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"刀鍛冶"

目次

作曲者について

  • アルベルト・ロルツィング(1801年10月23日-1851年1月21日)はドイツに生まれ、祖国で活躍した作曲家。歌手としての才能にも恵まれ、テノールやバリトンの役を歌い(ドイツで最高の人気作《ロシア皇帝と船大工》では自らイワノフを創唱しています)、台本も自分で書き下ろすなど多才でしたが、四十九歳の時、貧困のうちに病没しました。作品は二十に余るオペラを残しているようです。

作品の受容について

  • ロルツィングはドイツでは圧倒的人気を誇る作曲家ですが、国を一歩出るとまったく知られていない存在です。興味深いことに、この極端な人気の差は作曲者の存命中からそうであったようで、例えばこの「刀鍛冶」はヴィーンで初演されたものの、作品のユーモアがさっぱり理解されず、あまり反響を呼びませんでした。じつをいえば今回訳してみて、私自身かなり話が脱線しているような印象を受け、戸惑った箇所がいくつもありました。外国では一向に評価されない受容のあり方はこのあたりに理由があるような気がしてなりません。おそらく彼のオペラは、ドイツの言い伝えや慣用句、冗談、それらすべてに馴染んだ国民だけが理解し楽しめるものなのでしょう。

翻訳にあたって

登場人物のセリフに含まれる意味

  • 先に書いたように、ロルツィングの台本ではしばしば話が脱線し、馴染みのない言い回しが出てきたりして、肝心のストーリーがなおざりにされている印象がぬぐえません。私も正直に言って完全に理解したうえで訳したわけではないので、おそらく作曲者の意図とは違っている部分も多いかと思いますが、目についた部分だけ簡単に。
  • ブレンナー「学者風に言えばまさにアポロのように美しいってところでしょうな。」
    ブレンナーは登場人物表でご紹介したとおり、シュタディンガーの義弟。文盲のシュタディンガーと違い、第三幕でも役人からの手紙を読み上げるようにある程度の教育は受けているようですが、このセリフで美しいと言われている対象はマリー。美しいという意味で神話の神々を比喩に使う場合、女性ならヴィーナス(美の女神)、男性ならアポロ(アポロンとも。太陽神)というのが一般的なので、ブレンナーはここで自分の知識をひけらかそうとしてとんでもないミスを犯したことになります。
  • シュタディンガー「かくなる上はかくありき。」
    これは原文では”Es muss dir aber nicht unangenehm sein.”。直訳すると「おまえにとって不愉快ではあるまい。」と、なりますが、どうもこのセリフはシュタディンガーの口ぐせのようで、しかもこれを口にするたびにゲオルクはあわててやめさせようとし、親方自身も二度ほど口をつぐんでいます。また、親方は自分の欠点として「おかしな格言を口にすること」を挙げているので、ちょっと場違いな古めかしい言葉がふさわしいと思い、上記のように訳しました。
  • ゲオルク「あの、親方、僕も字が読めないんですけど…。」
    シュタディンガーが伯爵からの手紙を読むように命じられてゲオルクが答える言葉です。ゲオルクは登場人物表でも書いた通り、伯爵の小姓という身分。小姓とは行儀見習いのためよその貴族のもとに預けられた良家の子息のことですから、しっかりと教育を受けているはずのゲオルクが文字が読めないはずはなく、単に手紙を自分で読みたくなかったがための言い訳としか考えられません。
  • シュタディンガー「わたしは義弟のブレンナーと、伯爵が娘婿になるかならないか賭けをした。わたしはむろん、ならないほうにホッホハイム産のワイン樽を三つ賭けている。」
    ここは訳すのに最も苦労した部分です。原文では”ich habe mit meinem Schwager Brenner um drei Ohm Hochheimer gewettet, dass der Ritter Liebenau nie mein Tochtermann wird”なのですが、引っかかったのは”Ohm”と”Hochheimer”の二つの単語です。さんざん調べた結果、”Hochheimer”はホッホハイム産ワイン(ホッホハイムはドイツ、ラインガウの一都市で、ワインで有名だそうです)を指すと分かりましたが、”Ohm”は未解明のままです。辞書には「電気抵抗の単位オーム」として載っているのですが、このオペラの舞台は中世。電気などあろうはずもなく、前後の文脈から見て、苦肉の策で「ホッホハイム産のワイン樽を三つ」と訳しました。もし、今後”Ohm”の意味が分かることがありましたら、速やかにこの部分を見直すつもりです。
  • ゲオルク「ええと、あの、はっきりは存じません。天然痘にかかったのが十八年前で、その時十歳だったか二十歳だったか覚えてないので…。」
    娘をゲオルクと結婚させようとする親方から年齢を聞かれて答える言葉。もしこれをそのまま信じるならゲオルクはどう若く見積もっても二十八歳ということになりますが、少年であるはずの小姓がそんなに年とは考えられず、これも文盲についての記述と同様でたらめでしょう。
  • ゲオルク「アブサロムの物語を聞いたことおありですか?弁髪を木に引っかけてしまったあの男の話ですよ。」 「彼はすごく長い弁髪を持っていたんですよ。 でも、今や親方がアブサロムになってしまいましたね。」
    アブサロムという名は私自身今回初めて聞きました。調べたところ、彼は聖書に登場するダビデ王の三男で、長い髪を自慢にしていたようです。ゲオルクがここで挙げている話については Rush : Weave the Words というサイトで アブサロムとダビデ王 として分かりやすくまとめられていますので、よろしければ参照なさってください。ここでは用意周到に伯爵を遠ざけようとして成功したつもりのシュタディンガーを、王位を狙って綿密に計画を立てたにもかかわらず自慢の髪が木に引っかかったばかりに命を落としたアブサロムになぞらえて、あてこすっているようです。
  • シュタディンガー「天からマナが降ってきて、きわめて純度の高いワインも授けられた。」 「カナンの地は結婚式場として人であふれ、」
    シュタディンガーがコンラートと娘の結婚を許した後、しばし若き日の思い出に浸るアリアの歌詞。まずはあまり聞きなれない単語の意味から。
    マナ:旧約聖書に登場する食物。イスラエルの民が飢えに苦しんだ時指導者のモーゼが祈りを捧げ、それに応えて神が天から降らせたとされる。パンとする資料もあるが、果物のようなものとする説もある。
    カナン:ユダヤ教で神から約束の地と定められた場所。神に選ばれた者だけがこの地に足を踏み入れることができるとされた。
    この部分はかなり意味が取りづらく、意訳になってしまいました。「マナ」が天から降ってきたのはモーゼが生きている頃、つまり紀元前の出来事。当然中世に生きるシュタディンガーがその現場を見たはずはなく、また「結婚式場」という言葉があることから、自分自身の結婚式でこのような催しがあったのではないかと推測して、訳させていただきました。
    ところで、マナもカナンもユダヤ教と深く関わる単語。オペラの舞台ヴォルムスはドイツのライン地方に位置する一都市ですが、ここはユダヤ教と関係が深いといわれ、十二世紀にはシナゴーグが建てられたうえ、ドイツ最初のユダヤ人墓地もここにあるそうです。この事情を踏まえてシュタディンガーのセリフを読み直すと、彼がユダヤ人であることが分かります。

