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生有るかぎり


 納豆 弾



 狡賢くなければ生き残れない。ましてや一匹となると、尚更だ。
 群れから放逐されたオオカミが一匹。もはや抱える程も無く痩せ細った腹を撫でる。
 その姿は、体格こそかつての面影を残してはいたが、朽ちた毛並みの下から骨が透けて見えそうな按配であった。
「こんにちは」
 空腹のあまり意識が朦朧としていたのだろう。その声を聞くまで、少女の存在にオオカミは気がつかなった。
「……ああ。こんにちは」
 赤いフードを被った、可愛らしい少女だ。まだ幼い。
「今日はとってもいい天気ね」
 空を仰ぎ見て、無邪気にその〝赤ずきんちゃん〟は笑った。
「うん。いい天気だ」
 オオカミは同意し、ぎこちなく笑みを返す。栄養の足りない頭を必死に働かせる。
 今、ここで食べてしまうべきか?
「赤いずきんの可愛いお嬢ちゃん。これから、何処へ?」
 まず、この子が独りかどうか、確認すべきだ。
「これからおばあさんの家にお使いに行くの」
 誇らしげに小さな胸を張り、赤ずきんちゃんはバスケットを掲げて見せた。
 蓋をするように被せられた白い布巾から、ワインの先が飛び出し、その隙間から甘い菓子の匂いがする。
「お母さんと一緒に?」
「違うよ!」
 子供扱いされたのを不服そうに、幼い赤ずきんちゃんは口を尖らせて否定した。
「一人でお使いするの!」
 独りか。オオカミは目眩のする瞳を凝らし、周囲を確認した。
 弱った感覚がどこまで信用に足るかどうか解らないが、他者の気配は無いと感じる。
「そうか。そいつは偉いね」
「えへへ」
 褒められて、一転して赤ずきんちゃんは照れた表情を浮かべた。
 問題は。一発で仕留められるかどうか、だ。
 かつては半日は獲物を追い詰めたものだが、既にその体力は失われている。
 利点であった巨体も、今となっては体力を無駄に消費するだけだ。
 今の体力から逆算して、狩りが出来るのはたった1度だけだ。失敗すれば、体力を全て失い死を待つのみとなる。
 赤ずきんちゃんは幼い。だが、若い。追いかけっこをして負けるのはどちらだ?
「おばあちゃんの家はここから遠いのかい?」
「えっとね、この道の先を左に暫く行った所だよ」
 オオカミは隅々まで把握していた狩り場の地図を頭の中で広げた。
 記憶が正しければ、人間が頻繁に使うこの道の先は二又に分かれている。その左の先。
 そこは、狩人がよく現れる場所であり、群れは滅多に近寄る事のない領域だった。
「そうか。それなら、道の途中、右側に獣道がある。そこへ少し立ち寄りなさい」
「どうして?」
 あどけない表情で首を傾げる。
「そこに綺麗なお花畑がある。そこでおばあさんにお花を摘んでおあげなさい。きっと喜ぶことだろう」
「とっても素敵。きっとそうするわ」
 無邪気に笑う赤ずきんちゃんを見て、オオカミもまた、笑みを返した。


 おばあさんの家は直ぐに見つかった。
 少しでも時間的猶予を稼ぐ為に最後の体力を使い、道無き道を走破したオオカミは荒い呼吸を整える。
 体力はもう限界だ。おばあさんの家に近づく。赤ずきんちゃんの声を思い出しながら、オオカミは声色を整えた。
 戸口に立つ。最後に、オオカミはもう一度思案した。
 本当に人間を食ってもいいのか。
 一度、人間を食ったオオカミは、例外無く、必ず人間に殺される運命が待っていた。

 戸を、ノックする。

「おや、どなただい?」
「私よ、おばあさん……」




 片手にはバスケットを提げ、もう片手には一杯の花束を抱えて赤ずきんちゃんはおばあさんの家の前に立った。
 戸をノックする。
「おや、どなただい?」
「私よ、おばあさん。お母さんのお使いで来たの」
「そうかい。そりゃ、偉かったね。どうぞ、お入りなさい。おばあさんは病気で立てないから、戸は自分で開けとくれ」
 そう言われ、赤ずきんちゃんは喜び勇んで、おばあさんの家へ入った。

