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RED・MOON~満月が堕ちた夜~ 第2、3章

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REDMOON~満月が堕ちた夜~ 第2,3章

 {初めに…
 この作品は東風の作品「MELTY KISS」の人狼側からの話です。
 よって、その作品と世界観が同じはずですが、稀に違うところもあるかもしれません。その時は温かい目で見過ごしてください…


 ……では、始まり始まり……

 第二章
      1
 大神と大魔女の戦いも今では神話の話。
 あの戦いから百五十年が過ぎた。
 大神殿があったあの丘には今は何もなく、人もあまり近寄らなくなった。
 静かな夜だった。野兎が耳を澄ませ、フクロウが獲物を捜し木の上で首を回している。至る所に命がある夜。
 しかし彼らは一斉に息を潜めた。何かを感じ取るかのように。
 不気味な三日月が大地を照らす。広大な草原が広がる中で、大神殿があったちょうど丘の天辺は草一本生えてはいなかった。
 そのちょうど中心。突然地中から腕が突き出る。ゆっくりと手を閉じると、徐々に全身が姿を現す。
 生々しい皮膚が張ってない筋肉はまるで寄り添うようにして見る見る覆われていく。
 久し振りの空気を胸いっぱいに吸い、彼は雄叫びをあげた。森の生命はその声に震え身を縮める。
彼は黒い髪、鍛えられた体。そして赤い瞳…

      2

 百五十年…予想よりも早かった。まさか彼がここまで早く復活するとは思いもしなかった。あと五十年は堅いと考えていた自分の甘さにこれほどまでに苛立ちを覚えたことはない。
 しかし、急いだ再生はどこかに皺寄せがきているはずだ。完全でない彼は今の段階ではまだ脅威と呼ぶには相応しくないだろう。その前に私は何としても力を取り戻さなければならない。
 転生の魔法によって一度器から出た私は、輪廻転生の枠から外れてしまい魂の状態で一から器を形成する必要があった。それに思いのほか魔力を使い切ってしまった。
 体が出来上がった時には人狼を倒すどころか、人間達からですら劣るほどの力しか持ち合わせず苦労した。
 と、言っても今ではようやくだいぶ力は回復してきた。だが、全盛期の時に比べれば全然なのは歴然だ。
 あと苦労したのが新しく魔法を覚えることだ。私が使っていた魔法は百五十年という月日によって捨て去られた物となっていた。別にそのまま使ってもいいのだが、この状態で私の素性が不特定多数に漏れることは好ましくなかった。少ないと言っても百五十年前にオリスに味方していた狼(アルタニス)と呼ばれる人狼達の末裔も生きている。今彼らに襲われて撃退できるほどの魔力が私にあるか客観的視点から見ても疑問だ。
 名も変え、姿も変え、ひっそりと暮らしているのはあまりにも情けなく思うこともあるが、それももうすぐ終わるだろう。
 オリスの復活は私も感じられた。ある種の共鳴感は昔からあったが、転生後もしっかり働いたのは驚いた。
 どうあれオリスの復活を私と同じように共鳴感を持つアルタニス達も知っただろう。私はオリスの下に彼らが集う前に何とかする必要が出てきた。ホントに面倒だが…溜息しか出ない。
 オリス。一体あなたは今、どこを歩いてるのかしら?
★   ☆   ★
 とある森の中。深すぎて立ち入る人間もいないほどの奥深く。
「妾が命ず、風よ。お茶を持ってこい!」
 古い魔法書のページをめくるアークは視線を本から外すことなく、軽く手を上げる。と、火にかけられたポットが独りでに持ちあがり脇に置いてあるコップにお茶を注ぐとアークの手まで浮いてくる。
「ふ~ん。そうなんだぁ~。長く生きてても知らなかったことって結っ構あるのねぇ~…っアツっ!」
 飛んできたコップを取り飲もうと口に運んだが、思いのほか熱く噴き出す。
「あっ! 私の本が!」
 慌てながら汚れた本を拭く。
 新しい体が子供のせいか、この体になってから自分の幼い一面が多く出ている。初めはそんな自分に違和感を感じたが、今は全然気にもならなくなった。
「ああ~。もうめんどくさい! もういい!」
 拭いても取れない本の汚れに一人怒りだし、諦めた。
 濡れている本を放り投げてイスにもたれかかるアークは天井を見ながら背中を伸ばす。
「ん? 風で物が浮くんなら、私飛べるんじゃない?」
 ひらめいたように言いだすと、イスから起き上がり机に積まれた本の中から一冊抜き取ると広げ読み始める。
「よ~し。楽しくなってきたぁ~」
 笑みを浮かべ彼女は本を読みながら「練習、練習」と部屋を出る。