物語の設定から読み取れること

  • シュタディンガーの出自
    先ほどもちょっと触れたとおりシュタディンガーはユダヤ人と考えられますが、このことについてもう少し踏み込んで考えてみたいと思います。彼はあのアリアの歌詞を見るかぎり(私が誤訳していなければという条件付きですが)ユダヤの儀式に沿って婚礼の儀式を執り行ったようですが、その後夫人を騎士にさらわれ、彼女の生死も分からなくなっています。ところで、夫人はなぜさらわれてしまったのでしょうか? 前述のように、シュタディンガーと義弟のブレンナーはさほど身分の違いは感じられないにもかかわらず、その学識の程度にはかなりの開きがあるようです。かつてユダヤ人は重税を課せられ、住居の制限などもあり、満足な教育など受けられなかったといいますから、シュタディンガーが文盲であることは何のふしぎもありません。一方ブレンナーは無教養ながら読み書きなどの基本の教育は受けているようであり、このことから推測すると、ブレンナー及び彼の姉であるシュタディンガー夫人はキリスト教徒であるのかもしれません。異教徒との結婚は認められなかった時代ですから夫人はユダヤ教に改宗して挙式したものと思われますが、誘拐犯人はこれをよく思わなかった親族、あるいは横恋慕していた騎士だとは考えられないでしょうか。
    しかし、劇中でシュタディンガーはヴォルムスの有能な鍛冶親方兼獣医師として知られており、生活も豊かでのびのびとした暮らしを営んでいるようなので、おそらくユダヤ教からキリスト教に改宗し、自らの実力で周りの偏見を断ち切ったものと思われます。こう考えてくると彼の異常なほど頑固でかたくなな性格もやむを得ない気がします。
  • マリーの教育
    前項の続きのような話題になりますが、シュタディンガーが改宗していることは娘のマリーの存在によって裏づけられています。彼女は第三幕のアリアで日曜日に礼拝に行っていると言うので、キリスト教であることは疑いようがありません(ユダヤ教の礼拝は土曜日)。また、彼女は住み込みの家庭教師をつけられ、かなりきちんとした教育を受けているようです。父親が無学で娘には家庭教師がついているという設定は「ジプシー男爵」などにも見られますが、これもそうした一例でしょう。
  • リーベナウ伯爵は領主
    さて、シュタディンガーからどうしても嫌われてしまう伯爵ですが、彼は台本には書かれていないものの、町全体に政治力を持つ領主のような存在だと思われます。第一幕最後でマリーが伯爵との生活を思うシーンでの描写も王宮を思わせるし、オペラの最後伯爵がマリーとの挙式を済ませてシュタディンガーに会いに来る時も大勢のお供を引き連れてくるので、かなりの勢力を持っていることは間違いないでしょう。ところで、シュタディンガーは伯爵を毛嫌いしていますが、実際には一度も会ったことがありません。彼が伯爵を嫌うのは人柄ゆえではなく、愛する妻をさらった種族である騎士だからというだけなのです。そのうえ自分の出自からくる、キリスト教徒の権力者に対する不信感もあったでしょう。一方、伯爵が変装したコンラートを嫌うのは職人としての腕が振るわないせいですが、変装していてもどこかに漂う貴族的な雰囲気が鼻についたとも考えられます。彼は三幕でブレンナーに向かってこう言います「あいつには我慢できないのだ」。
  • 台本の問題点
    ここまで思いつくまま勝手に自分の解釈を展開させていただきましたが、これ以外にもまだまだ隠された意味はあるでしょう。ただし、そうしたことはさておいても、この台本が決してすぐれた出来とは思えないのも事実です。この時代のいわゆる番号オペラは、いくつかのアリアや重唱から成り立ち、それらの間をレツィタティーフないしはセリフでつないでいく形式が一般的でしたが、この作品ではまったくと言ってよいほどバランスが取れていません。話の進行はほとんどセリフに任されてしまい、アリアはほとんどが話の中心を反れた説教臭いものであり、また重唱はセリフで進行した部分の繰り返しのようなものが多く、くどい印象を与えます。特にアリアにおいては(それが当時の人々に対する警告あるいは嘆きといった風刺的な意味を含んでいるとしても)、ほとんどの登場人物が教訓的な内容を歌い、そのためにそれぞれの個性が沈没しかかっています。例えばまだ無邪気な子供であるはずのゲオルクが人生について論じるのは無理がありますし、イルメントラウトが世の堕落を嘆くアリアなどは音楽面でも退屈な仕上がりになっています。また、登場人物の描写にもいささか問題があり、イルメントラウトは第二幕初めのやり取りでお金さえあれば簡単に寝返るようなところを見せますが、この場面は蛇足で、彼女のイメージを大きく落とす結果になっています。もっともここはセリフ部分なので、演奏者の判断でカットすることはいくらでも可能なのですが、さらに厄介なのはマリーです。彼女は歌の部分でゲオルクをこき下ろすようなことを言い、これもかわいらしいはずの彼女のイメージダウンにつながっています。二人の女性たちはそのほかの場面ではそれぞれふさわしい言動を取っているので、これらの場面の存在は残念で仕方がありません。

