東大病院ルンバール訴訟


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第二次未熟児網膜症事件の基礎となる『東大病院ルンバール事件(最高裁昭和50年10月24日)について、今月のJURIST(2007.3.15号、p75-92)で詳説がありました。

『因果関係-「ルンバール事件」からの問題提起」(溜箭将之、立教大学講師)』
この論文で、事件の鑑定結果が5通、認定事実を詳細に分けて提示してあります。
どの鑑定を採っても(一貫して採れば)、過失認定には至りません。

筆者は

「最高裁による因果関係の具体的判断は、個々の間接事実に対応した証拠を摘示しているとはいえ、結論に整合する証拠のみを取り上げている面を否定できなかった。そ

の結果、緻密な間接事実の積上げの形をとりながら、具体的な判示は、因果関係を肯定する方向、言い換えると患者を救済する方向につんのめっている印象を与えることにな

る。さらに、具体的な認定と抽象的な判示との間の論理的連関が明確でなく、また自由心証と経験則違背や理由不備との境界も曖昧で、どこまでが下級審での行為規範として

機能しうるか、また反証可能性があるのかも不分明だった」

ルンバール(事件)の「高度の蓋然性」の判示を、現実と乖離したドグマとして放棄し、むしろ訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む必要が出てくるであろう。

と、問題点を提示しています。

『高度の蓋然性』に蓋然性を認めることができなければ、どうして被告の納得が得られるでしょう。
科学的な事実認定から目を背けた判例からは、医師・病院側が納得する結論は得られないでしょう

東大ルンバール事件が、あらたな法理への一過程であるとしても、行き過ぎた原告患者保護から起こった医療側の司法不信には根深いものがあると思われます。

一方、最高裁が「原判決において適法に確定した事実は、上告裁判所を拘束する。(民訴法第321条一項)」にギリギリの線で、医療過誤訴訟に一石を投じたのは、昭和33年に訴

訟が提起されて、昭和50年の最高裁までもつれ、また差戻しさせた当時の司法の苛立ちもあったのだと思われます。が、この一石の重さには、医療側は耐え切れない気がします

  • 昭和50年ルンバール判決は「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討して、特定の事実発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるとものである。」と判示したものです。この一般論に代えて、「訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む」ことで安定的な判断が可能とは思えません。訴訟上の諸問題が何を指すのかも不明ですが、仮に訴訟上のテクニック(弁論主義や真実擬制規定)で事実認定をしようとしたら、Med_Law さんが懸念する科学的な事実認定から目を背けた判例が増える可能性があります。