"ウィンザーの陽気な女房たち"

対訳

訳者より

  • ヴェルディ晩年の鮮烈な作品があまりにも有名な「ファルスタッフ」、原作のシェイクスピアの喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」の魅力でしょう、いろいろな人がオペラに取り上げています。その中で一番訳して見たかったのは本場イギリスのヴォーン=ウイリアムズが自ら台本まで書いた「恋するサー・ジョン」だったのですが、残念ながらもうしばらく著作権が生きていますので、やむなくこちらの方を見てみることにしました。ばりばりのドイツ語オペレッタに化けてしまいましたのでシェイクスピアらしさはちょっと薄まってしまったかも知れませんが、美しいメロディを散りばめたなかなかによくできた作品で、やむなくと書きはしたものの聴きながら訳すのもとても楽しい作業でした。作曲家の知名度からかあまり人気がないのがもったいないです。第3幕でのウィンザーの森で妖精たち(に扮した人間たち)が集うシーンなんかはメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を彷彿とさせる幻想的なもの。そこでこんなヌルいコメディが展開するところなんかは実に面白いもので、シェイクスピアが創り上げた見事な人物設定を見事にドイツオペレッタの類型にはめ込んでいます。
  • 原作は登場人物が多くて筋書きも錯綜していますので、オペラ化に際しては誰も皆大幅に人物や台本を刈り込みますが、このニコライのものも第1幕は思い切って前置きをすっ飛ばし、原作では第2幕第1場の女房達がファルスタッフからラブレターをもらって困惑するところから始まります。ヴェルディの作品では魅力的な登場人物だったファルスタッフの手下のバルドルフとピストルは登場せず、また存在感あふれる狂言回しのクイックリー夫人も出て来ません。続くシーンは原作の第3幕第2場、ペイジ氏(ニコライ作品ではライヒ氏)の娘アンナの二人の求婚者、金持ちだが少々足りないスレンダー(同:シュペアリッヒ)とフランス人で口が恐ろしく悪い医者のキーズ(同:カイアス)のさや当てのあと、引き続いては原作にないアンナと相思相愛の若者フェントンとライヒ氏とのやり取り。そしてそのままヴェルディでは実に強烈なドタバタが繰り広げられたフォード屋敷での洗濯籠にファルスタッフが押し込まれてテムズ川に放り込まれるシーン(原作第3幕第3場)。ただし舞台で放り込まれるのはヴェルディの台本を書いたボーイトの改変で、原作でもニコライの作品でも川へ放り込まれるところは描写されていません。代わりに妻が浮気したのではないかと嫉妬に怒り狂うフォード氏(同:フルート氏)と夫人との壮絶なバトルはご近所の皆さんを巻き込んでインパクト大。ニコライの作品はタイトル通りに主人公はウィンザーの女房たちとその夫ということで、ファルスタッフの影はやや薄くなりました。
  • 続くニコライの第2幕は酷い目に遭ったのをガーター亭で不貞腐れているファルスタッフ(原作の第3幕第5場)。クイックリーが登場しませんので二度目の誘い出しも手紙です。
  • そのあとのシーンはニコライのオリジナル。アホな体育会系の大学生みたいなノリでの酒の一気飲み競争。もっともここでファルスタッフの歌う戯れ歌はシェイクスピアテイスト満載でなかなかイケてます。一気飲みに圧勝したファルスタッフは謎の紳士ブルック氏(バッハ氏:実はフォード氏の変装)の来訪を受け、フォード夫人をあなたの魅力で誘惑してくれという奇妙な依頼を受けます(原作では遡って第2幕2場。第3幕のフォード亭での騒ぎの伏線でした)。ここはゴキゲンなポルカで盛り上がるなかなか楽しいシーンです。続いてのアンナとフェントンが実らぬ恋を嘆くシーンは原作の第3幕第4場が下敷。ただ原作にない二人のフェントンの恋敵たちも絡ませています。その後の幕切れ、フォード亭から今度は女装して逃げ出すファルスタッフのシーンは原作第4幕第2場。フルート(フォード)夫妻の壮絶な夫婦喧嘩は前の幕同様ここでも見もの(聴きもの)です。
  • ニコライ作品 第3幕冒頭はすべてを明かした女房達と夫たちのファルスタッフを嵌める最後の作戦会議(原作の第4幕第4場)。それに絡めて娘のアンナをカイアスと結婚させたいライヒ夫人と、シュペアリッヒの若旦那と結婚させたいライヒ氏との謀略が渦巻きます。その謀略を逆手に取って、更に上を行く作戦でフェントンと結ばれようとするアンナ、あとはウインザーの森での出来事はほぼ原作の第5幕第2場から第5場通りに進行します。上にも書きましたが「真夏の夜の夢」の幻想的な雰囲気を織り込みながらドタバタ騒ぎが展開するのはとても楽しい聴きものです。最後の幕切れはやはりこの物語の主役であった女性たちが仕切って割とあっさりと終わります。観客に話しかけて終わるところなどは大衆演劇の味わいもしてなかなかに味のある幕切れでした。

