民事訴訟のルール

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-もし民事判決をご覧になられる際には、以下のことを頭の片隅に置いてください。民事裁判では弁論主義という仕組みがとられていて、原告と被告が争わない事実については、訴訟上真実と認め、それを前提に裁判を進めることになっています。上記の裏返しですが、裁判官が判断を下すのは当事者が争った部分だけです。そして、裁判官が判断を下す範囲は、当事者が訴訟において主張した事実についてのみであり、その事実が当事者の提出した証拠によって裏付けられているかを裁判官は判断します。&br()極端なことを言えば、医学界において正しいことも、被告側が反論しなかったり、あるいは反論しても証拠で証明できなければ、判決には反映されない制度になっております。 -医療訴訟は不法行為または債務不履行による損害賠償請求であり、原告患者側としては訴訟前の出発点は「損害がある(マイナス)」状態です。このマイナスを、ゼロになるまで回復することを求めているのですから、訴訟でお金をもらったからといって、儲かったという意識はありません。損害賠償の趣旨は損害額(マイナス)が填補されることですから、最大限もらってもゼロになるだけで、プラスにはならない-焼け太りは許さない-のです。一方、被告病院側は訴訟前は儲けはないのでゼロであり、敗訴するとお金を支払わされてマイナスの状態になります。このように、損害賠償をするということは、責任のないAのマイナスを、責任のあるBに移転するという意味であり、このことを、「損害額の公平な分担」と言います。 -民事訴訟は当事者が提出した証拠から認定をするわけでして、裁判官が自分で付け焼刃的な勉強をした知識から勝手な理屈をひねり出しているものではありません。&br()「裁判官は特に知識や学問に対しもっと謙虚に」とありますけど、今回の件について言えば、双方から出された医師による見解と証拠のうち、原告側のものを採用したということであって、言うなれば、「原告側協力医の専門家としての見解に対して謙虚な姿勢を示した」ということでもあります(鑑定をしていたのであれば、鑑定医の見解に謙虚に従った、という評価もできます)。&br()医療訴訟では、通常、原告被告の双方に専門的見解を提示する医師がいて、その主張を法律的に構成する弁護士もいるわけですので、単純に「法律家 vs 医師」という構図を描いて議論するのは、あまり適切とは思えません。 -「患者のほうは、例えばどこの病院で手術を受けて、多分それが原因で調子が悪くなったのだろうと言えば、それで十分です。後は、調停所のほうで調査いたします。患者にそれ程の負担をかけることは求めておりません。したがって、患者の方が申し立てる内容は、いつそれが発生したのか、医師は誰だったのかという 2点をはっきりさせてくれれば、足ります。それ以外のことは、こちらで調べますので細かいことを聞くことはいたしません。」(畔柳前掲66頁)&br()もちろん、多くの紛争処理制度が弁論主義を採用しているのにはそれなりのワケがあるのであって、単に「法曹が変えたくないと思っているから変えられないのだ」というわけではありません。ただ、FFF先生も言及なさっておられますとおり、職権探知主義を採用している例外的な制度もあり、ここに集っていらっしゃる医師の皆さまの多くは「医事紛争処理制度もその『例外』であるべきだ」とお考えなのでしょう。
-もし民事判決をご覧になられる際には、以下のことを頭の片隅に置いてください。民事裁判では弁論主義という仕組みがとられていて、原告と被告が争わない事実については、訴訟上真実と認め、それを前提に裁判を進めることになっています。上記の裏返しですが、裁判官が判断を下すのは当事者が争った部分だけです。そして、裁判官が判断を下す範囲は、当事者が訴訟において主張した事実についてのみであり、その事実が当事者の提出した証拠によって裏付けられているかを裁判官は判断します。&br()極端なことを言えば、医学界において正しいことも、被告側が反論しなかったり、あるいは反論しても証拠で証明できなければ、判決には反映されない制度になっております。 -医療訴訟は不法行為または債務不履行による損害賠償請求であり、原告患者側としては訴訟前の出発点は「損害がある(マイナス)」状態です。