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"トリスタンとイゾルデ"


目次


イゾルデの「愛の死」

  • 今回、この部分を最初に訳出したのですが、そのきっかけはYouTubeで、アストリッド・ヴァルナイの歌う「愛の死」(50年も前の録音ですが・・・)を初めて聴いたことにあります。私の愛聴する「トリスタン」のCDは、フルトヴェングラー・フラグスタート盤でして、これはもちろん素晴らしいのですが、イゾルデを歌うのを聴いたことがなかったヴァルナイの「愛の死」にも感動しました。そのため、繰り返し聴くうちに訳してみようと思ったわけです。下から5行目のAll(もともと「宇宙」の意味があります)を「宇宙のすべて」と表現しましたが、ここは、まさに宇宙がイゾルデという巫女を通じて我々に語りかけているように思えてなりません。

「生きる」トリスタン

  • 続いて訳したのは、第3幕でイゾルデがやって来るまでのトリスタンの長いモノローグです。私は、ここがこの作品の白眉だと思っており、台詞も音楽も素晴らしいと思います。「愛の死」という言葉が有名なことからも、「トリスタンとイゾルデ」には「死」というイメージが強いのですが、私の考えでは、トリスタンという登場人物は一面では激しく「生」を希求しています。このモノローグの途中で、トリスタンは自らの生い立ちを振り返り、自分は死ぬ運命に定められていると諦めかけます。
  • 「昔ながらの調べは、/私にこう繰り返す、/あこがれるのだ・・・そして死ぬのだ、と!」。・・・しかし、その瞬間、音楽が鳴り響き、自らこのように否定します。「いいや、違う!/そんなことは言ってない!/あこがれるのだ!あこがれるのだ!/死にながらもあこがれるのであって、/あこがれのために死ぬのではない!」ここは本当に感動的です。泣けます。
  • また、今回初めて意識したのですが、イゾルデが到着した後に包帯を自らひきちぎって死んでいくシーンでは、トリスタンは「勇者トリスタンが/歓喜の力にみちて、/死からわが身を/もぎ離したのだ」と歌っているのですね。「死ぬまい、生きよう」として、逆に死を選択してしまうアイロニー。しかし、それは、プレヒストリーにおいて、瀕死の重傷を治すために、敵方の姫君であるイゾルデのもとに飛び込んでいくことの繰り返しでもあります。「生」を求めつつ「死」に飛び込まざるを得ないというのが、この人の行動パターンで、その緊張関係が精神的なドラマを生んでいるように思えます。

クルヴェナール

  • 今回訳してみて、とても印象深かったのは、「クルヴェナール、ほんといいヤツだよなあ・・・」ということです。「無骨一辺倒ファンファーレ(?)」みたいな音楽がついているので、音楽面ではあまり意識しないのですが、台詞を一つ一つ訳していると、見返りを求めぬ主君への忠義心が伝わってきます。第3幕の最後で、絶望的な戦闘の後に死ぬ場面の「そこに横たわっておられる・・・/だからここに・・・私は・・・横になる。」にはジーンときます。ちなみに、この「だから」は原文にない私の挿入ですが、これがないとわかりにくいので補足したものです。

羊飼い

  • クルヴェナールに関連して、第3幕冒頭に登場する羊飼いさんですが、この役は舞台では、おじいさんであることが多いですよね。しかし、彼はクルヴェナールに「どうだい、親友!」とか「幼なじみだろ」と呼びかけています。実は、ここは私の意訳です。原文ではそれぞれ「Freund」もしくは「alter Freund」なので、ちょっと訳しすぎで、せいぜい「旧友だろ」なのですが、いずれにせよ、おじいさんが若者に向けて呼びかける言葉としてはどうなんでしょうか?しかも、第3幕の後半のト書きには「(クルヴェナールは)羊飼いとともに城門に走っていき、急いで城門を封鎖しようとする」とありますから、私にはどうしても老人のようには思えません。そんなわけで、ここは少し想像の翼を広げて、私はこの二人を身分差はあれ同世代の「幼なじみ」ということにしてみました。舞台のほうは、たぶん「おじいさん」の伝統があるのでしょうが、これはワーグナー存命時からのことなのでしょうか?謎が深まります。

