"乞食学生"

目次

<金の時代>の作曲家~カール・ミレッカー

  • 作曲者のカール・ミレッカー(1842~1899)はヴィ―ンのオペレッタ作曲家。金細工師の息子として生まれ、13歳でウィーン大学に入学。16歳の時には早くもフルート奏者としてオーケストラに所属するまでになる。その後スッペの勧めで指揮者となり、その傍らオペレッタを次々と発表していった。スッペ、J.シュトラウス二世と並んでオペレッタの<金の時代>を築いた人とされ(ちなみに<銀の時代>はレハール、カールマンらを指す)、現在まで名が残る作品としてはこの「乞食学生」と「ガスパローネ」がある。

空前絶後の大成功~舞台となったポーランドの時代

  • このオペレッタの元になったのはブルワー=リットン(ヴァーグナーのオペラ《リエンツィ》の原作者でもある)の「リヨンの淑女」、およびフランスの作曲家アレヴィのオペラ「ギター弾き」とされる。特に「ギター弾き」は舞台がポルトガル、支配国がスペインであることを除けばほぼ「乞食学生」と似た筋書きである。実際、台本作者のツェルとジュネーは失敗に終わって忘れ去られたこのオペラの台本(作者はスクリーブ)を書き直す形で「乞食学生」を仕上げた。これをミレッカーが気に入って曲をつけ、こうして「乞食学生」は1882年12月6日、アン・デア・ヴィーン劇場で初演された。結果は大成功、ヴィ―ンでは現在に至るまで高い人気を誇っており、増田芳雄氏が2000年に書かれた論文、《ウィーンのオペレッタ》によれば、ヴィ―ン・フォルクスオーパーでの上演回数は「こうもり」「ウィーン気質」に続く第三位を誇っているという。
  • なぜこのオペレッタがそれほどまでに反響を呼び、なおかつ現在にいたるまで人気を保ち続けているのだろうか。増田氏はその理由について、次のように述べている。「ポーランドを巡って オーストリアはザクセンおよびその同盟邦であるプロイセンと仇敵の間柄であった。したがって、ポーランドがザクセンの圧制を打ち破る、というこのオペレッタはウィーンの市民に快哉を叫ばし、現在でもその感情が残っているのではなかろうか。」
  • ポーランドは非常に複雑な歴史を持ち、長年他国の支配や差別にさらされながら生き抜いてきた国である。このオペレッタの時代、ポーランドはザクセンの選帝侯アウグスト二世の治世下にあり、国民はまったく自主性を認められていなかった。1704年、アウグスト二世が失脚。ポーランド人であるスタニスラウス・レクチンスキーがスウェーデンの支持を得て王位につき、国民は湧いたが、この喜びも長くは続かず、1709年にはまたもやアウグスト二世が王位に戻る悲劇に見舞われている。ポーランドの歴史上にオーストリアの名が現れるのは1772年。次第に衰退していくポーランドを見て、ロシア、プロイセン、オーストリアの三国は1772年、1793年、1795年の三度にわたってこの国を分割した。オーストリアは支配地を巡ってプロイセンから非常に不愉快な仕打ちを受けたらしく、またザクセンともいざこざが絶えない間柄だった。こうした背景を考えれば、オペレッタの設定とはいえザクセンがやり込められるのは溜飲を下げる思いだったにちがいない。
  • 歴史について付け加えるなら、「乞食学生」の舞台クラクフは17世紀初頭までポーランドの首都だった地域。さらに、シモンとアーダムが所属している大学はおそらくポーランド最古といわれるヤギェウォ大学と思われる。この大学はコペルニクスが学んだ場所として有名で、現在はモーツァルトやショパンの自筆譜を多く所有しているという。

上演によって異なる舞台設定

  • 初演以来かなりの人気を維持してきた「乞食学生」だが、興味深いことに物語(及び歌のパート)の詳細は上演ごとに微妙な違いがあるようだ。例えば、第二幕でオレンドルフが歌うクープレは上演ごとに歌詞が違うし、第三幕冒頭で歌われるブロニスラヴァのリートもメルビッシュではまったく歌詞を変えて第一幕に繰り上げている。