      3

 百五十年…長い年月だった。再生時の体の燃えるような痛み絶え間なく続き、気が狂いそうになりながらもようやく体が砂の中からでてきた。まだ全快ではないし、痛みも消えない。
『情を持ち、一生命として生きている。痛みを消すこともできるのに、そうしないのが証拠』
 痛みは自分への戒め。痛みを感じる度に私は目的を噛みしめ、初めの気持ちを思い出す。
 神は人間の痛みを知ってはいけないのか?
 一体そんなことを誰が決めた?
 しかし、百五十年の歳月でこの世界も変わった。人間はそこらかしこに生息し、生きるための技術も格段に上がっている。おかげで私はおちおち、大神の姿(実態)で歩くことがかなわず、人間の姿で歩いている。
 この世界はすでに彼ら人間独自の宗教と言うものが作られ、しばしばそれらの対立で戦争を起こしている。
 私は何年も世界を歩き回り驚いたことは、魔女も人狼も隠れて生きていることだ。それもうまく紛れ込んでいるため捜すのが容易ではない。人狼はともかく魔女までも毛嫌いし討伐対象にしているところを見ると、やはり人間はどこまでも厚顔無恥のようだ。そこだけは何年経っても変わらない。いや、歳月を追うごとに増しているような気がする。
 時々、未熟な人狼が暴走し村や町を襲う時がある。私はそれを聞きつけると行ってみる。たいていは人狼になったばかりの赤子同然の人狼である。しかし私が目的としているのは彼ではない。彼女である。未熟な人狼が暴走するのはそのほとんどが魔女が傍にいるからだ。彼女らの波長は人狼の破長を乱す力があるからだ。私は魔女を狩っている。そんなことをしているせいで少しばかり有名になったが、未だに昔の同胞達の末裔には会わない。そして彼女にも…
 すでに転生を終えているはずだ。否、終えていることは間違いがないのだ。私が彼女の存在をこの世界に感じているのだから。私が彼女に自分の一部を切り離し魔法を与えたことで、一種の共鳴をしているのかもしれない。同じように同胞達にも同じことが言えた。
 まあいい。こうして人狼や魔女が出る所に私が現れればいつかは会うだろうから。時間はたくさんある。むしろ今会わないのは好都合かもしれない。時間が経てばその分私も力が戻ってくる。
 しかし、大魔女・アーク。彼女の存在はすでに神話上の人物となっており、聞いて至る所をまわったが現在に存在するのは聞いたことがない。辺境の地に身を隠しているにしても名前ぐらいは知られていてもいいはずだが。どうやら名前は変えているようだ。そして器を変えたことで姿も変わっているだろう。
 アーク。一体貴様はどこにいる? 私は再会を楽しみにしている。
☆   ★   ☆
 彼が村に着いた時はすでに酷い有様であった。道端のいたる所に人間達であった肉片が転がっている。満月の照らす美しい闇夜を、村の民家から上がる火の手が舐めるように覆っていた。
 彼はマントのフードを深く被り直し、村を見て回るが動くものは一つもない。殺せるものは全て殺して回ったと言った所だろうか。犬までも殺している。
 歩いていると家畜の柵の中にうずくまる影があった。
「うまいか? 山羊の肉というのは」
 彼が静かに言うと、飛びあがるように振りむき威嚇してくる。狼の顔をした毛むくじゃらの大男。人狼であるのは間違いない。
 人狼は何もわからないようだ。いきなり襲いかかってくる。
「そんなに急くな。私は敵ではない」
 とは言ったものの、言って通じる相手ではない。溜息をつくと掴みかかってくる人狼の腕を、人狼の身体能力ですら捉えられない腕の動きで弾く。骨の砕ける音と共に人狼の腕が変に曲がっている。悲鳴を上げる人狼。痛みよりも驚きが大きかっただろう。
 人狼の再生能力なら、これくらいの傷はかすり傷程度の物だ。
 引きさがろうとする人狼の頭を掴み地面に押さえつける。
「頭を冷やせ、破長を乱すな。落ち着いて整えろ」
 ゆっくりと言うものの全く効く耳を持とうとしない。さらに暴れる人狼の顔をさらに強く圧す。地面に亀裂がはいる。
「錯乱して聞く耳持たんか」
 瞬間に力を加えると、人狼はグエと小さな悲鳴を漏らしグッタリとして動かなくなる。
 これで静かになる。
「わぁ~お。これは驚いた。この子は私の獲物だったんだけど」
 燃え盛る民家の屋根に女が座っていた。
「あんた、何者?」
「この際、私が誰であるかは重要ではない」
 フードを取ると女を赤い瞳で見上げた。魔女は少し赤い瞳を見続けると薄ら笑み浮かべ、納得したように頷く。
「あぁ~ぁ。あんた。知ってる。人狼だ。赤い瞳の魔女狩り。あんたのことだろ? 今、私らの中じゃ名の知れた紅い月(レッド・ムーン)って」
「言ったはずだ。私が誰であるかは重要ではないとな」
 マントを脱ぎ捨てる彼はすでに人間の姿から人狼の姿になっていた。その圧倒的な存在感に魔女は口笛を吹く。
 どうやら彼女は違う。
 魔女の波長を感じ取りそう思った。アークではない。
「私はイグニス・エンティス。双炎の魔女。よろしく」
 イグニスはそう言いウィンクし投げキスをすると、オリスの体を包み込むように炎が現れる。炎が彼の体を焼こうとしてくるが、鐡の彼の毛皮を焼くには少し温度が低いようだ。
「いい月夜だな。イグニス。私のことは好きに呼ぶがいい」
 オリスは地面に向かって手を広げ叩きつける。
 地震と共に突風が吹き荒れた。それはオリスの周りの炎を吹き飛ばし、周囲の家を崩壊させた。
 イグニスの座っていた家も例外ではなかった。小さな悲鳴を上げ屋根から飛び降りると、背を向けて逃げ出す。正しい判断だが、利口な判断とは言いにくい。人狼に足に人間の足が勝てるわけがない。
 追いかけようと身をかがめたオリスに、イグニスはサッと踵を返し、両方の拳を突き出した。
「業火熱傷の音色を聞け! 我が命ずる。怨敵を焼く尽くせ!」
 イグニスの両拳から両肩口まで一直線に炎が上がり、彼女が拳を引き抜くと二つの炎がまるで矢のように飛んできた。熱は先ほど以上、勢いのある双炎はオリスを突き刺そうと襲いかかってくる。
「…カアァッ!」
 迫ってくる炎に向かって地鳴りがしそうなほどに叫ぶ。気合と言っていい声に双炎は掻き消された。
「うっそ~! あ~りえねぇ~」
 目を丸くするイグニスは慌てて背を向けて今度は本気で逃げだした。もちろんみすみす見逃すつもりはない。オリスも追う。

