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生活言語と学習言語、母語の重要性

言語には生活言語能力と認知言語能力(学習言語)という2つの側面がある。生活言語能力とは日常会話に必要な能力、認知言語能力は認知的、学術的活動を行う際に必要な能力を指す。 日本語教室で会話程度の生活言語能力は身に付いても、学習言語能力はなかなか身に付かない。 日本語教室担当する教員によれば、個人差や年齢差はあるものの、編入時から半年ないし1年も経てばその地方の言葉を使いこなしながら、日本の子どもと一緒に遊ぶことができるようになるし、1対1の会話であれば教師と意思の疎通を相当程度はかれるようになるという。 また母語とは自己意識の発達やアイデンティティ確立のうえで重要な意味を持つ言語である。アメリカの移民生徒に関する研究では、英語を母語としない児童生徒が第2言語(この場合英語)における認知言語能力を獲得し、授業についていくためには5~7年間必要であったという報告がある。日本語の場合でも同様のことが予測できる。つまり、日常会話はできたとしても、教科教育を行うための学習言語を身につけていないことも少なくはないのである。「日本語がわからないために、教科内容がわからないことがある」や「試験を受けるときに問題の日本語の文がわからないことがある」と答える者が日本語指導を受けている児童生徒はもちろん日本語指導を受けていない児童生徒も1割から2割いることからもこの事実がわかるだろう。このことにより日本語を母語としない外国人児童生徒は結果的に高校への進学の機会が絶たれてしまうのだ。
「ダブルリミテッド」や「セミリンガル」といった、母語も第2言語も中途半端になってしまい学年相応より低い語学力しか習得できていない児童生徒も問題になっている。二言語教育が児童生徒の認知機能に影響を与える閾値仮説と呼ばれるものがあり、ふたつの異なる閾値が仮定されている。それは、二言語の能力が高いレベルの水準(閾値)になれば認知機能に好ましい効果が表れるが、低いレベルの水準(閾値)以下であれば、認知機能に悪影響が出てしまうのである。また、人には言語を自然に努力せず習得できる期間があり、一定の年齢を過ぎるともはやそれ以前のようなインプットはできなくなるという「臨界期仮説」がある。10歳前後に臨界期があるとする説が有力だが、臨界期がいつ終わるか、言語の側面(文法、発音)と臨界期の関係など説は分かれている。この2点から、母語を習得することも重要なのである。しかしながら日本社会ではブラジルでの公用語であるポルトガル語を話せる者が少なく、学校現場でも同じことが言える。日本社会で生活するためには日本語は不可欠である。このことから、ポルトガル語での教育を行うことには限界があるのである。そのため学習言語を日本語にし、第1言語を日本語とすることがよいのではないかと考えた。二言語併用には、加算型の二言語併用と減算型の二言語併用がある。加算型の二言語併用は第1言語が社会的にみて優勢であり、高いステータスをもっており、第2言語を学習しても、それにとって代わられる心配のない状況をいう。一方、減算型の二言語併用は第1言語が社会的に少数派で、高いステータスをもたず、社会的に多数派の第2言語を学習すれば、それによって第1言語の能力がその分低下するような状況をいう。日系ブラジル人の場合は後者の方に当てはまる。