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リエンツィ

目次

劇中のリエンツィと実在のリエンツォ

  • このオペラのタイトルロールは、コーラ・ディ・リエンツォ(1313~1354)という歴史上実際に存在した人物。(オペラではリエンツィとなっていますが、実際の名前の語尾はO。この違いがどこから生じたのかはわかりません。一説によれば、本名は二コラ・ディ・ロレンツォであるとも。)
  • 劇中ではやや高慢ながらも慈愛にあふれる高徳な政治家として描かれていますが、実際のリエンツォはここに見るイメージとはまったく違い、かなり横暴で自己中心的だったようです。はじめは劇中にもあるように貴族の独裁を批判し、民衆の支持を得てローマの政権を握りましたが、次第に誇大妄想的になり、気に入らない者を次々と処刑して、最後には反感を買って民衆に殺されました。殺されたといってもオペラの中でのように焼け死んだのではなく、体を滅多切りにされたあげくコロンナ家のバルコニーに二日間さらされるという残虐極まりない死に方でした。独裁的な革命家「リエンツォ」を心優しい「リエンツィ」へと変化させたのはヴァーグナーのアイディアだったようです。

全曲の白眉~リエンツィの祈り

  • 全体に類型的な音楽が占めるこの作品の中で「リエンツィの祈り」はひときわ美しいシーン。台本の上でもこの場面の持つ意味は重要で、それまで大衆を相手に神々しいばかりの姿を見せていた主人公がここで初めて人間としての感情をあらわにするのです。破門され、民衆に欺かれてもなお愛の心を失わず、人々のために祈り続ける。その高貴な姿には誰もが感動することでしょう。ここにつけられた音楽もほかの場面とは一線を画し、後のヴァーグナーを思わせる崇高な響きが奏でられます。この後に続くイレーネとの二重唱ではまたあまり魅力的でない音楽に戻ってしまいますが、台本としてはここもなかなかよくできていて、祈りの場面に引き続き人間らしい表情を見せるリエンツィと心優しい妹が語り合う心温まる場面となっています。

アドリアーノという役柄

  • 弟を殺されても恨まず、裏切られても民衆に愛を注ぐリエンツィに対して、もう一人の主人公ともいえるアドリアーノはかなり狭量な性格づけがなされています。彼は自分の父親が殺されると(しかもその死は身から出た錆としか言いようがないにもかかわらず)リエンツィに反旗を翻し、謀反者へと成り果てます。しかし、彼はもともと心からリエンツィを尊敬していたのでしょうか。アドリアーノがリエンツィの中に見るのは恋人の兄という立場であり、彼に忠誠を誓ったのもイレーネの家族とうまくやっていきたいという感情を超えるものではなかったように思われます。その証拠に彼はリエンツィのことを口にする時、必ず「イレーネの兄」という表現を使い、だからこそ忠誠を尽くさなければならないと考えています。彼にとって大事なのは自分の父親とイレーネであり、リエンツィは「恋人の兄」という存在でしかないのです。リエンツィに憎しみを抱くようになってからもイレーネに対しては愛情を注ぎ、何とか彼女を救おうとして、その結果自らも命を落とす。オペラにはよく出てきそうな凡人で、観客にとってもあまり魅力的な人物とはなっていません。最初は善人として登場するにもかかわらず、物語が終わった時最も悪い印象を残すのはこの役ではないでしょうか。
  • ところで、登場人物表で見た通り、この役はメゾ・ソプラノが歌うズボン役。これは若きヴァーグナーが崇拝していた当時の名ソプラノ、ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=デフリーント(ソプラノといっても今で言うメゾの役柄のほうが得意でした)を想定して書いたためですが、全体のバランスを考えるとかなり場違いな感じが否めません。

コロンナとオルシーニ~対照的な二人の悪役

  • 出番は少ないながら、なかなかの味を添えているのがコロンナとオルシーニです。とにかく極悪非道なのですが、一口に悪役といっても個性の違いがはっきりと描かれており、この二人が登場する一幕と二幕は台本もよく引き締まって無駄がありません。はじめから極悪人として登場するだけに、裏切り行為をしてもアドリアーノほどの反感は呼ばず、スリリングな雰囲気を盛り上げるのに大いに貢献しています。登場人物表でもちょっと触れましたが、二人のうちでより極悪なのはコロンナ。第一幕冒頭の枢機卿やリエンツィへの応対を見ると明らかにオルシーニよりも穏やかですが、第二幕に入って次第にその不気味な残虐性をあらわにします。一方オルシーニはイレーネの誘拐犯、リエンツィ殺害未遂の実行犯ですが、意外にも性格はコロンナよりも単純で、犯行もそれほど計画性があるとは思えません。どちらもバスの役ですが、コントラストを出すためコロンナはやや品のある声、オルシーニはかなり荒削りな声がキャスティングされることが多いようです。
  • ちなみに彼らも実在の貴族から名前が取られています。コロンナもオルシーニも、ローマの貴族は彼らなしには語れないといわれるほど歴史の長い貴族。オペラでも描かれているように両家は常に政治的ライバルで、派閥争いに明け暮れていました。ステファノ・コロンナは現実においてもリエンツォを嘲笑ったかどで死刑を宣告され、その後リエンツォ自身が心を和らげたために恩赦を受けるという経験を味わっています。一方、パオロ・オルシーニという人物はリエンツォの時代よりもはるかに後の世代に見られるので、劇中で彼が果たす役割はほぼフィクションかもしれません。