 イグニスは走る。気合で魔法を消す人狼は初めてだった。
「なんなんだよ。あいつは?」
 追ってくる気配がないので立ち止まり振り返ってみる。と背後の炎に包まれた民家の壁が吹き飛んだ。
「…っ!」
 慌てて振り返るイグニスの首をオリスが掴みあげた。炎が上がる家を構うことなくぶち抜いて追って来たのだ。
 万力の握力で絞められ苦しそうにもがくイグニスを、見ながらオリスは複数の馬の蹄の音がするのに気付いた。
「ようやく…到着か。聖騎士団様のご到着らしいわね」
 聖騎士団は人狼や魔女を討伐する訓練を受けた者達の集まりだ。
「いいの? あんたのお仲間はまだ眠ってるんじゃない?」
「…っ! いかん。逃げろ! 同胞…っ!」
 人狼に気をそれた瞬間。イグニスの双拳がオリスの顔面に向けられていた。
「我が命ずる。怨敵を焼き尽くせ!」
 先ほどの技を0距離で撃ち込まれ、オリスの顔は爆炎に覆われた。首を絞めていた手も緩み、イグニスが解放された。
☆   ★   ☆
 騎士団が着いた時には酷い有様だった。すでに村は全壊していた。
 騎士団員達は何度も人狼討伐に出ている者たちばかり。こういった風景は毎度のことだった。
 しかし、今回は何か違う。言葉に出さないまでも皆の心にそれはあるだろう。
 まず異様だったのが人狼が気を失って倒れていることだ。討伐の際に死んでいることはあったが、ただ気を失っているだけのは初めてだ。どちらにしても殺すのには変わりないが、みんな自然と用心してあまり近づこうとはしなかった。
「分隊長。一体どうしましょうか?」
 先頭立っている男に、団員が言った。
「俺らのすることは同じだ。相手が気を失って倒れてるのは好都合じゃ…」
「逃げろ! 同胞…」
 少し離れたところから大きな声が聞こえてきた。皆、ビクッと体を震わせる。しかし、そのすぐ後に同じ方向から先ほど以上の大きな爆音が聞こえ、皆の鼓膜を激しく刺激した。耳を抑える中で、今の音で人狼が目を覚ます。
 人狼は騎士団を見ると威嚇し牙をむいた。
 分隊長と呼ばれた男は腰の剣を引き抜く。
「ここは俺に任せろ。それよりお前らは向こうにいる魔女を殺せ」
 班長は人狼から視線を外すことなく言った。真っ直ぐにしか進んでこない人狼よりも、魔女の討伐の方が危険だからだ。
「ヴェア気を付けろよ」
「スタルタス。お前もな。死ぬんじゃないぞ」
 ヴェアは副隊長のスタルタスに軽く言うと、人狼に斬ってかかる。
☆   ★   ☆
「アハハハハハハハハハハハッハハハハハハ…」
 イグニスはもう笑いしか出なかった。否、笑うしかなかった。
 そりゃそうだ。自分の渾身の一撃だった。これ以上にはない攻撃だった。それを躱すこともなく、正面にぶつけた。のに。
「あんた。そりゃないよ」
 見上げるイグニスの前に、爆煙を上げながらオリスは傷一つ負うことなく立ち見下ろしていた。
「ハハハ。あんた反則。強すぎでしょ…」
 オリスの腕が横に薙いだ。
 イグニスの首がズルリと地面に落ちた。
 崩れ落ちるイグニスの屍を見つめた後、オリスは月を見上げ涙を流す。魔女ならアークの分身と言ってもいい。ならば彼にとっては娘に等しいのだ。
「おい。ここだ!」
 背後で声がする。
「弓。放てっ!」
 騎士団が一列になり構えた弓を引いた。オリスは地面を蹴る。矢は地面に突き刺さり、オリスの姿は一瞬消え気付けば騎士団員達の後ろに立っていた。
「なっ?」
