"ザ・ゲイシャ"

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日本が舞台の歌芝居

  • 日本を題材にしたオペラやオペレッタは19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて結構書かれておりますが、その中でもこれはかなりおバカな作品でしょう。同じイギリスでももっと知られたギルバート&サリヴァンのコンビによる「ミカド」の方がドタバタで国辱ものの酷いオペレッタだと腹を立てておられる方を時折見かけますが、あちらはミカドこそ出ては参りますが徹頭徹尾空想の国のお話で、舞台が日本である必然性もありません(登場人物の名もナンキ・プーだのピシュ・タシュだの無国籍の怪しげな名前ばかり)。愉悦感で一杯の音楽と一緒に何かワケわからんおとぎ話として楽しめば良いのにと私などは思うのですが。
  • この「ミカド」も私は大好きな作品なので生きているうちにはいずれ訳してみたいと思ってはおりますが、これには小谷野敦氏の愛情あふれる訳書が中央公論新社から出ておりますのでしばらくは遠慮させて頂いて、こちらの一層滅茶苦茶なお話の方を取り上げてみようと思います。タイトルからして強烈ですが、お話も生半可に本当っぽい題材を取り入れているものですから馬鹿馬鹿しさの中にもなんとなくリアリティがあって多少のほろ苦さも感じます。英国海軍の力を見せつけてやるぜ、なんていうマッチョイズムやゲイシャたちが身売りされるオークションのシーンなど、かつて現実にあった話を誇張して捻じ曲げているところなど日本語に訳して公開してしまっては、この広いネットの世界にはもしかして読まれて腹を立てられる方もおられないとも限りません。もう25年近く前、イスラムを冒涜したサルマン・ラシュディの小説を邦訳した筑波大の先生が殺害された事件がふと頭をよぎりましたが、こういう作品が20世紀の初めにイギリスで作られ、そしてヨーロッパ圏で当時広く上演されたという事実はぜひ多くの方に知って頂きたく思い切って訳してみることとしました(そのタイトルの強烈さから今までにも日本語訳詞上演はいくつかあったようですが、リブレットの対訳としてはもしかしなくても多分本邦初訳ではないかと思います)。もっともこんなのを訳したことで国賊として誅殺されてはたまりませんので、日本ではないどこか不思議の国でのお話として、日本ではなく「ジャパン」と、そして固有名詞もできるだけカタカナで表すこととしました。しかしディテールもふくめこれはどう見ても日本が舞台ですね。
  • フランスの海軍士官として世界を旅したピエール・ロティ(1850-1923)が日本を訪れたのは1885年、その経験を小説にしたのが「マダム・クリサンセマム(お菊夫人)」(フランスの作曲家アンドレ・メサジェに同名のオペレッタがあります)、この小説を下敷きにして色々な作品が当時ヨーロッパでは生まれましたがこれもそんなひとつです。ロティの小説は長崎での暮らしを淡々と描いておりますが、同じ下敷きということでアメリカの作家ジョン・ロングの書いた「蝶々夫人」が舞台劇化を経てプッチーニの手になる同名のオペラになった方は救いのない悲劇に、そしてこちらはもちろんオペレッタですからハッピーエンドになっています。

登場人物たち

  • 恐らくほとんどの方はこんなオペレッタの存在すらご存じないかと思いましたので、私にしては少し丁寧なあらすじを準備致しました。お読みになればお分かりのようにここで珍妙に書かれているのは決してジャパンの人々だけではなく、訳も分からず群がって騒いでいるイギリス人たちや、ゲイシャたちの所属するティーハウスのオーナーのチャイナマンも、そしてなぜか登場する野心家のフレンチ娘もみーんなおバカです。ヒロインのゲイシャ オ ミモザサンなんかはむしろ彼らの中にあっては非常に賢明でしたたかに描かれていますのでどうか人種差別だなどと腹を立てることなくお楽しみ頂ければ幸いです。面白いのはジャパニーズたちはこの舞台では流暢な英語を喋るのに対して、チャイナマンのウン-ハイはバリバリのチャイニーズ訛りの英語を喋っていることですが、これは恐らく当時日本人訛りの英語がまだ珍しく、取り入れても観客には受けなかったのに対し中国訛りの英語は既に相当ポピュラーだったからに違いありません。私の訳でもここはひとつ昔活躍した「中国は広島生まれ」のマジシャン、ゼンジー北京のように「~あるよ」というように喋らせたい誘惑に駆られてしまいましたが、さすがにこれは日清戦争時代の「チンライ節」から始まった露骨な中国人蔑視の流れを汲む言い回しなのでできません。ただ非常に訛った喋り方をしているということだけは分かるように片言っぽくは訳させては頂いております。

日本のうた

  • 劇中で使われる日本のメロディは第一幕の終わりに歌われる「ちょんきな」が明治初期のお座敷歌(野ばら社の楽譜書「日本のうた」の第1集に掲載されています)、また第2幕の結婚式の前にコーラスで歌われる「恋(鯉?)は瀬に住む 鳥は木に止まる 人は情けの影」というのは江戸時代末期に流行した都都逸にルーツがあるようです。他には(断片的に奇妙な東洋風メロディが現れることはありますが)日本の音楽は使われてはいないようです。

ディスクと近年の公演

  • 初演当時はヨーロッパ圏では広く上演されたようで、当時のオペレッタ歌手たちのSP録音などではロシア語やポーランド語などで歌われたこのオペレッタからのアリアなんてのが結構あり、また1950年代にドイツ語で歌われた全曲盤の録音がDocumentsレーベルからCD復刻されています。1997年にはHyperionレーベルからリリアン・ワトソンやフェリシティー・パーマーなんていうイギリスを誇る名歌手を起用したダイジェスト盤がリリースされており、これが一番耳にしやすいかも知れません。また2013年にはオーストラリアのヴィクトリアで上演されたものがあるようで、そのハイライトを関係者の方がYouTube上にアップされているようですので(2015年3月時点)、そちらを見て頂くとどんなものかの雰囲気はおおよそ掴めるのではないかと思います。そこのサイトに行くとDVDが購入できるようですがちょっとそこまでは???
  • そして名古屋は大須演芸場で2008年まで17年間に渡って続いた(終わってしまったことが大変に惜しい)大須オペラの2000年の演目にこの「ザ・ゲイシャ」を持ってきていることが特筆されます。この徹頭徹尾イギリス人の視点で書かれた怪作を日本人が日本語で演じる倒錯感、はたしてどのようなものであったのか興味惹かれるところです。ネット上ではその余韻を伝えるブログ記事などは散見されましたが、あとは何も知るすべがないのがたいへんに惜しいところです。

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@ 藤井宏行


最終更新:2015年04月29日 10:37