ブランゲーネ

  • ブランゲーネについてですが、舞台を見ていつも感じるのは、彼女はしょっちゅう「中間管理職的板挟み」に立たされるんですよね。本筋とは関係ないのですが、身につまされて、いつも同情してしまいます。しかし、ある意味で脇役にここまで力を入れるのがワーグナーらしいところで、彼女は準主役と言ってもいいぐらい重要な役回りです。第2幕中間の「ブランゲーネの見張り歌(ひとりさびしく見張る/夜のとばり・・・)」は、何度聴いても美しいです。ワーグナーで最も美しい曲をと言われたら、迷いますが、私は最終的にはこれでしょうね。ああ、それなのに、いい日本語になりません・・・(泣)。音楽のわりに大したことを言ってない、という見方もできますが。もっと詩的な言い回しにしたいところですが、自制し、ここは徹底的に逐語訳です。(唯一、「夜の中」だけ「夜のとばり」としました。)

眠い?第2幕

  • それにしても、第2幕は、「愛の二重唱」から、この「見張り歌」、さらなる「二重唱」が、音楽も台詞も濃密に深まっていく部分です。訳していると、こんなに楽しい部分はありません。島田雅彦氏は、第2幕で寝てしまうと、起きても同じことを歌っているとおっしゃっているそうですが(私も何かで読んだことがあるような気がします)、まさかこの部分ではないですよね?万が一ここで寝てしまうぐらいなら、わざわざ劇場に足を運ぶ必要はないような気が・・・。第2幕では冒頭のイゾルデとブランゲーネの対話も緊張感があって、到底眠気など起こってきません。
  • 寝てしまうのは、二人が再会して「愛の二重唱」に行くまでの対話ではないですかね?ここは、この作品全体の一番弱いところだと思います。今回、訳してみると、内容の展開自体はすごく論理的で「ドイツ人だよ、ワーグナー」と感心する(呆れる?)のですが、文章のつながりがとてもわかりにくいです。正直言って、私のようなファンでも、ここを訳すのは苦行でした。私見ですが、ワーグナーの場合、台詞がイマイチなところは音楽もイマイチのような気がします。(あるいは逆かもしれませんが。)
  • ちなみに、私が「トリスタン」を最初に見たベルリン・ドイツ・オペラの公演(演出ゲッツ・フリードリヒ、指揮イルジー・コウト)でも、この部分は一部カットされていました。それでもあまり違和感を感じなかったですね。ただし、ここは、「愛の二重唱」以降を際立たせるためのクールダウン機能を果たしているような気もします。ですから、聴く側にとってはやはりあったほうが良いような気がしますが、思うに、歌手の負担が重すぎるのではないでしょうか?ですから、カットしない場合は、眠いならここで寝て、それ以降に備えましょう(笑)。

マルケ王とトリスタン

  • 第2幕は、マルケ王の台詞も長いです。朗々と歌う良い歌なのですが、内容がひたすらグチなんですよね・・・。ただ、マルケ王ファンクラブ(?)が存在している(特に女性?)ように思われるので、ここを読み込んでみると何か発見があるかと期待していたのですが、残念ながらあまり印象が変わらなかったです。一つ感じたのは、「私は結婚などしたくなかったのだが、皆の者が、特にトリスタンが勧めるからやむを得なかった」という意味のところです。立場上やむなしという面もあるので可哀想なのですが、「イゾルデの前でそれを言っちゃあ、おしまいよ」という気もします。それに比べると、トリスタンは、第1幕の「死の薬」を飲む場面でも、第3幕のモノローグの「恐ろしい愛の薬は、自らが醸したものだ!」という意味の所でも、自ら責任を引き受け、しかも自虐的ではありません。人間の生き様として、素直に感銘を受けます。

最後に

  • というわけで、訳し終わった結果、私にとっては、トリスタンが一番魅力的な人物だということが、翻訳作業を通して更に裏付けられたのが収穫でした。読み方は人それぞれですので、皆様が「トリスタンとイゾルデ」像を結ぶにあたって、拙訳が何らかのお役に立つことができれば、望外の喜びです。
平成21年9月吉日 Wしるす


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@ wagnerianchan



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