このマイナスを、ゼロになるまで回復することを求めているのですから、訴訟でお金をもらったからといって、儲かったという意識はありません。損害賠償の趣旨は損害額(マイナス)が填補されることですから、最大限もらってもゼロになるだけで、プラスにはならない-焼け太りは許さない-のです。一方、被告病院側は訴訟前は儲けはないのでゼロであり、敗訴するとお金を支払わされてマイナスの状態になります。このように、損害賠償をするということは、責任のないAのマイナスを、責任のあるBに移転するという意味であり、このことを、「損害額の公平な分担」と言います。 -民事訴訟は当事者が提出した証拠から認定をするわけでして、裁判官が自分で付け焼刃的な勉強をした知識から勝手な理屈をひねり出しているものではありません。&br()「裁判官は特に知識や学問に対しもっと謙虚に」とありますけど、今回の件について言えば、双方から出された医師による見解と証拠のうち、原告側のものを採用したということであって、言うなれば、「原告側協力医の専門家としての見解に対して謙虚な姿勢を示した」ということでもあります(鑑定をしていたのであれば、鑑定医の見解に謙虚に従った、という評価もできます)。&br()医療訴訟では、通常、原告被告の双方に専門的見解を提示する医師がいて、その主張を法律的に構成する弁護士もいるわけですので、単純に「法律家 vs 医師」という構図を描いて議論するのは、あまり適切とは思えません。 -「患者のほうは、例えばどこの病院で手術を受けて、多分それが原因で調子が悪くなったのだろうと言えば、それで十分です。後は、調停所のほうで調査いたします。患者にそれ程の負担をかけることは求めておりません。したがって、患者の方が申し立てる内容は、いつそれが発生したのか、医師は誰だったのかという 2点をはっきりさせてくれれば、足ります。それ以外のことは、こちらで調べますので細かいことを聞くことはいたしません。」(畔柳前掲66頁)&br()もちろん、多くの紛争処理制度が弁論主義を採用しているのにはそれなりのワケがあるのであって、単に「法曹が変えたくないと思っているから変えられないのだ」というわけではありません。ただ、FFF先生も言及なさっておられますとおり、職権探知主義を採用している例外的な制度もあり、ここに集っていらっしゃる医師の皆さまの多くは「医事紛争処理制度もその『例外』であるべきだ」とお考えなのでしょう。 -「結局、鑑定をやる場合に一番かけ離れると思うのは、弁論主義はそのとおりだと私も理解しているのですが、例えば、それぞれの論点に対する答えを積み重ねて順々につないでも、きちんとした医療にはならないということですよ」(「座談会・医療訴訟と専門情報」判例タイムズ1121号29頁)&br()と述べ、時々刻々と変化する患者の状態に応じて施される連続した行為である医療を争点ごとに細切れにして判断しようとする訴訟の限界について、控えめな表現ながら指摘しておられます。&br()医事関係訴訟に関与する裁判官も弁護士も、多くの場合医療に関する専門知識を有しておらず、&br()「その結果、争点を整理しても、真の争点を発見することは困難であるし、一応の争点整理ができたとしても、裁判官には、争点について判断する上で必要な専門的知識がない」(西口元「医療過誤訴訟と鑑定」太田幸夫編『新・裁判実務大系1 医療過誤訴訟』青林書院509頁)&br()のですし、鑑定人の医師が「何でもしゃべろうとする」のは、「ここまで説明しておかなければ素人には理解できないだろう」という配慮の表れなのでしょうから、鑑定事項に関連することである限り鑑定人の先生には「知っていることは何でもしゃべって」いただき、素人である裁判官はそこから「医師のした判断をどのように評価しうるのか」を学び取っていくしかないと思うのです。もし今後、鑑定人の医師に対して「弁論主義にしたがって、あくまでも争点についてのみ鑑定し、余計なことと思われることは一切述べないようにしよう」と過度に自己規制するよう指導されるようなことがあると、司法判断が医療の実際からますますかけ離れていくことになってしまうのではないかと危惧してしまいました。

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