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ヘンデル・オペラの中の「アリオダンテ」

  • 「アリオダンテ」は「オルランド」「アルチーナ」と並んで、アリオストの叙事詩「狂乱のオルランド」に題材を得た「アリオスト三部作」のうちの1つです。また「ジュリオ・チェーザレ」を中心とした1724年頃をヘンデル・オペラの最初の傑作期とすると、その約10年後の第二傑作期を代表する作品でもあります。わかりやすい展開に加えて、アリオダンテ歌手の技巧と表現力を堪能できる名アリア、ジネヴラ狂乱の場、(ヘンデルとしては例外に属する)バレエ・シーンなど、多くの見所・聴き所があります。

台本から見た「アリオダンテ」

  • 舞台は宮廷ですが、「王」に名前が付いていないことからもわかるように、ヘンデルの多くのオペラに出てくる他国との戦争や、複雑な背景を持つ権力争いはありません。王権を狙っているポリネッソにしても、彼の個人的な野望とジネヴラへの愛(多分によこしまな)で動いており、物語の主眼はあくまで男女の個人的な愛と嫉妬です。また、魔女や魔法使いが出てきて超自然の力を発揮するシーンもなく、総じて非常に日常的・現実的なエピソードから成っています。この点ヘンデル・オペラとしては小粒な印象(あくまで台本の話)で、カストラートという「異形のスター」をメインに興行していたヘンデル・オペラの特質との間に、若干の齟齬がある気もします。しかし逆にそれが、現代の聴衆にこの作品がなじみやすい理由なのかもしれません。
  • この作品の中では「非日常的」シーンに属しますが、第2幕最後で半狂乱になったジネヴラが夢(幻覚?)を見るくだりでは、バレエが効果的に使われています。当時は様式的ないわゆる「バロック・ダンス」だったのでしょうが、現代では自由に振付けられることも多いようです。確かにここは演出家・振付家にとって工夫のし甲斐がある場面でしょう。このように現代的アレンジの余地が多いことも、人気の秘密と言えます。
  • さて、オペラ・セリアでは各幕で各歌手に偏りなくアリアを配分するために、本筋の他に脇筋があるのが普通です。しかし「アリオダンテ」にはこの「脇筋」がありません。つまり「本筋」しかないので物語が追いやすく、展開&人間関係の把握が容易です。実はヘンデル・オペラの中で現在あまり上演されない作品は、大抵の場合この本筋と脇筋が複雑に絡み合い、「登場人物が多い上に関係が複雑で分かりづらい」台本を持っています。人気作「ジュリオ・チェーザレ」の場合は、本筋「チェーザレとクレオパトラの恋の行方は?」に対して脇筋が「セストは父の仇を討てるのか?」で、このように筋のタイプが違っていればいいのです。しかし、本筋・脇筋が同質(共に恋愛など)だと、複雑な男女の相関図を見ただけで何コレ?的な話になってしまいます。これでは現代の聴衆はなかなか着いて来てくれません。
  • 「アリオダンテ」の場合、本来ならルルカニオとダリンダのくだりが脇筋になるものと思います。しかし、第1幕第10場でダリンダに愛の告白をしたルルカニオが振られた後、第3幕第9場で思いが通じるまでこの二人の絡みはありません。アリオダンテ=ジネヴラのカップル同様、最後にはめでたく結ばれるルルカニオ=ダリンダの物語は、筋ではなく主役達に華を添える「エピソード」で終わっています。
  • このおかげ(?)で「アリオダンテ」は展開がスッキリしているのですが、本来の錯綜したオペラ・セリアの台本になじんでくると、少し物足りない気がするのも確かです。つまり、無駄なく一本筋で話を運べばそれでいいというものではない、複数の糸が綾をなす「悪しくも魅惑的な錯綜の森」に分け入る楽しみを奪われたような不満でしょうか。まあこれはマニアのたわ言なのかもしれませんが、バロックオペラ、特にオペラ・セリアに関して、19世紀オペラの価値基準で良いとされる作品だけを評価するのでなく、オペラ・セリア本来の美意識とその世界(錯綜した台本も含めて)が、もう少し認知されたらなあと思っている次第です。

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@ REIKO

はじめてオペラを訳するという体験をしました

  • はじめてオペラを訳するという体験をしました。わたしの場合英語訳からの重訳でしたので、原語からかけ離れていないかREIKOさんにチェックしていただいて、なんとか恰好がついた、というところでしょうか。
  • この作品の登場人物のなかで、最も重要な人物はポリネッソだと思うのですね。もし彼がいなかったとしたら、ジネヴラとアリオダンテは何の障害もなく結婚し、シャン、シャン、シャンで終わって、そもそもこの「アリオダンテ」という物語は成立してはいません。ポリネッソというワルが登場して、ひっかき回したからこそドラマが生じたわけです。ただ、この男、最後はあっけなくルルカニオとの試合で負けて死んでしまいます。それまでの計略がどんなに巧妙でうまく行ったとしても、ここで負けたら元も子もないのですがね。ジネヴラの擁護者を買って出るからにはルルカニオとの試合は予想されたことですから、勝つ自信はあったということなのでしょう。ところが自分の剣の腕を過信していたのか、それともルルカニオが予想より強かったのか、あっという間にやられてしまったのは、ちょっと残念でした。もうちょっとねばって、あとでアリオダンテと直接相まみえるような場面があっても面白かったでしょうけれど・・・無いものねだりですね。REIKOさんもおっしゃっていますように、この物語は話のすじがあまりにもストレートというか、シンプルというか、そんな気がします。そのあたりに少し物足りなさ感じてしまいます。
  • ポリネッソのレチタティーヴォやアリアの訳については、REIKOさんからも「すごく悪っぽく・・」と指示が出ていましたが、わたしの根が善良なせいか?あまり悪っぽくならず、極悪人というよりチンピラ風になってしまったのが心残りなところです。
  • それでも、辞書引きまくりで悪戦苦闘していると、時間がたつのもあっという間で、いい暑さしのぎでした。こんなすばらしいサイトを作ってみんなに提供していただいている管理人さんと、いろいろ助けていただき教えていただいたREIKOさんに感謝いたします。
(2010/08/20)

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@ KOH
Handel,George Frideric/Ariodante







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