 流石に戦いなれているだけあり、咄嗟に剣を抜こうとしていた。
「なんて…人間とはなんて脆いものなのだろうか」
 いつ自分が攻撃されたのかわからなかっただろう。騎士団員はオリスの斬撃を受けバラバラになった。
「あぁ…ひ、退け!」
 片腕を失ったスタルタスが残った団員達に叫んだ。
☆   ★   ☆
 ヴェアの切先が月明かりに照らされ煌めいた。
 刃が人狼の胴を捉え、切り払う。上半身が宙で回転し地に落ちる。人狼を一刀の物にするのはかなりの腕が必要だ。
 ヴェアは剣に付いた血を払い踵を返す。
 静かだ。物音一つしない。ヴェアの心に焦りが生まれた。自然と足が速くなる。仲間達を信じている。彼らと幾度となく死線を潜り抜けたのだから…しかし、その思いは脆くも崩れおちた。
「…そんな。スタルタス…」
 友の無残な死体が転がっていた。宙を見つめる瞳には何も映ってはいない。そして、転がっているのは彼だけではなかった。
「みんな…おい。おぉい! 誰か? 誰かいないのか! 生きてる奴は? 生き残っているのは…誰も、いない、のかよ?」
 仲間の死体。人狼の爪の傷なのは見てすぐにわかった。項垂れる彼の心に沸々と怒りが支配する。自分達は騎士だ。戦場で死ぬことは覚悟している。友の死も覚悟している。しかしだからと言って、なら仕方ない。と済ませられるほどできた人間でもなかった。
「どこだぁ! どこに居やがる!」
 ヴェアは村中を走りまわった。ちょうど村を一周して人狼を切り捨てた場所で、ようやく見つけた。
☆   ★   ☆
 オリスはすでに死んでいる人狼を見ていた。すでに人間の姿をしている。若い男だった。まだ先が長かっただろうに。
 オリスは少し開いていた目を閉じさせる。
「お前と同じ時を生きていたことを私は誇りに思う」
 男の頭をポンポンと軽く撫でるように手を置く。…荒い足音。
 軽く振り向くとヴェアが剣を振り上げていた。
 飛び退くオリス。先ほどまでいた地面に剣が突き刺さる。
「貴様だろっ!」
「…人間の仲間か? 私を怨むのは筋違いだ。お前達が初めに攻撃してきたのだからな」
「黙れぇ~!」
 わかっていたがやはり聞く耳を持たない。ヴェアはオリスに斬りかかってくる。騎士団の中では一番動きがいいが、オリスはそれを悠々と躱していく。
 ヴェアは攻撃していく中で次第に冷静さを取り戻していった。というよりも、今まで会ってきた人狼との差に心の奥から恐怖にも似た違和感を抱いたと言ってもいい。
 今まで相手にしてきた人狼は理性の欠片もない獣そのものだった。しかし目の前にいる者は違って見える。そして動きも明らかに…
 オリスが手を横に振る。人間程度ならこれで終わる。しかしヴェアは反射に近い動きで身を屈め潜り抜けると、回転しながら勢いを付けた剣をオリスの首に振るう。気付いたオリスは腕を上げる。
「その腕ごと、斬り捨てる!」
 先ほど人狼を一刀両断した剣。人狼の硬い毛皮すらも斬ることができるサムバリス製の刃。この剣に斬れない物など…
「残念だったな。私はそんな簡単には斬れんぞ」
 腕に当たった刃は耳を塞ぎたくなる金属音を立てて止まる。どれだけ力を入れてもその先にはいかない。まったく斬れてない腕。
 …なるほど。これが絶望の形か…
 オリスに肩を掴まれたヴェアの目前にオリスの牙が。大きな口では噛まれ、振り回され、投げ飛ばされた。血を撒きながら落ちる。
 …俺は死ぬのか? 死ぬのか? 死ぬのか? 死ぬ…の…か?…
