訳者より

  • 『カプリッチョ』はオペラとされているが、厳密に言うと「音楽のための会話劇」(Konversationsstück für Musik)である。リヒャルト・シュトラウスの作品は『サロメ』が「音楽劇」(Musikdrama)、『エレクトラ』、『ダフネ』が「悲劇」(Tragödie)、『ばらの騎士』、『インテルメッツォ』、『アラベラ』が「喜劇」(Komödie)、『ナクソス島のアリアドネ』、『影のない女』、『エジプトのヘレナ』、『無口な女』が「オペラ」(Oper)と名付けられているが、『カプリッチョ』はそのどれでもなく、この「音楽のための会話劇」という表現は異彩を放っている。
  • 実際、この作品では会話の中身が非常に濃い。幕が上がると、音楽に聞き入っている伯爵令嬢マドレーヌの美しい姿に、作曲家フラマンと詩人オリヴィエが見とれていて、二人は、フラマン:つまり僕らは、オリヴィエ:恋敵ってこと、フラマン:仲はいいけどライバル、オリヴィエ:言葉か音楽か?、フラマン:決めるのはあの方だ!と言う。「詩人か音楽家か?」ではなくて、「言葉か音楽か?」と言わせることで、恋のさや当てと音楽論争の二重の意味を持たせている。従って「言葉か音楽か?」に答えが出せないのと同様に、マドレーヌは詩人と音楽家のどちらも選ぶことができない。
  • この作品の舞台は、1775年頃のパリ近郊の伯爵の宮殿。この設定は何を意味するのか?
  • この作品には、第1場で何人もの作曲家の名前が登場する。先ず出てくるのがオペラ改革者として名高いグルック(1714―1787)。グルックは、歌手よりも作品が重視されるべきだと、劇的に構成されたオペラを目指し、後のワーグナーの楽劇の先駆と見なされている。第9場でダンスの後、オペラについて各々が意見を述べ合うが、ここでフラマンが「あなたの批判しているのは古い様式のオペラです。我らが巨匠の》アコンパニャート《は古代のモノローグの力を持っています。」と発言しているが、これこそがグルックのした改革である。グルックは1756年にローマ教皇より黄金拍車勲章を授与され、それ以来、騎士グルックと呼ばれるようになる。『カプリッチョ』の中でもフラマンは騎士グルック(Ritter Gluck)と呼んでいるが、私たちにはピンとこないので、グルック先生と訳した。
  • 1775年当時、グルックはパリに出て来て、自分のオペラをフランス語で上演して、大評判となった。その頃、イタリアオペラで人気を博していたピッチーニ(1728~1800)もパリに来て、パリでは、グルック支持のオペラ改革派と伝統的なイタリアオペラ派が反目し合い、それはグルック=ピッチーニ論争と呼ばれる。そのピッチーニのオペラにしばしば台本を提供していたのが、イタリアの劇作家ゴルドーニ(1707~1793)である。パリでは「イフィジェニー」を題材に、グルックとピッチーニにオペラを競わせることまであった。グルックの『トリードのイフィジェニー』は後に『タウリスのイフィゲニア』となり、今日まで残っている。グルック=ピッチーニ論争と呼ばれてはいるが、グルックとピッチーニ自身は、互いに尊敬し合っていたそうだ。
  • グルック=ピッチーニ論争は別名第2次ブフォン論争とも呼ばれる。ブフォン論争とは1750年代にヨーロッパの知識人の間で起こった論争で、ラモー(1683~1764)が旋律よりも和声を重視して作曲した時に、従来のイタリアオペラを支持するルソーなどから批判された。この論争はラモーが亡くなると、下火になった。リュリ(1632~1687)はラモーが自分の作曲の出発点とした作曲家である。
  • こうして第1場で、この作品が今までのいろいろなオペラ論争を承知の上で、あらためて「音楽が先か、言葉が先か」をテーマとしていることを提示している。また当時の演劇界の傾向をも反映していて、女優クレロンは、アンドロマケ(エウリピデス作、ラシーヌ作)、フェードル(ラシーヌ作)、メディア(エウリピデス作)、ロクサーヌ(ロスタン作『シラノ・ド・ベルジュラック』のヒロイン)という主演作から、コメディ・フランセーズの女優と思われる。この時期フランスの演劇界は、「音楽入りの演劇」(オペラ)と、コルネイユ(1606~1684)、ラシーヌ(1639~1699)などの台詞重視のフランス古典劇を中心とする「ことばの演劇」に分かれていて、「ことばの演劇」のプロであるクレロンはオペラには関心を示さない。また当時、正統派の演劇が賞される一方、ヴォードヴィル(風刺歌付き喜劇)、オペラ・コミーク(歌曲入りの劇)などの軽いものも市民に好まれた。
