刑事処分の不都合


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システムエラーの問題には上手く対応できない

 刑事責任は組織の責任を追及するものも存在はしますが、個人の責任を追及することを原則としています。
 しかし、事故の原因がシステムにある場合に個人の責任を追求しても再発防止に役に立たないことも多く、また、病院がトカゲの尻尾きりのように、医師を切り捨てるケースもある、と言われています。
 くわしくはシステムエラーにて

専門的な分野であるため、捜査機関や司法機関が適切な判断を下すことが困難である。

 医療行為の当否については高度に専門的な知識が必要となるため、捜査機関や司法機関は専門家の意見を求めることになりますが、専門家の意見が対立しているような場合や、適任者の意見を聞けなかった場合などには、誤った判断をする可能性が一般の刑事手続と比べて高くなります。
 しかも、これらの機関の判断が専門家からみると「明らかにおかしい」、と感じられるような場合には、萎縮医療の蔓延、地域医療の崩壊、当該診療科を中心とした医師の逃散など、様々な不都合が発生することが場合によってはあります。
 また、どういう場合には刑事事件にならず、どういう場合には刑事事件になるかの違いが医療者にとって(法律家にとっても)判断が困難であるため、捜査機関の判断が正しくても萎縮効果が生じてしまうことになり、結果として被医療者が適切な治療を受けることが難しくなってしまうこともあります。

  • あの逮捕・起訴で一番問題だとおいらが思うのは、医者から見て検察の説明が納得いかないことです。つまり、「こんなことをしたのでは刑事責任を問われるのは仕方ない」とか、「こういったことさえしなければ、少なくとも刑事責任は問われないな」という感覚を持たせることに全く成功していない。

従来の過失判断の手法(主に交通事犯の裁判を通じて確立された)が必ずしも妥当しない可能性がある。

 業務上過失は、傷害を起こす危険が予見(予見義務)でき、そのような結果を回避すべき義務があるにもかかわらず、その実行において注意を欠く行為により重大な結果を招来すること(注意義務違反)によって成立します。しかし、当初より相当程度に危険が予見でき、回避可能な手段が極めて限られているにも関わらず、実行されることが多い医療行為に対して、過失罪を適用することが本来の過失罪の目的にかなうものかどうかは疑問である、と言う指摘があります。

医師にとって、刑事処分のリスクが過大である。

 医師は毎日多くの患者の治療を行っています。このように、反復継続して行う行為にはどうしても過失が含まれます。これらを処罰することについて、医療関係者を中心として反発があります。
 これに対しては、たとえば自動車の運転においても、何度も運転していれば何らかの過失行為はありますし、その「たまたまの」過失によって人を死傷させてしまえば自動車運転過失致死傷罪に問われるではないか、という反論がされます。
 確かに自動車の運転においても一定の確率で過失行為がありますが、その過失行為が人の死傷結果につながる可能性は、よほどの危険運転でもない限り、あまり高くありません。しかし、医療行為は常に人の死傷結果と隣り合わせであるため、ちょっとしたミスが人の死につながるリスクが自動車の運転等に比べて桁違いに高く、医療関係者が受忍できる程度のリスクを超えている、と考えられています。

真相究明が阻害され、医学の発展を妨げる。

 刑事処罰がされるリスクがある場合、取調べを受けている医療関係者が防衛的な態度に出て、真相を話さなくなる可能性が指摘されています。医療の世界ではカンファレンス等によって医療関係者同士が忌憚のない意見を戦わせ、その結果医療が発展してきた、と言う歴史があります。医療関係者が防衛的な態度に出ると、このような方法による医学の発展に障害が生じ、結果として「当該事故を教訓として弐度とこのような事故が発生しないようにする」という究極的な目標の達成が困難になる、と指摘されています。
 もっとも、従来取調べを受けた医師が黙秘権を行使して真実を語らない、というようなことはあまりなかった、とも指摘されています。
 また、上記とは別に、警察によって証拠が押収され、病院が医学的に真相を究明することが妨げられる、とも指摘されています。

必ずしも患者・遺族のニーズにこたえられない。

 刑事裁判では、民事裁判と比べて真相究明が目的とされてはいます。
 しかし、当時の状況を全て再現するわけではありません。
 刑事裁判では被告が有罪か無罪かを判断するのが基本であるわけですから、これを判断するために必要な部分についてだけ調べればよいのです。というか、それ以外の部分についてまで調べようとすると、裁判が長期化してしまうため、「裁判に時間がかかりすぎる」との批判がされている昨今では、有罪・無罪の判断に不要な部分についてまではむしろ審理すべきではありません。
 たとえば、福島大野事件では県の報告書では3つの点について過失が指摘されていましたが、刑事裁判では検察官が起訴した部分についてだけ審理し、起訴していない部分については過失の有無等について判断していません。
 このように、必ずしも刑事裁判は患者が求める真相究明を実現することはできないのです。