録音

  • 国内版では見かけたことがありませんが、ドイツでは人気があるだけあって輸入盤では何点か見かけます。そのうち三つの録音を聞きましたので、ここで簡単にご紹介を。奇しくもすべてミュンヘンでの収録です。まず古いものから。
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  • これは1958年、バイエルン放送交響楽団とオランダの指揮者クーツィルによって録音されたもの。シュタディンガーのアリアが二幕に移されていたり、幕切れのリフレインでいささか強引なカットが行われていますが、古い時代の記録の割に録音状態もさほど悪くはありません。若きヘルマン・プライが伯爵を、ゴットロープ・フリックがシュタディンガーを歌っています。フリックは悪役で有名ですが、個人的にはむしろこうしたコミカルな役柄のほうが気に入っています。無名ながらバイエルンでは常連のフリードリヒ・レンツが若々しい声でゲオルクを歌っているのも聞きもの。ディスクの余白には43年、ベルリンでの第一幕フィナーレが収められています。
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  • 1964年にこちらはバイエルン国立歌劇場のオーケストラとレーアンという指揮者によって録音されたものです。伯爵は前記の録音と同じプライ。この役は当たり役の一つだったのでしょうか。意志は強いがどこかユーモアもある伯爵を好演しています。シュタディンガーはクルト・ベーメ。私の聞いた録音中、最も粗野な役作りで、第一幕の祝宴について語る部分などは歌うというよりわめいていますが、これもなかなかはまり役でしょう。特にその荒っぽい声で三幕の感傷的なアリアを歌うところなどは他の歌手にはないおかしさがあります。他の歌手ではロッテ・シェードレのマリーが役柄にぴったり。
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  • これは先の二つよりかなり時代が下がって、1992年に今度はミュンヘン放送交響楽団とハーガーによって収録されたもの。このディスク最大の価値はシュタディンガーを歌うトムリンソンにあるでしょう。フリックやベーメも素晴らしいのですが、トムリンソンには独特の味があります。彼は先の二人よりも十歳ほど若々しい親方を演じ、聴いているだけで獣医師として勢いよく外出したり、伯爵を追い回したりする姿が浮かんでくるようです。彼のシュタディンガーがあまりに印象が強かったため、私はこのイメージでシュタディンガーのセリフを訳させていただきました。ボー・スコウフスの伯爵はプライほど個性はないものの、気品はあります。ただサンドヴェのゲオルクはあまりに声が重すぎてどうもミスキャストのような気が…。いずれにしても全体として非常に楽しめる一枚です。

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© Maria Fujioka



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