アーダム公爵の実体とオレンドルフのその後

  • 台本上ではシモンとともに囚われていたヤンがアーダム公爵となっているが、上演によってはアーダム公爵は別人であり、ヤンの本当の身分はレクチンスキーに仕えるオパリンスキ伯爵とされているものもある。その好例が1995年メルビッシュでの上演。ここでのアーダム公爵は何とまだ少年で、オパリンスキ伯爵であるヤンがそのリードを取る形だった。
  • また、失脚したザクセン側のオレンドルフにとられる処置もさまざまで、先のメルビッシュでは赦しが与えられているが、逮捕されるバージョンもあり、さらにはパルマティカと結婚する(?)などという奇妙な結末まで存在する。

コミカルな看守エンテリヒ

  • オペレッタ冒頭と第二幕のフィナーレで活躍する看守のエンテリヒ。物語の上では端役に過ぎないが、なかなか存在感のある役である。エンテリヒは楽譜上では<ブッフォ・テノール>という声質が当てられているが、そこはオペレッタの自由なところ。実際には俳優などががなりたてるように歌ったりすることもある。増田氏も書かれているように、この役は《こうもり》のフロッシュから派生した人物で(こっそり囚人を庭に出してやるシチュエーションは《フィデリオ》のロッコにも似ているが)、そのためかいつも半ば酔っぱらったようすで舞台を動き回る。第二幕にエンテリヒが結婚祝いに花束を渡すシーンがあるが、この花束はたいてい枯れているか、ただの変な草で、笑わせられる。

消えた登場人物リヒトホーフェン

  • 今回訳していて最も戸惑ったのがこの人物である。リヒトホーフェンはヴァ―ゲンハイム、ヘンリツィ、シュヴァイニツと並んでオレンドルフの部下であり、お読みいただければ分かるように台本ではほぼ主役級の扱いだが、そのじつ実際の上演ではまったく存在感がない。一応部下の一人として登場はするが、四人のうち誰がリヒトホーフェンか見分けるのは不可能である。この人物、台本で読む限りオレンドルフの部下でありながらザクセンの圧政に反感を持ち、陰で悪口を叩くように描かれているが、彼の登場するアリアや二重唱は大半がナンバーなしのものなので、おそらく初演の時からカットされていたのではないかと思われる。現存のナンバーの中で本来リヒトホーフェンが活躍するはずだったのは第一幕のフィナーレ。何回かにわたってリヒトホーフェンが口をはさむのだが、このパートは上演によって適宜ほかの役に割り振られている。どの役によって歌われるかほぼ定着している部分に関しては役名を書き換えたが、軍楽隊の場面(「あれは何だろう 」)は上演ごとに異なるので、リヒトホーフェンのままにしてある。クランツによるピアノスコアでは、ボグミールなるパルマティカのいとこが軍楽隊を取り仕切っているが、この人物も登場しない場合が多いので、実際にはおてんば娘のブロニスラヴァ(メルビッシュ 1995年)、看守のエンテリヒ(アラースのCD)などが歌うようだ。

録音・映像

CD

"乞食学生"

  • アラース/クルト・グラウンケ交響楽団(現ミュンヘン交響楽団)
    プライ(オレンドルフ)、ゲッダ(シモン)、シュトライヒ(ラウラ)、ホルム(ブロニスラヴァ)、ウンガ―(アーダム)と超豪華キャストを揃えた、このオペレッタの名盤。何と言ってもプライが歌うオレンドルフが最高。頑固だが間の抜けた悪をよく演じ切っている。ベンネルトが歌う(がなりたてる?)エンテリヒも面白い。

DVD

"乞食学生"

  • ビーブル/メルビッシュ音楽祭(1995)
    歌はともかく、非常に楽しい映像。それほど有名な歌手はいないが、皆それぞれの役をよくこなしていて違和感を覚えさせない。フォルクスオーパーの常連だったイーロッシュがパルマティカを演じていて、誇り高いくせに身分によって態度をコロコロ変えるミーハー貴婦人の味を出している。ちょっと面白いのはヤンをハイバリトンのクレンツレが歌っていること。彼は2016年からオペラ歌手として活動しはじめ、翌年にはバイロイト音楽祭でベックメッサーを歌ったようだ。残念ながら現在この映像は入手困難の模様。非公式チャンネルながらyoutubeでは全曲視聴できるようだ。


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© Maria Fujioka


最終更新:2018年02月17日 12:30