"さまよえるオランダ人"

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Wagnerのテキストを読む時

  • Wagnerのテキストを読む時、いつも私の頭の中に沸いてくるのは、日本の歌舞伎の口調です。すっかり、そのとりこになってしまわないよう、戦いながらの翻訳です。だって、彼の、言葉の、誇張した身振り、一種の、うねりを持つ文章は、歌舞伎の台詞に似ているでしょう。

オランダ人の訳で考えたこと

  • オランダ人の訳で、考えたことは、
  1. オランダ人は、センタや、ダーランドの時代より、何百年か前の人間だということ。
  2. 富、または、裕福な人間に対する、ダーランドの、生まれつきの媚。
  3. オランダ人の、業罰をうけたにもかかわらず、捨ててはいない驕り。
  4. エリックは、現実的な、当たり前の若者。若い!
  5. センタは、時々、幻想のとりことなるような、幾分ヒステリックな性格の持ち主。
  6. センタのバラードや、舵手の歌う小唄は、純粋な歌としての歌詞。
  7. そして、会話(activな部分)が、独り言(reflectivな部分)に移ってゆく箇所 - その反対もあり。
    などなどを、頭の隅において、訳しています。でも、自分の日本語の語彙の乏しさに、あきれること屡です。

ローマン派の最後を飾る巨星

  • Wagner様に関しては、音楽的には、ローマン派の最後を飾る巨星 - この人ほど、同時代の作曲家に影響与えた人は、他にいないという意味で。歌詞的には、大きな鋏が欲しいですよね。彼の時代には、彼のオペラがイタリアで上演されるときには、Pucciniなどが、鋏を入れたのです。もっともでしょう。人間的には?こういった批評はしたくないし、する意味がないと思います。ただ、オランダ人を書く前ごろ、彼の最初の奥さんが浮気をして、彼、そうとう参っていたようで、だから、このようなテーマ - 女の貞操 - が取り上げられたのだろうとか。そのころには、まだ、彼もまだ、純情だったのですね。

動画作成のための、再検討の後で

  • 「彷徨えるオランダ人」のテキストを、このプロジェクトで翻訳してもう、3年にもなろうか、、、。動画を作成しますが、テキストの変更などありませんか、という、連絡を頂いた。それで、三年来始めて、また読み返してみた。結果は、変更など、どころか、全部書き直したい気持ちになった。理由は:
  1. 原語の読みが浅かったと、反省させられる箇所があったこと。
    例えば、オランダ人が女人に要求しているのは、私が、最初の翻訳時に考えたように、死にいたるまで、即ち、生涯の貞節どころではなくて、死する後までも(bis in den Tod)の貞節であったこと。ただし、センタの最後の言葉は、死に至るまで、(bis zum Tod)すなわち、生涯の貞節であり、微妙な食い違いがある。音節の関係で、センタのテキストを変えたとは、思われない。なぜなら、Wagnerは、言葉に非常に忠実に作曲したので、すでにメロディーがあって、言葉をそれにあて嵌めなければならぬ必要はなかったのである。そもそも、そんなことをしたくないために、彼は、テキストを、自分で書く決心をしたのだった。他の作曲家とリブレティストの場合であれば、こんなことは殆ど気にしないのだが、Wagnerの場合には、気になる。理由を考えても分からなかったので、bis in den Tod の訳の方だけを訂正した。彼が生きていたら問うてみたいと思った。
  2. このプロジェクトの場合、原語のテキストと邦訳が、画面に並行して流れるために、“!”や“?”の着いている位置が、原語のものと食い違ってくると、見ていて、なんだか居心地が悪くなる。日本語の構文の性質上、仕方のないところもあるが、できるだけ、原語のテキストの形に合わせるように、もう一度、見直してみた。
  3. 実際の舞台や、DVDで鑑賞するオペラとちがい、このプロジェクトでは、視覚的なものは、画面を見る人の想像力に任せられる。そこで、その一助となるよう、登場人物の言葉を、その人物像に出来るだけ相応しいと思われるものにまで、持っていくか、または、単に、言語のtranslationだけを、出来るだけ正確におこなって、後の事は、音楽の力に任せるかの二つの方法があると思う。私は、この邦訳では、オランダ人の、長年の艱難によって、すさんだ性格を現してみたいと思い、彼の独白の箇所では、一人称に “おれ”を用い、会話の中では、センタの父親が、直ぐに一目置ける人物と認めたが故に、“わたし” 用いた。人称代名詞の豊富なのは、日本語の、有利な点であろう。だが、果たして、こんな小細工をすべきか、せずにおくべきか、訳者の皆様方のご意見を伺いたい。

Senta(センタ)の名付け親は、ワーグナー?

