"シモン・ボッカネグラ"

対訳

全曲(動画対訳)

哀れなる父の胸は



訳者より

  • ヴェルディの全オペラを耳にしているわけではありませんので断言するのは憚られますけれどこの作品、私はヴェルディの中でも最も抒情的なオペラではないかと思っています。ヴェルディというと熱いドラマと、血湧き肉躍る力強い音楽が畳みかけてくるのが魅力だと感じている方が多いからでしょうか。この「シモン・ボッカネグラ」、その内容の充実度の割には人気の方はいまひとつという印象があります。
  • それと女っ気が非常に乏しいのもハンデでしょうか。ヴェルディのオペラは全体的に見ても女声比は低目の傾向にありますが、それにしてもソロで歌うのがちょい役で1幕に出てくる侍女を除くとヒロインのアメーリアただひとりというのは少々つらいかも知れません。
  • イタリア西北部・リグリア海に面した商都ジェノヴァで14世紀に活躍した平民シモン・ボッカネグラは実在の人物なのだそうで、このオペラと同じようにジェノヴァの総督の地位に昇り、そして同じように毒殺されているようです。プロローグでパオロとピエトロが会話しているように選挙の票を買収するところや、総督は選挙で選ばれているはずなのに、第3幕の幕切れでいつの間にか娘婿への世襲がなされていたりといった、現代の政治にも繋がってくる問題が19世紀のオペラで描かれていることも興味深いですが、それよりも何よりも面白いのはこのオペラ、日本のお昼のメロドラマもかくやと思わせる家族の憎しみと、そして和解を描いているというところです。
  • プロローグでは行方知れずになっていた娘マリア(成長してからはアメーリアと名乗っていた)と25年振りに再会した父親シモン、そしてマリアの祖父で貴族のフィエスコは自分の娘を奪ったシモンをプロローグから25年間憎み、対立し続けますが、最後の幕切れで孫娘が思いもかけず生きていたことが分かり、シモンと涙の和解を果たします(しかも彼女の育ての親として、孫娘とは知らずずっと育てていたというのも何だかメロドラマ風の展開 ちなみに貴族である彼は平民総督シモンの政敵ですので、第1幕では身分と名前を隠してアンドレアと名乗っています)
  • 物語の方は主人公シモンが最後に死んでしまいハッピーエンドとは行かないのですが、なぜかほろりとさせられるのはこの筋書きがあるからに他なりません。その分血で血を洗う他のオペラのような激しさは減退しているように思え、冒頭に申し上げたような抒情性が一際はっきりと浮き立ってくるのです。
  • それとこのオペラを特徴付けているのは悪役パオロの情けなさ。財産目当てで嫁にしようとしたアメーリアが手に入らぬと知るや彼女を誘拐しようとたくらんだり、その事実がシモンにばれて公衆の面前で恥をかかされたことをうらんで何をするかと思えば、シモンをじわじわ効く毒薬で殺害したりと、同じ悪でも「オテロ」で活躍したイアーゴのようにふっきれていません。初演版では現行版のように悪事が露見して処刑場に引かれる第3幕冒頭のシーンがなく、フィエスコに悪事を告げて逃亡するだけの小悪党ぶり、これではあまりにフラストレーションがたまるということで最期は処刑場に引かれるという勧善懲悪にしてカタルシスを得ようという改訂がなされたということでしょうか。
  • と述べましたように、1857年の初演(ピアーヴェ台本)が失敗に終わったため、1881年には、「オテロ」「ファルスタッフ」の台本をのちに手がけることとなるアリーゴ・ボーイトの手になる改訂版が上演され、この台本で現在はもっぱら上演されています。もっとも第1幕の終結部や第3幕の初めの部分などは大幅に筋が書き換えられましたが、あとは細かな語句の修正はあるものの台詞はほとんどピアーヴェの初演版台本のままです。

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@ 藤井宏行

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シモン・ボッカネグラとは

  • シモン・ボッカネグラの89%はむなしさで出来ています。
  • シモン・ボッカネグラの8%は媚びで出来ています。
  • シモン・ボッカネグラの1%は株で出来ています。
  • シモン・ボッカネグラの1%は赤い何かで出来ています。
  • シモン・ボッカネグラの1%はスライムで出来ています。
最終更新:2023年11月03日 19:59