 落ちたヴェアに背を向けるオリスは背後で動く気配を感じた。
「…っ! な?」
 振りかえったオリスの右腕が後方に飛んだ。オリスの腕を斬り飛ばした犯人。オリスの下で屈むような形でいるヴェアがいた。
 明らかに様子は変だ。腕が変形しゴツゴツし毛が生え、鋭い爪があった。そしてその変形は体のあちこちで見られる。
「がぁっ! なんだこれは? いやだ。いやだ。どうなってるんだ? 治まってくれ! 頼むから。人狼になんてなりたくない…」
 必死で抵抗している最中でも、筋肉の強靭化、骨格の変形でバキバキと音をたてて変わり、顔も次第に人ものではなくなる。
「これほど早くまでに裏返るとは…」
 オリスがそう言った頃には目の前の人間は一匹の人狼になっていた。唸り声を上げ威嚇する姿。しかし剣を握っているところを見ると、完全に理性を失ったわけではないようだ。
「歓迎するぞ。ようこそこちら側へ。同胞よ」
 右腕を失っているため、左腕のみを広げるオリス。
 ヴェアは剣を握り斬りかかる。剣で闘う人狼など見たこともないがその動きは先ほどの比ではない。剣風だけで体を持っていかれそうだ。すでに閃光と化している剣筋。その振るわれる剣の凄まじさを、轟音のような空を切る刃の音が物語っていた。
「そのままでは己を闇に食われるぞ」
 竜巻のような剣舞を避けながら、牙を剥きているヴェアにオリスは言った。しかしその声は届かない。
 引き絞られた身体から繰り出すすでに斬撃とは呼べない一撃。オリスはしっかりと地面に亀裂が入るほど踏みしめ、彼の背後へ回り込む。ヴェアの刃はオリスの残像を切り捨て、そのまま後ろにあった民家一軒をも切り払う。
「まだまだだ。お前は未熟者だ」
 ヴェアが振り返ると同時に胴に減り込むオリスの拳。衝撃で体がくの字に折れ曲がる。それから複数の体が吹き飛ぶかのような衝撃が襲ってくる。オリスが殴ったのだが、ヴェアには腕が見えなかった。
 明らかに加減された攻撃だった。しかしそれでもヴェアには経験したことのないものだった。
 崩れ落ちるヴェア。薄れゆく意識の中オリスを見上げる。
「ククク、ハッハッハッハハハハ。面白い。面白いぞ。今宵は同胞を一人失い、そして一人得た。これから先の道はお前自身が決めよ。お前は今宵地の果てへ堕ちたのだ。進むも進まないもお前の自由。しかし覚えておくがいい、お前が進む道は苦しく険しい茨の道。犬畜生すら避けて通る冥府覇道の道である。登りつめて見せろ。私はその時を心から待ち侘びているぞ。例へ、仮にお前が敵として私の前に立ちはだかろうとも。
 あぁ。今宵は良い月夜であった」
 薄ら見えるヴェアの視界には満月を背に立つ人狼のシルエットと、彼の異様に光る赤い瞳が見えた。そして気が遠のいていく。

   第3章

 私は昔は神と呼ばれた。
  しかし今では人間は私を卑しい人狼と呼ぶ。
 私はこの世界を創り直す。
  そのために私は敵を殺す。
   そのために私は魔女を殺す。
    そのために私は…もう一度アークを殺す。
 私はさまざまな名で呼ばれた。
 〈神〉〈大神〉〈赤目〉〈赤戌〉〈赤神〉〈名無し〉…そして〈オリス〉
  しかし今はそうは呼ばない。呼ばれない。
今は皆、私をこう呼ぶ…
〈破滅の月(レッド・ムーン)〉と


  RED・MOON~満月が堕ちた夜~ 〈完〉
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