  • オペラ・オランダ人に出てくるヒロインの名前をR.Wagnerは,Sentaと記した。だが、Wagnerが種本とした、ハインリッヒ・ハイネのDie Memoiren des Herren von Schnabelewopskiでは、アムステルダム劇場で上演された芝居の中で、オランダ人の船乗りに永遠の愛を誓った女性の名は、Katharina(カタリーナ)と言った。Wagnerは何故、この名前を自分のオペラに取り入れなかったのだろうか?
  • Sentaという名前は、現今のドイツでは、女優のSenta Bergerの例をのぞいては、あまり聴かない名前である。Wikipediaからの孫引きによれば、この名前がドイツで出生登録簿に記載されるようになったのは、1860年以降の事であるという。それなら、Wagnerのオランダ人がドレスデンで1843年に初演され、一躍世に膾炙されるようになった後の事である。訳者が目にした限りでも、ドイツの古い時代(15-16世紀頃)の名前のリストに、Sentaは載っていない。さらにWikipediaによれば、この名前の原型が、ラテン系のVincentiaやCrescentiaであると言う説には、根拠が無さそうだとのことである。
  • 一方、男性名の、Vincent(この世の苦に打ち勝つ者)は、今日でも、しばしば用いられている。訳者には、Sentaの役柄からして、オランダ人に降りかかった呪いに、愛を持って打ち勝つ者として、Vincentiaは適当な名前であると思える。
  • しかし、ヴァーグナーが、このことからヒロインの名前のヒントを得たとして、その短縮形が、Centaでも、Zentaもなくて、Sentaとなったのは、どうしてだろうか?
  • オペラに登場するSentaはドイツ人ではなくて、ノルウエー人である。訳者は、あるノルウエー人のワグナー研究者に、この名前について尋ねてみたことがある。彼の推測では、ノルウエー語で娘という言葉は、Jenteと言いその発音「イエンタ」がSentaに似て聞こえたからではないだろうかということであった。
  • Wagnerは、1839年 現在のLettlandの都会Rigaでのオペラ指揮者の職を失い、借金取りに追われて海路イギリスに向けて遁走中、オランダ人のオペラに描写されているとおりの暴風雨に見舞われ、命からがら、二度までもノルウエーの海岸に避難したのであった。その際、Jenteという言葉を聞きかじり、その語を彼のヒロインの名にしたのであろうという説も、納得できないことは無い。Senta以外の登場人物にも、乳母のMary (ドイツ語ならMaria)、求婚者のErik(同じくドイツ語ならErich)、父親のDaland(ノルウエー語で岩山)と、それぞれに、スカンディナヴィア風の名前が付けられている。
  • さて、この先は私の妄想に過ぎないが、Sentaという語が、私にまず思い起こさせるのは、痛み、悲しみ、同情などを感じるという、イタリア語のsentireという動詞の接続法現在形の、sentaという語である。娘Sentaが、実際に見合う以前から、オランダ人に抱く感情は、彼の悲しみ、痛みに対する深い同情の気持ちである。ワーグナーは、この事を繰り返しSentaに歌わせている。モーツアルトのように、イタリア語でオペラを書きはしなかったが、既にCarlo Gozzi原作の「妖精」を完成し、ローマの護民官「リエンチ」を題材としたオペラを作詞作曲中のWagnerにとって、イタリア語は、ごく身近な存在であったのではないだろうか? 後々の事ではあるが、彼がその生涯をヴェニスで終えたことなども、合わせて想い起こされるのである。ただし、1860年以前のドイツの古文に、若しSentaの名前が発見されれば、以上の考察は全て無効となることを、お断りしておく。
  • さて、Sentaの由来に関して想像を逞しくするのはこれぐらいにするが、まだ一つ問題がある。このSentaを、Wagnerが何と発音したかが知られていないからだ。ある人はゼンタと呼び、ある人はセンタと呼ぶ。もしこの名前がドイツ人の娘に付けられたのであれば、ゼンタと呼ぶのが妥当であろう。しかし、今一度繰り返すが、「オランダ人」のなかに出てくる娘はノルウエー人でなのある。ノルウェー語の読みに従えば、これは、ツェンタとなる。しかし、レコーディングされている歌手達は、大方、イタリア式にセンタと発音しているようである。Sentire - sentaの絡みもあって、私も、この名をセンタと記すことにした。ノルウエー語読みを徹底させれば、Dalandはダラーンであり、Erikはエリキとなる。

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最終更新:2014年06月26日 19:50