グランド・オペラの形式で書かれた台本

  • このオペラはヴァーグナーとしては珍しく五幕立てとなっていますが、これは当時流行っていたグランド・オペラの形式に沿ったため。グランド・オペラはフランスで生まれ、歴史や聖書に題材をとり、大勢の登場人物を要し、第二幕には華やかなバレエを入れて、最後には火山の噴火や建物の崩壊などの演出の見せ場が用意されており、全体を五幕に分けるという特徴を持っていました。マイヤーベーアの《ユグノー教徒》、ロッシーニの《ウィリアム・テル》、サン=サーンスの《サムソンとデリラ》などが代表的ですが、意外にもグランド・オペラの条件をすべて満たしているものは多くありません。上記のうち、《ユグノー教徒》と《ウィリアム・テル》は最後に殺人があるのみで演出上の見せ場はなく、一方《サムソン》は神殿崩しのシーンがあるものの全体の構成は三幕仕立て。それに比べ、若きヴァーグナーが何とか名声を手にしようと書き上げた《リエンツィ》は大がかりな祝祭の場があり、二幕にバレエが組み込まれ、最後には宮殿が崩れる見せ場もあって、グランド・オペラの決まりをほぼ忠実に守った作品と言えます。ただし、それに比例して彼ならではの個性が沈没してしまっているのも確か。グランド・オペラの形式は、劇作品を物語の内面と深く向き合うための芸術として捉えていた彼の思想と相反するものであり、そのためか三幕と四幕はとりわけ密度の低い、つまらない展開となっています。音楽的にも同じ戦争賛歌を何度も聴かされたり、面白味のないレツィタティーフ的な部分が延々と続いたりで、かなりの忍耐を必要とします。一般的なレパートリーから外されている初期三作の中では(もちろん個人的趣味は大いに関係しますが)、《妖精》が最も彼の味を出していて素晴らしく、《恋愛禁制》がかなり彼の信念を曲げていても楽しめるのに対し、この《リエンツィ》は一番退屈に感じられました。もっとも、当時はグランド・オペラがもてはやされていたこともあって、初演は大成功を収め、ヴァーグナーはようやく念願の「作曲家」としての地位を築く第一歩を踏み出したのでした。そうした意味では門出の記念といえる作品ではあるでしょう。

録音

  • このオペラは非常に長大で、カットが行われるのが慣習となっているようですが、以下の二つもそれぞれカット箇所が違います。

ホルライザー指揮/ドレスデン・シュターツカペレ

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  • もしオペラ対訳プロジェクトの対訳を読みながらこのオペラを聴こうという方がいらしたらこの盤をおすすめします。私の聴いた限り、この盤のカットはこちらの対訳ときちんと一致します。非常に豪華なキャストで、バロンチェリのような端役にまでペーター・シュライヤーのような大物が登場しています。リエンツィを演じるのはルネ・コロ。張りのある声でやや尊大なイメージを良く出しています。テオ・アダムがオルシーニを歌っていますが、彼の声はどこかずるがしこい雰囲気があるので、単細胞の悪役のイメージとはややかけ離れた感がないでもありません。もう一つ問題なのは、オーケストラの粗野な響き。かなり速いテンポも相まって、雑な印象が残ります。余談ながら、私が所持しているのはレーベルがEMIですが、現在販売されているのはこちらの写真の通りワーナーのようです。

サヴァリッシュ指揮/バイエルン国立歌劇場管弦楽団

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  • 演奏としてはこちらを第一に推します。キャストはホルライザー盤ほど豪華ではありませんが、水準の高さでは断然上。まずオーケストラの響きが端正で、サヴァリッシュの指揮もホルライザーよりもずっとドラマに肉薄した音楽づくりを行っています。リエンツィは同じくコロですが、ライヴのためもあって先のスタジオ録音とは比べ物にならないほど歌に情感がこもり、表現に磨きがかかっています。この盤で面白いのはアドリアーノが本来のメゾではなく、ハイ・バリトン(ヨーン・ヤンセン)で歌われていること。ヤンセンという歌手は他で聴いたことはなく、ここでの歌唱も平凡ではありますが、アドリアーノが女声で歌われることに抵抗のある私としてはかなりしっくりきました。表現力に恵まれているとは言えませんが、この役のもろい感じはよく出し切っています。シェリル・ステューダーのイレーネも純情さと毅然とした態度をよく表現していてこちらも適役。加えて二人の悪役もぴったりの配役がなされていて、ボード・ブリンクマンが特徴ある荒っぽい声でオルシーニを、ヤン・ヘンドリク=ロータリングが気品のある声に冷酷さを滲ませてコロンナを好演しています。ちなみにブリンクマンはこの数年後、バイロイトのバレンボイム/クプファーによる《指輪》のプロダクションでドンナ―とグンターを歌っています。この公演はDVDにもなったので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

カットについて

  • 最後にカットについて一言。こちらの演奏はライヴということもあってか先のホルライザー盤より全体的にはカットが多いのですが、第三幕ではアドリアーノが父の死体を見つけてからリエンツィに絶交を言い渡すシーンの間にかなり長いコンチェルタートが演奏されています。具体的に箇所を記すと、「僕は自分の命を捨てても平和を守ろうとしたのに、 あなたは聞いてくださらなかった!」と「これでもう僕たちの仲もおしまいだ!」の間です。この部分は当プロジェクトに掲載されていないので、私自身内容がわかりません。この点だけご容赦いただけますよう、読者の皆様にはお願い申し上げます。

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© Maria Fujioka



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