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目次

「ルル」をどうとらえるか?

  • 『ルル』は、人によって好き嫌いの分かれる作品ではないかと思います。音楽は、おそらくワーグナーが聴ける人ならOKなはずなので、問題は話の内容です。果たして、主人公ルルに共感できるかということなのですが、「男を次々と破滅させる妖婦」みたいに捉えると、難しいでしょうね。とは言え、ルルを「社会の犠牲者」みたいに捉えるのもどうか?という気がします。
  • 原作者フランク・ヴェーデキントは、この「ルル二部作」(「地霊」と「パンドラの箱」)の執筆にあたって、ゲーテの『ファウスト』を参考にしたようです。そう考えると、あくまで私見ですが、一見現代的に見える舞台設定の背後に、実は伝説的・神話的な要素が隠れていて、ベルクの音楽は、原作のその部分を拡張して表現しているのではないか?という気がしてきます。上昇し転落するルルという人物に、ファウストを、はたまたジークフリートを見つけることが可能かも知れません。
  • あと、この作品は、とてもスリリングかつユーモラスで、退屈な所がほとんどありません。台本はもちろんですが、何よりもベルクの音楽に感嘆してしまいます。オペラの中に絶対音楽を組み込む手法は『ヴォツェック』以来のもので、よく市販の対訳には、その音楽構造が記載してあったりしますが、重要なのは「そんなことを聴衆にまるで感じさせない」ということではないでしょうか?プロはともかくとして、一般の聴衆は、こんなことを考えると、かえって混乱しますし、それはベルクの意図でもないでしょう。彼が色々な作曲技法を駆使したのは、何もかも「劇を効果的に見せる(聴かせる)」ためだと思います。

「ルル」は「悪女」か?

  • 個人的な話で恐縮なのですが、『ルル』は思い入れのある作品で、昔、ビンボー学生生活をしてた頃に、どうしても聴いてみたくなり、日雇いのバイトをして、そのままCDショップに直行した記憶があります。CDはブーレーズの指揮する史上初の3幕版でした。聴き始めから感動の嵐だったのですが、何より感銘を受けたのは、第2幕第2場のルルの再登場シーンです。刑務所から出て来たルルが「ああ、自由!」と絶叫する前後の音楽なのですが、ここでは、ともすれば感傷的に流れがちなメロディーと、徹底的に推敲したであろう前衛的なハーモニー(とオーケストレーション)とがギリギリの均衡を保っているように思えます。例によって、Youtubeから貼り付けておいたので、ご参考までに。
  • ところで、ルルは「オペラ三大悪女」の一人らしいです。(他の2人って一体誰なんだという気がしますが・・・。)でも、「悪人」というのは、例えば、お金目当てで年寄りの財産家と結婚して、その老人を殺して遺産を横取りするような人間じゃないですかね?ルルは、そういう意味での「悪女」ではないような気がします。ですが、ひどく自己中心的であり、なぜか人の死に対して無関心なところが異様です。
  • たまに、この作品の解説を読んでいると、「ルルが誘惑するので・・・」という文章があったりしますが、そうでしょうか?そうではなくて、男が勝手に夢中になってしまう設定なのだと思います。第1幕では、最初の夫「医科部長」と二番目の夫「画家」がバタバタと死んでいきますが、その原因はルルの側にはなくて、二人とも自分勝手な妄想の世界を生きているからにすぎません。
  • この作品の登場人物は、全員ルルの魅力にはまっていきます。第2幕までは、文字通り全ての人物がそうなのですが、シェーン博士が死んでからというもの、ルルはその神通力を失ってしまい、転落の道をたどっていくことになります。

ルルとシェーン博士

  • ルルのほうは誰を愛しているかというと、シェーン博士です。第2幕で、彼を撃ち殺した直後に歌う「あたしが愛したのはあなただけ」というセリフは、紛れもなく本心です。ルルがシェーンを好きな理由は、おそらく、シェーン博士だけが、唯一彼女と対等に張り合える(ありのままの彼女を受け入れることができる)ことを本能的に感じるからでしょう。
  • それならば、無理やりシェーン博士と結婚した後は大人しくしていれば良さそうなものですが、ルルには、そんな真っ当な生き方はできないので、相変わらず、シゴルヒやロドリーゴなどワケの分からない連中と付き合っています。(ロドリーゴというのは、ルルを「空中ブランコのアイドル(?)」に仕立て上げようとしている辺りが、ワケ分からなくて面白いです。)
  • シェーン博士は、そうなることが分かっていたので、何とかしてルルの手から逃れようとしていたのですが、その呪縛から逃れようとすればするほど深みにはまっていきます。もちろん、それは自業自得です。ルルは、彼の「作品」だったはずなのですが、逆に、自分を破滅させてしまう「ファム・ファタール」に成長してしまったわけです。
  • シェーンは新聞社の社長ですが、相当きわどいことをやって、のし上がった男というイメージです。野生的な魅力を放っている印象を受けます。新聞社という設定が共通なので、オーソン・ウェルズ演ずる「市民ケーン」を連想させます。ちなみに、原作者のヴェーデキント自身がシェーン博士の役を、妻のティリーがルルを演じている写真があるのですが、ヴェーデキントはこの女優と結婚するために、別の女性との婚約を解消したらしいです。この作品のストーリーそのままじゃないかと思って、ある意味呆れてしまいます。
  • とはいえ、ヴェーデキントは、なかなかカッコいい俳優なので、すごくハマっていたと思います。オペラでは、そういう歌手を見つけて来るのが大変ですが、第1幕第2場・第3場、第2幕第1場と、しつこいぐらい、この二人のカラミがあるので、シェーン役は重要です。
  • シェーン博士は、実はアウトローな人間なのに、一面では市民道徳の埒外に出ることができない人物でもあります。ルルに出会ってしまったのが運の尽きでした。この際、開き直って、シゴルヒ達と飲み仲間にでもなれば楽しい余生が送れたような気がしますが、世間体を気にするので、メンタルヘルスがおかしくなってしまいます。