  • 第9場はこの作品の真骨頂ともいえる場面である。当時盛んだった大掛かりな舞台装置を使う趣向を得々と語る劇場支配人ラ・ロシュに対して、詩人オリヴィエと音楽家フラマンはそれを嘲笑い、罵倒する。「笑いのアンサンブル」、「口論のアンサンブル」と八重唱が続くが、これはモーツァルトの『フィガロの結婚』の第二幕のフィナーレを意識したものと言われている。この罵倒にラ・ロシュが傷つくのではないかと心配する伯爵令嬢マドレーヌに、女優のクレロンは、ラ・ロシュは今までだって何度もこういう目にあって切り抜けてきたと断言する。そしてラ・ロシュの反撃が始まる。ラ・ロシュは仮面劇の仮面こそなくなったものの、生身の人間を描く芝居はまだできていない、自分はそれを求めているのだと大演説をぶつ。大掛かりな舞台装置の演出家と聞いて、R.シュトラウスと同時代の人々はマックス・ラインハルトを思い浮かべただろう。ラインハルトは『ばらの騎士』の初演を演出し、歌手に俳優のような動きをつけたことで知られている。『カプリッチョ』は1775年頃のパリという設定にはしてあるが、当時のパリに重ねて、実はR.シュトラウス自身をはじめ、同時代の新しいオペラを模索する人々を描いているのだ。
  • ラ・ロシュのこの願いを受けて、伯爵令嬢マドレーヌは詩人オリヴィエと作曲家フラマンにあらためてオペラを依頼する。そこで『ナクソス島のアリアドネ』とか『ダフネ』とか、すでにR.シュトラウスがオペラにした題材を出すのは、勿論パロディだ。
  • 伯爵令嬢マドレーヌ以外の全員がパリに向けて出発した後、部屋を片づけながら八人の召使が、綱渡りやサーカスがいいとか、人形劇の方が好きだとか、アルレッキーノのほうが面白いとか勝手なことを言う。アルレッキーノもブリゲッラもイタリアのコメディア・デラルテの登場人物で、ラ・ロシュが大演説を通じてオペラの発展を望む一方、庶民代表ともいうべき召使たちはオペラの発展とは全く別の、従来からの娯楽を支持している。
  • そして最後、ホルンが「月光の音楽」(R.シュトラウスの歌曲集『商人の鑑』の第八曲から転用)を奏でる中、マドレーヌはオリヴィエもフラマンも選べず、月光に照らされて、二人にオペラを書かせる彼女こそミューズそのものに見えてくる。
  • 『カプリッチョ』はR.シュトラウスのオペラの集大成ともいえる作品で、ヴェルディの『ファルスタッフ』に比肩される。この台本を書いたのはクレメンス・クラウスだが、もともとこのテーマは、ホフマンスタール亡き後、『無口な女』でR.シュトラウスに台本を書いたツヴァイクの提案によるものだ。だが、ユダヤ人のツヴァイクはドイツを追われ、自分で台本を書くことはできなかった。
  • 『カプリッチョ』は、1775年頃という、まだフランス古典劇の伝統が残っていた時代を舞台に、そのフランス古典劇の世界でモットーとされた「三一致の法則」に則っている。「三一致の法則」とは一日のうちで、ひとつの場所で、ひとつの筋が完結するという、時・場所・筋の一致のことである。グルックをはじめとする音楽の先駆者たちの名を挙げるだけでなく、ギリシア悲劇、コメディア・デラルテ、フランス古典劇などの伝統も踏まえた上で、この作品がいかに緻密に作られているかが分かる。
  • 尚、中で引用されるパスカルの箴言の訳は、世界の名著「パスカル」小品集『愛の情念について』(中央公論社、前田陽一・由木 康訳)より使わせていただいた。

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@ Aiko Oshio
最終更新:2021年07月03日 08:56