「おばあさん、私、一人でお使いできたのよ」

 その言葉を、おばあさんは大きな耳で聞いた。

「おばあさん、見て、綺麗なお花でしょ? 私、摘んできたの」

 そのお花を、おばあさんは大きな目で見た。

「えへへ」

 嬉しそうに近寄ってきた赤ずきんちゃんを、おばあさんは大きな手で撫でた。

「おばあさん?」

 おばあさんの姿を見て首を傾げた赤ずきんちゃんを、


 大きな口で食べた。





 腹を満たしたオオカミは、しかし、すぐに足音に気付いた。
 狩りの為に最小限の音しか立てない、毛皮の靴の音だ。
「おうい、ばあさん。薬を貰ってきてやったぞ」
 そう言って、狩人が戸をノックする。
 不味い事になった。満腹になって眠気の催す頭を振り、オオカミは考える。
「ああ、狩人さん。ありがとう。そこに置いておいてくれるかい?」
 声色を整え、おばあさんの声を真似て返事を返してみるが、
「何を言ってるんだ。病気が重くて立てない癖に。強がりはよしなさい」
 そう言って、狩人が戸を開いてしまう。咄嗟に、オオカミは窓を破って外へと飛び出した。
「何だ!?」
 流石に狩人の反応は素早かった。室内の様子を見、そして飛び出した灰色の影から大方の察しをつける。
「オオカミか!」
 狩人は薬を放り出し、肩に担いでいた猟銃を構えて駆け出した。



 水平二連。片方の、一回り大きい銃身に散弾を詰め、片方の、一回り小さい銃身には単弾を詰めている猟銃。
 奴だ。オオカミは重い腹を引き摺りながら、必死で駆ける。死神だ。
 狩人の足音は聞こえない。毛皮の靴をはいた狩人の足音は、オオカミ自身の足音と酷似し、紛れ込む。
 周囲が茶色に染まった。銃声が響く。木屑が舞い散り、視界を一瞬奪う。後ろ足を滑らせながら、オオカミは左に急旋回した。
 逃げ切らなければならない。逃げ切れるだろうか。あの、死神から。
 あの死神の鎌は音より早く死を運んでくる。今の自分に、逃げ切れる自信は無い。
 いや、逃げ切ったところでどうする?
 人間を食ったのがバレたのだ。何れ、殺されるに決まっている。

 だとするならば。




 奴だ。狩人は、猟銃を機関部と銃身の繋ぎ目で折って使用済みの散弾を取り出した。
 まだ熱いそれを上着に仕舞い、新しい散弾を取り出して右の銃身に込める。
 折った猟銃を戻して、右側の撃鉄を起こした。前後に二本ある引き金の、前の引き金に指をかける。
「遂に見つけたぞ……。長い間、貴様を探していたんだ」
 オオカミの足音は聞こえない。何処かに潜んでいるのか。
 若い頃は、勇猛。歳を重ね、老獪。長らくこの森を縄張りとする群れの頂点であったオオカミ。
 間違い無い。最近、群れの長が変わったようだったが、どうやらまだ生きていたらしい。
「人を食うまでに落ちぶれたか」
 息を小さく、小さく整える。口臭すらも嗅ぎ分けかねない相手だ。口を閉ざし、身を低くする。
 2足歩行である人間の欠点は、その高さだ。茂みから身体を出してしまっては、相手から丸見えてしまう。
 茂みに身を隠しながら、周囲へと感覚を巡らせる。左手で鉈を抜き、何時でも使えるように地面にそっと刺した。
 獣の臭いが近づく。

 だが、足音は、無い。

 狩人は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。狩人として、ただひたすらに野生を生き抜いてきた狩人への畏怖。
 まるで死神だ。狩人は恐怖を押し殺すように猟銃を握り締める。
 死神の鎌が狩人の喉を狙っている事を確信する。今、オオカミは何処まで来ているのだろうか。
 地面を蹴る音。葉が擦れる音。二つの音が狩人の右耳に飛び込んできた。
 猟銃を向け、引き金を絞ると散弾が発射された。だが、散弾は上へと飛び出した。
 オオカミの突進を受け、狩人の身体が仰向けになったからだった。




 銃声が耳朶を打ち、オオカミの耳が一時的に使いものにならなくなる。
 口を広げ、狩人の顔面を飲み込んだ。

 このまま、窒息させてやる!

 だが、予想に反して……いや、オオカミの予想通りに狩人は冷静だった。
 顔面を覆われてもパニックを起こさず、無理に引き抜こうとしない。お陰で、あまり顔面に牙が食い込まない。
 ずるっと、土から何かが引き抜かれる音がした。
 何時の間にか空に浮かんでいた月明かりに鉈の刃が閃く。

 首に鉈の刃が食い込んだ。

 顔に咬み付かれ押し倒された状態では鉈を振る手に力を加えられない。
 オオカミの首の肉に鉈が食い込む。二度目で骨に到達した。三度目で骨を傷つける。
 狩人は必死で鉈を振るった。だが、呼吸が出来ない狩人の運動機能は急速に低下していく。
 やがて、動かなくなった狩人から口を離し、オオカミは首から血を滴らせながら狩人の死体から離れた。




 まるで石を詰めたように重い腹を引き摺る。

 消化し、栄養となるにはまだ時間が掛かる。だが、それまでに自分は生きてられるだろうか。

 野生において、僅かな傷も化膿し致命傷となりえる。

 生きる為に遂には人間まで食ったのだ。後で、あの狩人も食べて生きてやる。生きらいでか。

 オオカミは朦朧とした頭でずるりと歩き、


 やがて猛烈な眠気に襲われて、その場で深い眠りについた。



(終)

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