アルヴァの「逆グレートヒェン」

  • シェーン博士の息子アルヴァには、作曲者アルバン・ベルク自身の姿が投影されています。彼自身の不倫関係が作品に反映されていると言われているのですが、ワーグナーといい、ヤナーチェクといい、オペラ作曲家の一つのタイプです。彼らは、理想家肌というか、登場人物、特に女性を理想的に美化する傾向があるような気がします。一方で、「恐妻家」(?)であったモーツァルト、R・シュトラウスの作品は「現実的」で、人間関係の「ありのまま」を描こうとする傾向が強い印象を受けます。結局、芸術家は「自分」を表現してしまうということなのでしょう。(もちろん、「傾向」ということで、いつもそうだというわけではないですが・・・)
  • さて、アルバンの分身アルヴァですが、彼こそ、まさに「女性を美化してしまう男」です。ただし、アルヴァのキャラクターが面白いのは、自分自身で、その危うさを十分感じているということです。そこが、ただ妄想的なだけの「画家」とは違います。
  • 第2幕の幕切れの最後のアリアは、それを音楽的に表現しているように思えてなりません。最初のメロディーはメカニックというか無機的なのですが、すぐにセンチメンタルなハーモニーが付き、その後、メカニックとセンチの微妙な綱渡りが続きます。この表現はとても面白く、オーケストレーションと合わせて、ベルクの名人芸に聴き惚れます。
  • ところで、ルルはアルヴァに「あなたの母親を毒殺したのは私よ」(第2幕第1場)と言います。アルヴァの母はもともと病気なので、この発言にどこまで信憑性があるのか分からない(ルルには「偽悪的」なところがある)のですが、この発言によって、父母を殺されても恋人を愛さずにはおけないというアルヴァの姿が浮き彫りになります。ゲーテの『ファウスト』では、ファウストに恋したグレートヒェンが、母を殺し、兄を(結果的に)殺し、嬰児を殺すのですが、アルヴァは、そのグレートヒェンの「男性バージョン」として描かれているように思えます。

第3幕について

  • ベルクは第3幕を仕上げられずに急死してしまったのですが、やはり第3幕がないと収まりが悪いので、最近では、ツェルハがベルクのスケッチを完成させた3幕版での上演が主流のようです。したがって、第3幕はベルク自身が仕上げた音楽ではないのですが、部分的にベルク自身が完成させた部分もあり、それは「第1場と第2幕の舞台転換の音楽」と「フィナーレの音楽」です。ですから、第3幕を上演しない場合は、この2曲だけを演奏することが多いです。これは確かに「聴かないと勿体ない音楽」です。
  • ところで、第3幕第1場では、「株でこんなに大儲けできるとは信じられない」と浮かれ騒ぐ「バブル景気アンサンブル(?)」の後に、今度は「大暴落」のアンサンブルが続くのですが、これはヴェーデキントの原作自体も凄いのですが、作曲しようとしたベルクも凄いと思います。残念ながら、ここのオーケストレーションもベルク自身ではないのですが、スケッチしていた時期は1929年の世界恐慌の直後なので、とても実感があったと思います。つい最近も同じようなことが起きたばかりなので、観客としては身につまされるところです。

ベルクにとっての「ルル」

  • ベルクはヴェーデキントの原作を、セリフそのままに「圧縮」しています。したがって、なかなか含蓄が深いセリフが多いのですが、その中で一番有名なセリフは、第3幕でシゴルヒが言う「あの女は、愛を糧にして生きることはできない。あの女の生そのものが愛なのだから」でしょう。
  • また、第2幕でシェーンがルルに言う「別れられるというのか?二人の人間が互いに混ぜこぜになってるのに、半身だけ持ってくなんてことが?」などと言うのも名セリフだと思います。
  • ところで、ベルクは『パンドラの箱』のウィーン上演を20歳の頃に見ているようです。この直前の10代後半の彼は、女中との間に子供が出来てしまったり、受験に不合格で自殺を図ったりと、ヴェーデキントの別の芝居『春の目覚め』(最近ブロードウェイでミュージカルになったようです)の登場人物を地で行く青春時代を過ごしているのですが、このルル劇の上演を見て一体どんな気持ちだったのでしょうか?
  • 若い頃の感動体験を、かなり齢を取った後でオペラとして表現しようとした印象を受けますが、作曲に当たっては、かなり逡巡したようです。それでも取り組んだのは、ものすごくチャレンジングな決断だと思います。結局、未完に終わったのですが、時代が時代なので、生きていても生前に完成・上演できたかどうか疑問です。未完だったことは残念ですが、20世紀のオペラとして屈指のものであることは間違いないでしょう。
  • 私の訳は、あまりにも現代的かつ日本に合わせたような訳なので、その点はご容赦ください。個人的には、これまでの訳や字幕にも、やはり飽き足らないところがあるので、挑戦してみた次第です。第3幕は著作権の関係がはっきりしないので訳さなかったのですが、第2幕までの鑑賞の一助になればと考えております。
平成22年5月 Wしるす


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