNr.19に出てくる「Kraniche-Duett」で愛の儚さが歌われます。
  • 続く場面(Nr.15)ではボクシングの賭け試合が演じられます。「歌芝居マハゴニィ」ではボクシング・リングはセットとして使われるだけでしたが、ここでは実際に試合が演じられます。アラスカの狼ジョーと三位一体のモーゼスが戦い、ジョーはモーゼスに嬲り殺しにされます…。この試合でけちんぼビリィはジョーに賭けようとはしませんでしたが、ジミィは全財産をジョーに賭けて、全てを失ってしまうのでした。
  • 続く鯨飲の場(Nr.16)ではマハゴニィの飲み屋の様子が描かれます。ここで「歌芝居マハゴニィ」でも使われた「Wer in Mahagonny blieb」が歌われます。スコアでは大幅にカットされた状態で取り込まれていますが、CDやザルツブルク音楽祭では「歌芝居マハゴニィ」の歌詞を補完する形で演奏されています。初稿やブレヒト最終稿でも「Wer in Mahagonny blieb」は完全な形で納められているので、カットはヴァイルの意向なのかも知れません。勘定の時間が近づくと一文無しのジミィは現実逃避でビリヤード台とカーテンレールで船を造ってアラスカへ逃れようとします。みんなで船乗りごっこをしたり、嵐の夜を歌ったりしますが、当然、マハゴニィから出られる訳はなく、ジミィは支払いを迫られます。ベクビクはビリィとジェニィに肩代わりできないか聞きますが、けちんぼビリィはこっそり逃げ、ジェニィは肩代わりをきっぱりと断ります。ジミィは逮捕され、ジェニィは第1幕でも出てきた歌「Denn wie man sich bettet」を歌います。ジミィは連行され、男たちは「Wer in Mahagonny blieb」の残りの部分を歌います。閉じられた幕の前で「Laßt euch nicht verführen」が歌われ、第2幕は終わります。

第3幕

  • 鎖につながれたジミィがアリアを歌います(Nr.17)。YouTubeにはマハゴニィに関する動画も色々アップされていますが、その中でElliot Palayと言うテノール歌手の方が1977年にベルリン・コミッシェ・オペラでパウル(ジミィ)を演じた映像をアップされているのですが、そこではこのアリアは「The Trash Can Aria」と呼ばれていました。
  • 続く場面(Nr.18)ではマハゴニィでの裁判の様子が描かれます。ベクビクが判事を務め、でぶが弁護士、モーゼスが検事の裁判では、何よりも賄賂が幅を利かせ、お金さえあれば殺人でも無座右方面、なければ無銭飲食でも死刑になってしまいます。賄賂の交渉は台本ではパントマイムでやることになっていますが、ヤン・ラタム=クーニヒ版のCDではこの場面にベクビクと被告人とビィ・ヒギンズのやり取りする台詞を付け加え、検事役のモーゼスの歌がBGM扱いになってしまっています…。トビィの配役について、ジャックが2幕の始めの方で死んでしまうので、トビィとジャックを一人二役でやらせることもあるようです。拳銃の試し撃ちで人を殺したトビィ・ヒギンズが無罪放免になると、ジミィの審問が始まります。ジミィがマハゴニィに来てからの罪状を、次々とベクビクが読み上げますが、罪状認否の中でなぜかジェニィの下の名前が第1幕ではヒルだったのに、ここではスミスになっています。ビリィの必死の弁護(でもお金は払わない)にも関わらず、お金の失ったジミィには死刑判決が降りてしまいます。
  • 裁判の場が終わると、スコアでは何の説明もなく「Benares Song」に続きます。ブリュックナー=リュッゲベルク版ではマハゴニィの住民がベナレスの移住を考えていた、と言うような説明のナレーションが付けられていました。ベナレスはバナラシとも表示されるインドの地名です。ベナレスが地震で壊滅したと言うニュースは一同を落胆させます。「Benares Song」も「歌芝居マハゴニィ」のものと比べると、スコアでは若干、短くなっています。ブレヒトの最終稿では「Benares Song」はカットされています。
  • 次いでジミィの死刑執行の場面(Nr.19)です。スコアではジミィとジェニィの今生の別れの場面で「Kraniche-Duett」が歌われます。管理人様が最初に用意してくださったリブレットでも、この箇所に「Kraniche-Duett」が使われていて、スコアで「Kraniche-Duett」をカットした場合はこちらを使うこと、と書かれていた恋人たちの会話はカットされていました…。この一風変わった愛の歌は言葉の使い方や表現が特徴的で、なかなか訳し辛いです。デュエットは使われる場合でもNr.14の愛の場面にくっつけて演奏されるので、スコアではちっちゃな字で印刷されている代替テキストが実際の演奏で使われることが多いです。その中でジミィが「白い服着て未亡人みたいだ」と言っています。日本では喪服と言うと黒をイメージしますが、ヨーロッパでは白を使うこともあるそうです。スコア通り、この部分でデュエットが歌われるとどんな感じになるのか興味深いです。何か言い残すことはないか聞かれて、ジミィは「Laßt euch nicht verführen」を歌います。幕が閉じて、モーゼスが「片付いた」と言うことで、ジミィが処刑されたことが示されます。
  • 続く場面は「歌芝居マハゴニィ」にもあった「Gott in Mahagonny」の場(Nr.20)です。これも説明なしにいきなり始まるので、スコアにないやりとりをCDなどでは補っています。対訳の中に追捕で入れましたが、ジミィの処刑方法がスコアのト書きでは絞首刑なのに、追加の台詞では電気イスになっていたりします。「Gott in Mahagonny」は「歌芝居マハゴニィ」のものとほとんど変わりません。
  • やがてマハゴニィは終焉の時を迎え、人々は燃え盛る町の中でデモ行進を繰り広げます。ベクビクたちは第1幕でも使われた「Aber dieses ganze Mahagonny」を歌います。スコアでは併せて小さな文字でブレヒトが後になって書いた歌詞を書いてあります。ブレヒトの最終稿では改訂した歌詞を採用していますが、オペラでは元の「Aber dieses ganze Mahagonny」を使っているものの方が多いです。ただしベルリナーアンサンブル版「小マハゴニィ」では新しい方の歌詞を使用しているようです。「Wir brauchen keinen Hurrikan」や「Denn wie man sich bettet」「Alabama Song」など前の場で使われた歌が一渡り歌われ、ビル、モーゼス、ベクビク、でぶが、死人は助けることも指図することもできない、と歌い上げ、全員で「自分たちも君たちも誰のことも救うことはできない」と言う、身もふたもないようなメッセージを観客に叩き付けてオペラは幕を閉じます。

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この日本語テキストは、
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の下でライセンスされています。
@ hanmyo
Weill,Kurt/Aufstieg und Fall der Stadt Mahagonny



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