録音について

  • あまり人気が(少なくとも日本では)ない作品ですが、少々古いですけれども魅力的な3つの録音があります。
  • ロベルト・ヘーガー指揮バイエルン国立歌劇場のもの(1963)は非常に芸達者な歌手たちに支えられて実に楽しい仕上がりです。台詞の部分もかなりたくさん録音に盛り込まれていますので、今回の対訳がそこそこお役に立つのではないかと思います。ファルスタッフを演ずるバスのフリックが実に良い味。第3幕で虫たち(に扮した群衆)にツネツネされるところの喘ぎ声なんかは艶めかしくて素敵です。フェントンを歌うヴンダーリッヒとアンナを歌うマティスのコンビのリリカルな美しさも特筆ものでしょう。個人的には一番好きな演奏です。
  • 1976年のベルンハルト・クレー指揮ベルリンシュターツカペレのものはとにかく歌手陣が豪華で歌の饗宴に聞き惚れます。クルト・モルのファルスタッフにベルント・ヴァイクルのフルート氏、ライヒ氏にジークフリート・フォーゲル、フェントンにはペーター・シュライアー、お相手のアンナはヘレン・ドナート、フルート夫人はヘーガー盤ではアンナだったエディット・マティス、あんまりこういうしたたかな女性のイメージはなかった人ですが、第2幕で怒り狂うヴァイクルのフルート氏を手玉に取るあたりなかなか聴かせてくれます。そしてライヒ夫人はハンナ・シュヴァルツ。どの人のソロも良いんですが、重唱のアンサンブルが声といい技といいどれも素晴らしいです。もっともオペレッタにしては少々格が上がり過ぎてくだけた面白さは少々後退したような感もありますけれども。この録音はブリリアントレーベルから廉価で出ていますので一番入手しやすいかも知れません。
  • 続いて1976年にはラファエル・クーベリックがバイエルン放送交響楽団とコーラスを振っていれた録音。こちらは歌手に少々ばらつきがありますが、ノリの良いオケと合唱に助けられてなかなか面白い演奏になっています。特に幕切れ近くの妖精たちによるハンガリー風のコーラス。序曲でも印象的なメロディでしたが、これ以上ないくらいの快速でぶっ飛ばして爽快な音楽となりました。歌手ではリッダーブッシュのファルスタッフがなかなか品があって役柄とのミスマッチが面白いです。
  • もうひとつ2002年のヘルムート・フロイシャー指揮ケルンWDR交響楽団他の演奏はまだ聴けていません。こちらもヘンシェルとかバンゼとか2000年代初めの旬の歌手たちを起用しているのでけっこう面白そうではあります。
  • クナッパーツブッシュの指揮したライブ録音も出ていましたが、これは舞台でみたら楽しそうですが音だけで聴くと私は歌い崩しが気になってあまり楽しめませんでした。
  • あとは往年の名歌手たちが結構アリアを単独で取り上げています。70~80年ほど前には今よりもはるかにポピュラーな演目だったということなのでしょうね。

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@ 藤井宏行

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最終更新:2016年06月25日 09:16